142.厄介なご令嬢
チェスターとのダンスを終えると、彼は私に目配せして後ろを見るよう伝えた。振り返ると、サディアスが私達に軽く礼をする。
「こんばんは、サディアス様。」
「えぇ、こんばんは。シャロン様。公爵家同士、私とも一曲よろしいでしょうか。」
「駄目って言ったらどうする?」
楽しそうな声のチェスターが私の肩に手を置くと、サディアスは思いきり眉根を寄せて声を潜めた。
「貴方の父君に突き出しましょうか?」
「わぉ、そこ突いてくる?意外。」
すぐさま私から手を離して、チェスターが目を丸くする。
前世にプレイしたゲームでは、この二人にももう少し距離があった気がするけれど……ジェニーとの食事会に呼ぶくらいには、チェスターはサディアスを気に入っているのよね。すぐからかうものだから、サディアスはいつも眉間に皺を寄せているけど。
「本気なら構わないでしょう。堂々と二曲目を踊ればいい。」
「ごめんって、大人しく退散しますよ。じゃあまたね、シャロン嬢。」
「えぇ、また。」
にこやかに手を振るチェスタ―に笑顔を返して、私はサディアスが差し出してくれた手に自分の手を重ねる。
きっちりと燕尾服を着こなしたサディアスは、ウィル達と同じように前髪を上げていた。肩につかない長さに切り揃えられた紺色の髪、四角い黒縁眼鏡の奥にある水色の瞳は、今日もとても綺麗だ。
繋いだ手を軽く上げたまま互いに礼をして、一歩近付く。サディアスの腕にもう片方の手を添え、曲に合わせて足を踏み出した。
「なんだか、サディアスもだいぶチェスターに慣れてきたわね。」
後から知り合った私が言うのも変だけれど、と笑う。
サディアスはじろりと私を見下ろした。
「元はと言えば貴女のせいでしょう。」
「私?」
「貴女がウィルフレッド様と結託して、私を強引にジェニー嬢の見舞いに行かせたからです。」
結託なんて言い方につい顔がほころんで、サディアスが眉根を寄せる。私は慌ててきゅっと唇を引き結んで目を瞬いた。
「その頃から、あれが妙に絡んでくるようになってしまった。迷惑です。」
あれ、というのはチェスターの事よね。
苦々しく瞳を横に向けたサディアスの視線を追うと、頬を赤く染めた令嬢と踊っていたチェスターがこちらに気付いてぱちんとウインクした。
サディアスは黒いオーラでも見えそうな不機嫌顔でプイと顔を背けたけれど、たぶんそういう反応を楽しまれているんだと思うわ。
「サディアスと話せて楽しいのではないかしら?」
「私はまったく楽しくありませんが?」
なんて綺麗な笑顔。まるで一枚絵のよう。
形式通りのステップを完璧にこなしながら、サディアスは笑みを消して呟いた。
「ただ……お陰で、あれがヘラヘラするだけの男ではないという事は、わかりました。」
私からもチェスターからも視線を外した瞳は落ち着いていて、嫌悪も怒りも感じられない。
サディアスはアベルの従者になりたかったのだと、私は前世の記憶で知っている。だからきっと、チェスターに対しては最初から壁があったのだろう。
「貴女はわからないでしょうが、私にも枷のような物があったので。…僅かには、感謝しています。」
「……これからも、皆で仲良くしましょうという事ね。」
「そうは言っていません。」
「ふふ」
喧嘩したいわけでもないだろうに即座に否定するのがあまりに彼らしくて、私はつい微笑んでしまう。文句を言いつつも結局は一緒にいてくれるのが、サディアスの優しいところだ。
目を細めて水色の瞳を見つめていると、眉根を寄せて目をそらされてしまう。白い頬が少し赤らんで見えた。
サディアスは、小さい頃人攫いに遭っている。
その時助けてくれたのが僅か六歳のアベルだったというのだから、第二王子殿下がいかに人並外れているかわかるというものだ。サディアスはアベルの強さに憧れ、彼を支えていくと心に決めていた。
けれど……
「魔法の調子はいかがですか。」
話題を変えたかったのだろう、少し棘のある声で聞かれて私は思考を中断した。
一年以上先の心配より、今は目の前にいるサディアスを見ていなくては。
「貴方にアドバイスを貰ったお陰で、少しは浮けるようになったわ。メリル…家の者が心配するから、あまり高くはできないのだけれど。」
「そうしてください。失敗して怪我でもしたらコトです。」
「余分に魔力を使ってしまっている感覚があるのと、浮くだけでそこからの移動ができない所が、これからの改善点ね。」
「……相変わらず熱心ですね。私などに教えを乞うて、本当に…どこを目指しているのだか。」
真剣に報告をする私に、サディアスはふと呆れたように笑う。
「厄介なご令嬢ですよ、貴女は。」
それは伯爵邸で戦った際、人質になった私を解放してくれた時にも聞いた言葉だ。厄介という事はご迷惑をかけたかしらと、不安に少し眉を下げてサディアスを見つめる。でもどうしてか、水色の瞳はただ優しいものに見えた。
「…私の父には、気を付けてください。」
最後にくるりと回る際、彼は私の耳元でそう呟いて身体を離す。
突然の忠告に思わず目を見開いたけれど、曲の終わりに合わせて礼をするサディアスに私も動きを揃えた。顔を上げて、意味を聞こうか迷いながら口を開く。
「それでは失礼致します、公爵閣下。」
私が声を発するより先にサディアスはそう言って、握っていた私の手を誰かへと差し出した。
「あぁ。」
答えたのはお父様。
大きな手が私の手を取ると、余計な会話は不要とばかりにサディアスは離れていく。ダンスを終えた他の令嬢がその後を追っていった。
「お父様、お母様は…」
「昔の部下がいてな。」
ちらりと見やった先を目で追ってみると、騎士の礼服を着た水色の髪の男性とお母様がにこやかに話している。レナルド先生も一緒にいるから、あの男性がティム・クロムウェル騎士団長かしら。ものすごく困り顔で笑っている。
「よろしいのですか、私とで。」
「当たり前だ。」
お父様はそう言うけれど、ヒールを履いているとはいえ二十五センチくらいは身長差がある。ウィル達と踊った時のようにきちりと組むのは難しい。
周りを見回してみたところ、意外そうにお父様を見たり微笑ましそうに頬を緩めている人が多かった。国王陛下と王妃殿下は無表情…観客の中には唖然としてこちらを凝視している人もいるけれど、お父様が気にしないのだから私もそうしましょう。
「では、よろしくお願い致します。」
「あぁ。」
お父様が柔らかく微笑む。
どこからか黄色い悲鳴が聞こえた気がした。お母様がいた方向ではないのは確かだ。…お父様、格好良いものね。いきなり白目を剥いて倒れたりするけれど。
無理のない程度に手を組んで、私はお父様と踊り始めた。
「殿下達と色々話していたようだが、私が聞いても良い内容か?」
「日頃のお礼などですわ。後は、ジークハルト殿下とダンスした事を心配してくださって。大丈夫でしたよとお伝えして…」
「そうか、うん。第二王子殿下とは…随分、話し込んでいなかったか?」
「そうですね、ちょっとお伝えしたい事もあったので。」
「……伝えたい事?」
お父様の声がズンと暗くなって、私の後方にいる他のペアから「ヒッ!」と声が上がる。どうしたのかしら。不思議に思ったけれど、何か騒ぎにはなっているわけではないようなので、気にしない事にした。
「えぇ、幸せになるなら一緒にと……。」
一瞬だけ、お父様の身体がビシリと固まる。
本当に僅かな間だけですぐにまた動き出したけれど、なんだか機械的だ。私は顔を上げる。お父様の銀色の瞳は遠くを見つめていて、私を見てはいなかった。私も目線を横へ戻す。
「どうかなさいましたか、お父様。」
「……ちなみに、見つめ合っ…いや、お前は少し、殿下を見過ぎではなかったか?」
「殿下が、自分だけ見ているといいと仰ってくださったのです。」
「ッ……なん、なんだと?」
なぜか息を呑んだお父様が聞き返してくる。
もしかすると、お父様も噂ばかりであまりアベルと関わりがないのかしら?私が何度も助けてもらっている事は伝えているから、優しい人だとわかってくれている気でいたけれど…。
「自分だけ見ていろだと…あのアベル殿下が、うちの娘に……?しかも、既に一緒に幸せになるという約束を…つまり……?」
緩やかにダンスを続けながら、お父様は呆然とした声で何かボソボソ呟いている。大丈夫かしら。お疲れなのかもしれない。
「なのでお言葉に甘えてしまいました。お陰でとても楽しく踊れましたし、お父様、途中気付かれましたか?どなたか私を転ばそうとしたようなのですが、それも殿下が守ってくださいました。」
「それは知っている……とうに取り押さえられた。」
どうして消え入るような声なのだろう。
深刻にお父様の体調が心配になってきて、私はもう一度顔を上げた。
「お父様、少々顔色が悪いようですが…」
「問題ない…いや、お前に関して多大なる問題があるが、俺は大丈夫だ……」
「一人称が素になっているではありませんか……、私の問題とは、どのような事でしょう?」
「気にするな。後で殿下と話しておく」
「そうですか……?」
話すと言っても、何をだろう。私は視線を下げながら軽く首をひねった。
もしかすると、私の危機管理能力的なところかしら。あまりに色々と起きるものだから。
「お前は未成年どころか、まだ入学前だ。」
「はい。」
「節度を保つという事をよくよく話しておく。」
「はい……?」
「そもそも相手を決めるにはまだ早い。わかるな。」
相手?
はて何の事かしらと瞬く私を、お父様が曲の終わりに合わせてくるりと軽く回した。向き合って礼をし、顔を上げる。ちゃんと話してみなくては。
「お父様――」
「ダンスは一度ここまでにしなさい。疲れているだろう。」
「…はい、わかりましたわ。」
私の手を引いて、お父様は有無を言わせぬ雰囲気でダンスフロアから抜ける。
途中ずっと眉間に皺を寄せ、まるで睨むかのようにジロジロと辺りを見回しながら。アーチャー公爵家に用意された席へ向かっていた私達のところに、軽快な足音が近付いてきた。
「‘ なぁなぁ!さっきジークハルトと踊ってた子だよな?オレの言葉、わかるか? ’」




