139.気になるよな
「お前、俺の目が怖くはないのか?」
シャロンの背に手を回しながら、ジークハルトが聞く。問いかけてはいるものの、確信を持った言い方だった。口元には笑みを浮かべたままで、どこか楽しそうにも見える。
「驚きはしても怯えなかっただろう。」
「そうですね…確かに、恐ろしいとは思いません。」
シャロンは前世の知識で元からジークハルトの外見を知っていたが、たとえそれがなくとも、自分が彼の目に怯える事はなかっただろうと思えた。
曲が始まる。
「女で怯えない奴は中々いない。つい昨日も会ったばかりだが…まぁいいとしよう。珍しい事には変わらん。」
アベルと違い、ジークハルトにはシャロンを丁寧にリードする気がないようだった。
身長差と歩幅だけはある程度配慮しているようだが、後は好き勝手にくるくると振り回している。まるで雑な人形遊びをされているような心地を覚えながら、シャロンは魔力による身体強化で無茶なステップについていった。か弱い令嬢だったら転ぶか足を挫いていたかもしれない。
「…普通の娘ではないな、お前。アベルが気に入るだけはある。」
「少しばかり、身体を鍛えております。」
「ほぉ?この後はウィルフレッドと踊るそうだが、お前はどちらの物になるんだ?」
「…結婚という意味でしたら、婚約者はおりませんわ。」
「なんだ、つまらん。」
ジークハルトはあからさまにガッカリした様子で言ったが、すぐに持ち直したようで口角を吊り上げた。
ぐるんと身体を回され、シャロンのドレスがふわりと広がる。言外の指示に従ってジークハルトの腕に身を預け、片足を軽く上げて後ろへ倒れるかのように背をそらせた。
すると、ジークハルトは覆いかぶさるように背を曲げ、鎖骨に唇が触れそうなほど顔を近付ける。シャロンは驚いたが、体勢的に逃げようもない。朱色の髪がさらりと首筋をくすぐった。
「くく」
それは僅か一秒ほどの事で、楽しそうに喉を鳴らしたジークハルトはすぐにシャロンを元通りに立たせ、ダンスを再開する。
驚きに目を丸くしながらも、公爵令嬢は見事に強引なリードについてきていた。羞恥で頬を赤くする事もなければ、恐怖に青ざめた様子もない。
「殿下、今のは一体…」
「気にするな。確認しただけだ」
ジークハルトはちらりと周りを見やって言ったが、シャロンには視線の先を確かめる余裕はなかった。
「大臣の娘で公爵家なら、誰も文句はあるまい。ウィルフレッドかアベル、どちらかは捕まえておけ。」
「まぁ…どうしてそのような事を?」
「なに、俺はあいつらが気に入ったのでね。お前のような度胸のある娘がいれば安泰だろう。」
その言葉に、シャロンはぱちりと瞬いた。
――あいつ「ら」が気に入った?
「あれはどちらも良い男になるぞ。俺が保証しよう」
「…ふふ。」
「なんだ、可笑しいか?」
「嬉しく思っての事です、第一皇子殿下。」
ゲームのシナリオでは、ジークハルトが気に入ったのはアベルだけだった。大人になるまで生きていられるのも、どちらか片方だけでしかない。
少年のように無邪気な瞳を見上げ、シャロンは心からの笑顔を浮かべる。
「お二人が立派になられた姿、私も楽しみにしておりますわ。」
「…なるほど、育ってからどちらの嫁になるか決めるつもりか?」
「えっ?いえ、ち、違…」
「悠長な事を言って、ぽっと出の女に横から搔っ攫われても知らんぞ。ハハハハハ!」
「殿下、少々語弊が……ッ!」
シャロンは訂正しようとしたが、物理的に振り回されてそれどころではなくなった。常に集中していなくては、ほんの少しでも足運びを失敗したら一気に崩れてしまう。
楽団が気を利かせて早めに曲を切り上げるまで、ジークハルトは機嫌良く笑っていた。
「それなりに楽しかった。シャロンと言ったな」
「は、はい…。」
礼も終え、再び背筋を伸ばしてシャロンが返す。さすがに息は切れていたが、苦しい顔をするわけにはいかない。手を引かれながら微笑むと、ジークハルトは軽く首を傾けた。
「あいつらと喧嘩でもしたら、俺の所に来るがいい。愚痴くらい聞いてやらんでもないぞ。」
「まぁ…ふふ。ありがとうございます、第一皇子殿下。」
「名前で構わん。弟の嫁は妹だからな。」
「弟……?」
「ジークハルト殿下。」
やや咎めるような声に振り返ると、ウィルフレッドが二人の元へ歩いてくる。きらきらと輝かんばかりの微笑みを浮かべているが、目が笑っていない。
「なんだ、お前が来るのか。ウィルフレッド。」
「えぇ、俺も彼女と踊りたいので。」
「くはっ、随分堅い口調だな?場を弁えて偉い事だ。」
「貴方はもう少し場を弁えてください。…何なんだ、今のダンスは。彼女を乱暴に扱うんじゃない!」
綺麗な微笑みはそのままに、ウィルフレッドが声を潜めて叱りつける。ジークハルトはけらけらと笑った。
「健気にもついてくるのが面白くてな。」
「危ないだろう!しかも途中のアレは何だ?あ、あんな…!」
怒気を堪えようとしてはいるようだが、ウィルフレッドの頬に赤みがさす。
まるでシャロンの胸元に口付けるかのようだったジークハルトは、その瞬間視線を横にずらし、周囲で踊る人々を見やったのだ。
ひどく妖艶な、そして挑発的な目だった。
殆どのペアは我関せずを貫いていたため、彼の行動自体に気付いていなかったが、シャロンを心配して近場で踊っていた面々は別だ。
ジークハルトも敢えて「彼ら」のいる方を意識して事に及んだ。
「ちょっと反応を見ただけだ、娶る気はないから安心しろ。」
「めと…!?」
ウィルフレッドが愕然としてジークハルトを凝視している。シャロンは二人の顔を見比べて微笑んだ。
「よかった。お二人は仲が良いのですね。」
「…シャロン。そう見える?本当に?」
ウィルフレッドは納得がいかない様子で少し眉根を寄せたが、嬉しそうにしている幼馴染みを否定する事などとてもできない。それ以上は突っ込まずにシャロンの手を取った。
「もう次の曲が始まる。ジーク、貴方は大人しく公爵の所へ。」
「んん?」
見ると、ジークハルトの席近くにエリオットが待機し、眉間に深く皺を刻んでこちらを睨みつけている。隣には「あらあら」と微笑むディアドラの姿もあり、帝国の将軍達は「自分で何とかしてください」とばかり姿を消していた。
壁際で、テーブルの側で、扇子の裏で、人々は囁き合う。
「第二王子どころか、帝国の皇子にまで気に入られているぞ…」
「流石はアーチャー公爵の娘だ。」
「褒める事かしら?今からあの調子では…フフッ。将来、遊びの激しい人になりそうではなくて?」
「帝国に擦り寄って何を考えているんだ?誘いを断るべきだっただろう。」
「断って難癖をつけられたらどうするのです。皇帝は多くの側室がいたようですし、いっそ…」
「滅多な事を言うな。あの娘は次代の王妃候補だぞ。」
口いっぱいに頬張ったサラダを咀嚼しながら、リュドは手遊びにフォークをくるりと回した。テーブルの下で組んだ足の踵で床をコンと鳴らし、椅子の背もたれに寄りかかる。
姿勢が悪くとも行儀が悪くとも、彼の従者達がそれを咎める事はない。
「‘ ん~、この美味しさも今日でお別れか!寂しいったらないぜ~… ’」
盛りに盛った皿は、二曲終わる程度では空にならない。
薄切りで並べられた肉を数枚一気にフォークで刺し、花を描くように皿に乗せられていたソースへ無造作に押し付ける。噛みしめると口の中に肉汁が広がり、リュドは旨みに浸りながら喉を鳴らして飲み込んだ。
「あの王子は踊らないのか?ソレイユは伝統舞踊の国だろうに。」
「さぁな。パーティーのダンスはまた違うのだろう。」
「踊れないのではないか?見ろ、靴も腕輪もガチャガチャ鳴らして…躾がなってない。」
「おい、やめとけ。通訳がいるに決まってるだろ。」
「‘ 勿体ないよなぁ、こんなにウマいのに皆踊ってばっかで。……ま、踊るのが楽しいのもわかるけどな! ’」
パンをスープに浸してぐしゅぐしゅと噛みしめながら、リュドは左右で色の異なる瞳でダンスフロアを見回す。
ヘデラ王国のナルシスは、言葉が通じる上に紳士的とあって人気が高いようだった。ダンスの順番待ちをする者までいる。リュドは言葉が違う上に令嬢を見もせずに料理を取っていたので、今のところ近付いてくる令嬢はいない。山盛りの皿が空になるのを待つだけ時間の無駄だろう。
「‘ あの子、気になるよな。 ’」
跳ね広がる黄色のポニーテールを揺らして、リュドは快活に笑った。
物騒な第二王子と笑顔で踊り、帝国の皇子にすら怖気付かず、今は第一王子と穏やかにダンスをしている、薄紫色の髪をした令嬢。
コクリコの王女と共にセレモニーで王子の相手を務めたという事は、ツイーディア王国の中で相当に高位の貴族令嬢なのだろう。顔の造形も服装も整っているし仕草もお綺麗だ。ジークハルトが周りを挑発した時など、何人の男がざわめいた事か。
――まだガキなのに、随分‘ 愛 ’されてんじゃん。
ぷぷ、と笑ってしまいそうなのを堪えて鳥肉の甘煮にかぶりつく。
幸せそうに微笑む彼女を見ながらする食事は、悪くない。
ぎちぎちと歯に力を込め、肉を食いちぎる。咀嚼すれば切れて潰れて旨みが溢れ出る。すっかり味を楽しんで何も出なくなったら、喉の奥へ。暗い胃の中へ落とし込む。
「‘ 俺とも仲良くなってくれそうだし。友達は多い方がいいもんな! ’」
従者達は黙っている。
ワクワクした様子で食事を続けるリュドの視界の中、シャロン・アーチャー公爵令嬢は踊っていた。「使える」と言われていたチェスター・オークスとも、リュドを案内したサディアス・ニクソンとも、随分親しげに言葉を交わしている。
そして、ジークハルトの説教を終えたらしい特務大臣、アーチャー公爵とのダンスを終えると、休憩なのか、彼女は一度ダンスフロアから下がった。僅かばかり参加している令息達が押し寄せないよう、公爵が睨みを利かせてエスコートしている。
しかしその立場上、他国の王子を退かせる事はできないだろう。
食事を終えたリュドは立ち上がり、ココン、と靴を鳴らして軽く飛び跳ねるように彼女の側へ近付いた。
「‘ なぁなぁ!さっきジークハルトと踊ってた子だよな?オレの言葉、わかるか? ’」




