134.魔石と魔獣
「“ まぁ……アベル殿下。こんばんは ”」
虚ろにくすんだ瞳で、イェシカはアベルに軽く会釈した。口角を上げる気力はないようだ。
ウェーブがかった橙の髪はヘアピンで前を留め、邪魔にならぬよう耳にかけられ、黒いレースカチューシャは見当たらない。
チェスターが運んだ夕食は中身があまり減っておらず、彼女と同じテーブルを囲む学者達はブツブツ何か呟きながらペンをはしらせている。
アベルはチェスターと顔を見合せ、顕微鏡と睨めっこを始めたイェシカへと視線を戻した。
「“ こんばんは、イェシカ殿下。依頼しておいて何ですが、こちらは貴女の健康を害してまで急いでほしいとは考えていません。 ”」
「“ …えぇ、わかっておりますわ。これはただ、研究者としての意地です。どうかこのままに。 ”」
「…アベル様が言っても駄目かぁ。」
チェスターがしゅんと眉を下げて呟いた。
国の来賓として王妃の茶会には出席したイェシカだが、それ以外はずっと騎士団本部に引きこもって研究を続けている。
「“ チェスター、現状は? ”」
あえてコクリコ王国の言葉で聞くと、チェスターより早くイェシカから声が返ってきた。
「“ 毒がありますので、ケースから出す際には換気を推奨します。欠片を飲ませた実験体は耐えきれず死亡、件のオオカミ達は何か特殊な処置を受けたか、あるいは低い確率で生き残った個体なのでしょう。 ”」
彼女の目は顕微鏡を覗いたままだ。
続けて石の硬度や条痕、各種検証結果が並べ立てられ、産地は不明だが成分が似た鉱石もある事、その詳細も報告書にまとめている事が告げられる。
「“ 魔法を発動させたという事から、便宜上この石を《魔石》、魔法を使う獣達を《魔獣》と呼称致します。どちらが先かはまだ不明と考えて頂くべきかと思いますわ。 ”」
「“ 魔石により魔獣となったか、魔獣の体内に生成されるのが魔石なのかはわからない、という事ですね。 ”」
「“ えぇ。前者の可能性が高い、とは思いますが… ”」
アベルの問いに答え、イェシカはようやく顕微鏡から目を上げる。ツイーディア王国の研究者とも話したが、そこはまだ確定させない事で意見が一致していた。
橙の瞳がアベルを見据える。
「“ 魔石が先の場合は、既に魔獣を作る素材として使ったがゆえ、今こちらにある物はもう効果を成さないという可能性もあるかと。 ”」
「“ …他に、滞在中に判明しそうですか。 ”」
「“ 有用な結果が出るかは、なんとも言えません。 ”」
「“ 魔法と関係のある石について、改めて確認させて頂いても? ”」
アベルの問いに、イェシカは素直に頷いた。何かを秘匿しようとする様子はない。
「“ ご存知の通り、黒水晶は触れる者の魔法の発動を抑えます。けれど、過度な魔力を注がれれば砕けてしまう。 ”」
「“ ……そう言えば、それってどういう原理なんですかね? ”」
あんま考えた事無かったけど、とチェスターが言う。イェシカは夕食と共に置かれていた水を口にし、一つ息をついてから説明した。
「“ 人は魔法を発動させる際、体表に魔力が流れ出る。黒水晶はその魔力を奪ってしまう。すると魔法の発動に必要な魔力量に達する事ができず、不発となる……そういう仕組みだろうと言われていますわ。 ”」
「“ そこへ大量の魔力を流し込むと、耐えきれずに砕けるわけですね。 ”」
チェスターの言葉にイェシカが頷く。
そのため、魔法を封じる目的で身につける黒水晶はある程度大きさがあったり、いくつも連ねる事で許容量を調整しているのだ。
「“ 物質に魔力を流すというのは、治癒の魔法を施すようなものですが…想像しづらく、ひどくやりにくいです。わたくしは、これくらいの黒水晶なら砕いてみた事があります。 ”」
イェシカは片手を胸の高さに上げ、ほんの五ミリほど指の隙間を作ってみせる。
黒水晶に関しては既に様々な検証が行われており、魔力を蓄積しているわけではない――つまり長期的に少ない魔力を込め続けても意味がなく、短期的に大量の魔力を流した場合にのみ砕ける事がわかっていた。
「“ 後は鑑定石ですわね。ご存知の通り、質の悪い物は魔力のある無ししかわかりませんが、質の良い物は最も適性の高い属性を教えてくれます。魔法を使わずとも反応するのは、触れた瞬間に魔力を僅かに奪うためと言われていますわ ”」
「“ その二つが有名どころですよね。他って聞いた事ないな。 ”」
人差し指を立てて言うチェスターの横で、アベルが軽く腕組みをして聞く。
「“ 魔力を蓄積できる石というのは、あるのでしょうか。 ”」
その質問は、イェシカとチェスターから見れば、魔獣の体内にあった魔石に関連する問いでしかない。アベルにとっては、ロイ達のペンダントに通じる問いでもあった。
「“ 現状、ありません。わたくしの知る範囲ですけれど。 ”」
「“ あったらすごい便利そうですよねぇ。好きな時に体に戻せるとかだったら余計に。 ”」
チェスターが大きく頷いて言う。
イェシカは「ただ」と呟き、一度目を伏せて考えてから改めて告げた。
「“ より正確に答えるならば…物質に込められた魔力を検出する方法を、まだわたくし達は持っておりません。 ”」
「“ …あったとして、わからないと。なるほど、確かにおっしゃる通りです。 ”」
「“ 基本、何も起きないですもんねぇ。 ”」
体ごと首を傾げながら、チェスターはテーブルに置かれたガラスケースの中の魔石を見る。
例えばあれに魔力を込めたら、飲み込んだ生物に魔力が移るのだろうか?
相手にしたオオカミの中に、炎が不発になった様子のものはいなかった。つまり魔力の枯渇は、少なくとも短時間の戦闘では無かった。
魔石とは、魔獣とは。まだわからない事だらけだ。
「“ 報告は明日、きっちりと纏めさせますけれど… ”」
ふと、イェシカは何かに気付いた様子で瞬き、立ち上がる。
他の学者達が何事かとそれぞれ彼女へ目を向けたが、続けるよう手で促され作業に戻った。
イェシカはフォークで一口だけ夕食のサラダを口に入れ、咀嚼しながらアベルだけを手招きして部屋を出る。王女らしくはない行動だが、アベルはチェスターに部屋へ残るよう目で指示し、後に続いた。
アベルが見張りの騎士を遠目に下がらせ、口の中のものを飲み込んだイェシカは小声で問いかける。
「“ この件は王妃殿下もお調べに? ”」
廊下の窓からは、星を散りばめた紺色の空がよく見えた。予想外の人物に、アベルが聞き返す。
「“ なぜです? ”」
「“ 今日の茶会に少し参加させて頂きましたが、何か報告を受け取られていましたから。わたくし、話すのは苦手ですが、読みは多少できますので。 ”」
アベルは僅かに片眉を動かした。
その時のことを思い出してか、イェシカは夜空へと目を向ける。
王妃、セリーナが受け取った手紙は風にあおられてイェシカのもとへ落ちた。拾い上げた手紙には――…
「“ 魔力のない生物に、魔力を与える方法について…と。 ”」
窓の外が光る。
夜空を駆け抜ける火柱を水流と光の波が追い、弾けた先で七色の炎が噴き上がった。
「“ あぁ、これがナルシス殿下の言っていたショーですね。確かに……見ないのは、勿体ないですわ。 ”」
「“ …ありがとうございます。 ”」
緩く微笑んで夜空を見つめるイェシカの瞳には、光が映り込んでいる。
同じように窓の外を見上げながらも、金色の瞳は違うものを映していた。
――母上。貴女はまさか…
◇
「な~んか、思ってたのと違うんだよなぁ。」
窓の外。
夜空を彩る魔法のショーを眺めながら、少年は軽い調子で言った。
「帝国の皇子が気に入るなら、第二王子の方だけだと思ったのに…何だろうな?第一王子とまで仲良くなっちゃって。すっげぇ不思議!どう、予想してた?」
「…いいえ。」
「だよな!」
白い歯を見せてニカッと笑い、テーブルに置かれたフルーツの盛り合わせからリンゴを手に取る。それを拭く事も改める事もせず不用心にかぶりつくと、シャクシャク音を立てて食べ始めた。
「ていうか、昨日の毒効かなかったってマジ?食わせられなかったとかじゃなくて?」
「ジークハルト殿下は、耐性がある毒だとわかった上で口にしたそうです。」
「うそぉ!耐性とか……わかってても食うか?普通。やっぱヤバイんだな帝国って…武器の造り過ぎで胃まで鋼?なんてな!ははっ。」
ケタケタと笑い声を上げて、ベッドに腰かけた少年は脚を交互に揺らす。
「それで、誰だっけ?」
「パーシヴァル・オークスという男です。公爵位を持っております。」
「ふーん。一家皆殺し?」
「息子と娘は残して頂きたく。使いますので」
「なるほどな~。」
残ったリンゴの芯を摘まみ、ゴミ箱に放り込んでぺろりと唇を舐める。
「ま、何でもいいや。オレはちょーっと手ぇ貸すだけだし。表に出る気はねぇから、実際に手を下す役は契約通り、そっちの準備って事で。効果が出るまでがオレの仕事、後は何にも知りません。」
「構いませんよ、それで。」
「りょーかい。いつどこに行けばいいかだけ、後で連絡くれよ。」
「えぇ。」
少年は勢いをつけて立ち上がり、再び窓辺へと寄って空を走る光の魔法を見上げた。
「明日が最終日……舞踏会は色々来るんだっけ。オレらの相手役に女の子もいるんだろ?コクリコの王女だけじゃ足りないもんな。」
「そうですね、我が国の貴族令嬢から数名。」
「はは、可愛い子いる?」
「私からは何とも言えません。殿下の好みを知りませんので。」
「オレも知らね~!」
何か楽しいのか再びケタケタと笑い声を上げ、少年は左右で色が異なる目を細める。
「‘ 愛あれば死あり。 ’……ぷぷ、馬っ鹿みてぇ。あ、ごめん。もしかして愛とかわかる人?」
「いいえ、別に。」
「だよなぁ!そういう顔してないもん、あんた。」
ココン、とステップを踏んで、少年は部屋の中央で舞うように回る。手首に二つずつつけた腕輪が金属音を立てた。
「じゃあ何で息子いんの?そういうコトは好きってやつ?」
「次代を作る事は貴族の義務ですから。」
「あ~そっちか!真面目だなぁ。」
彼の息子の仏頂面を思い出して、少年は「完全に遺伝だ」と深く頷く。
「オレは楽しく遊べてれば、それでいいや。」
跳ね広がる黄色のポニーテールを揺らして、少年――リュドは明るく笑っていた。




