133.魔法の出どころ
レオとカレンに別れを告げ、アベル達は城へ向かっていた。
少々時間が押したため一頭の馬を借り、手綱を握るアベルの後ろにジークハルトが乗っている。
「で、何が聞きたい?」
サングラスの奥にある瞳を流れる街並みに向けたまま、ジークハルトは聞いた。
二頭借りてアベルが先を行けば、道案内には問題ない。あえて一頭なのは来賓に手数をかけない意味もあるだろうが、何か話があるのだろうと察していた。
無防備に背後を取らせたまま、アベルは口を開く。
「そちらの生物兵器――キメラについて。」
「意外だな。あんな物に興味があるのか?」
「他の国にはないからね。」
「話してやってもいいが、お前が気に掛ける程ではないぞ。」
駆け抜ける馬の上で交わされる会話は、道行く人には届かない。
蹄の音と通り抜ける速さのせいもあるが、アベルが密かに風の魔法で防音しているからだ。そうとは知らないだろうジークハルトはしかし、声を潜めるでもなく言葉を続ける。
「あれは力の無い者を多く殺すためのモノだ。下っ端の騎士…何なら平民でも強力な魔法を使えるこの国なら、さして脅威にはならんだろう。」
「だからこそ情報がない。肉食獣の合成が主流とは聞くけど、合成せず、その獣自体を強化する実験も行われているのかな。」
「…合わせてこそ合成獣だ。それはこちらの研究者の思考ではないな。最近は毒を持つ生物との合成を進めているようだった。単体の強化研究は恐らくしていない。」
「ふうん…」
狩猟の日にアベル達を襲った、魔法を放つ獣たち。
やはり帝国の関与は薄そうだと考えながら、アベルは騎士からの報告を頭の中で整理する。
ウィルフレッドを狙ったブロデリック伯爵家は、実行犯となった一人娘のスザンナ以外の全員が毒を呷って自殺した。スザンナの口封じをしようとした騎士の言動から、影の女神を主神とする《夜教》という宗教団体の関わりが濃厚とされるも、夜教は当然ながら関与を否定した。
コテージでオオカミと騎士の戦いに騒いでいた令嬢のうち、一名がその後失踪している。抜け出したか、あるいは攫われたか。
《魔塔》でかつて動物実験を行っていたという研究員は、追放された後の消息が不明。当時の実験資料も未だに見つかっていない。
「俺もお前に聞いておきたい事がある。」
ジークハルトの一言で、アベルは思考を中断した。
「ロイ・ダルトンとか言ったな。あいつのペンダントは何だ?」
「…ペンダント?」
予想外の話題に、アベルは振り返らないまま視線をちらりと横へやる。
ロイのペンダントと言えば、リビーと揃いでアベルが贈った物だ。円盤型のプレートに三日月を彫り、欠けた部分に宝石を嵌めこんでいる。
「親善試合の最後、俺の剣を光の魔法が打ち消しただろう。お前からは死角だったはずだが、何が起きたかはわかっていたよな?」
「…光の魔法は目立つからね。弾いた際の粒子は見えた。」
「俺の目には、あいつのペンダントから光が出たように見えた。……お前の耳は誰かの宣言を拾ったか?本人は驚いていた上に剣で受ける気だったからな、何もしていない。」
アベルはリビーの報告を思い出していた。
狩猟の日、どこからか発動した水の魔法が彼女を守ったと。誰が魔法を使ったかはわからないままだったと。
「あれは何だ?」
「……現状、「わからない」という回答になる。」
「あァ?俺は教えてやったが?」
ジークハルトは片眉を上げて抗議したが、アベルにとっても仮説段階だ。他国の皇子に話す事はできない。
「僕は魔法に関して詳しくない。持ち主が知らないなら…」
「お前がやった物だろう?」
にやりと口元を歪め、ジークハルトは後ろから肩を組むようにしてアベルの肩に右腕を乗せた。
「昨夜たまたま聞いてな、主からの貰い物だと言っていた。誰とは明かさなかったが。」
「僕がそうだと?」
「観察は晩餐と親善試合だけで充分だ、そうだろう?上に立つ者を知るなら、周りの態度も見なくてはな。」
ジークハルトの目的は、ツイーディアの王子達がどんな人物か見定めること。最初から全て観察対象だったのだ。
くくくと小さく笑い声を上げ、ジークハルトはアベルを離した。
「魔法を撃つ道具など、絡繰り好きのロベリアがいれば飛びついたろうにな。」
ロベリア王国は今回、王族の訪問がない。
第三王子ヴァルターとヘデラ王国の第一王女、ロズリーヌとで諍いがあったためだ。もっとも、親善試合はツイーディア王国とアクレイギア帝国間だけのものであるため、来ていたとしても現場を見られる事はなかっただろう。
「知れ渡ればうちの親父殿も放っておかんだろう、いくらでも兵器に使えそうだ。なぁ?」
「……ジーク、僕にはわからない。」
「…なんだ、本当に教える気がないのか。つまらん」
馬を走らせるアベルの額を、一筋の汗が伝う。
あのペンダントや宝石に特殊な性能があるとは思えない。心当たりがあるとすれば、渡す前にアベルが魔力を込めた事だ。
――込めたところで、留まりはしないと思ったが…どういう事だ?
アベル本人がいてもいなくても勝手に発動する魔法。
それも、リビーの時は水の魔法、ロイの時は光の魔法と、状況に応じた魔法を放っている。五つの属性全てに高い適性を持つ、アベルだからこその事象かもしれない。精査するにしても内密に行わねばならないだろう。
頭には二人、姿が浮かんだ。
騎士団本部で石の研究を続けているだろうコクリコ王国の王女、イェシカ。
そして――唯一アベルが魔力持ちだと知っている、シャロン・アーチャー公爵令嬢。
「まぁ安心しておけ。俺の距離だから気付いた事だ、他の連中に出どころは見えなかっただろう。わざわざ親父殿に伝えてやる気もない。」
「…本当にペンダントからだったのか?」
「さてな?俺にはそう見えた、それだけだ。」
夕日も隠れ、暗くなってきた空の下。
二人を乗せた馬は下町を抜けて街へと入る。人通りの少ない道を選んで駆け、目の前で転んだ子供を高く飛び越えた。
着地する蹄の音が一際重く響き、そのまま去っていく。慌てて子供に駆け寄った母親が呆然と見送る中で、二人の背はどんどん遠ざかっていった。
「まぁ、まぁ。殿下ったら。今日は一段とひどいですねぇ。」
少したるんだ頬に皺の入った手を一つあて、年配の侍女が首を傾げた。
後ろで新人が一人気絶しているが、対応も慣れたもの。入って数年の若手が黙って運び去っていく。
「色々あったんだ。」
そう答えるアベルは、隣に立つジークハルトと揃って全身血まみれだった。
アベルはフードをかぶっていたのでまだいいが、ジークハルトはフードを下ろしていたせいで、長い髪に返り血がべったり染みてしまっている。本人は用無しになったサングラスも外し、機嫌良さそうに笑っているけれど。
「殿下ーッ!!」
どどど、と音を立てて玄関ホールの階段を駆け下りてきたのは、帝国の将軍の一人だ。朱色の髪が真っ赤に染まっているのを見つけてサッと青ざめ、ジークハルトに詰め寄る。
「この国に入ったら勝手に人を殺しちゃ駄目だって、あれだけ言ったでしょうが!記憶から飛んだんですか!?」
「ハハ、忘れるわけなかろう。」
「覚えててどうしてそうなるんです!こっちには貴方が好き勝手していいって法律はないんですから、やるなら…ゴホン、こんなに目立ちまくって何のつもりですか!」
「許可があれば良いだろう?なぁアベル。」
ジークハルトが振り返った先を目で追い、将軍は口を開けたまま二度瞬いた。
そういえば一緒に出掛けたのだったツイーディアの第二王子が、同じように返り血まみれになっている。帝国の皇子が血まみれで帰ってきたという使用人の囁きを拾って飛んできたが、正確には「第二王子と帝国の皇子が」だったらしい。
「僕達二人の命を狙う輩だったので、正当に討ったまで。皇子殿下を責める気はないよ。」
「さ…左様でしたか。これは、早とちりを。」
「俺達が揃えば、相討ちという事で片したい輩が出るとは思ったが…クク、なかなか人数がいてな、楽しかったぞ。」
「護衛を隠密で連れてくださいよそういう時は!言ってるでしょうがいつも!!」
「あァ?数が減ったらつまらんだろうが。」
鋭い歯を見せてにやりと笑うジークハルトに、将軍が「一発殴りたい」という顔で悶えている。我慢ならなそうに空を切る拳がブンブンと音を立てた。
「貴方ね…!自分が死んだらどれだけ迷惑か、わかってるんですよね!?」
「死なんから大丈夫だろう。」
「あーもうホンットこの自信家!いつかサクッと殺られたら腹抱えて笑ってやりますから!!」
「お前がか?大泣きしそうだがな。」
「真面目に返さないでください!」
ワァワァ騒ぐ将軍の前で、ジークハルトはけらけら笑っている。
アベルは放置してさっさと湯浴みをする事に決め、ジークハルトに軽く合図だけしてその場を去った。
「これは…どうしたのですか、ジークハルト殿下。」
唖然とした声にジークハルトが振り返ると、ヘデラ王国の第二王子、ナルシスが驚いた様子で目を見開いている。
彼が来た方向には食堂があるので、恐らく晩餐を終えたところなのだろう。後ろには護衛も数人連れている。
ジークハルトは笑みを消し、淡々と返した。
「お前か。なに、言う程の事でもないさ。」
「しかしそのように血を…お怪我などはありませんでしたか?」
「誰に聞いている?あるわけなかろう。」
将軍や帝国の侍女と共に歩きながら、ジークハルトはちらりとナルシスの足元へ目をやった。
ニーハイブーツは膝の曲げ伸ばしに影響が出る履物だ。ヘデラ王国は平和主義とはいえ、そんな物を履いて他国へ赴く事がジークハルトには理解できない。
「あァ……お前、そうだ。一つ忠告してやろう。」
ぴたりと足を止め、ジークハルトは頭だけ振り返ってナルシスと目を合わせた。彼はきょとりと不思議そうに瞬いて言葉を待っている。
「国の弱点をベラベラ話すのはやめておけ。」
「……なんの事です?」
心当たりがなく、ナルシスは困ったように眉尻を下げて聞き返した。ジークハルトは小さく鼻を鳴らし、前へと視線を戻してしまう。
「俺は知られても良い事しか言わん。お前は考え無し、そういう事だ。」
「…ジークハルト殿下、私にはさっぱり…」
「戦う気がないなら黙っていろ。ではな」
吐き捨てるように言い、再び歩き出したジークハルトは片手をひらりと振った。迷いの無い足音はどんどん遠ざかり、やがて消えていく。
「…国の、弱点……?」
残されたナルシスはぽつりと呟いたが、とうとうその意味を理解する事はできなかった。