131.同盟国の王子達
「‘ すっげ~高い建物だな!登り甲斐がありそうだぜ! ’」
黒と緑のオッドアイをきらきらと輝かせ、ソレイユ王国第三王子、リュドは城のように聳え立つ王立図書館を見上げた。
後ろで一つにまとめた明るい黄色の髪は本人の奔放さを表すように跳ね広がり、あまりにも仰け反って見上げるせいで、頭に乗せていた小さな黒い帽子が転がり落ちる。地面に触れる前にそれをキャッチして、サディアスはリュドに差し出した。
「‘ 外側を登るのはご遠慮ください。 ’」
「‘ 帽子ありがとな、サディアス!祭りの最中で駄目なら、いつだったら良いんだ? ’」
「‘ いつでも禁止されております。 ’」
「‘ えぇ!?ケチなんだな…。 ’」
リュドはあんぐりと口を開けて驚いているが、ケチかどうかの問題ではない。
眼鏡を指で押し上げるサディアスの紺色の髪を風が撫でる。水色の瞳は冷静に周囲を観察していた。
浅黒いリュドの肌も、ソレイユ王国の言葉も、彼が身に付ける装飾品の数々も全て、道行く人々は失礼にならない程度に好奇の目で眺めている。ソレイユ王国の護衛とツイーディア王国の騎士を数人ずつ連れているのだから目立って当然だ。
オフホワイトの七分袖の上着は後ろを長く作られており、二つに割れたその裾を飾るフリンジはリュドが身を翻す度に揺れ、両手首に二つずつ嵌めた金の腕輪が、履いているヒールブーツが音を鳴らす。
「‘ 中を探検するのはどうだ? ’」
「‘ 靴を履き替え、腕輪を外して頂いてできる限り会話を控えるのであれば、可能です。 ’」
「‘ 不可能か~! ’」
ココン、とステップを踏んで回りながら、リュドは至極残念そうに眉を下げた。
グレーのズボンの後ろで、上着の裾の裏地である臙脂色がゆらりと揺れる。その濃い赤色と豪勢な白色の刺繍は、この能天気な王子に着せるには、少し合わないようにサディアスには思えた。
「‘ おっ、ちょうどいい木を発見! ’」
五メートルほどの高さがある木に駆け寄り、リュドは軽やかにジャンプと身体の回転を繰り返してあっという間にてっぺんに上ってしまった。食事処を三軒回った後とは思えない身軽さだ。なお、もちろんサディアスは最初の一軒目でしか食事をしていない。
彼が木に登ってしまうのも数度目であり、止める気もやや失せてきたところだ。晩餐の時に帝国の第一皇子が彼を「子ザル」と呼んだ事を思い出してしまい、つい笑いそうになったサディアスは咳払いでごまかした。
「んんッ…宣言。風、かの人の元まで飛ばせ。」
流石にソレイユ王国の言葉では魔法の発動に支障が出る。
普段通りの言葉で宣言を唱えて、サディアスはリュドが立っている枝の反対側、一段低い枝に着地する。煙となんとかは高い所が好き、という言葉が頭をよぎった。
「‘ 殿下、あまり注目を浴びますと警備に関わります。 ’」
「‘ 大丈夫だって!オレ自国の女の子からしか命狙われた事ないし。 ’」
「‘ …恐縮ながら、返答に困ります。 ’」
「‘ そうかぁ?こっちじゃ普通だけどな。 ’」
リュドは目の上に手を水平にしてあてながら、きょろきょろと辺りを見回す。会話の内容より景色の方が大事らしい。
ソレイユ王国の国民性は少々、情熱的な事で知られていた。
「愛あれば死あり」。愛すると決めたのなら死ぬまで添い遂げる、また、その愛を裏切られたなら相手を殺してしまう事も珍しくない。片思いによる傷害事件も常だった。
もし結婚相手が不貞を働いたなら、相手を殺しても罪には問われない。不貞を働いた者こそが悪いからだ。ただ、もちろん不貞が本当に事実かは慎重に捜査が行われる。
リュドが狙われたというのは恐らく、彼に片思いした者がいたという事だ。見るからに誰に対しても親しく接していそうな王子だ、勘違いする女性が出るだろう事は想像に難くない。
他に狙われた事がないのであれば、この能天気さと第三王子という順番のお陰で、継承争いからは少し遠いのだろう。あるいは、単に本人が気付いていないだけか。
「‘ あ、めっちゃウマそうな匂いする…肉…肉か!?これは。 ’」
「‘ ……あの店ですね。 ’」
まだ食べるのかという言葉を飲み込み、サディアスは遠目に見える串焼きの店を指した。リュドは今にも涎を垂らしそうな笑顔で店を見つめている。
「‘ この国は美味いもんがいっぱいでいいよな!あ、もちろんオレの国にもいっぱいあるけど! ’」
「‘ お気に召して頂けたなら何よりです。長期保存の効くものもありますので、後ほど土産物も案内させて頂きます。 ’」
「‘ ほんとか!ありがとな、試食できるとこだとすげぇ嬉しい! ’」
さほど太くもない枝をしならせてビョンビョン跳ね、リュドは空中でブーツの踵を合わせて音を鳴らした。サディアスは嫌な予感がして彼を凝視する。それはリュドがいきなり走り出す時、前行動でやる動作だったからだ。
「‘ よ~ッし!店まで競争だ、サディアス! ’」
「‘ お待ちください!せめて下に降りて護衛と合流を… ’」
「‘ 宣言!風よ、オレと遊ぼうぜ!! ’」
「‘ リュド殿下!! ’」
サディアスの怒声も無視し、一際高く跳び上がったリュドを風が巻き上げる。踊るように空中で楽しげに回転しながら、ソレイユの王子は空を飛んでいく。サディアスは額に青筋を立てて舌打ちした。
「宣言。風、浮かせろ!!」
いっそ、「怒りのままに」とでも宣言に入れたい気分だった。入れたらその分無駄に強風になりそうなのでしないけれど。
下で護衛達が駆け出すのを確認し、サディアスは渋面でリュドの後を追った。やはりあの王子は自分には合わない、そう思いながら。
◇
「どれも美しい出来だ。全てを持ち帰れない事が残念です、ウィルフレッド殿下。」
貴族令嬢に大人気の菓子店。
テーブルに運ばれた品々をうっとりと眺めて、ヘデラ王国第二王子、ナルシスは微笑みを浮かべた。
プラチナブロンドの髪は低い位置にリボンでちょこんと縛り、色白の肌に中性的な顔立ちも相まって、男女どちらか一瞬混乱してしまうような麗しさだ。向かいに座るウィルフレッドの瞳よりは薄い青色の瞳をしていて、袖口をフリルで飾った淡い緑のコートを着ている。
まさか王子が二人も来店し、あまつさえテーブル席に着いて食べていくなど想定もしていなかった客達は最初騒然としたものの、今は席取合戦の末に勝者が他のテーブル席についている。満席だった。
護衛に立つ騎士達の隙間から、なんとか二人を拝めないかと頭をひょこひょこ動かしている。
「そう言って頂けると案内した甲斐があるというものです。店の者も喜ぶでしょう。」
ウィルフレッドは優しく眦を下げて返した。
さらさらと流れるような金の長髪を後ろで一つに結い、青い瞳は心根を映したような穏やかさでナルシスを見つめている。まるで少女小説から現実世界へ抜け出してきたかのような第一王子の微笑に、他の席からこちらを眺める女性客達はうっすらと頬を染めていた。
「形を崩してしまうのが勿体ないのに、崩さなくては味を知る事ができない。ままならないものですね。」
「えぇ、まったく。しかし、食べるなら出来立てが良いという言葉もあります。第一王女殿下も、それを大切にされていたように見受けましたよ。」
「ふふふ、そうですね。頂きましょう。」
ウェイター、ウェイトレスから客まで、ほとんど全員が王子達に視線を注ぐ中、護衛としてウィルフレッドの背後に控える騎士、茶色のポニーテールのセシリア・パーセルだけは菓子を見つめていた。にっこりと笑顔を浮かべたまま、既に何度か唾を飲み込んでいる。
――お前…「待て」してる犬みたいな顔しやがって……。
隣に立つ緑髪の騎士、ヴィクター・ヘイウッドがハラハラした様子でセシリアを、否、彼女の腹を見やった。いつ鳴るかわかったものではない。鳴ったらどうすればいいのか。ナルシスはそのくらいで怒りはしないだろうけれど、ツイーディア王国騎士団の威信には関わる。
絶対に鳴らすなよと血走った目で睨みつけると、セシリアは良い笑顔でコクン!と頷いてきた。
――安心しろ、食べるのは後にする!
――何で食べる気満々なんだ、この馬鹿!!
そんなやり取りが行われているとはつゆ知らず、二人の王子は和やかに菓子を堪能している。
元々同盟国の王子同士、それもヘデラ王国は自由と音楽を愛する平和主義の国だ。彼の妹である第一王女、ロズリーヌにダイエットを強制した…などという誤解が解けた今、険悪な雰囲気になどなりようがなかった。
「うわぁぁああん!」
唐突に聞こえた子供の泣き声に、店中の視線がそちらに向いた。
まだ五歳にも満たない年頃だろうか、小さな女の子が床に倒れている。トイレから戻る途中に転んでしまったようで、彼女に付いていたらしい侍女が真っ青になって抱き上げた。「申し訳ありません」と小声で何度も店中に向けて頭を下げ、主人だろう貴婦人が血の気の引いた顔でテーブル席からそちらへ向かう。
「これはこれは、小さなレディ。」
ナルシスが立ち上がり、颯爽と彼女達の元へ歩み寄った。
黒のニーハイブーツが小さく床を鳴らす。目を見開いて硬直する貴婦人と侍女に微笑みかけ、ぽろぽろと涙を零す少女にハンカチを差し出した。少女は瞬きしながら受け取り、くしゃりと握り締める。
「どうか泣かないで。私でよければ、その涙を蝶へと変えよう。」
ナルシスがコートの懐に手を入れヴィクターはぴくりと指を動かしたが、そこから出てきたのは金属製の横笛だった。
「宣言。水よ、蝶のごとく舞おう。我が音色と共に、この舞台を楽しもう。」
周囲にいくつも現れた水が大小様々な蝶の形を取り、ナルシスが奏でる穏やかな音に合わせて店内を舞い始める。きちんと羽ばたいて移動する蝶たちの動きはバラバラで、それなのに曲調には合った動きをしていて、まるで思い思いに踊っているかのようだった。
やがて曲が終わりナルシスが一礼すると、泣き止んで笑顔になった少女も含めて店中から拍手が起こる。貴婦人と侍女は恐縮した様子で頭を下げたが、ナルシスは大した事ではないと笑った。
「小さなレディ、どうかこれからも笑顔を忘れずに。それは人にできる、最も素敵な魔法だからね。」
「うん!ありがとうカッコイイおねえちゃん!」
「こ、こら!王子殿下に何てことを…!」
「ふふ、大丈夫だよ。気にしないで。」
三人にくるりと背を向け、ナルシスは自分のテーブルへ戻った。
立ち上がって拍手していたウィルフレッドと共に、改めて席に座る。
「素晴らしい演奏でした、ナルシス殿下。」
「ありがとうございます、ウィルフレッド殿下。昨日も少しお話しましたが、昔はああやって妹を泣き止ませていたのです。」
「俺も同じような事をした記憶があります。なんだか懐かしかった。」
「おや、あのアベル殿下がですか?」
「はは、別の子です。幼馴染みがいまして。」
意外そうに瞬いたナルシスに苦笑して訂正を返しながら、ウィルフレッドは懐かしさに目を細めた。もう何年も前の話だ。
アベルに「泣き止ませ方」を聞かれた時もちらりと思い出したけれど、魔法の使えない弟に「魔法を見せる」とは提案できなかった。
「ナルシス殿下は、いつもその笛をお持ちなのですか?」
「もちろんです。いざという時には護身武器にもなりますから!」
「「……え?」」
棍棒のようにしっかりと笛を握って笑うナルシスに、ヴィクターまでもが聞き返した。




