127.僕の兄はかっこいい
「……ちょっと待ってください、ジークハルト殿下。今のは一体…?」
数秒思考停止した後、ウィルフレッドが神妙な顔で聞いた。
髪をぐしゃぐしゃに乱された事も、つい今までジークハルトに詰め寄っていた事も、唐突な「俺の弟になるか」発言で頭から吹き飛んでしまっている。
ジークハルトはこてりと首を傾げた。
「何だ、今更敬語か?さっきの話し方でいいぞ、ウィルフレッド。名前もジークでいい。」
「どういう…つもりで言ってるんです?」
「お前達が気に入ったと言っただろう、他に理由が必要か?」
「弟というのは?」
アベルが聞くと、ジークハルトは二人へと腕を伸ばす。その仕草には敵意も何もなかったため、驚いている間に二人とも大人しく肩を組まれてしまった。
「義兄弟というやつだ、なっておけ俺の弟に。」
「……意味がわからない。」
「アベルと同意見だ。何の話なんだ、一体?」
「くはっ。何だお前達、次期皇帝と友好関係を結ぶ事に不満があるのか?」
ウィルフレッドとアベルはちらりと視線を交わした。
休戦協定がいつ終わるかという不安を抱えるツイーディア王国だが、帝国と協力関係を結ぶとしても慎重になる必要がある。侵略に手を貸せ、報復からの防衛に手を貸せと言われてはたまらないからだ。
ジークハルトはロイを見やり、どこかへ行けと顎で示す。ロイはアベルが軽く頷いたのを確認してから一礼し、三人から距離を取った。
「俺は皇帝を殺すぞ。」
彼はそれを、笑顔で告げる。
皇帝自らが退位しそれを継承するのではなく、殺して奪い取ると。ウィルフレッドが目を見開いた。
「五年もいらん、二年か三年後の話だ。逃がしはしない」
「…なぜ、それを俺達に?」
「ツイーディアと今の我が国では、協力などできやしないだろう。だから国同士でとは言わない。俺個人とお前達が仲良くできるなら、色々と融通を利かせられると思わないか?」
ジークハルトがアベルを指名したのは、見定めるためだ。
もちろん噂の王子と戦いたいという好奇心も嘘偽りないものだったが、誰が見聞きしているともしれない場所で上っ面を見るより、親善試合という閉ざされた場所で素の顔を見たかった。
「仲良くできるなら、ね…。まさか、僕に魔法を使ったのはウィルの反応を見るため?」
「な……!」
「ほぉ、わかったか?お前ともうちょいやりたかったのも本心だがな。」
唖然として口を開くウィルに悪戯っぽくウインクして、ジークハルトはけらけらと笑った。二人の背を軽く二度叩き、身体を離す。
「まぁ、なっておけ俺の弟に。損はないぞ」
「……貴方がこういう人だとは思わなかったな。」
ウィルフレッドはやや呆れ気味に言うと、ジークハルトへ片手を差し出した。
「義兄弟とまで言わないけど、改めてよろしく。ジーク」
「ふん、礼儀正しいな?ウィルフレッド。」
ジークハルトは鋭い歯を見せてニヤリと笑い、ウィルフレッドの手を握る。続けてアベルも自分の手を差し出した。
「よろしく」
「あぁ。お前とはまた戦いたいな。」
「いつかね。」
握手を交わし、手を離すと双子の王子達は踵を返した。
ひとまずは自国の観覧席へ戻り、父王に挨拶しなくてはならない。
ウィルフレッド達が離れ、帝国側の三人はようやくジークハルトの元へ降りて来たが、揃いも揃ってしかめっ面だった。
「殿下、何をお考えなのですか!」
「俺らの出番は?付いてきた意味ねぇんだけど。」
「私はあの銀髪公爵とやりたかったんですが?言いましたよね事前に。」
「は~~聞こえん。」
「「「殿下ッ!!!」」」
一斉に呼ばれても知らん顔のジークハルトは、鼻下に残る血の跡を拭って笑う。
「なかなか楽しめた、それでいいだろうが。」
勝手な言い分を聞いた三人は片眉を上げて顔を見合わせ、ぼそぼそと声を交わした。
「楽しんだの殿下だけですけどね。」
「大体、お前達二人はなぜ止めに入らなかったのだ。」
「まだ死にたくねぇよ。じいさんが止めりゃよかったじゃねぇか。」
「老兵は死ねとでも言う気か?」
「未来ある若者に死ねってか?」
「すごい目で見られてますよ、二人共。」
ツイーディア王国側の観覧席を見ると、銀髪銀目の特務大臣、エリオット・アーチャー公爵が凛々しい眉を顰めて三人を見ていた。この後はもちろん、止めなかった事を「どういうつもりか」と問われるのだろう。
宰相は面倒そうにため息を吐いた。
「ジークハルト殿下、全て貴方のせいという事でよろしいですかな?」
「あぁ、構わん。お前達は逆らえば殺されるとでも言っておけ。」
「事実とはいえ呑気ですね。同席頂けますか?」
「朝食までに済むならな。安心しろ、どうもならんさ。――なぁ、ツイーディア国王殿。」
ジークハルトは鋭い歯を見せてにやりと笑い、エリオットの横にいるギルバートへ目を向ける。
彼はアベルと同じ色の瞳でただ、ジークハルトを見下ろしていた。
「俺がいなくては困るだろう?」
「……殿下ってほんと自信家ですよね。」
「頭の中《俺、俺、俺》だからな。」
「国の未来が…」
「ハハハハハ!聞こえてるぞお前達!!」
アクレイギア帝国軍は、二十人の将軍がそれぞれに部隊をまとめている。
それがジークハルトの手にかかって数が減り、他国に遠征中の者もいるため、此度の親善試合に出せる者は限られていた。
そこへジークハルト本人が参加すると言い出してさらに枠を狭め、結局今回やって来た将軍二人はどちらも皇帝よりも第一皇子派の者。宰相も立場上皇帝に仕えてはいるが、幼い頃から知っているだけあってジークハルトへの理解も深い。
代わりに従者達の殆どは他の将軍の息がかかっていた。
ツイーディア王国側の責にしてジークハルトを殺してしまう良い機会だ。昨夜はロイを部屋に入れた事もあり、ここぞとばかり毒を盛られている。もちろん未遂に終わり、今朝の時点で帝国の従者は二人姿を消していた。騎士団を通じてギルバートにも報告が上がっている。
帝国側から目を離し、エリオットは座ったままのギルバートを見やった。
前方の列にいた騎士団長のティムは、下へ降りて審判役のレナルドと何か話している。ここにいるのは二人だけだ。口調に気を付ける必要はないだろう。
「さっき俺を止めたのは、ウィル君が間に合うとわかっていたからか?」
「……賭けだった。」
喋るのも億劫な様子でこめかみに片手を添え、ギルバートは憂鬱そうに呟いた。
今行われていた親善試合が取るに足らない事だと言わんばかりの無表情だが、実際には血の気が引く思いで見守っていたために、表情を動かす気力がないだけである。
「ウィルと向こう、どちらが早いかもわからん。あの子で敵うかもわからん。…だが、」
『――父上。俺は反対です。』
「あの子がアベルを守ろうとするなら、やらせるべきだと思った。」
密約について話した時のウィルフレッドを思い出し、ギルバートは長い睫毛を伏せる。第一王子が父王に真っ向から反対するのは初めての事だった。以前アベルの容疑をウィルフレッドが晴らしてから感じていた、息子達の関係性の変化を強く実感した。
「護衛騎士も既に動いていた…ウィルが間に合わなくても、お前が魔法を使わずとも、恐らくアベルは大丈夫だっただろう。そもそも、あの皇子に殺意まではないと見た。最悪の場合でも治せる範囲――そう考えた。」
「…確かにな。」
「自分の子がどこまでなら怪我をしてもいいか計算したわけだ、俺は。それも、アベルなら黙って耐えるだろうとわかっていて。」
自嘲気味に軽く笑い、ギルバートはゆっくりと立ち上がる。
息子を守ろうとしてくれたエリオットを止めたなど、セリーナに知られたらまた嫌われる事だろう。ふっと小さく笑う声に振り返ると、エリオットは僅かに微笑んでいた。
「やはりお前は生まれついての王だな。ギル」
自信がなくとも玉座に座り、民を不安がらせるような弱い顔は決して見せず、自己嫌悪に陥ろうとも選ぶべき道を進む。
怪訝な顔をする親友の背を他から見えないように軽く叩き、エリオットは風の魔法で上がってくるレナルドへ視線を向けた。
観覧席へと繋がる階段を上りながら、アベルは先を行く兄へ声をかける。
「ウィル、さっきはありがとう。」
振り向いたウィルフレッドは、驚いたように瞬いてからぎこちなく目をそらした。眉間に皺が寄っているものの、口元は今にも笑いそうに緩んでいる。
「別に…お前なら一人でも何とかしたんだろうし…。」
「あの盾は少し、大き過ぎたけどね。」
「し、しょうがないだろ!焦っていたんだから!!」
ジークハルトが作り出した闇の剣は、彼が元々持っていた剣と寸分違わぬ大きさだった。二十本ほどのそれからアベル一人守れば良い状況で、ウィルフレッドは十メートルはあろうかという大きさの盾を作り出したのだ。
指摘せずにおいてくれれば良かったものを、アベルはくすくす笑っている。ウィルフレッドはじわりと顔が赤くなるのを感じた。そっぽを向き、ジークハルトに乱された髪をまとめ直す兄を優しく見つめ、アベルは目を細めて微笑む。
「やっぱり、僕の兄はかっこいいね。」
「な…なんだよ、いきなり…。」
「僕は本当に幸せ者だよ。」
「お前、それあの時も似たような事を言ってたな。まったく…。」
からかわれていると思っているのか、ウィルフレッドはそんな風に言って階段を上る足を早めた。
アベルの冤罪を晴らすために、双子の王子に揃いで作られた剣の「三本目」を犯人ごと持ち帰った時の事だ。何があったかを話すウィルフレッドに、アベルは「かっこいい兄を持って僕は幸せだよ」と言った。
自分を守るために現れ、砕け散る瞬間までもが美しかった光の盾を思い出し、アベルは胸が温まるような心地で兄の背を見つめる。
――ウィルがいれば大丈夫だ。この国も、…彼女も。
「俺こそお前がいてくれて本当に助かってるのに。昨日も、シャロンを助けてくれたんだろう?」
「あぁ…僕というより、クリスだね。」
「駐屯所まで連れて行ったのはお前だと聞いてるよ。クリスは不思議なスキルに目覚めたものだと、公爵もそわそわしていた。早く家に帰りたいだろうに、申し訳ないな。」
「………。」
アベルはちらりと視線を彷徨わせた。
先に行くウィルフレッドは背を向けているため、それには気付かない。
「ウィル。」
「何だ?」
「……どうという事もないんだけど、泣かれたらどうしたらいい?」
「うん?そうだな…」
ウィルフレッドは一瞬何の話かと考えたが、すぐに思い当たった。クリスはまだ小さいので、アベルの到着に安心して泣いてしまったのだろう。困り果てた顔で固まる弟の姿が浮かんで、ウィルフレッドはつい口元が緩んだ。
「シャロンがするみたいに、手を握って頭を撫でたり、抱きしめてやって背中を擦ったらいいんじゃないか。」
アベルは眉を顰めて僅かに首を傾けた。
シャロンを相手に「シャロンがするみたいに」とは?それでいいのだろうか。まるきり子供相手の泣き止ませ方に思えるが、ウィルフレッドはいつも彼女にそうしているという事なのか。
「あぁでも、女の子が泣いた場合は不用意にそうしちゃいけないんだろうな。」
「…そうだよね。」
「女の子が泣くところなんて早々見ないけどね。シャロンは滅多に泣かない子だし。」
「え?」
つい反射的に聞き返すと、ウィルフレッドはアベルを振り返って当然のように頷いた。
「心根の強い人だからね。泣くところなんて、伯爵邸の時と……あと一回くらいかな。」
ウィルフレッドは七歳の時にシャロンと友達になっている。
その五年を越える付き合いに比べ、アベルは一年にも満たない。満たないのによく見ているという事は。
――それだけ、俺が泣かせているという事か……?
階段の先にいるであろうアーチャー公爵との対面を気まずく思いながら、アベルは小さくため息を吐いた。




