124.君は幸せになれるから
「二名とも保護したと、伝えておきます。」
リビーがそう言って姿を消す頃には、周囲に倒れていたはずの男達も消えていた。騎士が片付けたのだろう。
「まさか、君の弟だったとはね。」
シャロン達の傍らに膝をついて、アベルはクリスの顔色や呼吸を確認する。本当にただ寝ているだけらしい。
「えぇ…驚いた、けれど、っ。」
クリスが起きている時は堪えていた涙をぼろぼろと零して、シャロンは唇を震わせた。前世で見たものの意味を理解してしまったからだ。
アベルが困惑した様子で手を伸ばし、そっと頬に触れる。
「なぜ泣くんだ。怖かったか?」
涙を拭う手つきは優しく、だからこそシャロンの心は悲鳴を上げた。
――どうして、あんな未来があるの?
「…もう大丈夫だから、その顔はやめろ。」
「うん…うん、ありがとう……。」
「やめろと、………。」
アベルは一瞬躊躇ってから、はらはらと泣き続けるシャロンの肩を横から抱き寄せた。自分の胸に押し付ければ涙を見ずに済む。シャロンが抵抗する事もなかった。
――ウィルなら、もっと上手く泣き止ませられたか。
なぜここにいるのが自分なのかと問いたいが、それは勿論、ウィルフレッドは城で明日の打ち合わせ中であり、アベルは祭りの警備状況を見に来たからだ。今宵街で大事件でも起きれば、明日来賓を案内するのに支障をきたす。
何か騒ぎがあったらしいと聞いて行ってみれば、ダンが刺されているわ、クリスもシャロンもいないわで、急いであちこち探していたのだ。何せちょっと目を離しただけで牢に入ったり崖から落ちたりする令嬢だ、今度は何が起きているかわかったものではない。
案の定襲われていたらしい彼女は、それを助けたらしい少年に抱き着かれて呆然としていた。貴族令嬢としてあるまじき無防備さだが、少年の正体がクリスとわかれば納得できる。スキルの詳細は気になる所ではあるけれど。
「アベル……」
「…何だ。」
明らかな涙声に眉を顰め、アベルは聞き返した。
無意識に彼女を抱き寄せる手に力が入る。シャロンの手は縋るようにアベルのシャツの胸元を握った。
――貴方を、この子を、あんな目に遭わせたくない。……絶対に。
「……何でも、ないの。私…もっと、強くならなくちゃ。」
「…お前はそればかりだな。」
アベルが顔を少し下に向けると、薄紫の髪が頬に触れた。柔らかな甘い香りがする。
「……少しは頼れ。」
小さな声で呟かれた言葉が意外で、シャロンはぱちりと瞬いた。
え、と驚きながら顔を上げると、すぐ目の前にある金色の瞳に呆けたような自分の顔が映っている。すぐに横を向かれ目をそらされてしまった。肩に置かれていた手も離れている。
「私…私、とても頼りきりだと思うわ。特に貴方には、とっても…」
「君が一人で暴走するとろくな事にならない。」
アベルはぴしゃりと言って立ち上がった。
はっとしたシャロンは「確かに…」と顎に手をあてる。オークションでは一人で猫を追い、狩猟では一人でナディアを追い、今日は一人でナディアについていった。
――ただ、毎度その時、私しか動ける状態になくて……ううん、どうしたものかしら。
「とにかく、泣き止んだなら行くよ。」
ダンは騎士団の駐屯所に運ばれ、シャロン達が見つかった以上メリルもそちらに案内されるだろう。アベルは「自分が」と言い張るシャロンを無視してクリスを背負い、歩き出した。
「ハァイ、いらっしゃいませ!」
路地裏を抜けて通りに出て、通行人も多くなってきた時だった。
どこか聞き覚えのある明るさで声をかけられ、シャロンは思わず足を止める。宝石を使ったアクセサリーや民芸品を並べた露店で、夜にも関わらず丸いサングラスをかけた店主が、シャロンとアベルを見て笑顔のまま一瞬固まった。
「……おやおやおや!?あら!?」
「行くぞ。」
「え?あの…」
無視して再び歩き出そうとしたアベルと店主とを交互に見て、シャロンが戸惑いの声を上げる。
店主は軽やかに露店から抜け出し、八重歯を輝かせた笑顔でアベルの前に立った。
「凛々しいお坊ちゃんに美しいお嬢様!お久し振りですねェ~!って……」
ニコニコと揉み手をしていた店主はしかし、シャロンとアベルを交互に見てぱちくりと瞬きした。神妙な顔つきでアベルの傍に寄り、クリスが頭を乗せてないほうの肩に手を置いて囁く。
「だァ~めですよお坊ちゃま…女の子を泣かせるのはよくない!」
「……別に、僕が泣かせたわけでは」
「お嬢様、ね、どうか元気を出して!見ていってくださいこちらの品々!」
瞬時にシャロンの側に移動し、店主はにこやかに背を押して露店の商品を手で示した。
かつて山で採った雑草――実際には毒草だった――を効果も知らずにハーブだの、薬草だのと偽って行商していた男の店とは思えない、まともそうな品々だ。
「実は今、紆余曲折の末にユーリヤ商会にお世話になっていまして。前よりしっかりしたルートで仕入れさせてもらってるんですよォ!」
「えっ。ユーリヤ商会に…?」
シャロンが聞き返すと、店主は両手をすり合わせながら大きく頷いた。
ユーリヤ商会と言えばコールリッジ男爵、すなわちノーラの家がやっている商会である。とうに知っていたアベルに驚く様子はなく、クリスを背負ったまま渋々露店の前に歩いて来た。
「えぇ、えぇ。ですから品質はもうバッチリご安心頂ける物かと!ささ、元気を出すにはお買い物がイチバン。いかがですかこちらのアメジストなんて。まるでお嬢様の瞳のよう!」
いつぞやのように鈴をチリチリと鳴らす店主に苦笑しつつ、シャロンは礼儀的にアメジストを使ったアクセサリーが並べられた場所を見やる。
そして、一つだけ目に留まった品を見てゆっくりと瞬いた。
シンプルながら上品にまとまったデザインで、どんなドレスにも合わせやすそうなネックレスだ。何よりアメジストが中心部分はシャロンのような薄紫であるのに対し、カットされた外円部分は見る角度によって黒を散らしたような深みを見せている。
「確かに、良い品ですね。」
「でしょでしょう?さっすがお目が高い!これはですねェ、」
「でも、今は持ち合わせもありませんから、またにしますね。」
にこりと弱々しく微笑んで、シャロンはアベルに「行きましょう」と声をかける。メリルがいないため支払いができないのも確かだが、たとえどんなに良い品を目の前に出されようと、今はとても買い物を楽しむ気分にはなれなかった。
店主が「絶対また来てくださいねェ~!」と名残惜しそうに言う声を背に、二人は騎士団の駐屯所へ向かう。
「…懐かしいわ。貴方に下町へ連れて行ってもらった日のこと。」
「あぁ、いきなり僕に攫えって言ってきたね。」
「そうだったわね。」
今思えばアベルもよく頷いてくれたものだと、シャロンは隣で一歩先を歩く第二王子を見つめた。
あの頃より、シャロンは強くなった。
ジェニーは快方へ向かっているし、何よりウィルフレッドとアベルの関係が目に見えて改善されている。
――貴方は今でも、自分がいない方がいい、なんて思っているの?
クリスは安心しきった顔で眠っている。
シャロンが手を伸ばしてそっと弟の頭を撫でると、金色の瞳がちらりとこちらを見て、また前へ視線を戻した。
「……何か不安でも?」
聞かれて、シャロンは弟を撫でていた手で自分の顔をぺたりと触る。眉尻が下がっているし、目元にはずっと緊張がはしっている。
小さく息を吐いて手を下ろし、クリスを背負うアベルの袖を指先で握った。引っ張ってしまわないよう、少し隣へと近付いて歩く。
「正直に言うと、貴方が心配だわ。」
「唐突だね。」
彼女は親善試合の事は知らないはずだ、とアベルは脳内で考える。公爵がどれだけ娘想いでも、国家間の機密を話したりはしないだろう。それに、知っていたらシャロンはもっと目に見えて狼狽える気がした。
「貴方が…いつかいなくなってしまわないか、心配なの。」
「………そう。」
――否定してくれないのね。今でも。
シャロンは堪えるように目を細め、視線を上げた。
今既にゲームのシナリオとは違うのだから、これからもきっと変えていけるはずだ。シャロンが目指す場所は変わらない。
「私はウィルと、貴方と…皆で生きていきたい。絶対に諦めないわ。」
「……うん。」
騎士団の駐屯所が見えてきた。
門前に立っている騎士がこちらを見て、誰かを呼びに中へ入る。
アベルは立ち止まり、クリスをシャロンに渡した。薄紫色の瞳と目が合うと、弟を抱きかかえた彼女の頭をフード越しに一度撫で、手を離す。
「ありがとう、シャロン。……君は幸せになれるから、心配しなくていい。」
そんな言葉だけを残して、アベルは人波の向こうへ消えてしまった。
震える唇を引き結ぶシャロンの元へ、メリルが駆けてくる。
「シャロン様!なぜ騎士の方のところを離れて…!!」
「……ごめんなさい、メリル。」
「…シャロン様?」
ぐっと耐えるように目を伏せていたシャロンは、顔を上げるとクリスの身体をそっとメリルに預けた。
「クリスをお願い。この子、スキルを使ったものだから疲れているみたい。ダンはどこに?」
「スキル?…あ、こ、こちらです。まだ意識は戻っていなくて……あの、シャロン様?」
「なに?」
「何か…怒っていらっしゃいますか?」
勝手な行動を叱るつもりでいたメリルだが、今はシャロンを横から窺うように見ている。眉間に小さく皺を寄せたまま、シャロンは頷いた。
「えぇ、ちょっとばかり……わからずやの第二王子殿下に。」
「まぁ……ところでお泣きになりましたか?」
「少しだけね。」
「そうですか……一、二度頬を張り倒すのも良いと思いますよ。私も手伝います。」
「不穏な話しながら入ってくんなよ……。」
うんざりしたような声に、シャロンとメリルは同時に医務室のベッドへ目を向けた。
ダンが仏頂面でメリルに抱えられたクリスを見やり、ため息をつく。
「頬を張るって要はビンタだろ?なんだよ、俺の罰の話か?」
「ダン!よかった、意識が戻ったのね。」
シャロンはほっとしてアベルの事を頭の片隅に追いやり、ベッド脇の椅子に座った。メリルは隣のベッドにクリスを横たえる。
「おー、たった今な。……坊も無事みてーじゃねぇか。」
「それどころか、私を助けてくれたのよ。」
「……何がどう転んだらそんな展開になんだよ。ったく…」
呆れ声で身を起こすダンを慌ててベッドに押し戻しながら、シャロンは路地裏での出来事を話し始めた。




