118.パレード
喝采を。
盛大なる拍手を送り、本人を前に誇り高き名を口にしても、今だけは許される。
祝福の花々を手に、さぁ我らが王国の貴き方々へ。
「ギルバート国王陛下、万歳ッ!!」
「王妃殿下ー!」
「ギルバート様!」
「公爵閣下!!」
「セリーナ様ーっ!」
音楽隊が先を行く後ろ、近衛騎士に守られた式典用馬車の上で、国王夫妻は豪奢なソファに座っている。国民の様子を見やすいよう、馬車には屋根はあれど前と左右の壁はない。お陰で貴族街の大通りに集まった人々にも二人の姿がよく見えた。
国の王たるギルバートは少し癖のある金髪を左耳にかけて背中へ流し、彫刻のように整った目鼻立ちは文句のつけどころがない程に完成されている。穏やかに細められた目の中にある金の瞳には堂々たる威厳も感じられ、その余裕のある微笑みは見る者を圧倒させた。
ツイーディアの花を思わせる淡い青地のジュストコールには金糸と白糸を使った繊細な刺繍が施され、白いマントはかの人が立ち上がっていればその姿をより凛々しく見せた事だろう。内側に着たジレの上からでも身体が程よく引き締まったものである事が察せられ、道から熱い視線を送る婦人方がほうっと悩ましげなため息を吐いた。
王妃であるセリーナは艶めく黒髪を水色のリボンと共に編み込み、ツイーディアの生花を一輪挿し込んでいる。肌は透き通るように白く、長い睫毛が爽やかな青色の瞳に影を作っている。上品に扇子で口元を隠しているけれど、通り過ぎる際に僅かに覗き見える小さな唇は麗しく弧を描いていた。
ギルバートに合わせた伝統色のドレスは襟付きで露出が少なく、長袖の先は重ねた白のフリルで柔らかく膨らみをもたせている。ストールを肩にかけて夫の腕に片手を添え、足下まで隠すスカートに刺繍と共に散りばめられた宝石は、日差しに合わせてちらちらと輝いていた。たまたま目が合ってしまった道端の青年が、やんわりと眦を下げる王妃にたちまちのぼせたように顔を赤くする。
二人の王冠とティアラにはそれぞれ深みのあるバイオレットブルーのタンザナイトが嵌めこまれ、小粒のダイヤモンドが周囲を飾っていた。
国王の斜め後ろを歩く一頭の馬が乗せているのは当然、エリオット・アーチャー公爵だ。
ギルバートが王子の頃は従者として、今は有事の際に国王に次ぐ決定権を持つ特務大臣として、彼を支え続けている。鋭い銀色の眼光は周囲を警戒し、自身に向けられる黄色い声援にも熱っぽい視線にも気をとられる事はなかった。
貴族と言えど、そして城勤めの者と言えど、日頃から両陛下に会える者は滅多にいない。人々は熱狂的な拍手喝采をもって三人を迎えた。
そして、今年は双子の王子殿下が初めてパレードに参加する年でもある。
まだ未成年だが、来年から学園へ行きしばらく不在にしてしまうためだ。整列して進む騎士達を挟んで、もう一台の馬車がやって来る。
「王子殿下だ!!」
「ウィルフレッド殿下!」
「アベル殿下ー!」
「チェスター様ぁ!サディアス様ー!」
「あれが噂の…にこりともしないわね」
「しかし第二王子の方が優秀だと…」
「どっかで見たような…気のせいか。」
ちらほらと何か囁く声もあるが、全ては喝采に掻き消された。
父王と揃いのジュストコールを身に纏い、白いマントをなびかせて王子二人は馬車に据え付けられたソファの前に立っている。
第一王子であるウィルフレッドはストレートの金髪を後ろで一つに結い、青色の瞳は慈愛の眼差しだ。手を振る者がいればできるだけ一人一人と目を合わせて手を振り返しているようで、気品ある佇まいに整った容姿、優しさに満ちた微笑みが揃った彼はまさに、物語に出てくる王子そのものに見える。扇子や人の後ろからこっそりと覗き見る令嬢達はこぞって頬を染め、見惚れたり恥じ入って視線をそらしたりと忙しい。
反対に第二王子アベルは、僅かたりとも笑わない。少し癖のある黒髪は肩につかない長さで、切れ長の目は時折警戒するように周囲を見回すけれど、基本的には進行方向へ金の瞳を向けている。手を振り返す気もないらしく片手は下ろし、もう片方は帯剣ベルトに提げた剣の柄にかけていた。冷淡にも見える横顔はしかし、息を呑むほど恐ろしくも美しい。まだ少年だというのに、今にも膝をついてしまいそうな感覚に陥る者も多かった。
馬車の後ろを並んで歩く二頭の馬には、それぞれ公爵令息のサディアス・ニクソンとチェスター・オークスが乗っている。
短く整えられた紺の髪に冷ややかな目、黒縁眼鏡をかけてただ前を見つめる無表情のサディアスと、編み込んだ赤茶の髪をリボンでまとめ、人好きのする穏やかな垂れ目をした笑顔のチェスターは対照的だった。
ふと、アベルが瞬いて視線を脇道へと流す。
大通りよりは狭く、しかし大人四人が悠々と歩けるだろう道に一人の令嬢が立っていた。従者によって差された白い日傘の下、編み込みも結い上げもしない長い黒髪が風に揺れる。開いた扇子の上に、瞳の黒い猫目が見えた。
「「………。」」
互いに、微笑むでも、手を振るでもなく。
ただひととき目が合えば――クローディアには、それでよかった。
アベルの視線が前へ戻ると、急に周りの音がうるさく感じる。パレードの行列にくるりと背を向け、クローディアは従者と共に歩き出した。待たせた馬車までの距離はほんの少しだ。
見に来た事を認識されるのは仕える者として喜ばしい。特に、数多の視線の中から気付いてもらえたのだから。
「ふふ」
満足げに微笑み、踏み台に足を乗せて馬車へと上がる。扉が閉まれば喧騒は遠のいた。扇子を閉じ、膝の上に手を置いて先程見つめた瞳を思い返す。
――それでこそ、わたくし達が仕える貴方様です。殿下。
この場に弟がいなかった事を残念に思いながら、クローディアは大通りを後にした。
「やっばー!もう来ちゃってるよ!ホラ急いで急いで!!」
パレードが行進する一つ隣の路地を子供達が駆け抜ける。
質素な服に身を包んだ少年達の背を押しているのは、ウェーブがかった薄茶色の髪の令嬢だった。そばかすのある頬に軽く白粉をはたいて整えてあるが、走ったせいで丸眼鏡は鼻の頭までずり落ち、編み込んでハーフアップにした髪も乱れている。
「ノーラ!てきとーにおさないでよ!」
「自分で走れるってば!」
「あんた達が絶対殿下を見るって言うからでしょ!ちょっとは先回りしなきゃ!」
四歳と六歳が何やら一丁前に文句を言っているが、ノーラは朱色の瞳できょろきょろと辺りを見回し、近道の方へと兄弟を押していく。建物の窓から手を振っている人もいるのだから、今日ばかりは目線が高くても許されるはずだ。大人達はより近くで見ようと大通りに集まるけれど、子供の身長では危ないし見えない。
幅広の階段のようになっている道をドタバタと駆けあがり、ノーラ達は二階ほどの高さにある小道の行き止まり、落下防止用の柵の上から顔を出した。やって来る馬車の上に目当ての人物を見つけ、兄弟はパッと笑顔になり大きく息を吸う。
「殿下ーっ!」
「でーんかー!!」
「今日はご飯ちゃんと食べたー!?」
「それはいいから!」
ノーラが慌てて注意したが、幸いにも謎の質問を投げる幼い声を気にする民衆はいなかった。王子殿下を前に舞い上がってしまっただろう子供の戯言である。
小さな兄弟は、アベルが賭博場の質倉庫で一緒になった捨て子だ。今は十数人もの孤児の面倒を見ている事で有名なジェフリー・ノーサム子爵が引き取っている。アベルの偽名、アンソニー・ノーサムの書類上の親でもある紳士のところだ。
「あ、こっち見たよ!」
兄の方が嬉しそうに呟き、ノーラも笑ってアベルに手を振った。眼鏡のズレを直すのは忘れていたし、髪はボサボサだろうけれど。祭りの日に彼の晴れ姿を見るのも悪くない。
目が合って一秒、アベルは姿勢も表情も変えないままぱちりと片目を瞑って目配せしてきた。
「ぐはぁ!!」
「わーい!殿下ー!!」
「でんかー!」
兄弟が大喜びでぴょんぴょん飛び跳ねて手を振る後ろで、咄嗟に地面にスライディングしてしまったノーラが身体を起こし、擦った手から土を掃う。ヒリヒリする。
――いや、キザったらしいウインクにしては遅かったからただの合図なんだろうし、手を振るとか笑うとかしたら周りまで私達に注目しちゃうっていう、ね?そういう気遣いなのはわかりますけどね!?私にというよりチビ達にちゃんと返してあげただけなんだろうなーっていうのはわかりますけど~~!!
何せ王家は顔がいい。
正装姿でそういう攻撃をしてくるのは、庶民の心臓に悪い影響を与えるとノーラは思う。自分は一応貴族の端くれだけれど。この攻撃を浴びたかった令嬢は山ほどいるだろう中で、身分不相応にも自分が被弾した事がいたたまれない。
「何してるの、ノーラ。殿下達行っちゃうよ?」
「おにいちゃん、ほっといてあげなよ。きっとムキムキのきしさんがいたんだよ。」
「子供は呑気でいいわね……。」
よろよろと立ち上がり、ノーラは眼鏡のズレを直して大通りを見下ろした。アベルは既にこちらを見ておらず、通り過ぎる馬車の後ろに王子の従者達が見えてくる。
「わ、サディアスぶっちょーづら!」
「様付けしなさいってば、公爵家の方なんだから。」
「つまんなそうな顔してるなー、今度また眼鏡かっぱらって遊んでやろう。」
「うん、やろう!」
「やめて本当に、あたしの胃が痛くなる…。」
ノーサム子爵邸全体を使った鬼ごっこと化した出来事を思い出し、ノーラは苦い顔でため息を吐いた。魔法の天才であるサディアスにとって、子供から眼鏡を取り返すなど造作もない。しかし真面目な性分ゆえにか、あるいは彼らがアベルが保護した子であるためか、走って追いかけてくれたのだ。顔は本当に怖かったけれど。
「……サディアス様、緊張してるなぁ。」
ぽそりと呟いて、ノーラは心配そうに眉尻を下げた。
「あれはチェスターじゃないか!聞いてはいたけど、本当に従者やってるんだねぇ。」
パレードの通り道、教会の屋根の上で一人の画家が手を振っている。
ピンク色のメッシュがいくつも入った、膝下まであるエメラルドグリーンの雑な三つ編み。深みのある青緑の瞳に好奇心を宿して、彼はぎょっとした様子のチェスターを見てけらけらと笑った。
「ばかやろー!早く降りろギャビー!お前に何かあったらどうするんだ!!」
「大丈夫だよ、ボク今まで死んだ事ないから。」
「このアホーっ!!」
髭面の画商、フラヴィオが屋根の縁で小鹿のように震えて叫んでいる。ギャビーは綺麗さっぱり無視して王家の一行を眺めた。黒髪の第二王子と一瞬だけ目が合い、ふふ、と笑みを漏らす。
「あの時部屋にいた子、王子だったんだねぇ。」
両腕を晴れた空に向けて伸びをする彼の足元を、白い猫が悠々と歩く。爽やかな心地だった。
「晴れた空、輝く太陽に照らされる星々。テンション上がっちゃうなぁ!」
「いいから早く降りろ!!」
「ところでさ、フラヴィオ。」
プルプル震えながらこちらへ来ようとしている友人に手を差し伸べ、ギャビーは笑顔のまま首を捻った。
「チェスターの横にいるの、誰だい?」




