113.まったくもって逆効果
スザンナ・ブロデリック。
両親からも屋敷の使用人からも虐待を受けて育ち、命じられるままに闇の《ゲート》が張られた鏡を隠し持ち、ウィルフレッドの背へと向けた令嬢だ。
捕まったからには死ななくてはならないと、一時は錯乱状態で自傷にはしったが騎士に止められた。時間をかけて宥められ、波打つ長い髪で自身を隠すようにしながら、ようやく彼女は証言を始めてくれた。
「本当なら、オオカミに襲われている間に……混戦の中でやれと、言われていました。でも…水の壁が作られてしまって、それで、壁が消えた後にしたんです。」
当時、令嬢達を守るために騎士が水の魔法で彼女達を囲っていた。それが思わぬところで計画の遅延を起こしていたらしい。
「第一王子殿下を狙った理由は……わかりません。そう言われただけです。」
家族も使用人も全員死んだと聞かされても、スザンナに悲しむ様子はなかった。
どう反応していいのかわかりません、と彼女は呟き、それを《鏡》のスキルによって別室から眺めていた騎士団長は、隣に立つ第二王子と顔を見合わせ、頷いた。
ブロデリック伯爵家の全員が毒殺。
正確には、自ら毒を飲んで死んでいた。スザンナは「捕まったら死ね」とは言われていたが、毒を貰う事はなかったらしい。頭を打ちつけるなり舌を噛み切って窒息するなり好きにしろ、と。
そして伯爵邸には動物実験どころか、何か飼っていた痕跡すら見つからなかった。あの時ゲートが通じていたのは別の場所だったのだろう。
「スザンナ嬢。君が兄を狙う輩に手を貸した事実は変わらない。罰は受けてもらう」
悪名高い第二王子の登場に青ざめて震える彼女に、アベルは淡々と告げた。
「ただ、その前に一つ協力してほしい。」
「…協力……ですか…?」
「僕が今ここにいる事は騎士団長しか知らない。君は明日の取り調べで「思い出した事がある。内容は第二王子にしか言わない」と話すんだ。」
暴力ではなく話をされている事に、スザンナは徐々に冷静さを取り戻す。そして虐待を受けてきた彼女は相手の怒気や加虐性に敏感であり、今のアベルにそれらを感じないという事に気が付いた。
「誰かに教えてもらったのではなく、「話をたまたま盗み聞きしてしまった」と証言する。僕以外に言わないと粘っても、それで君を拷問にかけたりする事はないと約束しよう。」
「思い…出した事があって、たまたま聞いたもの、で……だ、第二王子殿下に、だけ、言います。」
「それでいい。…良い子だ」
「っ、……は、い」
薄く微笑まれ、目を見開いたスザンナはすぐに視線を床に落とす。
ほんの僅かにでも誰かに褒められた事など、十数年生きていて初めての事だった。心の中でどう処理していいのかわからない。
「はっきり言うけど、君を囮にして騎士団内のネズミをあぶりだす事が目的だ。いるかもしれないし、いないかもしれない。いれば君は命を狙われるだろう。」
「……はい。」
俯いたまま、スザンナは胸元で両手を握った。
元々死のうとした命、死ねといわれた娘、死刑になる囚人。どうやって自殺すればいいかを考えずに済むのだから、処刑の手間をかけなくていいのだから、むしろそのネズミとやらに殺された方がいいのかもしれない。
「君の事は絶対に守る。」
かけられた言葉があまりに意外で、スザンナは反射的に顔を上げた。
狩猟の集合場所で見た時は恐ろしくて仕方なかった金の瞳が、真っ直ぐにこちらを見つめている。そんな目で見てもらえるような人間ではないのに。どうしてか涙が滲んだ。
「僕が直接とはいかないけど、隠密に特化した騎士を数名つけておく。だから安心してほしい」
「…わ、私などに、そんな……」
「国のために、そして君が兄へ償うためにも。僕の頼みを聞けるね、スザンナ嬢。」
「――はい、第二王子殿下。」
床に平伏して、スザンナは答えた。
役立たずと罵られ浅ましくも生き残った自分が、国のために王子殿下の命令を聞ける。刑罰を与えられる犯罪者の身でありながら、お役に立てる。それがただただ有難かった。
スザンナの死角、牢部屋の入口で会話を聞いていた騎士団長――ティム・クロムウェルは、アベルの到着に合わせて扉を開き、彼を通した。自分も共に廊下に出てから扉を閉め、見張りの騎士を一瞥して後を任せる。
眉尻の下がった困り顔で、ティムはにやりと口角を上げた。
「やはり人を篭絡する才がありますね、殿下。」
「彼女が保護者のいない子供だったから通じただけだ。」
「えぇ、それもあるでしょう。」
髪と同じ水色の瞳が、横目でちらりとアベルを見下ろす。
犯罪を犯して捕らわれる第二王子派の中には、彼に心酔しきっている者もよくいる。本人とロクに接触がないのに勝手に盛り上がっているタイプが多く、アベルのためになると信じ込んで行動を起こすのだ。
――そういうのが相手の時は、正直アベル様の幻を見せてペラペラ吐かせたいんだけどなぁ。
残念ながら不敬罪である。
以前ロイがしょっぴいてきた「そっちのケ」がある貴族など、恐らくアベルの姿をとって問い質してやれば余罪が楽にザクザク出そうだが、そんな手法を許可してもしバレたら、騎士団長とはいえ無罪では済まされない。本人にやらせるのは更に問題である。
「……何だ。」
「これは失礼を。」
視線に気付かれていた。元々、気付かれないだろうと思っていたわけでもないけれど。白手袋に包んだ手を自分の顎に添えながら、ティムは困ったように笑う。
「世間的にはまだ子供の時分だというのに、殿下も苦労されますね。」
「自ら首を突っ込んでいるだけの話だ。自己責任だよ。」
「ふふ。」
当然ながら会話が噛み合わない。
じきに人通りの少ない区域を抜けるため、ティムは魔法でアベルの姿を隠した。
明日、ありもしないスザンナの証言を恐れ、彼女の息の根を止めようとする者が出るかどうか。新しい証言が出るらしいという噂を騎士団内にそれとなく、しかしくまなく広めなければならない。
そして、ネズミは捕まった。
主に下町の事件捜査を担当する部隊、六番隊の人間だった。
すぐに気絶させる事を念頭に置いて捕え、所持していた自決用の毒物を回収した。尋問を拷問に切り替えた結果、奇妙な事に彼は――…
「俺は女神様に報告しただけだ!あのガキが何か喋っちまうらしいって事を!」
「女神ね。その女の名前は?」
拷問官が、冷静にメモを取りながら聞く。男は大口を笑みの形に開けて謝罪した。
「申し訳ありません!密命を果たす事ができずゥ、愚かにも捕われた俺に罰を、ッぐぁ!」
「もう一度聞こうか。誰に命じられて誰に報告してたって?」
靴についた血を床に擦りつけながら、拷問官は再び質問を投げかける。何か嬉しいのか、裏切り者は変わらず笑っていた。
「はは、ひゃははは!第一王子は死ななければならないンだ、それは本物の女神様がお決めになった事なのだから!逃れられない!絶対に、っぁああああ!!」
「これやると臭くて仕方ないな。オェッ。宣言、風よ外へ。」
魔法を使って煙と匂いを通気口へ押し流すと、焼き鏝の先端がさらに赤々と光った。
「大丈夫ですか?すいませんね、聞き汚い声で。」
ちらりと振り返った先には、わざわざ直接見に来た第二王子がいる。成人前の子供が見るものではないが、既に幾人もその手にかけた事のある彼なら問題ないだろう。
第二王子アベルは眉を顰めたまま呟いた。
「本物の女神…。」
「厄介なのに当たりましたねー。あいつら関与認めませんよ、絶対。」
拷問官は面倒くさそうに言いながら作業を再開する。我欲で犯罪を犯す人間より、誰かのために犯した人間の方が情報を取りづらい。違法薬物や思想で頭が壊れている場合は余計にだ。
「影の女神様、万歳ィイ!!」
「……《夜教》がなぜウィルを狙う?」
男の笑い声が響く牢部屋の中、アベルの問いに答える者はいなかった。
◇
夕暮れ時の医務室で、シャロンは簡単な後片付けをしていた。
訓練後なのか土埃に汚れた数人の騎士が「手伝います!」と汗を輝かせて入ってきたが、手伝ってもらう程の量もないので、軽い雑談を交わして笑い合う。
そこへアベルが顔を出すと、騎士達は驚く程の速さで壁際へ整列して直立不動の姿勢を取った。
「アベル…殿下、こんにちは!」
「……?あぁ。」
シャロンに挨拶を返しつつ、アベルは騎士達を不審そうに見やる。特にとても良い笑顔を浮かべる大男、タリスを怪訝な目でじ…っと見ていたが、シャロンの前に着いたので彼女へと視線を移した。
「ウィルに聞いたよ、治癒をしてたんでしょ。どうだった?」
「えぇ、なんとかこなせました。ふふ」
「……何。」
「皆さん殿下の話ばかりされますから、慕われていらっしゃるなと思いまして。」
「?ふぅん。」
いまいちピンとこないまま相槌を打ったアベルに、にまにまと顔を緩めたタリスが背後から歩み寄る。
「殿下ぁ、随分うまくやってるみたいで俺達安心しましたよ!」
「は?」
「ちゃんと聞いておきました、めっちゃ好評価でしたよ!優しいし頼りになるって!」
ヒソヒソと耳打ちされた内容に思いきり眉を顰め、アベルは苦い顔でシャロンを見やった。
「君、一体何の話をしてたの。」
「何とおっしゃられても…ほんの雑談と、殿下には助けてもらってばかりという、感謝と尊敬のお話ですわ。」
蕾が花開くように柔らかい微笑みを浮かべたシャロンを見て、壁に並んでいた騎士達が押し合いへし合いこそこそとアベルに近付いて囁く。
「殿下、俺は好きな食べ物聞きました!」
「自分は趣味を。」
「殿下の良いところ吹き込んどきました!この前も大人をボコボコにしてたって!」
「私どんな花が好きか聞いといた!」
「ひゅーひゅー!殿下ぁっ!俺達皆応援してま゛ッ!!」
振り向きざまの回し蹴りが綺麗に決まり、タリスの巨体が後方に吹っ飛んだ。周りにいた騎士達が咄嗟に飛びのく反射神経も流石である。
シャロンは驚いてぱちぱちと瞬きした。
「何してるの、アベル。喧嘩は駄目よ。」
「喧嘩じゃなくて指導だ。」
「そう?」
シャロンは首を傾げたものの、他の騎士がタリスのフォローに回る様子もなく、ゴロゴロと転げたタリスは受け身をとって平然と立ち上がっている。アベルから距離をとった騎士達が「照れ隠しだ」「若いな」と頷きあっている意味はわからないので、聞き間違いかもしれない。
それよりも今、素で話してしまった事に気付いてシャロンは唇をきゅっと閉じた。ウィルフレッドと話した時と違って人が多いのだから、注意しなくては。
騎士達の方を眺めているアベルに一歩近付き、唇の横に手を添えて小声で言う。
「ウィルに聞いたわ。貴方が提案してくれた事だって。」
ぴくりと不満そうに眉を動かしたところを見るに、シャロンは知らないままだと思っていたらしい。
「ありがとう、アベル。今日で自信がついたわ。コツも掴めたし」
心遣いを嬉しく思うままに、シャロンは微笑みを浮かべて一歩離れた。
「殿下が怪我をなさったら、次は私が治しますね。」
「ぁああ健気ー!」
「殿下!ちゃんと幸せにしないと駄目っすよ!」
「返り血はしっかり拭う癖つけましょうね!」
後ろから小声で送られる声援に、アベルは顔を苦くひきつらせた。
これでは何のためにウィルフレッドに話を進めてもらったのかわからない。敢えて公に行わせたのはまったくもって逆効果だったと言わざるを得ない。
――なぜだ。さっき窓辺であんなにも親しげに二人揃っていたのに。騎士連中はそれを見てなかったのか?なぜこうなる。意味がわからない。
「くっ…!」
「だ、大丈夫ですか?もしかして骨折されたところが痛みますか?」
あわあわと心配するシャロンに「違う」と首を振りながら、アベルは心の中で深くため息を吐いた。
まずはニヨニヨと口元を緩めているそこの連中をしばき倒さねばならない。




