112.条件に合う男
騎士団本部の医務室、その一角だけがやたらと混み合っていた。
「おい、押すなって。順番守れ。」
「もうちょっとどきなさいよ!見えないでしょ。」
「お前達静かに並べ!ご令嬢が怖がったらどうするんだ!」
「てめぇの声がでけぇよ…。」
騎士達がザワザワそわそわしながら診察待ちの列を作っている。
普段は少し切った擦ったくらいの傷は自分で治すか消毒だけで済ませるものの、今日は違う。
なんと特務大臣アーチャー公爵のご令嬢が来ており、そのか細い手で騎士達に治癒の魔法を施してくれるというのだ。
「要は実験台だろ?」
「馬鹿!受けてから言えよ、あの子の治癒は全然副作用がねぇ!」
「ね~見た?公爵閣下が隠すだけあってめちゃくちゃ可愛いわよ。」
「第二王子殿下が身体張って助けた子だろ?正直それだけで見てみたさあるわ。」
「それな?命が惜しいから冷やかさないけど。」
まだ十二歳の少女とはいえ、相手は王家に次ぐ高貴な血筋の娘であり、未来の王妃候補ナンバーワンでもある。
偽善や点数稼ぎではと渋い顔をする者を押しのけ、若手騎士の大多数は興味津々に治癒を受けに訪れていた。
「次の方、どうぞ。」
白いブラウスに裾の長い紺のシフォンスカート、その上から白衣を着たシャロンがくるりと振り返る。薄紫色の長髪は邪魔にならないよう、今日は低い位置でお団子にまとめてリボンのついたバレッタで留めていた。
広い医務室の一角を衝立で仕切り、シャロンと患者用に椅子を二つと長机を一つ置いただけの小さなスペースだ。
念のため患者の名前を記録するようにと言いつけられているが、シャロンはどこにどんな怪我をしていたかも書き留めていた。
次に入って来た大男を見て、シャロンは「あっ」と口に手をあてる。
短く刈り上げた黄土色の髪と瞳、日に焼けた肌と豪快な笑顔。狩猟の日にアベルがタリスと呼び、共に戦っていた騎士だ。
とんでもない突風で吹き飛ばされたと聞いているが、軽傷用のブースに来て大丈夫なのだろうか。ぱっと見は包帯も松葉杖もなく、元気そうである。
「タリス様、でしたね。先日は助けて頂き、ありがとうございました。」
「おっ!俺を覚えててくれたんですか。そいつは嬉しい。」
「もちろんです。お名前を伺ってもよろしいかしら?」
「クリフトン・タリスと言います、お嬢様。」
大きな口でニカッと笑い芝居がかった仕草で胸を張るタリスに、シャロンも思わず顔をほころばせた。さらさらとペンを紙にはしらせ、団服の袖を肘まで捲った逞しい腕の片方に十センチほどの長さの浅い切り傷を見つける。
「その傷ですね。」
「ちっとひっかけちまってね。よろしく頼みます。」
「えぇ。では、こちらへ。」
シャロンは真剣な顔で躊躇いなくタリスの腕をとり、自分の前に持ち上げる。
「このままに」と声をかけ、小さな手を傷口にかざした。傷が端から塞がっていき、綺麗に無くなるところを想像して魔力を込める。
「…あー、第二王子殿下って、シャロン様から見ると、どんな方ですか?」
「お優しくて、頼りになる方です。…さ、終わりましたよ。」
シャロンが手を下ろす。
まるで最初から怪我などなかったかのように、傷口は消え去っていた。
「おお!…こいつぁすげぇ、あぁいや、すごいですね。早い上に、本当に痛くも熱くもねぇ。」
「狩猟の時のお怪我は大丈夫だったのですか?とても大きな音がしたので、心配していたのですが……。」
「あぁお気になさらず!それも治癒でバッチリ治ってますんでね。…それより…」
ニッと笑顔を作ったタリスは、急に声を落として口の横に手をかざし、小声になった。
心なしか目も細めている。何事だろうか。シャロンは小さく頷いて軽く耳を向けた。
「殿下ってやっぱ、かっこいいですよね?」
「……、えぇと?」
「騎士連中の憧れっていうか、あのご年齢であれだけ強い王子なんてそうはいねぇし、それに器がでけぇ!世間じゃ色々言われて怖がられてますけど、シャロン様はそんな事ないみたいで、わかってくれてんなぁ~って。」
ちらちらと目配せするタリスはどうやら、第二王子は良い人であるとアピールしたいようだ、とシャロンは認識した。
狩猟で指示を飛ばしていた様子を見るに、騎士達はアベルを信頼しているため、世間の評価が不満なのだろう。
これまで治癒を施してきた中にも幾人か、アベルについて熱く語ってきた騎士がいた。ふふっと笑みをこぼし、シャロンは頷く。
「そうですね。とても素敵な王子様です。」
「時々ツッコミが厳しいんですけどね!はは、それもご愛敬ってヤツ――」
「第一王子殿下がいらっしゃったぞ!」
飛んできた声に周囲が一斉にざわめく。
ちょうど良いから一度休憩にしましょうかと、医務室勤めの女医が並んでいた騎士達を追い払った。シャロンの魔力が尽きるまでやらせるわけにはいかないのだ。
ぶーぶーと文句が出たものの、よく沁みる消毒液の瓶を振りかぶられ、皆一目散に逃げていった。
「シャロン!こんにちは。」
すっかり人払いされたところで、ウィルフレッドが現れる。
白地に金の刺繍が施された衣服を身に纏い、今日もストレートの長い金髪を後ろで一つ括りにしていた。急いでやってきたのか少しだけ息が乱れ、明るい笑顔にも少しだけ疲れが見える。
「こんにちは、ウィル。」
「今日はごめんね、来てもらっておいて案内もできずに。」
シャロンが城へ着いた時に出迎えたのは一人の女医で、医務室へ連れてこられた後は彼女の指示に従って仕事をしていた。
誘いを貰ってからウィルフレッドと会うのは今が初めてだ。シャロンは首を横に振った。
「どうか気にしないで。先日は皆様に沢山ご迷惑をかけてしまったから…お役に立てる上に治癒の魔法を使える、こんな機会を頂けて本当に嬉しいのよ。本当にありがとう、ウィル。」
「あぁ、それなんだけど…」
言いかけたウィルフレッドはちらりと周りを見回した。
教師役を買って出た女医が一人、棚の薬類を確認していて、後は入口近くに護衛騎士のヴィクターとセシリアが並び立っている。今この部屋にいるのはそれだけと確認して、ウィルフレッドは口の横に手をあてて小声で囁いた。
「元はアベルの提案なんだけど、なぜか俺が全部話を進めるべきだって言うものだから。」
「そうなの?」
「自分が提案者だとは誰にも言うなって。きっと対外的な何かを気にしているのだろうから、君に言う分には構わないと思うんだけどね。」
「対外的…何かあったのかしら。」
「さぁ…。」
ウィルフレッドと二人、息の合った動きで首を傾げながら、アベルが提案したという事にシャロンは納得した。
元々、狩猟の日に獲物の血止めをさせてくれるつもりだったようだから、今日はその代わりなのだろう。軽傷のみなので深い傷を治す事はないけれど、数をこなしたお陰で治癒の魔法には随分慣れてきた。水や風で威力を出すより余程シャロンに合っているらしい。
「二人共忙しいのでしょう?今日は会えないだろうと思っていたのよ。顔を見られて嬉しいわ。」
「君に会えるならどこへだって行くとも。…なんて、まったくの本心だけれど、君を口実に休憩しに来た面もあるんだ。」
「まぁ、ふふ。歓迎するわ。」
自分の家ではないから「ゆっくりしていって」とも言えないが、シャロンは微笑んだ。いつの間にか、二人の傍には女医が淹れた薬草茶が置かれている。
ありがたく頂く事にして、二人は患者の待合用に置かれた窓辺のソファに腰かけた。
「やっぱり、女神祭の準備は大変?」
「今年は他国の王族が結構来るからね。俺達が入学すると面談の機会が減るから、今のうちにという事なんだろう。君にも面倒をかけてしまってすまない。」
「夜会の事なら気にしないで。ほんの数時間だもの、失礼のないように頑張るわね。」
胸の前でぐっと拳を握ってみせるシャロンに、ウィルフレッドの頭には父王ギルバートの声が思い出された。
『各国の来賓…王子達も来るのだから、横から攫われないよう気をつけておけ。お前達の代ではシャロン・アーチャーを王妃にするといい』
無意識に、少しだけ眉間に力が入った。
シャロンのような立派な女性が王妃になってくれるのなら、それは確かに頼もしい。共に国を背負い立つパートナーとして貴重な存在だ。しかし、彼女が自分の妻というのは困る。
――前から決めてるんだ。シャロンの事はその辺の男にはとても任せられない、もちろん俺なんかにも。最低限、俺より頭も剣も魔法も人としても出来が良く、彼女とその子供を守っていくだけの力があって、賢くて清廉潔白で、彼女の道を邪魔せずに支え、助けていくだけの器量を持った男しか認めな――…
「あ、見て、ウィル。アベルがいるわ。」
「え?…あぁ、本当だ。」
窓の外を眺めていたらしいシャロンがふわりと笑い、ウィルフレッドも彼女が指す方を見下ろした。
見慣れた黒髪黒服の弟が、数人の騎士と立ち話をしている。雑談ではないのだろうけれど。
「………ん?」
「どうしたの、ウィル。」
なぜわかったのか、アベルが振り返ってこちらを見上げる。
シャロンはそれに気付いて嬉しそうに小さく手を振った。ウィルフレッドもつられて軽く手を上げてみると、アベルは薄く笑んで片手をひらりと上げ、踵を返した。
厩の方へ歩き去る弟を見つめながら、ウィルフレッドはゆっくりと二度瞬きする。
――アベルって、ほとんどその条件にあてはまるんじゃないか?
恐ろしく今更な気付きだった。
アベルは魔力こそないものの、それを欠点と思わせない程に強い。賢く、騎士達の忠義も篤く、まさに今日がそうだが、シャロンのしたいようにさせてやっている。犯罪者に容赦はないが、身内には優しいし器も大きく、何よりシャロンもウィルフレッドも信頼している相手だ。
おまけに二人が結婚したら彼女は義理の妹になる。無茶しがちなアベルをシャロンなら一緒に止めてくれるだろうし、心強い大事な友達が家族として弟と共に傍にいてくれる。
――もしかして、俺にとってはそれが一番良いのではないかな。
「ウィル?」
「あぁ…ごめん、少し考え事をしていたんだ。」
「何か悩みごと?」
「いや、むしろ嬉しい気付きがあったよ。」
「そう?ならよかったわね。」
具体的に何の話かも聞いていないのに、シャロンは自分の事のように微笑んでいる。ウィルフレッドは眩しそうに目を細めて「うん」と返し、薬草茶を啜る。苦い。
「シャロンは、結婚相手を決めるならいつとか考えてるの?」
「っ、ど、どうしたの、急に。」
質問のせいか飲みかけた薬草茶が苦かったのか、軽く噎せながらシャロンが聞き返す。
「俺達は時々言われるようになっていてね。本当は先日の狩猟も、婚約者探しを急かす者達を宥める主旨があったんだ。俺もアベルも今すぐ決める気はないからね。」
「そうよね…まだ学園にも入っていないし。」
「うん。だから、君はどうなのかなと思って。」
体に良さそうな苦みを喉に流し込み、朝露に濡れた花びらのような薄紫の瞳を見つめる。シャロンは誰もいなくなった窓の外を眺め、晴れた空へと目を上げて「そうね」と呟いた。
「学園の卒業までには、きちんと考えなくてはと思っているわ。」
――父上はシャロンを王妃にと言っている。おまけにアベルは結婚する気がない。
「そっか。」
青い瞳に空の色を混ぜながら、ウィルフレッドは相槌を打つ。
きっと、学園で過ごす時間がこれからの未来を決めていくのだろう。




