10.あなたを助ける方法
アベルが去った直後、「最後のは何ですか!」「シャロン様に剣を向けるなんて!」とメリル達の声が飛び交う中、私はお皿に取ったスコーンを食べ終え、紅茶をしっかりと楽しんでから素振りに戻った。
内緒、と言われたのだ。
何になりたいかという質問も答えなかったし、彼はあまり自分の考えを知られたくないのだろう。
皆から「最後に何を言われたのですか」と聞かれたけれど、私は笑って誤魔化した。
レナルド先生の言いつけ通り、今日も「これ以上は絶対に無理だと思ってからプラス十回」の素振りを終え、ぷるぷる震える筋肉をメリル達に揉みしだかれながら湯浴みを済ませる。
そのまま眠ってしまいたいという欲求はあったけれど、私は体に鞭打って屋敷内の一室へと向かっていた。
「あねうえー」
嬉しそうな声が聞こえて足を止める。
振り返ると、廊下をとててて、と駆けてくる可愛い弟の姿があった。
「クリス!」
お父様譲りの銀髪を揺らして走る弟を、できる限りは見守る姿勢ながら、ハラハラした様子で侍女二人が追いかけている。
私が屈んで手を差し伸べれば、クリスはぱちんと手のひらをあててゴールした。うっ…五歳児の突進とはいえ、筋肉痛の身体には響くものね…。
「あねうえつかまえた!」
「ふふ、捕まっちゃったわ」
私よりも小さな手を握って微笑むと、銀色の瞳がパッと輝いた。
ゲームでは立ち絵すらなくて、シャロンが「私には弟がいて」と言うだけだったクリス。こんなに可愛いなら、シャロンの過去回想でもなんでもいいから出してほしかった…なんて思ってしまうのは、姉の贔屓目かしら。
――ふと、昨日見たチェスターの笑顔を思い出す。
彼には病を患った妹がいて、彼女を人質に取られたせいでチェスターはウィルを殺す事になった。
けれどその妹さんは、全てのルートで……殺されてしまうのだ。
今は健在の公爵夫妻も、入学前には馬車ごと崖から転落して亡くなってしまった。
暗くなった気持ちが顔に出ていたのか、理由を知らないクリスが困ったような目で私を見上げる。
私だって、この子の命を盾にされては正常な判断ができないかもしれない。
「あねうえ、ぼくといっしょに絵本よむ?たのしいよ。」
「ありがとう、クリス。姉上は少し調べ物があるから、もうちょっと頑張るわ。」
「さ、お部屋へ参りましょう。クリス様」
「…うん……」
専属侍女が差し出した手の指をぎゅっと掴んで、けれど後ろ髪をひかれるように何度も私を振り返りながら、クリスは去っていった。
その姿が廊下の角に消えるまで見送ってから、私は元々歩いていた方向に向き直る。もう少しだけ進めば、目当ての扉はすぐそこだった。
図書室だ。
主人公と共にウィルの死体を見つけた後、学園を飛び出したアベルはオークス公爵邸に駆けつける。
そして返り血を浴びたチェスターと、暴力を受けたのか痣だらけで亡くなっている妹、そして《爛れた死体》を二つ発見し――王族を手にかけた犯罪者として、兄の命を奪った仇として、その場でチェスターを殺してしまう。
火の魔法で焼かれたのだろう爛れた死体は、チェスター自身のルートではそこに無い。
動かない妹を前に立ち尽くす彼を主人公が発見した後、アベルが部屋に飛び込んでくる。膝をついたチェスターは頭を床につけて誓うのだ。
『妹の仇をこの手で殺した後、貴方に殺されに戻ってきます。必ず』
到底、許されるはずのない事だった。
けれど剣を振り下ろしたアベルが切り裂いたのは、チェスターの長い後ろ髪で。アベルは背を向けて了承する。
『それまで俺の前に現れるな。次にその顔を見た時は、お前を殺す。』
チェスターは行方不明者として表舞台から去り、仇を追い始める。学園に残った主人公とごく稀に接触して情報交換しながら、彼女の卒業後にようやく仇の居所を掴んだ。
時間がかかってしまったのも仕方ない。仇は既にツイーディア王国を離れていたのだ。
その正体はチェスターの叔父であるダスティン・オークスと、その手下らしきフードをかぶった男。
どちらも風の魔法の使い手でチェスターは苦戦するけれど、ヒロインの助けで勝利する。
それがチェスタールートの中盤のお話だ。
チェスター本人には、ウィルを殺す理由なんて何もない。
だから彼を追い込んだ物事さえ解決すれば、その未来は回避できるはずだわ。
つまり《両親の死を回避する》こと、《叔父を止める》こと、《妹の病を治す》こと。
これが叶えばきっと、チェスターがウィルを殺してしまう未来は変えられる。
特に妹さんが快復したら守りようがあるし、ご両親も無事なら叔父に対して強く出られるでしょう。
他家の事情、それも同じ公爵家相手に、私がどこまで干渉や誘導ができるかわからないけれど…。
ご両親の事故はそこから一ヶ月と少しで入学だったそうだから、時期的には二月頃かしら。まだ半年以上もある。
公爵夫妻が一緒に馬車で出かけ、雪景色の中、崖の傍を通る時――…それは、いつなのか。
ある程度は具体的な日時と場所がわからないと動けない。公爵の予定を把握できるような関係性を築くか、あるいは調べる手段を得なければ。
事故は襲撃を受けての事だったそうだから、真っ向からの戦闘が想定されるのよね。
そして――妹さんは、既に発病しているはず。
チェスターの回想では咳き込んだり、だんだん歩けなくなって寝たきりに…という描写はあったけれど、実際どんな状況なのかはできればこの目で見ておきたい。
会わせてもらえるかしら……。
オークス公爵がどれだけ医者を呼んでも彼女の病は治らなかった。
その理由を私は知っている。
病の正体は、「何者かがかけた魔法」なのだ。
そして何年もの長きに渡って魔法が発動するのなら、その魔法の使い手が近くで見張っていたという事に他ならない。
いくら医者が努力しても、たとえ多少回復の兆しが見えても、再び魔法を発動されれば意味がないのだから。
――ただ、その魔法使いが誰だったのか、どんな魔法だったのかは、ゲームのシナリオの中ではとうとう明かされなかった。
「そこがわかっていれば、話は早かったのだけれど。」
呟きながら、図書室の棚にずらりと並んだ本の背表紙を人差し指で辿っていく。
ゲームではご両親が亡くなり、兄であるチェスターも学園に行った事で、妹さんは叔父の管理下に入ってしまった。
そうなってしまっては彼女を守れないから、それより前が勝負ね。
魔法の使い手本人、あるいはかけられた魔法を解く方法を見つけ出す。
と…考えたのはいいけれど。
私は首を捻ってしまう。本当に、そんな魔法があるのだろうか?
だって常識的には、そんな事はありえないはずなのだ。
私はひとまず使用人の皆に「魔法で人の具合を悪くする事ってできるのかしら」と聞いて回ったのだけれど、収穫はなかった。
それどころか「恨むような仕打ちを受けたのですか!?」と心配されたり、ランドルフからは「シャロン様、人の不幸を願うべきではありません。」とお説教される始末。
誤解は解いたけれど、皆の答えは「できると聞いた事はないが、できないとも言い切れない」…というものだった。未だ、魔法の全てが解明されたわけではないからと。
「あとは、魔法に詳しいと言えば…」
一人、頭に浮かぶ人物がいた。
ウィルの従者を務めている公爵令息だ。
剣術も魔法もある程度をそつなくこなすチェスターと違って、彼は魔法特化型。
勤勉な読書家でもあり、入学前の今は王立図書館にも足しげく通っているはず。
ウィルが来たら会えないか頼んでみる事に決め、私はいつもの捜索作業を開始した。
「ない…ない。」
広い図書室を歩き回って、薬草学や治癒術のコーナーをうろうろして、やはり今日も見つからない。
『アーチャー家秘伝の薬よ。どうか、これを持って行って。』
シナリオの終盤。
攻略対象と共に戦いへ赴く主人公に、全ルートでシャロンが持たせてくれる飲み薬がある。
傷ついた身体をすぐ癒した上に、魔力まで回復するという優れもの。明らかな超便利アイテムなので、できれば早めに手に入れておきたい。
プレイしていた当時は「さすが公爵令嬢、レアな薬を持ってるわね」なんて思っていたけれど、実際この世界に来てみるとレアどころか「激レア」だ。
なにせ身体の傷を癒す即時効果のある方法といえば、《治癒の魔法》をおいて他にない。
それは魔力持ち全員が使えるもので、自分および他者の傷を癒せる魔法なのだけれど……これは非常にセンスが問われるらしい。
治療の速度や、治る時に痛み、痒み、発熱などの副作用が起きるか否か。人によっては非実用的なレベルだったりするのだとか。
そして、魔法である以上は魔力がなければ使えなかった。
しかし私が持っていた薬は、「その場に治癒の魔法が得意な人がいなくても」「自分の魔力が尽きていても」傷を治して魔力を回復できるわけで。
まさに「秘薬」と呼ぶにふさわしい。
ぜひともほしい。
そんな激レア回復薬であれば、チェスターの妹さんに飲んでもらうのも良いと思っていたのだけれど……
「見つからないわね……。」
私はため息をついた。
お父様に聞いても「何の話だ?」なんてキョトンと言われてしまったし、お母様は嫁入りなので当然知らなかった。
執事のランドルフは「そんな秘薬があればこの世の宝でしょうな。それで、今度は何をお考えで?」と、長いお小言が始まりそうだったし。
ゲームでその薬が登場したのは今より何年も先の話だから、もしかしたらその間に開発されるのかもしれない。
いったん秘薬の事はおいて、魔法についての知識を深めるのが先かしら。魔法学のコーナーから本を引っ張り出す。
読めるものはなんでも読んでおきましょう。
――なにせ、私は魔法のセンスがないようだから。
体術の方が順調だったものだから、初級魔法くらいならできると思っていた。
トレーニング終わり、記憶が戻ってから初めて図書室へ来た時に、水の初級魔法を実践してみたのだ。
単に水を出すという魔法を、ちゃんと桶を準備して、本に描かれた絵を元にイメージトレーニングをして、わくわく、ドキドキしながら震える手を突き出した。
『こほん。…宣言。私の手の向く先、あの桶の上に、手のひらと同じくらいの水を出してください。』
…見事に何も起きなかった。
それはもう、水滴の一つさえ出なかった。
「…今思い出してもへこんでしまうわ……」
開いた本の上に、ぺちゃりと頬をつける。
確かにゲームのシャロンも戦闘で活躍するキャラクターではなかったけれど、ちゃんと魔力持ちだし、学園編では水の魔法を発動する事もできていた。
つまり未来ではちゃんとできるようになるんでしょうけれど…
きっと今でも多少できるだろうから、それを早めに鍛えていきましょう、というつもりだった私は、出鼻を挫かれた思いだった。
図書室でこっそり何度も挑戦したら頭がのぼせたみたいになってしまって、発見したメリルに「知恵熱ですか!?」と叫ばれて以降は、ひとまず魔法の実践は先延ばしにして、本を読む事を優先している。
発動しなかった事がちょっと恥ずかしいので、魔法を使おうとしていた事も内緒のままだ。
でも、「できません」のままでいるつもりはない。呑気に待っていたらチェスターのご両親を救えないのだから。
まずは今、やれる事を。
疲労でうとうとし始める頭を覚醒させるべく、私は頬をぺちぺち叩いてからページをめくった。




