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ハッピーエンドがない乙女ゲームの世界に転生してしまったので  作者: 鉤咲蓮
第一部 未来を知る者

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108.見るに堪えない息子達




「……どうぞ。」


 アベルの声に、セリーナは急く心を抑えて入室した。

 まず目に飛び込んできたのはベッドの上で上半身を起こしているアベルの姿だ。

 彼が怪我をする事などまずないので過呼吸を起こすほどに心配したが、ぱっと見る限り頭には包帯などは巻かれていないようだ。表情も苦しげにはしていない。


 そしてベッド脇にウィルフレッドが立っていると気付いて、セリーナは足を止めた。

 これ以上近付く事はとてもできない。


「…お前までいましたか、ウィルフレッド。」


 正直予想外だった。

 戻ってくるのはまだ先と思っていたため、この場に息子二人が揃っている事は本当に予想外だった。二人同時に母を見てくる事に耐えられず、息苦しくなったセリーナはため息を吐いた。


 ウィルフレッドが胸に片手をあて礼をしてくる。

 息子が立派で可愛い。直視するには刺激が強いのでやめてほしい。


「王妃殿下、本日もご機嫌麗しく。今しがた狩猟場から…」

「出て行きなさい。」

 これ以上は無理と思い、セリーナは視線を壁に向けた。

 息子達との間に壁が無く隠れられないので、無駄な抵抗と知りながら扇子を広げる。

 母の前に出て来るなら一人ずつにしてほしい。二人を同時に視界に入れ続けたら、愛くるしさのあまりに死んでしまう。


「見るに堪えないわ。」

「――…承知致しました。」

 ウィルフレッドは深く腰を折り、サディアスの名を呼んで共に部屋を退出する。

 扉が閉まった音を聞いてようやく安堵し、セリーナは落ち着いてアベルに目を向け、名を呼んだ。


「アベル」

「はい。王妃殿下。」

 ベッドの上でセリーナに向き直ったアベルは、片手を胸にあてて目礼する。

 やめてほしい。ウィルフレッドの朗らかさのある微笑みも致死攻撃だが、アベルの堂々たる凛々しい表情も致命傷になる。息子達がかっこ可愛くてとてもつらい。

 セリーナは精一杯堪えて本題を切り出した。


「怪我は治ったのですか。」

「は。元より、軽く背を打った程度。ナイトリー医師の治癒を受け、既に完治しております。」

 完治と聞いてほっとする。

 のびのび育ってほしいので基本は城を抜け出す事にも寛容なセリーナだが、怪我をするなら話は別だ。あまりひどい事になるなら外出禁止令も辞さない構えである。


「そう。あまりわたくしと陛下を煩わせないように。此度の件、既に城内で噂になっています。お前が怪我をするなど、珍しいですからね。」

「…申し訳ありません。」

 完治したとは聞きつつ、セリーナはアベルをじっと眺めた。

 次男は無茶をしがちなので、本当にもう怪我はないのかしらと心配になったのだ。

 するとアベルが真正面から見返してきて、あまりの事にセリーナは眉を顰めた。可愛いとかっこいいがないまぜになって心臓を攻撃してくる。意識が遠のきそうだ。


 しかしここで倒れるわけにはいかない。まだもう一人話をしたい子がいるのだから。

 心を落ち着けると同時にアベルの攻撃から逃れるべく、セリーナは短く息を吐いて一度目を伏せ、シャロン・アーチャーを見やった。


「そこの娘、顔を上げなさい。」


 衝撃に備えて眉に力を込めたが、目が合った瞬間、使用人達の腕に感謝して扇子を握りしめた。

 可愛い。セリーナがいつかのために早すぎる気を回して準備したドレスが完璧に似合っている。ウィルフレッドの髪色であり、アベルの瞳の色でもあるイエローダイヤモンドのネックレスが、また「嫁」感があってとてもいい。

 感動を指先に込めて扇子を閉じ、シャロンに向けた。こちらが許可してやらねば彼女は喋れない。


「名乗る事を許しましょう。」

「ありがたき幸せにございます、王妃殿下。」

 声まで可愛い。

 優しさ溢れる声色に涙が出てきそうだがなんとか堪えた。


「私は特務大臣エリオット・アーチャー公爵が長女、シャロンと申します。此度の第二王子殿下のお怪我は、私に責があり――」

「やめろ。」

 アベルが短く遮った。

 驚いたセリーナの目がシャロンからアベルへと移る。


「殿下。怪我の責任など、本人の力不足以外に何がありましょう。」

「まぁ……お前が令嬢を庇うなど、本当に珍しいわ。」

 ニヤけてしまいそうな唇をなんとか微笑に留めようと努力し、セリーナは冷静さを保つためにゆったり瞬きした。

 改めてシャロンを頭からつま先まで眺め、閉じていた扇子を再び開いて口元を隠し、けれど目を流した先のアベルにだけは見えるように。口角を吊り上げ、声を出さずに呟く。


「 可愛いでしょ? 」


 母が選んだドレスですよとにんまりしてしまう。

 唇の動きが読めたのだろう、アベルがぴくりと眉を動かして苦い顔をした。


「お待ちください。彼女は――」

「公爵が隠すものだから、どんな娘かと思っていましたが……これではね。無理もありません」

 可愛さが過ぎる。

 下手にどこかの馬の骨に付きまとわれては可哀想なので、公爵の判断は間違っていない。セリーナがシャロンの母だったなら、離宮でずっと一緒に男子禁制のお茶会をしていたかもしれない。否、息子達なら入ってきてもいい。夫は駄目だが。


 王妃を前に緊張しているのだろう、少しだけ眉尻の下がったシャロンは庇護欲を掻き立てる可愛らしさだ。

 セリーナは思わずため息をつき、軽く首を横に振った。この少女はもう、国で保護すべきだ。


「陛下のお言葉を覚えていますね、アベル。気を付けなさい。」

 国王は元々アーチャー公爵と親しく、家族ぐるみで仲良くしたいと願っていた。すなわち、シャロンを息子の嫁にするのである。

 決してシャロンから嫌われたりしないよう、ウィルフレッドとアベルにはよく気を付けてもらわねばならない。


「…恐れながら、それは俺の役目ではありません。」

「戯言を。」

 何を照れているのか、いや、ツンとして照れ隠しを言う息子もまた可愛い。セリーナはフッと笑いながら踵を返した。

 最後にシャロンを一瞥し、


「いずれまた会いましょう。アーチャー家の娘。」


 顔がにやけてしまっては変な人だと思われるかもしれない。

 懸命に真面目な顔を取り繕って再会を約束した。できれば婚約の報告よりも前に何度か会う機会を持たせてほしい。心の準備が必要だから。


 うきうきと歩き出したセリーナはこの後、うっかり「母上」と呼び止めてしまったウィルフレッドによって失神させられるのだが、それはまた別の話。





 ◇





 シャロンを連れたチェスターが出ていき、アベルはようやく報告書に目を戻す。


 走り書きを光の魔法で転写しただけの簡易的なものだが、コテージ組はロイ、ウィルフレッド組はリビーの話も聞きながら、報告書の内容と合わせて今日起きた出来事を整理できた。


「虐待の痕ありか。」

 アベルの問いに、リビーが頷く。

 闇の《ゲート》を隠し持ち、ウィルフレッドを奇襲しようとしたスザンナ・ブロデリック伯爵令嬢の事だ。


「はい。まだ気絶しているはずですが、恐らく起きてもさほど情報は取れないかと。伯爵邸には四番隊が向かっています。」

「生きてればいいけどね。道中、幾度か転びかけたというのは?」

「見ていた限り、本人の足がおぼつかない様子でした。それを貶した令嬢が二人、手を貸して支えてやったのはガイストです。」

 ウィルフレッド側の戦闘が終わった後、水鏡を持ってアベル側へと走った騎士だ。

 負傷したタリスに応急処置程度の治癒を施し、そのまま現場の検分や回収作業の手伝いに回ったので、まだ城には帰還していないだろう。

 報告書をぱさりとサイドテーブルに置いて、アベルはロイを見やった。


「お前の所業について、後日苦情があるだろうとの事だけど。」

「あぁ、あれですかねぇ。」

 もちろん、窓越しとはいえ、令嬢達の目の前でグロテスクなショーをした事だ。

 賢明な騎士の一人が、苦情は第二王子に届くだろうと思い報告書に記載していた。


「相手は?」

「確か四名いらっしゃいましたね。向こうは二階でしたから、お一人は髪の色しか見えませんでしたが。」

「今日のうちにクローディアと話して確定させておけ。」

「御意に。」

 コテージには火を吐くオオカミ。

 アベルには風を放つクマも寄こし、ウィルフレッドには奇襲をかけた。では、敵の狙いはどこにあったのか。


「実験体の腕試しに使われた可能性が高いと僕は思う。その令嬢方の中に、結果を観察していた者がいてもおかしくはない。」

「王子殿下の命を狙ったものではない、と?」

「あのオオカミを使って、それもタイミングを素人に任せて一撃で殺すのは無理だ。」

 ロイの問いかけに、アベルはきっぱりと答える。

 負傷させられたとしても治癒の魔法でどうにでもなる範囲であり、寝込むほどの重傷に至る確率は低い。アベルに関しては、あのクマに殺される気は微塵もしない。


 軽く顎に手をあて、アベルは視線を横に流す。

 今回は娘を王子の婚約者にといきり立つ貴族を宥める目的があったため、決して清廉潔白品行方正な家の令嬢だけを集めたわけではない。

 しかし、あからさまに怪しい家の者を入れたわけでもなかった。

 招待から当日までの間に何かあったのか、それとも元から後ろ暗いところがあったのか。


「…窓を。」

 アベルの一言で、侍女が窓を開ける。

 空からこちらへ向かっていた一羽のハト――いや、ハトの形をした水が舞い込み、紙の入った瓶をアベルの手に落とし、旋回してまた飛び立っていった。

 コルク栓を抜いて紙を広げ、アベルがぽつりと言う。


「伯爵家は全員死亡が確認された。」

「ンッフフ。綺麗な口封じの割に、令嬢は無事ですねぇ。」

「それだけ何も知らないか、あるいは…」

 これから殺されるか。

 ふむと息を吐いて、アベルは出発前に見たスザンナ・ブロデリックの様子を思い返す。内気で気弱そうな印象だった。

 虐待があったとはいえ家族は全身死亡、本人もこれから王子暗殺未遂の罪に問われるだろう。


「……彼女の状態によっては、仕掛けてもよさそうだけどね。」

「団長と話されますか?」

 用済みの手紙と瓶を受け取りながらリビーが聞く。アベルは瞬いて肯定した。

 不発に終わるならそれはそれで構わない。

 スザンナがただ処刑されるだけのこと。一匹でもネズミがかかれば、その大きさによっては僅かな減刑もありえるけれど。


「…リビー。」


 こちらに背を向けた護衛騎士に、ふと声をかけた。

 くるりと振り返った茶色の瞳は真っ直ぐに、どこか誇らしげにアベルを見つめている。


「お前を助けたという水の魔法、騎士は皆知らないと言ったんだな?」

「は。誰も自分ではないと。サディアスにも確認済です。」

「……そうか。」

 怯えていただけの令嬢方が、騎士すら気付かぬスピードで魔法を繰り出したとも考えづらい。騎士が彼女を助けて黙する意味もない。

 仮に第三者が潜んでいたとして、リビーを守る意味は?


 疑問を頭の片隅に留めて、アベルはベッドを降りた。

 身を整えているだろうウィルフレッドが戻ったら、国王へ報告に行かなくてはならない。





今回で50万字を越えました。まだ入学もしていないのに…。

長い話を読んで下さりありがとうございます。

ブクマやご評価も励みになっております。


来週は更新が少ない予定です。

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