表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ハッピーエンドがない乙女ゲームの世界に転生してしまったので  作者: 鉤咲蓮
第一部 未来を知る者

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

108/526

107.リビー・エッカートの絶望 ◆

 



 皇帝陛下は乱心した。


 そんな戯言を聞く度に心は冷え、おぞましい程の憎しみが心に満ちた。口にする者の喉を一つ一つ潰してやろうかと思った。

 しかし、その噂が広まる事を我が君は望んでいる。



『おやおや。可愛い彼女を放っておいていいんですか、チェスター。』


 笑って軽口を叩くロイを、壁にもたれたまま眺めた。

 数年振りに見たチェスターは身長も伸びて顔つきは大人びている。フードの中を見るに、アベル様が切ったという髪は短いままにしているようだ。


『ロイさん、リビーさん……』

『こんな夜中に行っても、行方不明者では公爵家の令嬢には会えませんよ。』

 その言葉にチェスターが目を細める。

 やはりシャロン・アーチャーに会おうとしていたらしい。サディアスに会おうとするよりは賢明な判断だ。


『教えてください、何が起きてるんです?俺は戻ったばかりで、知らない事が多すぎる。』

『ンッフフ…知っている事ばかりだと思いますよ。カレン・フルードは彼女ともお友達なのでしょう?』

『あの子の事だ、カレンだから話せてない事もあるはず…そうですよね。それを隠したいから、アベル様は貴方達を寄越したんじゃないんですか。』

『さぁ、どうでしょう。案外、私達の独断かもしれませんよ。』

 チェスターは微笑むロイの真意を探ろうとしているが、早々掴ませるような男ではない。まして、何年も会っていなかったのだから。

 仰々しく片手を胸に当て、茶化すように頭を下げてみせるこの男の背に、僅かな怒りが滲んでいる事を。気付けるだろうか。この、裏切り者の元従者は。


 もたれていた壁から離れ、私は一つだけ剣を抜いた。

 アベル様は先日、敢えてチェスター達を見逃したという。我らも、殺せとも止めろとも言われていない。教えてやれとも。


『リビーさん…?』

『チェスター。お前は我が君の願いを知っていたはずだ。』

 第一王子に王位を継承させる事を。

 アベル様が兄を守ろうとしていた事を、お前は知っていた。剣を握る手に力が入る。


『裏切ったお前が、今更あの方に何の口出しをする気だ。』

『…俺にそんな資格がないのはわかってるよ。でも、今のこの国を見てたら……だって、違うだろ!アベル様は…』

 一足飛びに懐へ入った私の剣を、チェスターが顔を歪めながら短剣で防ぐ。

 ギギギと金属の擦り合う音が響く中で、伝わってくるのはただ困惑の気持ちばかりだった。


 お前が見ているのは何年前のアベル様だ?

 当時あの方の心を壊したのは、引き裂いたのは、お前のくせに。

 お前に裏切られ、兄を喪ってどんな思いで生きてきたと思っている。


 妹の仇を取れたから何だ。

 自分一人乗り越えた気になって、「違う」?

 何様のつもりだ。――反吐が出る。


 だんだんと眉が吊り上がり、腕に力が入る。このままねじ伏せてしまいたくなる。

『リビー。』

 剣を握っていない方の手を取って、ロイが私の名を呼んだ。

 思いきり眉を顰めて不満を示すが手は離れない。舌打ちしてチェスターの剣を弾き、距離を取る。


『またどこかで会いましょう、チェスター。あぁ、令嬢に会えないのは本当ですよ。今日は舞踏会の準備で、城へ泊まられていますからね。』

『待ってください!俺はアベル様に何があったか知りたいんだ!』

『教えないと言っているんです。貴方は部外者ですから。…さぁ、リビー。』

『……わかった。』

 抜いたままだった剣を、静かに鞘へ戻す。

 ロイが風の魔法で自分もろとも私を浮かした。困惑した様子のチェスターを一瞥し、何の言葉をくれてやることもなく私も宣言を唱え、姿を消す。




 そう、お前は知らない。


 アベル様の身に何があったのかも、この国に何が起きているのかも。


 そして、知ったところで…



 お前にできる事など、ありはしない。





『ロイ』


 血飛沫が上がった事が信じられなくて、名を呼んだ。

 致命傷を負うべきは私で、こいつではなかったはずだ。


『なぜ私を庇った……』

『行ってください、リビー。まだもちます。』

『私よりお前の方が速い!私を捨ててお前が戻るべきだっただろう!!それをなぜ…!』

『さぁ、なぜでしょう…ッ、フフ』

 襲い来る魔獣を叩き切って、ロイは私に笑いかけた。

 あの傷ではもう帰りつけない。どちらかは必ず戻らねばならないのに、かの者の裏切りを伝えなくてはならないのに。


『答えは、次にお会いした時にでも。さぁ、我らが主の元へ。』

『くっ…』

『伝えて頂けますか。…楽しかったですよ、と。』

『――必ず!』



 私は自分に出せる最高速度で城へ戻ったが、もう一歩早ければ救えた命もあった。

 やはり、ロイが戻るべきだったんだ。


 …私の事など、捨ておけばよかったのに。



『お前だけでも戻ってくれて助かった。…よく生きていてくれた。リビー』

『…ロイが…楽しかったですよと。申しておりました。』

『……そうか。』

 次に会ったら答えを言うなどとほざきながら、最期の言葉を託すなど。

 あいつを置いて行く以外、私に何ができたというのだろう。血が滲むまで拳を握っても、何も変わりはしない。


『遠征だ。片を付けるぞ』

『はい。どこまでもお供致します、我が君。』

『クロムウェル、お前に留守を任せる。』

『御意に。レナルドに持っていかれた魔力も、もう戻っています。』

 団長の言葉に頷いたアベル様は、手にした何かを数秒見つめ、懐にしまった。


『最後の人殺しだ。……待っていろ、――』


 微かに誰かを呼んで、歩き出す。

 この時も、アベル様が見事に敵将を討ち取った時も、これは戦争の終わりだと、私は思っていた。


 「最後」とは、これからの平穏を思っての事だと。






 地響きと共に床が揺れる。


 じきに崩壊するだろう玉座の間で、チェスターとカレン・フルードが信じられないというように目を見開いていた。

 視線の先ではアベル様が膝をつき、その身体からはボタボタと血が流れている。

 私は爪が食い込むのも構わず自分の腕を握りしめた。


『なんで……!』


 アベル様の血がついた剣を握ったまま、チェスターが叫ぶ。びしゃりと聞こえたのはアベル様が吐いた血が床に落ちた音。

 我が君は俯いたまま、ぼそりと呟いた。


『……もう、疲れた。』


 私は声を出さぬよう歯を食いしばる。胸が握り潰されるような感覚に襲われ、涙が溢れる。私は、私はとうとうこの方を支えきれなかった。

 叫び出したい衝動を堪える時、頭に浮かぶのはもういないあの男の顔だった。ここにいるのが私ではなくお前だったなら、結果は違っていただろうか。


『待って!治す、私が治すから!』

 呆然としていたカレン・フルードがはっとして駆けだしたが、床に入った亀裂が二人とアベル様の間を割いた。

 顔を上げたアベル様は口元をぐいと拭う。


『もう魔力がないだろう。早く行け…どの道助からない。』

『貴方が死ぬわけない!!』

 チェスターが叫んだ。

 強引に駆け寄ろうとしたその前へ瓦礫が落ちてくるのを見て、カレン・フルードが慌ててその腕を掴み引き戻す。チェスターの目には涙が光っていた。


『俺なんかの剣であんたが死ぬわけないだろ!!俺は……貴方を止めて、それで、アベル様に殺されるために、ここまで……!』

『ウィルはお前の死を望まない。』

 アベル様の言葉に、チェスターが愕然として動きを止めた。

 地響きが強くなり埃や天井の欠片が降り注ぐ。チェスターの腕を引きながらも躊躇う様子のカレン・フルードに、アベル様は笑みを作ってみせた。


『チェスターを頼む。』

『っ…わかった!』

『待ってくれカレン、俺は……アベル様!!』

 何度も振り返るチェスターを、カレン・フルードが強引に引っ張って走る。二人の後ろを塞ぐように瓦礫が落ちていく。もう戻ってはこれないだろう。


『俺は、こんな結末を望んでなんか…!』


 胸を引き裂くような声が、最後だった。




 玉座の間が壊れていく。




 床に倒れたアベル様の周りを、大量の血が彩っている。


『…リビー』

『ここにおります。』

 足音に気付いて呼んでくださった我が君の傍らへ、跪いた。

 背中へ腕を回して上半身を起こす。アベル様は少し、眉を顰めていた。


『お前も早く逃げろ。』

 彼らが来たら手を出すなという命令を守ったのは、チェスターにもカレン・フルードにも、アベル様を殺すつもりがなかったからだ。なのに。

『なぜ……避けなかったのですか。』

『ただの我儘だ。』

 アベル様はきっと、最初からそのつもりで彼らを玉座の間へ導いたのだろう。

 殺させるために、殺されるために。


 アベル様が退位するのなら、新しい王の陣営には、彼を倒せるほどの力があると諸国に示さねばならない。でなければ国はまた戦争の嵐だろう。



 …そんな事の、ために。



 地響きも、瓦礫が落ちていく音も何もかも、世界全てが壊れていくように感じた。

 私が動こうとしないのを見て、アベル様は諦めたように言う。


『……連れ出してくれるか。』




 抜け道を通って、私は森の中にアベル様をお連れした。

 ろくに力が入らない様子の身体をそっと横たえ、金色の瞳と目が合うと、視界は滲むばかりだった。嫌だ、嫌だ。懸命に涙を拭ってアベル様を見つめる。


『あいつらは、国を変えるだろう。…元の、ように……』

 国がなんだと言うのですか。

 私はただ、貴方が生きてくださっていれば、それでよかったのに。


『俺の代わりに、見守ってほしい。』


 涙が勝手に溢れて止まらない。

 私を知っている貴方は、私を生かすための命令を口にする。


 弱々しく伸ばされた手を握って瞬くと、涙がぽたりと落ちた。


『はい、アベル様。』

『…頼んだ。』

『私は……貴方にお仕えできて、本当に…幸せでした。』


 口元を覆う布を下ろして、精一杯微笑みを浮かべた。伝えたかった。感謝も、忠誠も、敬愛も、この心にある全てを貴方に捧げてきた事を、それを誇りに思っている事を。


『…ありがとう。リビー』


 アベル様は掠れた声でそう言ってくださった。

 そしてふと視線を横に向け、力なく笑い――…目を、閉じた。


 握った手から力が抜ける。微かに動いていた胸も止まっている。

 静かに吹いた風が、私の肩をそっと撫でていく。


『っ……う、ぅわぁああ゛あ゛ああああ゛ああ!!!!!』


 私は泣いた。

 喉が枯れ果てようと構わない、この方が私の全てだった。

 あの夜からずっと。


『申し訳っ…りません、申し訳ありません、アベル様……!』


 お守りできなかった。

 その心を、命を、私は。私は!!


『申し、け、…りませ……』


 恐れ多くもその頬に触れると、涙がとめどなく溢れ出す。

 まだ暖かく、けれど生きているそれよりも冷たくて、どうか置いて行かないでくださいと身体に縋り付く。もう聞こえていない事を知りながら、時を忘れて嘆き続けた。


 どうか、もう一度ご命令を。

 もう一度貴方の声を。


 私の名を、どうか。




『っ…う、うぅう……』


 ゆっくりと、ゆっくりと時間をかけて、私は生涯の主の墓を作った。

 私などでは相応しいだけのものが作れない。けれどそれ以上に荒らされてはいけない。これがあの方の墓標だとは知られない方が良いのだ。

 守るために使えなかった魔力を使いながら、寝食も忘れてアベル様の事だけを考えて整え、足が動く限り花を集めた。


『……アベル様』


 最後の祈りを終えて、私は剣を抜く。


 ――俺の代わりに、見守ってほしい。


 貴方は、そう言ってくださったけれど。


『申し訳ありません。』


 剣を胸に突き立てた。

 ここで、アベル様の元で果てたかった。ご命令に背いてでも、少しでも近くで死んでしまいたかった。

 たとえ貴方の願いでも、貴方がいない世界を見るのは苦痛だった。


『ご叱責、ならば…いくら、でも……』


 だから、だからどうかもう一度、私を。

 墓標とした岩に縋りつくようにして、私は倒れた。


 涙が血溜まりに落ちて溶けていく。

 どうすれば救えたのだろう。


 もし――もしも時を戻せるのなら、私はどうなっても構わない。

 アベル様を救い、彼が笑って過ごせるような世界を、どうか。


 どうか……





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ