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ハッピーエンドがない乙女ゲームの世界に転生してしまったので  作者: 鉤咲蓮
第一部 未来を知る者

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100.炎を吐くケモノ

 



「な…」


 それは誰の呟きだったのか。シャロンか、騎士か、アベルか。オオカミが火を噴いた、その事実に誰もが驚愕していた。

 周囲は森だ。火は当然、木々の葉に燃え移る。騎士が咄嗟に水の魔法を発動させ――


「まだ来るぞ!タリス、俺と共に前へ!モーベス、令嬢を守れ!」


 アベルの声でシャロンはハッとして視線を戻した。新たに三頭のオオカミが、いや、五頭に増えた。その後からもまだ来る。

 シャロンはナディアと共に騎士によって立たされ、後方へと庇われた。

 アベルは騎士が撃つ風の刃と狙いがかぶらないよう次々と矢を放ち、確実に絶命させながら指示を飛ばしている。


「トゥック、コテージへ!ディアナ嬢とケンジットの到着を確認しろ!ベアード、緊急信号放て!狩猟は中止だ!!」

「承知しました!」

「はっ!宣言、光よ――…」


 一人が即座に背を向けて走り出し、一人が宣言を唱え天高く光を幾つも放つ。

 後から後から出てくるオオカミとの距離が狭まっていく。炎を避けながら矢を放ち、アベルは剣に持ち替えて脇を通り抜けようとした一頭の首を切り裂いた。


「風向きを調整しろ、これ以上広げるな!シャロン、消火を手伝え!」

「はい!」

 オオカミの数が多過ぎる。

 タリスと呼ばれた屈強な騎士とアベルでオオカミを相手取り、シャロン達の前に立つモーベスは魔法で二人の援護をしつつ、走り抜けてくる僅かな数を討ち取る。

 ベアードは視界全域で風の魔法を発動し、延焼を食い止めつつ水の魔法で消火も並行していた。その間にもオオカミ達の吐き出す炎が新たに追加されていく。

 使えるものは使うと判断したアベルに応えるべく、シャロンは迷いなく狙いを定めた。


「宣言!水よ、燃える木々のもとへ!どうかあの火を消して!」


 騎士が放つ魔法より範囲は狭いが、シャロンの加勢で炎は確実に減り始める。集中の比重を水の魔法より風の魔法へ傾け、空を見たベアードが目を見開いた。

「殿下!第一王子殿下の側からも信号が!向こうも戦闘中のようです!」

 アベルは顔を顰めて舌打ちし、炎を吐きながら襲い掛かってきたオオカミを下から串刺しにした。ボヒュ、と死に際に吐かれた小さな火の玉が空中に消える。


 ほんの一瞬、静寂が満ちた。


 オオカミ達の突撃が終わったのだ。どさりと落ちた最後の死体から視線を上げ、アベルは剣についた血肉を振り飛ばす。周囲の木々からはまだ細い煙が上がっているものの、もう炎の気配はなかった。

 死骸を避けて歩きながら剣を鞘に納め、モーベスが一礼して退いた先、少しだけ息を切らしたシャロンの前で、アベルは立ち止まる。


「無事だね。」

「えぇ、お陰さまで。ちょっと、緊張したけれど。」

 未だどきどきと鳴る心臓の音を聞きながら、シャロンはへらりと笑った。緊張が解けたばかりでは、変な笑い方になっているかもしれないと思いもしたが、自分は大丈夫だと示すためにも笑顔を浮かべていたかった。


 ポケットからハンカチを取り出して手を伸ばす。アベルの眉が僅かに動いたが、彼は拒む事はしなかった。頬にべったりとついた返り血を優しく拭い、シャロンは目尻を下げて微笑む。


「守ってくれてありがとう、アベル。」


 ヒュウと口笛を吹いてしまったタリスが、アベルに思いきり睨まれて目をそらした。新兵時代だったらチビっていたかもしれない。

 そんなやり取りに気付かないシャロンは、今使ったハンカチが自分のではなくアベルに返す予定の物だと気付いてはっとする。慌ててポケットにしまい直そうとした手を取られ、ハンカチは奪われてしまった。


「君の助力も助かった。礼を言う」

「役に立てたならよかったわ。騎士の皆様も、お救いくださりありがとうございました。」

 シャロンは騎士一人一人と目を合わせて微笑み、最後にナディアを振り返る。

 青ざめて固まっていたらしい彼女は、シャロンに振り返られてギョッと目を瞠った。その瞳が地面に倒れたオオカミ達の死骸を、返り血を浴びたアベルを見る。


「ナディア様、大丈夫ですか?震えて…」

「いやっ!!」

 肩を支えようとしたシャロンの手をはねのけ、ナディアは一歩、二歩と後ずさった。

 生き物が絶命させられる瞬間を見たのは初めてで、血を浴びた王子も、怖がらず平然と微笑む令嬢も不気味だった。

 シャロンが目を丸くしてぱちぱちと瞬きする。


「アベル殿下、第一王子殿下の元へ向かわれますか?ご令嬢は俺とモーベスでコテージに送りましょう。」

「加勢に行くなら俺も付き合います。」

 今は令嬢同士のやり取りを気にする時ではない。ベアードが自分の胸に片手を当てて丁寧に尋ね、タリスが腕に力こぶを作ってみせる。


 口を開きかけたアベルは、何かに気付いたように素早く矢を弓につがえた。まだ気配を感じてはいなかった騎士達も、彼の反応に合わせて臨戦態勢に戻る。

 オオカミ達が来た方向から、パキパキと枝葉を折る音が聞こえてくる。


 現れたのは、体長三メートルはあろうかというクマだった。

 灰色の毛並みに瘤のように盛り上がった肩を揺らし、数百キロはあるだろう巨体が近付いてくる。


「…ベアード、モーベスと共に令嬢を連れてコテージへ。」


 相手を刺激しないよう、振り返らず声を低めてアベルが言う。

 クマは確実にこちらを捕捉している。戦闘は避けられない。


「タリス、刃はまだ撃てるな?足元を崩すつもりでやれ。距離を詰めさせるな」

「承知!」

「では合図で各自動け。三、二…」

「も…もう嫌ぁああああ!!!!」

 緊張に耐えられなくなったナディアが、金切り声を上げて山道を駆け出した。

 タリスがギョッとしてナディアを振り返り、慌てて視線を戻す。


「ナディア様!」

 ベアードとモーベスがシャロンを連れて後を追う。

 もう数秒の我慢はできなかったのかと、アベルは苦い顔で弓を引き絞った。


 彼女の大声でペースを乱されたのはクマも同じだった。ゆっくり歩いていたはずがその場に止まり、不快そうに頭を振って大きく口を開ける。

 その左目を矢が射抜いた。

 吼えるか、あるいは炎かと思われた口からは何も出ず、いや――


 狙い定めた突風が、巨大な拳のようにタリスの身体を吹き飛ばした。





 木々がなぎ倒される轟音が聞こえ、シャロンはつい足を止めて振り返る。


「シャロン様!今は…」

「っ、ごめんなさい!」

 モーベスに注意され、再び走り出した。通常であれば足の遅い令嬢を騎士が抱える方が速いが、シャロンは脚に魔力を流して彼らとそう変わらないスピードを保っている。

 さすが公爵家ともなれば足腰も鍛えているのか、と勝手に納得しながら、モーベスは道の先にベアードに腕を掴まれたナディアを捉えて安堵した。


「離して!離してよ!!」

「お一人では危険です!我々と共に居てください。今は緊急事態なのです!失礼ながら、抱えさせて頂き…」

「ベアード、後ろだ!」

 振り返ったベアードの喉に喰らいつこうとしたオオカミを、モーベスの剣が叩き切った。血の代わりに火の粉を吐いて、オオカミが地面に落ちる。

 草むらから更に四頭が姿を現した。


「またこいつらか…!」

「シャロン様、ナディア様、我々の後ろへ!」

「はい!」

 シャロンは騎士の後ろへ回り、嫌がるナディアの腕を捕まえる。

 パニックになっているのか、彼女は涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら激しくもがいた。シャロンの手を振り払おうと躍起になっている。


「離して、やだやだ来ないで!」

「騎士様が来なければ貴女一人、このオオカミに襲われていたのよ!お願いだから、一緒に…痛っ!」

 鋭い痛みに顔を顰め、シャロンは反射的に手を離した。手の甲についた引っかき傷からタラリと血が流れている。

 オオカミがいる山道は通れない。後ずさったナディアは草木に覆われた道なき道へと逃げ出した。


 ベアード達はナディアの行動に気付いたものの、炎を吐く獣に背を向けるわけにはいかない。団服の裾を焦がしながらオオカミを切り伏せた時にはもう、シャロンの姿も無くなっていた。




「ナディア様、お願い待って!落ち着いて話しましょう、危ないから!どうか…!」

「来ないで!来ないでよ!!」

 もう何から逃げているのかもわからずに、ナディアはただ走っていた。草木が擦れてスカートや皮膚が裂け、よろめいては恐怖に慄いて前へと走る。

 まともな道であればシャロンの身体強化で追いつけたのだろうが、障害物を避けつつ説得に声を張り上げながらではそうもいかない。

 どこからオオカミが現れるかわからない恐怖に怯える心を押し隠し、前で揺れる桃色の髪を追いかける。


「止まって!ね、騎士様とコテージに下りましょう!このままじゃ道に迷ってしまうわ!」

「騎士が来た途端にオオカミが出た!だったら一緒にいた方が死んじゃうわよ!」

「そ、そんな事な――ダメ、前!前を見て!!」

「え……」

 前を向いてはいたが、無我夢中で走っていたナディアはシャロンの声で改めて先を見た。

 パッタリと草木がなくなり、拓けている。晴天がよく見える。

 つまり――崖だった。


「ナディア様っ!!!」


 足は止めなかった。怖気付いたら手は届かない。

 シャロンはただ彼女のもとへと地面を蹴り、腕に魔力をこめた。服を掴み、全力で崖上へと投げる。細かな調整をする余裕はなかった。ナディアが手から離れた途端、魔力が尽きた事を悟る。それにまだ、風の魔法で自分を浮かす事はできない。


 ――あぁ、駄目。まだ、チェスターの家族を…彼を、救えてないのに……


 ぐるりと回る視界で、数十メートル先に木々が生い茂っている。浮遊感に血の気が引く。目を閉じたらそれこそ終わりとわかっているのに、シャロンの意識は真っ暗に閉ざされた。




「きゃぁあああッ!!」


「ナディア様!?」

 必死で令嬢達の後を追っていたベアードは、突如飛んできたナディアに瞠目し慌てて受け止めた。周囲に視線をはしらせ、シャロンがいない事とこの先が崖である事から――青ざめる。


 風の魔法で助けるには、視界に入っていなくてはならない。見えないと発動しないのだ。宣言を唱える時間も必要だ。たった今崖の下を覗き込めていたとしても、間に合ったか怪しい。

 ナディアを受け止めてバランスを崩した今の状態から、彼女を下ろして走ってもとても間に合わない。モーベスに最後の一頭を任せて先に追ってきたので、彼の手も借りられない。

 そんな思考が一瞬で巡り、


 横を黒い影が駆け抜けた。


 口を開けても咄嗟に声が出ない。

 誰が止める間もなく、第二王子は崖下へ飛び込んでいってしまった。




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