プロローグ
「まずいじゃないのーーー!!!!」
その日、アーチャー公爵邸の庭に私の悲鳴が響き渡った。
◇
私の名前はシャロン。
ツイーディア王国に五つある公爵家の内の一つ、アーチャー家の長女だ。
薄紫色の長い髪と瞳はお母様譲りで、今日十二歳の誕生日を迎えたばかり。
五月、白い雲がぽつぽつと浮かぶ空は晴れ。
誕生日祝いのガーデンパーティーで、私は淑女の微笑みを浮かべたまま……ひどく、緊張していた。
予想だにしなかったわ、今日この場が王子殿下とのご挨拶になるなんて。
城へ拝謁に行くならまだしも――まだ子供の私にはそれすら畏れ多いけれど――こちらへ来て頂くなんて。
お父様は国の重鎮とはいえ、何も今日…。
当日ともなれば緊張は限界に達している。
招待客の皆様に気付かれないよう微笑んではいるものの、心臓がどきどきとして…こ、呼吸が苦しい。
「落ち着いてください、シャロン様。きっと大丈夫ですよ。」
挨拶が落ち着いた頃を見計らって、メリルは水の入ったグラスを渡しながら声をかけてくれた。
オレンジ色のボブヘアに同じ色の瞳をした、私の専属侍女だ。
「ありがとう、メリル。でも、お二人共いらっしゃるのよね?私なんかのために来て頂いて、もしも失礼があったらと思うと…」
「私なんかなんて、そんな風に言わないでくださいませ。シャロン様は素敵なご令嬢ですし、旦那様は国王陛下とも懇意にされております。万一失礼があったって、悪意がないのですから大丈夫です、きっと。えぇ、きっと、恐らく、たぶん…きっと。」
「…そ、そうね……。」
繰り返し言われるとかえって不安に思えてくるけれど、あまり堅くなり過ぎては対応もぎこちなくなってしまうかも。
私は小さくため息をついて庭を見回した。
招待客はアーチャー家と親しい貴族の方々に絞られていて、それも大人が多い。お父様達との話ついでに私を見に来たようなものではないかしら。
既に到着された方々とは挨拶を済ませているので、私は王子殿下が来るのはいつかとソワソワしながら、目はずっと《彼》の姿を探していた。
「……バーナビーはまだかしら。」
「きっと、もうすぐいらっしゃいますよ。」
「早く会いたいわ。」
彼は私と同い歳で、私と二人で遊ぶことをお父様が許した唯一の貴族令息だ。
家が厳しいそうで時々しか会えないけれど、もう五年ほどの付き合いになる。幼馴染と言って差し支えない。
私は婚約者のいないご兄弟がいる令嬢の家へ遊びに行く事さえ、お父様から禁じられていた。下手をすると相手の未来が潰れるらしい。
茶会に令息がいてもご挨拶と世間話程度だけれど、バーナビーとは色んな話をしてたくさんの時間を過ごしてきた。
彼の穏やかな笑顔を見て、優しい声を聞いて、いつものように話ができたら…きっと落ち着けると思うのに。
どうしてまだ来ないのだろう。
私は彼の家名を知らない。
敢えて言わないのだと思ったから聞かなかった。
行くと返事はくれたものの、今まで他のお客様がいる時は決して来ず、彼一人で遊びにきていたし……やっぱり他の招待客がいるのは嫌だったかしら。
なんて考えていたら、会場が不意にざわついた。
「いらっしゃったわ!」
大人達が囁き合う。入口へ視線が集中する。
従者と護衛騎士を後ろへ連れて堂々と歩いてくる二人の少年に、誰もが道を開けていた。
青を基調として金の刺繍を施された正装に身を包んでおり、私のお父様とお母様に挨拶するそのお顔は――お顔は、あれ?
私もそちらへ行くべきなのに、足が動かない。
「ねぇ、メリル?」
「はい、シャロン様。」
「あれは……バーナビーよね?」
「そうですね、バーナビー様です。あっ、こちらにいらっしゃいますね。ささ、前へどうぞ。」
「メリル!?」
頭がうまく働かない私の背を傍目には丁寧な仕草で押しやって、一礼したメリルは下がってしまった。
混乱しながらも視線を戻すと、美しい金の長髪を後ろで一つにまとめ、爽やかな青い瞳をした私の幼馴染が目の前で立ち止まる。
「初めまして、アーチャー公爵令嬢。俺はツイーディアの第一王子、ウィルフレッド・バーナビー・レヴァインだ。」
照れたような、申し訳なさそうな顔で…でもほんのちょっぴり悪戯っぽく、彼は微笑んだ。
「…バーナビー……。」
「黙っててごめんね、シャロン。これからは俺のこと、ウィルって呼んでくれたら嬉しい。……驚いた?」
思わずぱちぱちと瞬きした。
まさかの第一王子殿下だった私の幼馴染は、私が言葉を出せずにいるとだんだん眉を下げ、まるで叱られるのを待つ子供みたいな顔になっていく。
誰がどう見ても我が国の王子殿下という格好なのに、よく見慣れた表情をするものだから……つい、頬が緩んだ。
「ふふっ、驚かなかったらすごいと思うわ。」
私は淑女の礼をするべくスカートをつまみ、片足を下げて腰を落とす。
「初めまして、ウィルフレッド第一王子殿下。アーチャー公爵家長女、シャロンと申しま――…」
ガン、と。
頭を殴られたような感覚があった。物理的にではない。この場で私を殴るような者はいないのだから。
でも確かに衝撃がはしった。驚いて、一瞬わけがわからなくなって、瞬く。
「シャロン?」
気遣わしげに声を掛けられて顔を上げた。
少し寂しそうな、不安そうな表情のバーナビーと目が合う。あぁ、体調が悪いわけではないと言わなくちゃ……待って。
バーナビーが――…この方が、ウィルフレッド第一王子殿下、なの?
彼の姿が一瞬ぶれて、画面に映った絵が見えた気がした。
……今のは?
それに、《画面》って何?そんな単語は知らないわ。
どうしてバーナビーは倒れていたの?怪我を、あんなに血が出ていて……私はいつそんな貴方を見たのかしら。
夢の中?いいえ、いいえ!私は貴方がそうなる事を知って…
――なにか、おもいだしそうなきがする。
「ウィル、僕もいいかな?」
「あ、あぁ……」
肩につかない長さの、少し癖のある黒髪の少年が歩み出た。バーナビーとお揃いの服を着ている。
バーナビーが――ウィルフレッド殿下が襟元まできっちりボタンを閉めているのに対して、こちらはボタンを二つほど開けて着崩していた。
「僕は本当に初めまして。第二王子、アベル・クラーク・レヴァインだ。」
冷ややかな金色の瞳と目が合う。
ガンッ!
もう一度、大きく頭が揺さぶられた。脳裏にかつて見た光景がよぎる。
返り血に塗れた黒衣と剣。
こちらの心臓を突き刺すような冷たい瞳。
そう、貴方はあの子さえも殺したの――…
ふらりと一歩後ずさった私の唇が、無意識にその名を呼んだ。
「アベル、皇帝陛下……」
その瞬間、濁流のようにかつての記憶が蘇る。
目を見開き、身体を硬直させた私の前で二人がきょとんとしている。
まだ幼いので、特にアベルは動揺の少ないキャラなのでとても珍しく、二人とも愛らしいなと頭の片隅で考えたけれど――そんな場合ではない。
思い出してしまった。
私は前世、こことは全くの別世界で生きていた事を。
その中でプレイした、登場人物と主人公の女の子が恋をする「乙女ゲーム」というジャンル。
知っている。
この二人を、この世界を。タイトルも覚えている。
【ツイーディア王国物語~凶星の双子~】
――これは、私が泣き叫びながらプレイしたゲームの世界だ。
「…皇帝?ふふ、面白いね。初対面でわけのわからない。」
「シャロン、大丈夫か?顔色が……」
二人の声を遠くに聞きながら、私は血の気が引いていくのを感じていた。頭が冷えていく、目の前が暗くなっていく。
どうしたらいいの?
界隈で物議を醸したゲームだった。なにせ公式で「ハッピーエンド」が存在しない。
そしてとにかくキャラが死ぬ。攻略対象ですら本人のルート以外で大体死ぬ。
ついでに言うと、私ことシャロンは全ルートで死ぬ。
つまり、端的に言って。
「まずいじゃないのーーー!!!!」
お客様の、それも王子殿下の目の前だという事も忘れて私は叫び、意識を手放した。
誰かに背中を支えられる感覚が、最後だった。




