あなたの恋は叶わない
あけましておめでとうございます。
新年早々こんな小説です。
今年もよろしくお願いいたします!
―――時が、止まってしまったかのようだった。
「……あら?」
「……ん?」
息を呑んで、言葉を絞り出す。
寝ぼけ眼を擦って、これが現実かを確かめても、それは紛れもなく本物の彼の姿だった。
「偶然ですね。こんなところで何をしてるんですか」
「訊くまでもないだろ。初詣だよ、初詣」
そんな、わかりきっていることを意味もなく訊いてしまう。私の服装は変ではないだろうか。髪は大丈夫だろうか。……あはは、柄にもない。
「あの着物、着てないのな」
「当然です。一人で初詣に行くのに着物着るバカがいますか」
そうか、と呟く彼の表情は、どこか残念そうに見えて。いつか見せた着物姿に、ひどく興奮していたことを思い出してしまった。……ふふ、やっぱり、着てくればよかったかもしれない。
「お一人なんですね。まだ新しい彼女さんはできないんですか」
「……ふん、前回は失敗したからな。次こそはいい子をきちんと見極めてから付き合うさ」
「ふふ、見えすいた強がりは弱く見えますよ」
あぁ、これだこれだ。本当に、懐かしい。
こんな軽口を叩けることが、なんだかとても幸福であるように思えて。
「お前こそ、彼氏の一人や二人、簡単に出来るんじゃなかったのか」
「……作る気がないだけですよ。恋愛沙汰が、少々面倒になってしまったので」
「へっ、お高くとまりやがって」
そう吐き捨てた彼は、それでいてどこか楽しそうな顔をしている。私は今、どんな表情をしているのだろう。……もしかしたら、彼と同じような顔をしているのかもしれなかった。
「……はぁ、変わらねぇな。その性格の悪さも、生意気さも。大体お前はいつだって―――」
「あらあら、相も変わらずよく回る舌だこと。キスは下手なのに、どうしてこんな時だけ回るんですかね」
「ほっとけ」
あはは。あぁ、本当に愛おしい。
*****
「……ふぅ。やっぱり寒いですね」
「そうだな」
「甘酒買ってきてくれてもいいん――」
「断る」
「……はぁ、ツれない人ですねぇ」
食い気味に拒否して、どうしたのだろう。以前なら、「ん、そうだな」とか何とか言って買ってきてくれただろうに。
「お前、そう言って列から俺を出す気だろう」
「……はぁ?そんなことしませんけど」
「嘘つけ」
「……あなた、そんな捻くれてましたっけ?可哀想に。よっぽど酷い女に捕まってしまったんですね」
「お前じゃい!」
うぅむ。どうやら、彼は相当拗らせてしまっているようだ。……はは、まぁ、全部私のせいなんですけれどね。
「というか、あなたが普通に寒そうだから気を遣ってあげたんですけど」
「寒そうに見えるか?」
「えぇ。この真冬に手袋してないとか、狂気の沙汰ですよ」
「……忘れちまったんだよ」
「はいはい。風邪引く前に、甘酒であったまりましょうね〜」
「……チッ」
彼が静かに列を離れていく。
……彼が手袋をしてない理由なんて、何となくわかっていた。
きっと、私のせいだ。
私がプレゼントした、いつかの手袋を履く気分にはなれなかったのだろう。
新しい手袋を買えばいいのに。……本当に、不器用な人だ。
だとするならば。彼はまだ、私を引きずってしまっているのだろうか。
それは、ダメだ。
過去の女の私が、彼を縛る枷になっては、いけない。
そう。わかっているはずなのに。
心のどこかで、少しだけ。
ほんの少しだけ、喜んでいる自分の存在が、本当に情けない。
彼と別れて、気がつけばもう三か月が経ってしまった。本当に、あっという間だった。一日一日を噛み締めて生きてきたつもりなのに。日々は残酷なまでに冷淡に流れていって。
私が選んだ道なのに。
私が決めたから、私は今ここにいるのに。
何度も何度も考えた。悩んだ。後悔した。だから、もう、充分なのに。
……あぁ、どうして私は、あの時――。
「……ぃ。おい、どうした?」
「……ッ、いえ、すみません。少しうとうとしてました」
「はは、考え事だろ。バレバレなんだよ」
「……ウザいですね」
「ほれ、甘酒。めっちゃ暖かいわ」
「ん、ありがとうございます」
「……あんまり、考え込まないようにな。いっつもお前は一人で考えて、一人で抱え込む」
「何ですか、急に彼氏面して。……でも、まぁ。ありがとうございます」
「……おう」
甘酒が胸に染みる。
……私にもう少し勇気があれば、なんて。そんなこと、もう、意味なんてないですよね。
「……そういえば、お願い事はもう決めたんですか?」
「ん〜、そうだなぁ。まぁ、大体は」
「へぇ。どんなのですか?」
「あぁ、ダメダメ。人に話すと叶わなくなるっていうからな」
「いや、それだから訊いたんですけど」
「素直に最低だな」
それだから、こうしてまた私は誤魔化してしまう。……本当に、情けない。
「そういうお前は?」
「ふふ、ひ・み・つ、です」
「うわぁ……」
「その引き方は流石に傷つきますよ?」
*****
「ふぃ〜、やっぱり混んでましたねぇ」
「……本当な……正直疲れたわ」
二人、肩を並べて雪道を歩く。
手を繋ぐことができないのが、なんだか無性に寂しい。
「―――はは、あれさー―――」
「ふふ。えぇ。えぇ」
こうしていると、まるで昔に戻ったかのようだ。
彼が楽しそうに私に話しかけて。それに私が笑いながら頷く。
ただそれだけの時間なのに、幸せだった。それだけの時間が、幸せだった。
この楽しい時間が、日々が、永遠に続くと思っていた。そう、信じていた。
「……ん、この辺りでお別れですね」
「……おう。そうだな」
あぁ。そんな顔で、寂しげに呟かないで。私までここに居たくなってしまう。
もし、このまま二人でここに居られたら。
ずっと、ずーっとこの交差点に二人で佇んで。あなたが私を置いていってしまうことなんてなくて。私もあなたに遅れてしまうことなんてなくて。
あぁ。それはきっと、よく熟れた林檎のような、甘い甘い誘惑だ。
でも、そんなことでは幸せになれないから。私しか、いや、私さえも幸せになれないから。
そんな妄想に、意味はない。
「……なぁ、俺さ―――」
「――ねぇ。私のお願い事、特別に教えてあげましょうか?」
だから。彼の言葉を遮る。
伸ばされた手を、振り払う。
「……いや、別に」
「あら?存外優しいんですね?聞けば私のお願い事が叶わなくなるというのに」
「……ふん、そんなのどうせ俗説だろ」
「じゃあ、教えても問題ないですね」
「……好きにしろ」
私は、もう、ここまで。
あなたと共に前に進むことは、私にはできないから。
だから、私はここで、あなたに手を振ります。私はここで座ることにするから。あなたは前へと進み続けて。
「ふふ。私のお願い事は――」
「あなたが不幸になりますように」
「なっ……!」
「あなたのことが、私は死ぬほど嫌いでした。昔も、今も」
これで、いいんだ。
こんな最低な私のことなんて、嫌って、憎んで、忘れて。
私には、もうあなたの背中を押す権利なんてないから。
だから、あなたが新たに歩き出す邪魔だけは、したくない。
背中を押す代わりに、前へと進むための怒りを、憎しみを。きっとそれだけが、私が最後にできる、あなたへのプレゼントだから。
「だから、不幸になってください」
大丈夫。あなたは不幸になるような男の人じゃない。その優しさも、不器用さも、どこか抜けているところも。あなたは良いところが沢山あるんだから。
それに。私が願い事を言ってしまったから。きっと、こんな願いは叶わないよね。あなたは不幸になんて、ならない、よね。
「……お、俺は!!お前の、幸せ、を……!!なん、で……」
「……ふふ。本当にあなたは、底無しのお人好しですねぇ」
そう。知っていた。きっと、あなたは私の幸せを願ってくれる。……それだからこそ、心が苦しかった。
私の幸せは、あなたが幸せでいること。
それなのに、私が彼の足を掴んで、身動きを取れなくしてしまっている。あなたをここに、繋ぎ留めてしまっている。
それだけは、私のプライドにかけて、嫌なんだ。
だから、ここで、終わらせよう?
あなたが前へと進むために。
あなたを掴む私の腕ごと、切り捨てなきゃ。
「……俺は!!」
さぁ。言って。
あなたが未来へ歩むための、たった一つの呪いを。
「お前の幸せを、願っていた!」
うん。それで、いい。
「お前のことが好きだった!心の底から!別れてもまだ、忘れられなくて!お前の代わりなんて、誰もいなくて!」
あぁ。幸せだ。この期に及んでこんな言葉を聞けるだなんて、私はなんて、幸せ者なんだろう。
―――だから、私は嘘を吐く。
「……あはは、哀れですねぇ。過去の恋に縛られて。くだらない愛を叫んで。そんなもの、誰にも届かないというのに」
……ふふ、本当に、嬉しいですよ。そんなにも私のことをまだ、想っていてくれていたなんて。あぁ、やっぱり、普通に復縁すべきだったかなぁ。いや、でもそれは。……なんて、後悔したって、何の意味もないか。ふふ、それなら私の人生なんて、何の意味もないのかもしれない。
「……だけど。俺だけだったんだな。どれだけお前を愛したって、何の意味もなかった。はは!本当に、馬鹿みたいじゃねぇか!」
そんなことない。私だって、あなたのことが大好きだった。愛していた。本当は、ずっとあなたの隣にいたかった。その道を選ぶこともできた。
だけど、その道は、あなたが幸せになれない道だったから。
だから、私は選んだんだ。
この、くだらない結末を。
「あぁ、なんだかスッキリしたぜ!逆に助かったよ。そこまでハッキリ言ってくれて、さ」
「……あら、言わない方がよかったかしら」
そう言って二人で笑い合う。
お互いに侮蔑の目をして嗤い合うなんて。……まぁ、私たちには相応しい結末だろう。嘘。本当は、とっても悲しい。
「それじゃあな。もう二度と会うこともないだろうが」
「……えぇ。本当に、そうですね」
二度と会うこともないだろうし、笑い合うことももうないだろう。
それがなんだか、酷く悲しくて。
それでも、声が詰まらないように。声が上擦らないように。……涙が溢れないように。
最後の言葉を紡ぐ。
「それじゃあ」
「「おシアワセに」」
***
「もしもし、お母さん?……全部、終わったよ。本当にこれでよかったかはわからないし、後悔しかないけど。まぁしょうがないかな」
雪道の中、車輪の跡を歩く。
「……まさか、私がこんな早く死ぬことになるなんてねぇ。余命宣告三ヶ月とか。本当、ふざけんなって感じだよねー」
喧騒はもう、聞こえない。
「……お母さんも言ってたけどさ、本当に、突然くるものなんだね。死期っていうのはさ。くだらない徒然なる毎日の中で」
昇り始めた太陽が、広い空を照らす。
「……まぁ、もうすぐ逝くから。お土産楽しみにしといてよ」
「ーーになった電話番号は現在ーー」
「ふぅ」
息を吐く。
冬は好きだ。
私の息が、私の生きている証が、白く目に見えるから。
三秒も保たずに消えてしまう、くだらない命でも。誰にも辛い思いをさせず、感傷だけを遺して死んでいく息が、羨ましかった。
……私を背負って生きていくなんて、彼には絶対にさせたくなかった。死ぬ瞬間まで一緒にいるのが愛だ、と言われているのもわかってる。ある意味で本当に残酷なことをしたのもわかってる。
でも、これで。私は最低な女として彼の頭には残って。そして私よりもいい女の人と一緒になって。思い出の中の私は静かに消えていく。この白い息と同じように。
あなたが幸せなら、それでいいんだ。
私のほんの少しの不幸で、彼の幸せが買えるなら。……ほら、随分と割りの良い取り引きだとは思いませんか?
チラチラと降り始めた雪が、私の足跡を消していく。私の生きた証を、その全てを。静かに、静かに。
……やっぱり、冬は嫌いだ。
冬という季節は、消えていくものが多すぎる。
「……はは」
……なんだか、どっと疲れてしまった。安心したからだろうか。身体も瞼も、鉛のように重い。帰ったらすぐに寝よう。今日はきっと、良い夢が。最高の初夢が、見られるはずだ。