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第59話 僕だけの手段

 アゼスさんとアセナは、宙を舞うハティに意識が向いている。僕は恐怖で巨大なオオカミの一挙一動を見ていたから、いち早く気が付いた。

 巨大オオカミの攻撃対象が、ハティではなくアセナであることに。


 一瞬だった。


 大きく口を開け、無防備に上を見上げて晒される喉へ、飛び掛かる巨大オオカミ。


 鼻が利くというヤツは、目が見えていないにも関わらず寸分の狂いなく、アセナの首元をとらえる。


 ――キィィィィィン


 耳の奥に刺さるような甲高い音。


 僕の買ったばかりの短剣は、いとも容易く砕け散った。

 同時に巨大オオカミの牙も1本折れて、驚いたオオカミがサッと僕らから距離をとった。

 何が起きたのかと、必死に痛みの原因を推測している。


「ニ……ケ……?」


「――っ!!は、はっ、」


 僕は急に流れ込んでくる空気に、犬のように浅い呼吸を繰り返した。ガタガタと震える手足は相変わらずで、あの重たい一撃をもろに受け止めた僕の腕は、痛みで悲鳴を上げていた。

 同時に、太ももにも強烈な痛みが走り、倒れこむ。


「あ……、ま、まに……、あった……。」


「ニケ……!!!あなたって、ほんと…………、ほんとにっ!!いま回復を!」


 アセナが泣きながら僕にしがみつき、そのまま継続回復のスキルをかけてくれる。

 僕は爆発的に力を出したせいか、あるいは体が動作についていけなかったのか、脳がキュッと絞られるように痛み、視界が定まらない。


「あ、アセナ……、ハティは……?」


「大丈夫よ。しっかり着地して、いまはアゼスと一緒に巨大オオカミ(ヤツ)の気を引いてくれているわ。」


 いまだに大きく揺れる脳で音声までぼやけているが、とにかくみんな無事だということがわかって、僕はほっと息を吐いた。


「…………ありがとうニケ。助けてくれて。グスッ。」


「あ、アセナ……?えっと、な、泣いてるの?」


「――っ!泣いていないわ!!ニケの方こそ、痛みは?まだあるかしら?」


 アセナに支えられて何とか立ち上がると、思ったより痛みは引いていた。

 まだちょっと攣った程度の痛みはあるけれど、立てないほどではない。


「あ、えっと、たぶん大丈夫、かな。その……、ありがとう。」


「お礼を言うのは私の方よ。それよりも…………。困ったわね。

 いくら弱っているといっても、このまま逃げてもまた同じように、他種のオオカミを利用して囲われるだけよね……。

 かといってハティがトドメを刺しきれなかった以上、あの新種のオオカミを倒す方法は無くなってしまったわ。」


 彼女の言葉に、僕はビクリと肩を揺らす。


 実は、ある。最後の手段が。


 そっと手を触れるのは、"黒死蛇(ブラックパイソン)の牙"。あの小気味悪い白牙は、その猛毒によってただほんの少しだけ掠れば、それで致命傷だ。

 そして僕は兄さんの行動をなぞることによって、おそらくこの牙をあの巨大オオカミに届かせることが可能だ。


 ただし、この恐怖に打ち勝つことができたなら。


 アセナを庇った時は、体が勝手に動いたといっても過言ではない。

 もはや何もかもが頭から抜け落ち、ただアセナを守る、そのことが意識も体も、僕のすべてを支配した。

 だからこそ、動けた。以前アゼスさんをスケルトンから庇った時も同じだった。


 それに僕は、アゼスさんからもアセナからも兄さんの姿を真似ての攻撃を、禁止されている。

 先ほどアセナを庇った時のように、体に負荷がかかりすぎて、動けなくなってしまうという危険があるからだ。

 もしも僕が恐怖に打ち勝ち、黒死蛇の牙を巨大オオカミに届かすことに成功したとしても、巨大オオカミに毒が回るまでの間、僕は完全に無防備だ。

 アセナもかなりの回数、継続回復のスキルを使用している。あと何回使えるかわからない。


 最悪の場合、待っているのは――死。


 でも――。


「僕が、やらないと。」


「えっ、ニケ……?」


 アセナとアゼスさんでは、巨大オオカミのスピードに追い付けない。

 ハティでは、僕ら人間のようにしっかりとグリップを握れないから、黒死蛇の牙を誤って自分に触れさせてしまう可能性が高まる。

 今は僕の道具袋がないため、解毒剤はない。


 僕が…………、いくしかないんだ。


 僕は守りたい。アゼスさんも、アセナも、ハティも。みんなを守りたい。

 僕にとって彼らは家族でも、恋人でも、相棒でもない。

 

 でも、大切な友達なんだ。


 村で一人ぼっちで泣いていただけの、兄さんにただ慰めてもらっていただけの、パライさんにコレクションとして連れられていただけの……あの時とは違う。


 そうだ。僕は死ぬのは怖い。

 でもそれ以上に、守りたいんだ。この人たちを。


「……僕がやる。いまからもう一度、兄さんの真似をしてみる。だから、僕が動けなくなったら、全力で助けてほしい。」


「なっ!!やめてちょうだい、ニケ!確かにあの動きをできたら、もしかしたら……。でも、危険すぎるわ。だって、ただ攻撃を当てるだけでは駄目なのよ?

 武器も割れてしまったのだし、あの硬い毛皮に傷をつけるなんてできないわ。

 そもそもあの動きをした後ニケは、動けなくなってしまうじゃないの。ニケがもしも、もしもよ、その……、し、死んでしまったら、私は……。」


「うん。大丈夫だよ、アセナ。武器ならこれがある。」


「…………?もう一本、持っていたの?でもそれが一体――」


 完全に平静を失って「いやいや」と首を横に振るアセナを、僕はゆっくり静かに宥めるように話す。

 そんな僕の様子に、何かを感じ取ったのか、アセナは潤んだ瞳に少しの期待を混ぜて僕を見上げる。


「"黒死蛇の牙"だね……。アセナさん、この短剣は掠っただけでも、数分で死に至るほどの猛毒を付与することが出来るんだ。

 ニケ、君が出来るっていうなら、僕は君に賭けてもいいと思う……。というよりも、いまあの巨大オオカミを倒せるのは君だけだと思う。

 スケルトンを相手にしたときの、君の動きは間違いなく一流のものだった。

 解毒剤もないし、僕らが動けなくなった君を助け出せる確証もない。それでも、やってくれるのかい?」


「ニケ……。」


 アゼスさんは不安と期待、それからわずかな希望をはらんで、僕に問う。そしてアセナはただ僕の名前を呼び見上げるばかりだ。

 けれどもその瞳には「助けて」と、言われているような気がした。


「…………やるよ。アセナ、ハティを下がらせてもらってもいい?」


 僕はたった一匹で持ちこたえてくれたハティと、交代する。

 巨大オオカミは目を細め、威嚇をし、僕に最大の警戒を示した。


 ハティがその目で訴えかけてくる。


『どうか主人を悲しませてくれるなよ。』


 僕はそれに応えるべく、一歩前にでる。

 兄さん。強くてかっこよくて頼りになる最愛の人。どうかお願い。


 ――僕に力を貸して。


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