第54話 知っている
頭の位置は、賊の男を優に超した高さ。
スラリと伸びる足は、まるで太い木の幹のようだ。
「あ、あぅ……、お、オオカミ……だと?コレが……?」
ブートレストは後ずさり、尻餅をついたままガタガタと震えている。
僕もそうなる一歩手前でギリギリ立っていたが、その異様な威圧感に押しつぶされそうで、瞬き一つできない。
バチリ
巨大なオオカミと目が合った。その双眼はそれぞれ別の色味を帯び、どこかに覚えがあった。
あれ……?僕このオオカミを知っている……?
そうだ。確かに知っている。
焔の巣と共にこの森にやってきたとき。アゼスさんが魔法を放って倒したオオカミの、その群れにいたオオカミだ。
そのオオカミと全く同じ、オッドアイ。淀みのある黄色と、淡い青の目が確実に僕を睨みつけていた。
でもおかしい。確かあの時のオオカミは、大きさも通常のオオカミと変わりなく、毛の色も灰色で、この特徴的な目を除けば、どこにでもいる普通のオオカミだったはずだ。
それでもジッとこちらを見下ろすその瞳は、確かにあのオオカミのもの。
「走れ!!!」
賊の男の声に、その場にいた全員が、弾かれたように走り出す。ブートレストですら、這うようにしながらも逃げだそうと立ち上がっていた。
ところがその巨大な体躯は、僕らの頭の上を軽々と飛び越え、僕らの前に立ちふさがった。
「おいおい、マジかよ……。」
賊の男は頬を引きつらせ、信じられない思いを零した。対照的に巨大なオオカミはスッと目を細め、余裕そうに僕らを見ていた。
ふっと背を低くし、力む巨大なオオカミ。
「くるぞ!!!構えろ!」
「グルァァァ!!!」
轟音。そして豪風。
ビリビリと空気が震えるのを、肌で感じられるほどの大音量で吠えられ、ブートレストは再び腰を抜かす。
そして僕も全身から力が抜け、膝から崩れ落ちてしまった。
ガタガタと震える体が抑えられず、先ほどの巨大オオカミの声が耳にこびりついて僕の体に、恐怖を植え付ける。
「ひっ。あ、うぅ。」
「ニケ!しっかりなさい!」
「う、あ、アセナ……。」
アセナに頬を一発叩かれ、痛みで恐怖がやや薄れた。相変わらず体の芯が冷えて、まともに動かせないが何とか立ち上がることには成功した。
「うわぁぁぁ!」
瞬間ただ二人残っていた賊の仲間が、両方とも消えた。
……いや、消えたのではない。巨大なオオカミの口から、彼らの手足が覗いていた。
到底表現できないような、聞いただけで底冷えする音がその口から漏れ出した。
こちらを睨む双眼を笑っている。
「…………おい坊っちゃんよぉ。オレが時間を稼ぐ。その間に逃げやがれ。」
「は?」
ブートレストは半べそをかき、未だに震える体を抱きしめながら情けない声をだした。
僕らも「オレたちの命が一番だ」と言っていた男の急な方針転換に付いていけず、何を考えているのかと男の表情を窺うが、まるで仮面のように無機質な顔が張り付けられているのみだった。
「いいか。俺が合図したら全力で走れ。このまままっすぐ行きゃ、川にたどり着く。その川を下流に向かって歩きゃ、迷わず森から出られるからよ。」
そう言って賊の男は、静かに巨大オオカミと対峙した。男が据わった眼でオオカミを睨みつけながら何事かを呟くと、彼の剣がゴゥと音を立てて燃え盛る。
炎が照り付ける彼の顔は、憎悪に満ちていた。
巨大オオカミは僕らが逃げ出す気配を感じ取ったのか、足に力を溜めて再び飛び上がろうとする。
「行け!!!!!」
――っ!
ブートレスト、アセナ、僕の三人はその声に圧されて駆け出す。
それに伴って僕らの行く手を阻もうと、オオカミが跳躍した音が聞こえた。
「テメェの相手はオレだぁぁぁ!!」
爆音のような、怒りのにじむ咆哮。それは賊の男の物だった。
口は悪かったが常に状況を冷静に判断していた彼の、感情に任せた怒声に驚いて振り向くと、炎をまとった刃で巨大オオカミに切りかかる男の姿が照らし出されていた。
「振り返ってんじゃねぇ!!走れ!!!!」
オオカミを地面にたたき落とした男と目が合い、僕に怒鳴る。
あぁ、僕は、僕は…………。また、守られた。彼が急に転身した訳はわからないが、彼は命を投げ捨ててオオカミに挑んだ。
そして、僕は逃げた。
怖くて逃げる足が止まらない。自然と涙が溢れてきた。
――僕は、どうしてこんなに弱いんだ。
肉体的にも、精神的にも。アセナとハティに稽古をつけてもらって、尚も変わらぬ己の弱さが、僕は悔しくて恨めしかった。




