第53話 遭遇
僕らは一言も交わさずに、黙々と歩く。とはいっても、ブートレストだけは靴が汚れるだの、裾に泥がはねただのと文句を言っていたが。
そんな彼に対して賊の男は眉を寄せていたが、咎める方がよくない方向に向くと判断したのか、特に何か言うことはしなかった。
先頭を歩いていた賊の下っ端が、手で制止を促す。それとほぼ同時に、男が再び剣を抜いて辺りを警戒する姿勢を見せた。
僕らの中に緊張が走る。
まさか今度こそ、新種の巨大オオカミだろうか?
「チッ、既に包囲されてやがんな……。これだから夜の森は嫌ぇだ。今度はどいつを差し向けて来やがった?」
ギラつく目で森の闇を睨みつける男は、低い声で呟いた。ギロリギロリと、注意深く左右を見渡している。
ザッと葉が擦れる音が聞こえた。僕が反射的にそちらを見るが、何かが動いている様子はない。
そのことが僕の恐怖を煽り、動きのない暗闇から目が離せなくなった。
「ニケ!!」
ゴンッ
アセナの焦った声と殴打音に驚き振り返ると、銀笛を振り下ろした姿で僕に背を向けるアセナ。
その足元には、アセナを睨む体毛の黒いオオカミが低い姿勢で唸っていた。
黒いオオカミは不満げな顔で体を翻し、茂みの奥に消えていった。
「そっちの音は囮よ。気を付けなさい!」
「チッ……。群れで、夜行性で、体毛は黒。その上知恵が回るだと?最悪だな。」
「け、毛が黒かったぞ……?あれはなんだ?」
悪態をつく賊の男に、ブートレストが恐々と質問する。
そんな会話をしている間にも、黒いオオカミの群れは一匹また一匹と、僕らに休む時間を与えないよう飛び出してきては、茂みの中に消えていく。
あっちで音がしたと思えば、反対側から飛び出してきて。こちらから音がしたと思えば、すぐ真横から飛び出してくる。
その上体毛が黒く、森の深い闇に溶け込んでしまっているのか、飛び出してくるまで居場所が全く分からない。
どこを警戒するべきかわからず、ただ迎撃するほかない。
「黒い体毛と、よく働く知恵……。こりゃハイウルフのさらに上位種だな。俺の予想じゃ、月下狼だぜ。」
「げ、げっかろう……?」
聞きなれない単語に思わず聞き返すと、男は相変らずこちらは見ずに、飛び出してきたオオカミを払いのけながらも月下狼について教えてくれる。
「暗がりでよく見えねぇが、全身黒の体毛で、胸元に白い三日月の模様があんのが特徴だ。奴らはオオカミ種の中でも特に狡猾なうえ、身体能力も相当に高い。
スキルの乗らない剣じゃ、痛くも痒くもねぇだろうぜ。」
「月下狼ですって……?そんな、まさか!高難度のダンジョンに生息する、危険な魔物じゃないの。こんな初心者向けの森になんて、いるはずがないわ!」
アセナは相当焦った声で、賊の男に食って掛かる。ところが、男はそれがどうしたとでも言わんばかりに、軽くあしらった。
「この森には新種がいるんだろ?多少危険度の高い魔物がいたって、不思議じゃねぇ。」
上位種と呼ばれる魔物は、同じ種族の下位の魔物を従えていることがある。それ自体は決して珍しいことではない。
ところが、従えるのは下位の魔物のみ。これは絶対のルールだ。
つまり月下狼が群れでいるということは、この森に現れ、アセナが接敵したという例の新種のオオカミが、この月下狼より上位の存在である証明になってしまう。
そして最悪なことに、魔物は上位であるほど、強くなる。
「おい、坊っちゃん。月下狼を従えるほどなりゃ、こりゃ一度撤退するべきだぜ。森から出るぞ。」
賊の男は、ブートレストに向かって語気を強めて言った。
ところが月下狼という言葉に、僕と同じく疑問符を浮かべていたブートレストは、状況の深刻さがわかっていないらしい。
「こ、このボクに命令するな!!ボクを誰だと思っている!ブートレスト家の主だぞ!
いいから進め、月下狼だか何だか知らないが、捻りつぶせばいい。こっちには囮のエサだってあるんだから、簡単だろう。じゃなきゃお前らは全員牢獄行きだっ!」
「うるせぇ。」
ブートレストは尚も強気な態度を崩さず、僕を指さして食い下がった。
ところが、恫喝するでもなく低く唸るような男の声に、びくりと肩を揺らして情けなく震えだした。
「いいか、ぼっちゃん。よーく聞け?今何とか追い払ってんのは、奴らが明らかに手加減してるからだ。」
えっ、と僕までギョッとして、男を見る。アセナもそれはわかっていたらしく、深刻な表情で、男の話に頷き返していた。
「何を思って手を抜いてやがるかはわからねぇが、今が逃げる最後のチャンスだ。
俺は言ったな?テメェの依頼より俺らは自分の命を優先する。それが契約の条件だったはずだぜ?テメェは何度も契約違反の命令を繰り返すが、その条件を忘れたとは言わせねぇぞ。」
「ひっ……、だ、だがボクはブートレスト家の……当主だ!ボクの命令に逆らうな!」
ブートレストは何を思ったのか、自身の剣を鞘から抜いた。彼の眼は再び狂気に染まっている。
ところが、黒いオオカミが飛び出し、ブートレストに飛び掛かると、全く構えがなっていなかったブートレストは、いいように地面に転がされてしまう。
月下狼はブートレストの首筋に噛みつこうとしたところを賊の男に蹴り上げられ、華麗に着地した後不遜な態度で鼻を鳴らし、再び茂みの中に消えていった。
「坊っちゃんのその剣は飾りかよ?ともかく、こんな状況じゃ新種を倒すことなんざ不可能だぜ。今夜は一旦森を出る。
それが聞けねぇなら、俺らはテメェを森の中に置いて逃げさせてもらうぜ。」
男がそういうとブートレストは、「……くそっ、勝手にしろ!」と悪態をつきながらも従う意思を見せた。
そんな態度のブートレストに、男も対抗するように「けっ」と吐き捨てたが、すぐに切り替えて仲間に撤退の命令を出した。
もうどれくらい走らされているだろうか。すでに賊の仲間も二人は死んで、一人ははぐれてから行方不明だ。遠くで悲鳴が聞こえたような気がしたが、僕はそれを頭から追いやっていた。
僕とアセナ、それにブートレストも武器を手に、自分の身を守りながら走っている。
暗闇と森の不安定な足場、それに絶え間なく続く月下狼の襲撃に、心も体も疲れ果てていた。
「はぁ、はぁ。い、一体いつになったら森を抜けるのかしら?もう相当な距離を走っているはずだけれど。」
「……やられたな。」
アセナが愚痴を零したとき、それまで黙々と走っていた男が、ついに足を止めた。
全員がどうしたのかと男を見る。まだ森の出口までは遠い。それに「やられた」とは?
「なんなんだ!さっきから、わけのわからない事ばかり言って!」
ブートレストは、疲れも相まってさらにイライラを募らせていたようだ。男が立ち止まった途端、食って掛かる。
賊の男は、よく見ると顔を若干青くして、今まで走ってきたものとは別の汗をかいていた。
その瞳は一点を見つめている。
いったい何が……?
わめくブートレストを置き去りに、僕らもその視線の先へ目を向ける。
そういえば、いつの間にか風が荒々しく音を立てて吹いていた。
見えるのは暗闇。ただほの暗い空間が広がっているのみ。
そう思っていたが、一瞬ギラリと何かが光る。
バキッ
僕らが枝を踏みつけたような、軽い音ではない。
もっと低く、鋭い音。小枝なんかじゃない。しっかりとした枝を、無理やり折った時のような音。
まさか……。
バキリバキリと、枝を折る音はどんどん近づいてくる。
暗がりの中からゆったりと現れたのは。
———巨大な、オオカミだった。




