第51話 追う。
一日の疲れを吐き出すように、盛大なため息を吐いて、ベッドに倒れこむ。
お世辞にも柔らかいとは言えないが、この価格でしっかりしたベッドが用意されているだけ、ありがたいことだ。
リュウはそう言っていたアゼスの言葉とともに、以前同じくらいの値段で泊まった粗悪な宿を思い出していた。
馬小屋に小さな南京錠をしただけのその宿は、ホコリと獣の匂いが充満し、ベッドとは名ばかりの干し草の束が首筋をチクチクと刺激してきて、寝れたものではなかった。
そう考えると、この宿を紹介してくれた彼――ガヴァンとかいう組合員には感謝しないとだな。
かたい枕に顔をうずめていると、だんだんと意識が遠のいて――
「リュウ!起きて!!」
「うおっ?!なんだなんだ?アゼス?!」
アゼスの慌てた声に、気持ちよく寝かけていた俺はたたき起こされた。
いまいち体が覚醒しきれずに、視界がぼやけているが、アゼスの抱えているそれに驚いて、縺れる足も気にせず駆け寄る。
「んなっ、そのオオカミ、たしかアセナ・カルロッドの……」
「そう、彼女の従魔だ。ハティとかって名前だったと思う。井戸の横に倒れてたんだ。」
緊張で二人は嫌な汗をかく。アセナ・カルロッドが連れていた従魔が、たった一匹でここへ来た。
しかも、その体には、大きな外傷。
ニケもアセナ・カルロッドも、辺りには見当たらなかったという。
傷は一か所だが、その傷はかなり深い。傷口からして、攻撃したのは人間だ。おそらくは、俺が使っているような片手剣。
それらが意味することはつまり。
「ニケたちが……、襲われた?」
否定したい気持ちから疑問形になるが、アゼスは硬い表情でこれを肯定した。
「きっとそう。街の中なら、こんな大それたことしないだろうと思ったのに……。どうしたら……」
「とりあえず、ありったけの回復薬をかけるんだ。もしかしたらハティは、二人の行方を知っているかもしれない。」
動揺を隠せないでいるアゼスに提案して、いま手持ちの回復薬をすべて使い切る。ところが、多少傷口が縮むだけで、どうも塞がる様子がない。
これじゃあ、回復薬の品質が低すぎるんだ。あるいは、ニケやアセナ・カルロッドのように、道具効果の上昇が見込めるスキルでもあれば……。
いや、いまはない物ねだりをしても仕方ないか。
「リ、リュウ……、」
「アゼスはこの子を看ていてやってくれ。俺は買い物にいったゴーシュと合流して、もっと質の良い回復薬を買ってくる。」
「わ、わかった。」
普段はアゼスがパーティーの頭脳のように振舞っているが、実際はそうじゃない。こうした緊急事態では、アゼスは動揺してなにも考えられなくなる。
一方で、リュウは緊迫した場面ほど適切に指示を出す。だからこそ、焔の巣のリーダーを任せているのだ。
僕は僕の任せられた仕事をする。それが彼の考えた最善だから。
そうアゼスは心で反芻し、なんとか平静を取り戻した。
「ニケ、無事でいて……。」
はやる気持ちを抑えて、ハティの前で祈る。リュウとゴーシュ、二人とも早く帰ってきてほしい。
どれ程の時間そうしていただろうか。ぎゅっと目を閉じて祈っていると、ハティがモゾモゾと起きだした。
アゼスはハティが回復したのかと喜んで顔を上げたが、未だ流れ出る血を見てサッと顔を青くし、慌ててハティを制す。
「ちょっと待って、まだ動いちゃだめだよ!」
ところが、ハティは全く動じない。動きを止める気配など全くなく、ベッドから飛び降りた。
着地した途端、体の傷が痛んだのか、バタリと倒れこんでしまう。
「ほら、おとなしく寝てないと……。今リュウが回復薬を――」
ハティはふらつきながらも立ち上がり、アゼスが言い切る前に、器用にも前足で扉を開いた。
廊下まで出ると、まるで「着いてこい」とでも言うように、アゼスの方を振り返る。
「り、りゅう……どうしたら……」
指示を求めるべき相手は、今はいない。
ハティの黒く鋭い目だけが、アゼスに選択を迫る。
『来るのか?来ないのか?』
このままハティを行かせれば、ほぼ間違いなく、長くはもたないだろう。現に、今の段階でも、立っているだけで精一杯だというのが、ありありとわかる。
けれどハティは、この思案の時間ですら勿体ないと思っているようで、『早く決めろ』と小さく喉を唸らせている。
拒否すれば一匹だけで飛び出していきかねない。
そうなれば、アゼスたちがニケの居場所を知る術は、なくなってしまう。
アゼスは緊張で小さく喉を鳴らし、そしてハティの無言の問いかけに応えた。
「わ、わかった……。案内して。リュウとゴーシュには、置手紙をしていこう。」
「わふっ」と低く添えられた声は、おそらく『早くしろ』と苦言を呈されているのだろう。
自分の判断に自信が持てないことと、ハティが自分を置いて行ってしまうかもしれないという焦燥で、手が震える。
乱雑に書かれたメモの上に、風で飛ばないよう空の瓶で重しをして、焦れたように地面を叩いていたハティを追った。
宿屋の女主人に借りた馬で、血を流しながら走るハティを追う。
馬もかなりの早馬だが、ハティはそれを引き離しかねない速度で走っている。
地面にはハティが走った跡を残すように、血液がポタリポタリと垂れていた。
ハティが足を止めたのは、ゴーリー大森林だった。まさかと思って、ハティを見る。
彼は入り口付近で、しきりに地面の匂いを嗅いでいた。
「ハティ……。ま、まさか、ニケと君の主人はこの中に……?」
アゼスの問いかけに、ハティは答えない。けれども、無言で振り返った彼の瞳は、その通りだと如実に語っていた。
アゼスの頭の中に様々な要素が巡る。
新種の大型オオカミ、上位のオオカミ種の群れの目撃情報、ニケとアセナ・カルロッドを襲った人物の存在、再規制されて侵入禁止の森、リーダーの不在、前衛のいない後衛ジョブ。
今この森は、アゼスをためらわせるには、十分すぎるほど危険な場所と化していた。
そんな森に、ずかずかと入り込んでいくハティ。早く来いと、一声吠える。
アゼスは意思の固まらないままに、ハティを見失うまいという一心で、歩を進めるのだった。




