第50話 夜の森
「うっ……」
自分の唸り声で、意識を取り戻した。目を開けても真っ暗で手足も動かない。はじめはパニックになりそうだったが、すぐに先ほどの出来事を思い出した。
思い出したら頭が痛い……。
目の前が真っ暗なのは、おそらく麻袋のようなものを被せられているのだろう。
腕を動かそうとするたび、ロープが手首に擦れて痛い。周囲の状況もわからないし、このまま大人しくしているのが賢明だろう。
そうして目が覚めてからも、しばらくジッと周囲の音に耳を澄ませていた。そのおかげで、少しだけ情報が得られた。
まず、いまは馬車……といっても、人が乗るための物ではなく、荷馬車だ。その積み荷と一緒に輸送されているらしい。
また向かっている場所は、おそらくゴーリー大森林だろう。先ほどブートレストが言った「森に出現したオオカミの討伐を手伝わせる」というセリフと、御者が溢していた愚痴から推測できた。
御者は雇われの若手らしく、契約と違うだの、危険すぎるだの、先払いにさせればよかっただのと散々独り言を呟いていた。
そういえば、アセナとハティは無事だろうか?
ブートレストは相当アセナに執着していたようだし、アセナをすぐに殺してしまうことはないだろうが、ハティに関しては逆に嫌っていたから不安だ。
なんて、現実から目をそらしてる場合じゃないよね……。
アセナのこともハティのことも確かに心配だが、僕が今一番心配しなければならないのは、自分自身だ。
ため息をつきかけたとき、突然馬車が止まった。馬がいななき、御者が動揺しつつもそれを治めようと、必死に手綱を握ろうとする声が聞こえた。
僕はといえば、その衝撃で荷台の壁にしこたま頭を打ち付け、また意識が飛びかけたが、何とか持ちこたえたようだ。
うぅ……、たんこぶが雪だるまみたいになりそう……。
「どう、どう!なんだよ一体、どうした?」
「なにをさぼっている。さっさといくぞ!」
ブートレストの声だ。彼は別の馬車に乗っているらしく、その声はやや距離があるように聞こえる。
御者は必死に馬に指示を出すが、馬はわななくばかりで馬車が動き出す気配は感じられなかった。
それに苛立ったのか、ブートレストの声は怒気をはらむ。
「まさか……ボクの命令が聞けないっていうんじゃ、ないだろうな?」
「む、むりです!馬が怖がってしまって……、これ以上無理に行かせようとすれば、我々のことを襲いかねません!飼いならされているとはいえ、元は魔物なんですよ?!」
「そんなものは貴様がどうにかしろ!金を払うんだ。その分の仕事はしてもらうぞ。」
「……わかりました、もうお金はいいです。ここまで運んだ代金も一切いりません。そのかわり、街に帰らせていただきます。
そもそもこんな違法スレスレのことをやるなんて、聞いてませんから。こっちはあなた方を詐欺で訴えることだって、できるんですからね!!」
ブートレストの荒い制止は完全に無視して、御者は馬に直接乗り去ってしまったらしい。
蹄が土を蹴り上げる音はすぐに聞こえなくなった。次に聞こえたのは、ブートレストの盛大な舌打ちだ。
「チッ。使えないゴミクズめが。まあいい。もう森は見えている。おい、森に入る準備をしろ。いいか、くれぐれもボクに怪我をさせるなよ。」
「へーへー。わかっとりますよ。」
命令をしている相手は、どうやら先ほど僕らを強襲した奴らのリーダー格らしい。
お金で雇われているのか、別の要因でブートレストに付いているのかはわからないが、少なくともあまりブートレストに対していい感情は抱いていなさそうだ。
返事はなおざりで、やる気は一切感じられない。
「ほら降りてこいっ!テメェも行くんだよ!」
「痛いっ、放してくださる!?女の髪をこんなに乱暴に扱っているなんて、あなたの価値が知れるわよ。」
「黙れ!!ボクの物をどう扱おうが、ボクの勝手だ。」
アセナだ!!
多少乱暴な扱いはされているようだが、相変わらず不遜な態度を崩さないアセナに、場違いながらもすこし安堵した。
僕は必死に気絶したふりをしていたためか、誰かに乱雑に担がれた。地面に引きずられないだけマシだが、お腹に肩の防具が食い込んで苦しい。
アセナの様子を確認したいが、いま麻布を取れば目が覚めていることがバレてしまう。そうなれば、何をさせられるか分かったものじゃない。
……いや、まって?餌にされるかもしれないんだっけ?もしかして、起きた方がいい??
色々考えてみたものの、そもそも腕を動かせないこともあって、気絶のフリを続けてしまう。
グルグルと回らない頭で必死に考え事をしていると、急に地面に落とされた。
いたいっ……!
正直、頭から落ちないで尻から落ちたのはよかった。もう頭は打ちたくない。
でもなんで急に落とされたんだろう?
「お、おい。なんで立ち止まる?」
ブートレストの指示ではなかったらしく、怯えているのか震えた声で問いかけた。けれども、リーダー格の男は「しっ!」と鋭い声で制止した。
周囲の男たちが武器を構える音で、僕が落とされた理由を理解する。もしもの時は、僕はこのまま、置いていかれるのだろう。
緊張した雰囲気が空間を支配する。
「…………いる。」
リーダー格の男が低く抑えた声で言った。
いるって、なにが……
僕の疑問はガサリと揺れた茂みの音と、それに次ぐ唸り声で解消された。もちろん、それは嫌な方に、だが。
グルゥゥゥゥゥ ワォーーーン
遠吠えと、ハッハッという短く荒い息遣い。確実に僕らの周囲には、オオカミの群れがいる。
この森で何度も聞いた、嫌な息遣いだ。飢えた獣の声というのは、本当におぞましい。背筋の凍る思いだ。
「ウスノロども、ミスるんじゃねぇぞ。いいか、お前は魔法で――」
男の声はかなり抑えたものだったが、彼のチームメイトには聞こえたらしい。頷く気配と共に、ザッと土を踏みしめる音がした。
「……ニケ、ニケ。起きてちょうだい。」
男が指示を出す声に紛れさせて、そっと声をかけてきたのはアセナだ。僕の腰にかけていた短剣を抜き、手足を縛っていたロープを切ってくれたようだ。
そのまま麻袋も取り去ってくれたことで、やっと視界が開けた。
魔法で作られた光源が僕らの周囲に浮いていて、木々の隙間からは何組もの目が怪しく覗いている。
「あら……?あなた目が覚めていたのね。よかったわ。さ、立って。」
アセナに支えられて立ち上がると、今僕の腰から抜いた短剣を手渡された。アセナも先日買ったばかりの横笛を、縋るように握りしめている。
彼女の髪はグシャリと崩れていたが、手首にロープの跡もなければ、特に肌が赤くなっているような箇所も見受けられない。
「あ、アセナ……。えっと、あ、ありがとう。その……、アセナは怪我とか……、して、ないみたいだね。よかった……。」
「えぇ、私は大丈夫よ。それより、今はここから逃げることを考えましょう。ハティがいないと私は、ほとんど戦力にならないわ。」
ブートレストは幸いにも、震えてリーダー格の男の裏に隠れているため、まだ僕が目覚めていることにすら気づいていない。




