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第48話 訓練の成果

 ふぅ、と漏れた溜め息はアセナのものだ。俯いてしまっていた僕は、反射的に肩を揺らす。それに対してまた、アセナは困惑したような笑みを浮かべた。


「覚悟なんて、簡単にできるものではないわ。あなたはまず、自分の意思で敵を攻撃することが最低条件ね。」


 彼女は気づいているのだ。僕が魔物を攻撃するとき、相手を全く見ていないことに。

 僕がただ兄さんの姿をなぞっているうちは、僕に覚悟などできるわけがない。そう理解はしたが、それでも僕は兄の真似をしなければ、兄の姿を自身に映さなければ、敵の前に立つことすらできない。

 僕はなんて臆病なんだ……。わかってはいたが、現実はやはり何度でも、僕の心を突き刺すのだった。


 そう落ち込んでいると、温かい何かが頬を撫でた。

 その正体を確かめようと目線を向けると、はっはと短く息を吐くオオカミの姿があった。


「は、ハティ……?」


 再びペロリと舐められる。その姿はまるで、落ち込む僕の頭を撫でてくれた兄のようだった。


「ぼ、僕を……慰めて、くれるの?」


「くふっ」


 柔らかく鼻を鳴らすハティは、その通りだと胸を張っているようだ。そんなハティに恐る恐る手を添えると、手のひらに顔を擦り付ける。

「撫でさせてやってもいいぞ?」というような顔で僕を見続けるハティに、思わずほっこりしてしまい、「ふっ」と笑みが漏れた。

 それに気をよくしたのか、ハティは再び僕の頬を舌で舐る。

 くすぐったくて身をよじると、それがどうしてか面白かったらしく、ハティは顔中をべろべろと舐めまわし始めた。


「ちょっ、ハティッ!まっ……まって、あは、あはははっ、く、くすぐったいよ!」


「あら、ハティ。ニケのことが気に入ったの?よかったわね、ハティが私以外の人間を気に入るなんて、珍しいことなのよ?」


 そう言って笑うアセナも、ハティに負けず劣らず上機嫌で、一体ここまでの会話のどこにそんな機嫌をよくする要素があったかと疑問に思う。

 「さ、もう中に入りましょう。」というアセナの一声に、ハティも僕を舐めまわすのを止めて、アセナの泊まる宿屋に入っていった。

 ちなみに、僕はというとアセナの指導……という名目のただの気遣いで、アセナと同じ宿屋に一緒に宿泊している。

 最初は悪いと思って断ったが、アセナが「組合から出ているお金の一部を使うだけよ。どうせ私のお金ではないのだし、気にすることないわ。」というので、その言葉に甘えることにしたのだ。

 焔の巣やエリスさんと顔を合わせる時間が減ったのは寂しいが、その代わり朝早くから夕方まで、アセナとハティにみっちりしごかれている。


「うぅ、べたべただよ……。」


 顔中にハティのヨダレと、芝がくっついている。

 アセナの借りている部屋は僕なんか見たこともないほど豪華で、なんと部屋に簡易的な湯浴み場があるのだ。

 その湯浴み場で頭からお湯を被っていると、ドアの向こうからアセナに声をかけられた。


「ニケ、ちょっといいかしら。」


「ひゃ、ひゃいっ!」


 いきなり声を掛けられたことで、驚いて情けない声が出た。見えるわけでもないのについ股を閉じてしまい、そのことに顔を赤くしながらも、アセナの次の言葉を待つ。

 ところが、しばらく待ってみてもアセナから続きの言葉が紡がれそうにはない。


「あ、アセナ……?」


 不安になってアセナの名前を呼んでみると、アセナはか細い声で感謝を口にした。


「その……、ありがとう。ハティを助けてくれたことも、私の話を聞いてくれたことも、その上でこうして近くにいてくれることも。とても嬉しかったわ。顔を見てお話しするべきなのはわかっているのだけれど、恥ずかしくて。」


「急に変な話をしてごめんなさいね。ゆっくり温まってきてちょうだい。」と締めくくって遠のく足音。

 彼女の声からは、本当に心から感謝しているのだろうと伝わってくるが、その一方でどこか切羽詰まったような、苦しそうな印象も受けた。

 先日話してくれた、昔のことでも思い出してしまったのだろうか?僕に彼女の感情を推し量ることは、できなかった。




「そうよ、よく見なさいな!上から来るわよ!!」


「はわっ、わととっ」


 午後の訓練は、ひたすらハティの動きを目で追う訓練になった。また、素振りの訓練は先日も使った木と藁でできた人形を、兄の背中に頼らず打ち込む訓練に変更した。

 敵を見ることと、攻撃に意識を乗せることを分けて訓練しよう、ということらしい。

 アセナは「攻撃しようって意思を持つための訓練が必要だったなんて、思わなかったわ。ニケって、本当に変わっているのね。」と苦笑いしていたが、これを始めてからなんだか体の動きがよくなった気がする。

 彼女に師事してもらってよかった。そう、早くも思えるほどには。


「あっ……」


 訓練中に意識を別に飛ばすものではない。僕はハティの動きについていけず、防御が間に合わなかった。そのせいで、訓練用に握っていた木の枝が手から抜けてしまった。

 ゴロンと転がされ、首元にハティの吐息を感じる。これが実戦だったなら、いまごろは喉笛を噛み千切られて絶命しているだろう。


「武器はしっかり握りなさい。そ、れ、に!今他所に意識を持っていかれていたわね?戦闘中に余所見をするだなんて、ありえないわ。」


 ふんっと鼻をならしたアセナは、転がされたままの僕をじっと見降ろしている。腕を組んでいるので、どうやら手を貸す気はなさそうだ。

 代わりにハティが、背中を貸してくれた。


「う……、ご、ごめんなさい。」


「でもそうね。良くなってきているわ。ハティの動きもある程度は、見れているもの。その調子よ。」


 完全に立ち上がって、お尻についた泥を払っていると、アセナから明るい声でそう告げられた。

 一瞬褒められたのだと理解できなくて、間抜けに「え?」っと聞き返してしまったが、彼女の言った意味が脳にやっと到達したところで「ほんとう!?」と思わず子供のように喜んだ。


「えぇ。基礎トレーニングの成果も、出ているわ。体つきが変わってきたもの。」


 アセナの言う通り、最近僕の体は筋肉がしっかりしてきた。まだ腹筋が割れたり、歴戦の戦士のようにガチガチの筋肉を持ってはいないが、以前に比べれば十分引き締まってきただろう。

 それに、柔軟性も相当上がっている。この調子なら、兄の動きを真似しても体を壊さなくなるのも、時間の問題だろう。

 まぁ、できるようになったところで、アセナからは兄を真似ての戦闘は禁止されているのだが。


「今日はここまでにしましょう。湯浴み場で泥を落としなさい。」


「う、うん!えっと……、ありがとう、アセナ!」


 アセナに促されて、部屋に戻る。アセナは緩慢な動きで優雅に戻ってくるが、僕とハティは跳ねるようにしてルンルンと戻る。

 これが日常になっていた。


 湯浴み場で、ハティを洗う。いつだったか、ハティが急に僕が入っている湯浴み場に、飛び込んできたのが始まりだった。

 器用にドアを開けて「ワオン!」と鳴いたハティを見たときは、魔物が襲撃に来たのかと肝を冷やしたものだ。

 そんなことを思い出しながら、おとなしく洗われるハティを指の腹でマッサージしていた時だった。


「いやよ!!!助けて、ハティ!ニケ!!」


 ———っ!!アセナ!?


 部屋に彼女の悲鳴が響いた。


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