第37話 路地裏にて
夕暮れの中、街の中と外を隔てる門は、相当の賑わいを見せる。
仲間と肩を組んで喜び合う者、傷だらけで不確かな足取りの者、苛立ちに任せて群衆を押し退ける者。
そんな中独り俯きがちに歩く僕は、他人にぶつかってしまわないよう歩くのに、精一杯だ。
結局、朝から日が暮れる直前まで、合計3回ある依頼の張り出し全て終わるまで待っても、終ぞ彼女は姿を見せなかった。
「休息日か、他の街に移ったか、日を跨いだ依頼でも受けてたか……。兎も角残念だったな、坊主。」
お昼の張り出しまでは、完全に僕の反応を楽しんでいた彼だったが、だんだん気まずそうにし、終いには本気で慰められてしまった。
だから何度も、誤解だと言っているのに。
「僕の攻撃に足らない物、か……。」
鞘に収まったままの短剣は、いくら眺めようとも僕に応えることは無い。
思わずため息を漏らし、短剣を腰に戻した。
――助けられなかった。足を引っ張ってしまった。守られるだけで、何もできなかった。
3人ほどわかりやすく落ち込んではいないが、あの時のことを、気にしていないわけではない。冒険者になっても、僕は何も変わっていない。現実は何度でも思い知らされる。
パライ・マリンに追われたときもそうだ。行き倒れていた時に、焔の巣に助けられた時もそう。そして、今回の罠部屋でも……。
考え事をしていたら、いつの間にか人気のない路地に入りこんでいた。街を囲む高い石壁が夕日を遮り、影になっている。
さらに細い路地が入り組み、その奥は覗き込むのも躊躇われる暗がりになっていた。
「こ、ここどこ……?」
僕の呟きが、いやに耳に残る。街の喧騒が遠くで響いていた。
も、もどらなきゃ……。
踵を返して、元来た道を戻ろうとする。ところが、二股に分かれていてどちらから来たのか、まったくわからない。
ど、どうしよう。
「お嬢さん」
ねっとりと粘ついた声。僕が呼ばれたのだと気づいたのは、僕以外、辺りに人はいないからだ。
ボロボロのローブの隙間から、細い卑しい目が覗いている。
ニッと上がる口角に、僕は本能的に恐ろしいものを感じて息を飲み、無意識にこの男から距離を取ろうとした。
「……っ、あ、あの、僕、えっと、」
「どこへ行くんだ?オレが連れてってやるよ。」
「ひっ」
強くつかまれた手首が、悲鳴を上げている。
その手をそのままに、男は僕を闇へ引きずる。僕の必死の抵抗など、まるで関係なしにズルズルと靴が地面と擦れていく。
その先にある暗がりに光る複数の目と、僕の目がバチリとあう。その途端、全身に悪寒が走った。
「ま、まって、あの、僕……、やだっ、だれか……!」
男の腕は、ひっかいても叩いても、ピクリとも動かない。そのくせ僕の体は、その腕に従って路地へ近づいていく一方だ。
逃げたい。逃げられない。誰か助けて!
「その手を放しなさい。」
場違いなほど透明な声が耳に入る。次いでグルルと唸る獣の声。
「チッ」という舌打ちと共に僕を放した男は、あっという間に路地の闇へと消えていった。
「わわっ!いっつ……。あ、アセナ……、カルロッド……さん。」
彼女は深くフードを被り、しりもちをついた僕を冷ややかに見降ろしていた。
その構図はまるで、昨日の再現のようで、僕はたまらず萎縮してしまう。
再会できたことを喜ぶ余裕はない。
「あなたに名乗った覚えは、ないのだけれど。気安く呼ばないでくださる?」
彼女は冷たく言い放ち、踵を返した。そのまま相棒と背を向けて歩いて行ってしまう。
僕は彼女に謝らなければいけないことも、聞きたいことがあったことも忘れて呆けていたが、彼女はピタリと立ち止まる。
ま、またなにか言われるのだろうか……。
「なにをボサッとしてるの?さっさと来なさいよ。どうせ迷子なのでしょう?」
彼女はふんっと鼻を鳴らして、再び僕に背を向ける。
えっ、それは、案内してくれるってこと……?
「えっ、と、あの……」
「なに、来ないのかしら?」
「いっ、いきます!!」
慌てて立ち上がった僕は、一瞬こけそうになりながらも、彼女を追いかけた。
彼女はこの道を知り尽くしているかのように、スムーズに進んでいく。
「あ、あの……、なんで……」
なぜ、あの場に居合わせたのか。なぜ、初対面で失礼なことを言った僕を助けてくれたのか。
何と言ったらいいかわからず、言いよどんでしまった。
「……この区画は、危険なのよ。だというのに貴方、ぼんやりしながら入って行くんだもの。」
「そ、それでわざわざ、助けに来てくれたの……?」
「…………。」
彼女は無言だが、否定はしない。
危険な場所に入って行く僕をみて、助けに来てくれたんだ。
冷たく突き放す態度を崩さない彼女だが、優しいところもあるんだな。
かなり喧騒が近づき、街を照らす照明具が近くに見えたころになって、やっと僕は彼女を探していたんだと思い出した。
「あ、あの……。助けてくれて、ありがとうございます。今日も、その……、昨日も。」
「そうね。できるのであれば、二度とあなたの顔は見たくないわ。」
フードの下にある柔らかな髪を弄りながら、彼女はつっけんどんに言う。
あまりに突き放すような言い方に、一瞬怯んでしまうが、僕はどうしても聞きたいことがある。
ぐっとお腹に力をいれて、なんとか言葉にだす。
「あ、あの……!昨日の……、僕に覚悟が足らないって言った意味、教えてください!あれってどういう……」
「知らないわ。」
最後まで言い切るまえに、彼女は僕の言葉を切った。
「どうしてこの私が、あなたなんかの疑問に答える必要があるかしら?大人しく、冒険者を辞めてしまえばいいのよ。
さ、この通りをまっすぐ行けば、冒険者組合に着くわ。そこからなら、宿の場所くらいわかるでしょう?それじゃあね。」
一方的に吐き捨てた彼女は、相変わらず素早く身をひるがえして去っていく。
「あ、あのっ!!本当に、ありがとうございました!」
振り向くことのない背中に向かって、礼を叫ぶ。
すると、彼女の相棒であるオオカミが、その声に反応したように振り向いた。その眼はなんど見ても、心のうちは読めない。
そのうち、すいっと視線を外し、主人に倣って歩いて行った。