第29話 冒険者ランクと掲示板の「赤」
翌日は、焔の巣とともにダンジョン探索に出かけることにした。昨日危うい目にあったことで、僕はすっかり腰が引けてしまったのだ。
ギュムギュムと抱き着かれ、恥ずかしいながらも「明日は一緒に行ってもいいでしょうか……?」と問うと、3人は眩しい笑顔で「勿論さ!」と答えてくれた。
そういうわけで、朝早くに宿を出て、組合の依頼張り出し時間に、間に合うよう歩いて行く。
朝食は昨日の薬草のお礼にと、3人が買ってくれた安くて硬いパンをかじり、水で流し込む。
「なんだ……?妙に中が騒がしいな。」
もう間もなく組合に着くというところで、リュウさんが首をかしげる。確かに、そう言われれば多少ざわつきが漏れているような気がする。
アゼスさんたちも含め、全員で顔を見合わせてから、やや緊張してリュウさんがドアに手を掛ける。
受付に冒険者が群がって、何やらすごい勢いで質問が投げかけられており、カウンター内の役員たちはそれらに答えるべく、右へ左へ奔走している。
ところがそちらよりも、さらに多くの人が群がっている場所がある。僕らはその場所……掲示板の前に居るうちの一人に、声を掛けた。
「ちょっと君、何があったのか知ってる?良ければ教えてくれない?」
「あぁ、手前ら今来たんか。ほれ、あれだよ。赤が張り出されたんだ。」
男が親指で示す先には、確かに派手な赤い紙が張り出されている。
確か赤は……、危険性・緊急性の高いもの……?
「ゴーリー大森林のオオカミ種が、異常な行動を見せているらしい。現状わかっている情報と、さらなる詳細調査の依頼が書かれてんだ。
ちなみにだが、少なくとも調査が終わるまでは、森への侵入に制限がかけられるらしいから、よく読んでおいた方がいいぜ。」
「そうなのか。どうもありがとう。」
「いいってことよ。」
ひらひらと軽く手を振って去っていく男は、どうやら受付には向かわないらしい。
ゴーシュさんが人の群れを掻き分け、掲示板の前に出る。僕はリュウさん達に連れられて、比較的人の少ない場所から遠巻きに、ゴーシュさんが帰ってくるのを待っていた。
暫く集中して呼んでいたゴーシュさんは、次第に眉間に皺が寄り、最終的には深く考え込む様子で、俯きがちに戻ってきた。
「やはりオオカミの異常行動についてだな。内容から察するに、恐らくは上位種が誕生したのだろう。
比較的森の浅い場所まで降りているのが確認されていることに加え、1つ当たりの群れの規模が、普段より大きくなっているそうだ。
それにより、オオカミ種の被害数が急増している。ニケが昨日襲われたというのは、この影響もあるだろうな。」
「なるほどね。森への侵入制限については?」
「組合への申告が義務化されることと、組合発行の冒険者カードが、"上限の月"以下の者は侵入不可だそうだ。」
「あ、あの……」
3人がそれぞれ「なるほどな」と納得している中、おずおずと手を挙げる。「どうした?」と目で続きを促され、言葉に詰まりながらも疑問を口にする。
「ぼ、冒険者カードのマークって……、その、どうやって、決まっているんですか?」
「あー、それね。実は詳しい基準は公表されてないんだ。けど、こなしてきた依頼の難易度が関係しているのは間違いないよ。
ほら、依頼書の右上に、マークがあるでしょ。あれが依頼の難易度———まぁ、ほとんどが危険度とイコールだと思っていいよ。組合が重要度や期限なんかも加味して、総合的に推定した難易度が示されているんだ。」
アゼスさんが差す先には、恒常依頼があり、そこには確かに三日月のマークが書かれていた。ちなみに僕の冒険者カードは"新月"のマークで、焔の巣の3人は"上限の月"だ。
「難易度は"三日月"が一番簡単で、そこから上弦の月・小望月・満月・十六夜・下弦の月・有明月の順で上がっていくんだ。
一般的に冒険者カードのランクは、これらのどの難易度を、どうこなしてきたかで変わってくると言われているね。」
「ニケの新月は、まだランク付けできるほど依頼をこなしていないって事を、表しているんだぜ。」
リュウさんが、隣で得意げに付け足し、それにアゼスさんもその通りだと言った様子でうなづいている。
よく見ると、いま張り出されている赤い紙にも、月のマークが書かれており、それは"満月"を示していた。
「じ、じゃあ……、あの赤いのは、とても危険……なんですね……。」
僕が恐々としていると、隣から「あー、いや……」と否定の言葉が聞こえてきた。
「ほら、あの難易度は推定だろ?今回みたいな緊急の調査依頼は、その推定のための情報が足りていないから、基本的には実際に想定されているより、高めの難易度に設定されているんだ。」
「実はそれ以上に危険だった例も、少なからずあるけどね……。」とアゼスさんは苦笑いを返した。
要するに赤紙の場合は、あんまりアテになるものではないと、そういうことらしい。
そんな話を聞いている間に、朝の張り出しが行われる。受付で役員と口喧嘩並みに口論していた冒険者たちも、一人また一人と、掲示板の下へ集う。
張り出しの直前に、リュウさんとゴーシュさん二人が掲示板の前にスタンバイし、僕はアゼスさんと今の場所にとどまっていた。
だから、傍からその様子を眺めていたんだけれど……。
なんというか、彼らはルール無用のスポーツでもしているのだろうか。場は一気にワッと湧き、前の人を押し倒す勢い……というか、もはや背中から上に乗ったり、髪をひっつかんで後ろに投げ飛ばしたりと、マナー完全無視で掲示板にその手を伸ばしている。
「は、はわわ……、すごっ……、な、なんですかこれ!?朝の張り出しって、いつもこんな感じなんですか?!」
驚きとあまりの迫力に気圧されて、アゼスさんにしがみつく。彼はそんな僕を安心させようとしたのか、肩に優しく手を添えると、やはり苦笑いで応える。
「あー、えっと、普段はここまでじゃないんだけど……。
森への侵入制限のせいで、僕らみたいに低ランクの冒険者は、受けられる依頼に制限がかかるだろう?だから、依頼の取り合いが始まてるんだ……。
逆に強い人たちは、森での依頼を受けられるから――、ほらみて。」
アゼスさんが視線だけで示した方に顔を向けると、入り口や、掲示板から遠い壁などでまったりと掲示板周辺を眺める冒険者が、数名見受けられる。
彼らの構えからは余裕が感じられ、中には卑しい者を見る眼で、人の群れを見下す者もいた。
「あれ?あの人は……。」
そんな余裕を携えた冒険者の中に混じった、フードを目深に被った人物に目を止める。彼女は柔らかな手つきで、傍らに控えるオオカミを撫でている。
間違いない。先日僕が失礼なことを言ってしまった、テイマーの彼女だ。
謝らないと……。そう思って彼女の方に歩き出そうとしたが、依頼書を手にして戻ってきたリュウさんとゴーシュさんに数瞬意識を奪われて、再び彼女を見ると、既にいなくなっていた。
あぁ、いなくなっちゃった……。
「どうした?」
ゴーシュさんが、何もない柱を見つめる僕を、不思議そうに見ている。
僕は慌てて、首を振った。
「あっ、いえ、なんでもないです……。」
「そうか。」と低い声でつぶやいたゴーシュさんは、手に持っている依頼書をアゼスさんに渡して情報の共有を始めた。
リュウさんはと思って彼を見ると、近くのテーブルに依頼書を置きにっこりと笑って僕を手招きしていた。
「ほらこれ、ニケも限定依頼やってみたらいいんじゃないかと思ってな!とってきたんだ。文字も読んでみようぜ、昨日は別行動にしたせいで出来なかったし。」
「えっ!あ、ありがとうございます!」
まさかあの乱戦の中、僕の分まで取ってきてくれるとは思わず、つい大きな声で驚いてしまった。
彼はそんな僕を気にする様子はなく、依頼書の内容を読み上げ始めた。
本当に焔の巣の皆さんには、お世話になりっぱなしだ。いつか、なにかで恩を返せたらいいな……。
僕は感謝に心を揺さぶられながらも、リュウさんの授業を聞き逃すまいと、依頼書に集中した。