第28話 共鳴の鈴
避ける動作は既になぞっていた。腰元で、か細い音を立てる鈴に気付いたのは、そのおかげだ。
そうだ………、この鈴で宿に戻ればいいんだ!
僕は腰に手を伸ばし、赤い紐に触れる。
リリンッ
瞬間、僕の体は霧に包まれた。その霧はすぐに晴れたが、辺りには帰路につく人々の声がこだまし、和やかな雰囲気が漂っていた。
朝見たばかりの井戸と、たった今鳴らした共鳴の鈴同様の彫りが施された鐘が、目の前にある。
鐘はカランカランと軽い音を立てていたが、次第に揺れは小さくなり、やがて止まる。
腰元に手を持っていくと、エリスさんから貰った鈴は、いつの間にか無くなっていた。
「本当に帰ってこれた……。はぁぁぁぁ、よかったぁぁ。」
僕は安心して力が抜け、その場にへたり込んでしまった。
採集した薬草や装備に欠けがないか確認して、その後深呼吸をしてからやっとゆっくり立ち上がる。
「おかえりなさい。鐘が鳴ったから、心配して出てきたのだけど……。特に怪我はなさそうね。」
「あ、エリスさん。は、はい。特には……。あの、オオカミの群れに囲まれてしまって……。」
「そうだったの。プレゼントが役に立ったみたいで、よかったわ。」
「その……、ありがとうございます。」
ふわりと柔らかな笑みを浮かべるエリスさんは、僕の無事を確認すると宿の中に戻っていった。
エリスさんに鈴を貰っていなかったらどうなっていたか……。本当に、感謝してもしきれない。
組合に薬草を持っていくと、丁度焔の巣が依頼達成の報告をしているところに遭遇した。
僕に気付いたリュウさんが、手を振りながら近づいてくる。
「ニケ!よかった、無事だったか!オレ達も今帰ってきたところでさ。ほら、久々にそれなりの報酬ゲットできたんだ。」
そう言ってリュウさんは、財布にしている革袋を持ち上げて見せる。たしかに、普段に比べればそれなりに肥えているようだが、僕はそれよりも3人の格好に目がいっていた。
所々引き裂かれたようにボロボロで、土と血が混ざったような汚れがいたるところに付着している。
アゼスさんは立っているのも辛いのか、かなり杖に体重を預けているようだ。
「あ、あの……、もしかして、どこか怪我を……?」
「えっ?あぁ、いいや。大丈夫だよ。魔法を使いすぎてね、足腰に力が入らないんだ。情けないな。」
アゼスさんは「あはは」と恥ずかしそうに笑って見せた。どうやらその言葉通り、特に大きな怪我は見受けられない。
けれどもやはり、3人とも擦り傷や切り傷は体中についている。
「ニケはこれから報酬を受け取るんだろう?先に宿屋に戻ってるからね。」
そう言って去っていくアゼスさん達は、報酬が入ったためか足取りは軽い。だからこそ、対照的に彼らの傷が目立って見えた。
焔の巣は3人同室で、ニケの帰りを待っていた。最初は「自分たちの依頼達成を手伝ってもらおう」という下心もあって助けた仲だったが、ここ数日ですっかり友情が芽生えている。
損得無しで接してくれる関係と言うのは、冒険者になってからというもの、めっきり出会うことが無くなっていた。
それだけに、彼と行動を共にしていると、弟を持ったみたいで楽しい。
それは3人とも同じ意見だった。
「でもさ……だからって、リュウは無茶が過ぎるよ。」
「悪かったって。でも、おかげでほら、ニケに上手いもん食わせてやれるだけの報酬が入ったんだし。」
「リュウ、それは結果論だ。アゼスの体力はギリギリのところだった。一歩間違えれば、3人とも死んでいたぞ。アゼスの負担が一番大きいのだから、自分が平気だからと突っ込むべきではない。」
「うっ……、そうだよな。今後は気を付ける。」
今回の依頼は、意外にあっさり達成することが出来た。それゆえに、リュウは恒常依頼に出ていたガラス玉を集めようと言い出したのだ。
上手くいけば、装備も一新できる上に、多少豪華な食事もできる。ニケにもおいしいご飯を食べさせてあげたい。
その提案をした時点では、2人に異論はなかったのだが、ある程度採取が捗ると、彼は調子に乗ってアゼスの体力もゴーシュの静止も顧みず、どんどん奥へと進んだ。
その結果、一時はアゼスの魔力切れを起こしてしまったのだ。
なんとか手持ちの回復薬で乗り切ったが、そのせいで危うく洞窟内で死ぬかもしれなかった。
長々と続くアゼスの愚痴は、ドアをノックする音で遮られた。
3人はすぐにニケだと判断して「どうぞ」と声を掛ける。こうして毎度ノックを欠かさないのだから、律儀な子だ。
木製特有の軋み音をたてながら、ゆっくりと開いたドアの先にいたのは、やはり思い描いていた人物に違いなかった。
「おかえりニケ。待ってたよ!ささ、夕飯にしよう。見てほら、ニケの分も買ってきたんだ。」
アゼスが部屋に招き入れると、相変わらず遠慮がちに席に着く。彼のその姿は正に小動物で、他の冒険者にはない姿勢に癒される。
買ってきた食事を並べると、ニケの目はまず見開き、次いでキラキラと輝きだした。
「えっ、あの、ぼ、僕の分もですか?い、いいんですか?本当に?」
「あぁ、勿論!さ、食おうぜ。」
リュウたちも、これほどまともな食事をしたのは本当に久々だが、ニケは「こんなご馳走は初めて食べました!」とはしゃぎ、一口食べるごとに「おいひぃれす……」と顔を蕩けさせていた。
そんなニケの様子に、3人は先ほどの反省会など忘れ、頑張ってよかったなぁとしみじみ感じていた。
「あ!!そうだった。あ、あのこれ……。」
食後まったりと明日の計画を立てていたところに、おずおずとニケが手渡してきたのは、木製の皿にちんまりと盛られた、緑色のペーストだった。
皿は恐らく宿の備品を借りたのだろうが、このペーストはなんだろう?
「き、今日採ってきた薬草を、すり潰して作ったんです。ちょっとしか作れなかったけど……。市販の回復薬みたいに、すぐに治ったりはしないですけど……、でも、あの、多少治りが早くなると思います。」
「えっ、僕らに?」
アゼスは受け取ったはいいが、驚いて聞き返した。
小さな村では、薬草を回復薬に調合できるようなスキル持ちがいないことが多く、すり潰したり干したりして加工したものを、そのまま利用すると聞いたことがある。
ニケも恐らくそういった村出身なのだろう。
けれど、彼は今日初めて一人で森へ行き、聞くところによるとオオカミの群れに出会って命からがら逃げかえってきたらしいではないか。
それなのに、そんな大変な思いをして採ってきた薬草を、組合に渡して報酬に変えるでも、自身の薬用にとっておくのでもなく。
僕らのために薬にしてきたっていうの?
「えっと、あの…………。め、迷惑、でしたか?」
「いや、ありがたいよ。でも、いいの?」
「は、はい。余分に採ってきたので。そのせいで、危ないことになっちゃったんですけどね……、あはは。」
そう言って力なく自嘲するニケに、3人は感動して頭を撫でまわしたり、ギュムギュムと抱きしめたり、三者三様の方法で、彼に感謝を伝えたのだった。