第22話 女主人エリス
「ただいま戻りました。」
にこやかなテテさんに続いて酒場へ入った僕は、カウンター席で女将さんと話す3人組を見留めた。
店内の客はもう少なくなっていて、”焔の巣”以外にはたったの2人しかいない。
彼ら3人は、無料で提供される水で今の今まで粘ったらしく、女将さんは呆れ顔だ。
「お!ニケ、テテさん、お帰り!でっ、どうだったんだ?!」
依頼を達成できたか不安だったのか、表情に緊張が滲み出る3人のうち、リュウさんが手を挙げて問うてくる。
僕は近くに寄るまでに目的のものを革袋から探し出し、リュウさんに手渡した。
「は、はい!えっと、な、なんとか……、証明書を書いてもらえました。えっと、あとは”焔の巣”の署名があれば、大丈夫だって……。」
僕の言葉を聞いて、丸めた証明書を受け取ったリュウさんは満足そうに「そうかそうか」と頷いた。
女将さんに断りを入れてカウンターに証明書を広げると、一番下にサインを書き足す。
先ほどの少女よりはやや荒く、けれどもリュウさんにしては丁寧に乾かして、元のように丸めた。
「……うしっ!それじゃあ、冒険者組合に行ってくるぜ。ニケは先に宿屋へ行っててくれ。」
「は、はい!」
鼻歌でも歌いだしそう勢いで機嫌のいい3人は、女将さんとテテさんに何も言わず酒場を出てしまった。
女将さんたちは仕方ない人達だといった様子で、食事もせず居座っていたことや、テテさんに礼をしなかったことについて、怒っている気配はない。
「あの……、お力を貸していただいて……。そ、その、ありがとうございました。」
「おや、あの3人と違って、随分と教育の良い子だこと。
感謝してるってんなら、今度はちゃんと食事に来ておくれよ。」
「は、はい!是非!」
女将さんは頬をニッと突き上げて笑い、テテさんは柔らかな微笑みをたたえている。僕は、手元に十分なお金が出来たら、絶対にここに食べに来ようと誓った。
最後にもう一度お礼を言ってから、酒場を出る。外はすっかり日が落ち、夜の空気が漂い始めていた。
僕は初めて見る、夜の都に心を奪われた。
村の夜は真っ暗で、灯りを持たなければ数歩先も見えなかったが、この街は違う。
整備された石造りの通りは両脇に埋め込まれた光源に明るく照らされ、いくらかの酒場からは、未だ歌声と笑い声が響く。
通りの家々には窓から漏れる光の他に、軒先に吊るされた照明が煌々と照っている。
「……すごい。」
無意識のうちにポロッと溢れ落ちた自分の声に我に帰り、紹介された宿屋へ駆け足で向かう。
次々と前から後ろへ流れていく灯りが流れ星のように幻想的で、つい笑顔になった。早く、早く宿屋へ行って”焔の巣”のみんなに、この感動を話したい!
はやる気持ちに身を任せ、軽い足取りで街を駆けた。
「ここ……、だよね……?」
冒険者組合のある通りを南に4本逸れた先、大樽が3つ積まれた建物の隣にある2階建の庭付きの屋敷。
門の脇に吊るされた、無数の薬草が目印。
そう教わった宿屋の戸を押し開けると、中は埃が舞っているのみで、人の気配がない。大きなガラス窓から月明かりが入るだけで、受付にも人は居ない。
今は経営していないのではないかと疑ってしまうほど、しっとりと静まり返っていた。
「あ、あのー……。す、すみませーん……?」
静かな雰囲気が怖くて、つい戸に張り付いて、弱々しくも声をあげてみるも、返ってくるのは静寂のみ。
「だ、誰かー?い、居ませんかー?」
今度は先ほどより、少し声を張ってみる。なおも声から臆している色は消えないけれど、受付の奥の部屋くらいまでは届くだろう。
しかし状況は変わらず、屋敷は沈黙を保っている。
おかしいな。やってないのかな…?
僕が諦めて、冒険者組合に問い合わせに行こうと踵を返した。それと同時に。
ギィ――
「――っ!?」
木の軋む音に驚いて、肩をビクつかせながらも振り返る。
受付の両脇から伸びる階段で上がれる2階のフロア。そこに、大きな肖像画を背にした女性が、月明かりを受けて立っていた。
肌は白く、髪も瞳も黒い女性。フード付きの薄汚れたローブを羽織り、切れ長の目を細めて僕を見ている。
「こんばんは。お待たせしてごめんなさい。私がこの宿の主人エリス。
今夜は月があんまり綺麗だから……、自室にこもって眺めていたの。
それでお嬢さん、宿泊かしら?それとも何か別の御用事?」
「しゅ、宿泊です……。あっ!あの!その、僕、冒険者のニケです……。えっと、冒険者組合からの紹介で――。」
彼女の問いに答えたことで、魂を吸われるように見つめていたと気がついた。ドアを開けたときに舞った埃が、チラチラと光を反射していて、彼女の美しさをより一層引き立てた。
慌てて紹介状を取り出して、彼女へ見せると彼女は緩慢な動きで階段を降りてくる。手摺りを撫でるようにして降りるその動きに、再び魅入ってしまう。
受付の中へ入ったエリスさんに手招きされて近寄ると、仄かに甘い香りがした。
「えぇ、確かに組合からの紹介ね。お一人なら丸銅銭3枚よ。それと申し訳ないのだけれど、うちのお部屋は鍵が無いの。それでもいいかしら?」
「えっと、はい、大丈夫……、です。」
僕の了承を得た彼女は、優しく微笑んで紹介状と丸銅銭3枚を受け取った。
彼女は受付の壁にかけられた木札の中から、一番端のものを一枚裏返すと、向かって右の階段を指差して言った。
「あの階段を上がって、一番奥のお部屋を使って。窓が多いし、今晩は月がよく照っているから、灯りを持っていなくても問題ないはずよ。
それと、水は庭にある井戸が使えるわ。あぁ、お食事が必要ならお外で食べるか、買ってきて。
他に私に用があれば、さっきみたいに受付で呼んで頂戴。何かわからないことは?」
「えっと、だ、大丈夫……、だと思います。」
「そう?それじゃあ、失礼するわ。」
彼女は向かって左の階段を登り、一番近くの戸を開けて中へ入っていった。あそこが彼女の自室なのだろう。
彼女が見えなくなるまで見送った後、僕も階段を登る。
一本踏み出すごとにギシギシと軋んだ音をたてる階段だが、造りはしっかりしているようで、踏み抜いてしまう心配は無さそうだ。
指定された部屋に入ると、2枚の大きな窓がまず目に入る。
1人で泊まるにはかなり広い部屋で、ベッドが1つとサイドテーブルサイズの小さなテーブルには、申し訳程度の椅子がおいてある。
テーブルに革袋を置いて、窓に手をかけると、予想外にあっさりと開いた。錆びついて動かないかと思ったのに。
一方部屋も受付と変わらず埃っぽく、窓を開けたせいで風が吹きこんで、咳き込む。
けれどそんなことも忘れてしまうくらいに街並みが美しい。
空には大きな丸い月が青白く浮かんでいて、なるほど彼女の言っていたことは正しかった。
外の空気をたっぷりと吸い込んでベッドに座ると、腰に提げていた短剣の存在を思い出させた。
ベルトごと外し、これもサイドテーブルに置こうとして、ふと短剣だけ手に取る。
柄から出せば、その刃はキラリと光を反射して、淡く怪しく光る。
僕は不思議な衝動に駆られて、ベッドから立つ。昔料理用のナイフで、イノシシを撃退した兄さんを思い浮かべて、同じように構えてみた。
想像上の兄さんの姿をなぞる。
「はっ……!やっ!せいっ!!」
思い描くのは、美しくも素早く力強い3連撃。
けれど、僕の動きはなにかが欠けているように感じてしまう。
もう一度、もう一度、まだ足りない。
この足りない物がなんなのかわかれば、もしかしたら僕も一人で魔物を倒せるようになるかもしれない。根拠はないけれど、そんな気がしていた。
しかし結局、なにが足りないのかわからないまま、僕は疲れて短剣を置いた。
ベッドに倒れ込んでなにが足りないのか考えていると、下の階から話し声が聞こえてくる。
どうやら”焔の巣”が宿に到着した様子なので、ホールへ向かう。
「リュウさん!アゼスさん!ゴーシュさん!」
ホールの階段上から身を乗り出して声をかけると、受付にいるエリスさんも含め、4人が一様に僕を見上げた。
相変わらず月明かりのみの受付は薄暗いが、エリスさんの手元には丸銅銭9枚と、冒険者組合からの紹介状が置いてある。
よかった。無事に依頼の報酬を、貰ってこれたみたい。
「ニケ!よかった、部屋取れたんだね!お姉さん、出来ればあの子と近い部屋がいいんだけど、空いてる?」
アゼスさんが手を挙げて、僕の呼びかけに応えてくれた後、エリスさんに問いかける。
エリスさんは小さく頷くと、僕の隣の木札を裏返す。僕にしたのと同じ説明を彼らにすると、静かに踵を返して階段を登り、こちらに小さく会釈して自室に戻っていった。
階段を登ってきた3人に促されて部屋に向かう。途中でアゼスさんに「あれ?ニケ、荷物は?」と聞かれ、革袋と武器を部屋に置いてきたことに気づく。
慌てて取りに戻ってから、すぐ隣の部屋――、”焔の巣”の部屋へ行く。
「ニケ、無用心が過ぎるぞ。部屋の鍵すらかからない宿で、荷物を置きっぱなしにするものではない。」
開口一番にゴーシュさんに叱られてしまった。勿論無用心だったという自覚はあるので、素直に謝る。
ゴーシュさんはそれ以上何か言う気はないようで、すぐ部屋を見渡し、そして宿の感想を述べた。
「しかし、格安なだけはある。無用心と言えば、この宿に泊まること自体が無用心だとも言える。」
「たしかにね。金庫がないのは今までもそうだったけど、窓にもドアにも鍵がない宿なんて初めてだよ。」
アゼスさんが、ため息混じりに言う。それに二人も同意してうんうんと頷いた。
「あの、鍵がかかるのが普通なんですか?」
僕が問うと全員が肯定し、話のついでとアゼスさんが代表して教えてくれる。
「そうなんだよ。強固さや使ってる道具に、多少違いはあるけどね。宿泊代が高いほど防犯面で強固な上に、サービスも充実してるって思っていいし、安ければその逆さ。
まぁ、これだけ安いんだし、防犯面で不安があるのは覚悟してたけど、まさか鍵までかからないなんて……。」
「だから安いのに客が入ってなかった、というわけか。防犯があまりにも緩すぎる。」
アゼスさんの言葉を受けて、ゴーシュさんが得心したと唸る。
冒険者は固定の家を持たない者も多く、そのため財産や冒険に使う道具は身につけているか、各々の所属する組合に預けている。
身に着けている物はよく使うの物なのだから、盗まれる可能性は出来る限り低い方がいい、ということらしい。
「それに『宿の値段が冒険者の格』だなんて言われたりもするんだよ。
持ってるお金が多いって事は、それだけ儲けられる。つまり冒険者として、それだけの実力があるってね。」
「へぇ、安い宿ならいいってわけじゃないんだな。」
リュウさんは僕と同じ様に、感心してアゼスさんの話を聞いている。
今まで解説役に回っていたリュウさんのその様子に、知らなかったのだろうかと僕がリュウさんを見ると、「実は僕らも冒険者になりたてでね」とアゼスさんは苦笑い。
「最初は依頼が上手く行ったもんだから、つい調子に乗ってさ……。ランクの高い依頼を受けたらすぐ失敗、失敗だぜ。
おかげで折角の儲けは全部違約金に変わっちまったんだ。」
リュウさんはくたりと項垂れた。アゼスさんとゴーシュさんも、落ち込んだ表情を隠しきれていない。
「で、でも!僕はまだ自分の力で依頼を遂行したことが無いので……。その、みなさんもとても、尊敬します!」
なんとか元気付けたくて口にしたが、あまり効果は見られず「あぁ、ありがとう」と無理矢理な笑みを浮かべられてしまった。