第21話 一人の少女
「じゃ、最後におさらいしよう。引き渡し場所は、都の東側にある倉庫群のひとつで、目印は赤い屋根。
合図はノックを2回、3回、2回の順で、その後は僕らのパーティー名を名乗る。」
「は、はいっ!えっと、た、たしか『焔の巣』……、ですよね?」
「そう。大丈夫そうかい?」
「えっと、大丈夫……、だと思います。頑張ります。」
女将さんの娘として紹介されたテテさんとの挨拶を終えてすぐ。僕ら指定された流れの確認をしていた。
テテさんは柔らかな雰囲気の女性で、おそらくリュウさんたちと同じくらいの歳の頃。
スッと静かな佇まいからは可憐さが滲み、リュウさんが鼻の下を伸ばしてゼノンさんに脚を踏まれていた。
僕はと言えば、ゼノンさんから受けた説明を忘れないように、頭の中で反芻するのに必死で、テテさんに可愛らしいと小さく笑われてしまった。
ノックは2、3、2。それが終わったら焔の巣、えっとそれから……。
「ニケ君、赤い屋根の倉庫小屋、あれじゃないかな。」
「ひゃっ!あっ、そ、そうですね。」
出発の挨拶もまともにしていたか覚えてないほど、イメージトレーニングにのめり込んでいた僕は、いつの間にか目的地に到着していたらしい。
テテさんに声をかけられて、初めて目的地に到着したと気づいた。彼女が差す指の先に、赤色の屋根が見え、ドッと緊張の汗があふれ出る。
うまくできるかな、やらないと、僕がうまくやらないと、助けてくれた3人に恩を仇で返すことになっちゃう。
まもなく日が沈むのか、城壁が街に色濃く影を落とす。
その境界に目的の小屋があり、違う世界に脚を踏み入れようとしているかの様な、不可思議な感覚に陥る。
僕は思わず身震いして、手紙の入った革袋の口を持つ手に汗がにじむ。
「ニケ君?いかないの?あ、緊張してるのね。大丈夫よ、落ち着いて。はい、深呼吸。」
「は、はい……。すぅ、はぁ、すぅ……。」
テテさんに倣って、言われた通り大きく深く呼吸をする。僕にとっての安心と勇敢の象徴、兄さんを思い浮かべた。
すごい。ちょっとだけど、楽になった。苦しいほどこわばっていた体が少しほぐれた。
けれども、できるならこの重責から逃れたいのは変わらなくて。
「うぅ、い、行きたくない…。う、うまくできるかな?」
不安を解消して欲しくて、テテさんに問いかける。
「ふふふ、大丈夫。私もできる限りサポートするから。ね?」
テテさんは、にっこりと柔らかく微笑む。夕日の暖かい色を背負って、キラキラ輝いて見えた。そして、期待通りテテさんは僕を安心させてくれた。
そうだよね、1人じゃないんだ。テテさんは僕よりお姉さんだし、きっと色々フォローしてくれる。大丈夫、大丈夫。
ドアの正面に立ち、もう一度イメージトレーニングをして、気合を入れるためお腹に力を入れ、ついに意を決してドアをたたく。
コツコツ
軽い音が人気のない倉庫群に響く。
コツコツコツ
手汗はこぶしの中をぐっしょりと濡らすが、僕は意識して背を伸ばし、戸をまっすぐ見る。
コツコツ
「ほむっ――」
声が裏返った。恥かしくて一瞬うつむいてしまう。
でも、テテさんの靴先が目に入り、変わらず柔らかな笑みを浮かべるテテさんに勇気をもらう。
咳払いして、もう一度ドアに向き直る。
「ほ、”焔の巣”ですっ。あの、えっと、て、手紙を届けに来ました。」
少し待っても返事はない。不安になってテテさんを見るも、テテさんも不思議そうに首をかしげている。
「お留守……、なのかな?考えてみれば、ずっと倉庫にいるなんてことないし、もしかしたら先にどこかにお声がけが必要だったのかも。」
眉をハの字にしたテテさんは、困り顔で僕に言った。
どうしようかと途方に暮れていると、徐に倉庫小屋のドアが開いた。
立っていたのは僕とほとんど同じくらいの身長の、フードを被った少女。
「”焔の巣”は男性のみのパーティーだと聞いていたから、女性の立ち合いを求めたのだけれど?貴方たちは誰なのよ。」
高圧的な文言と態度に僕は一瞬怯むが、事情を知っているテテさんが前に出て、少女に説明してくれる。
「そう……。貴方は代理なのね。いいわ、入りなさい。」
剣呑な雰囲気を纏ったまま、入室を許可したフードの少女は、悠然と室内の闇に消えていく。
僕はテテさんと目を合わせ、テテさんを前にして戸をくぐる。静かにドアを閉めるのと、フードの少女が灯りを灯したのが同時だった。
ほんのわずかな灯りに照らされて、暗い室内に小さな机と二つの向き合った椅子が浮かび上がる。
上品な動作で奥の椅子に静かに腰かける少女。着席を促されて僕も恐る恐る座った。
「手紙を預かって来たのでしょう。頂戴するわ。」
強い鋭さをはらんだ口調で、少女が言う。
言葉に従って、預かってきた封筒を取り出す。その封筒は黒い紙で出来ていて、赤い蝋で封をされている。
それを見て、一瞬少女の空気が変わった。眉を寄せ、あきれた様相を隠そうともしない。
小さく嘆息した彼女は、手紙の中身を見ようともせずに懐へしまい込む。
「はぁ、またなの……。ともかく、ご苦労様。」
「あ、あの……!えと、め、目を通した事を確認してから、受け取り証明をもらってくるようにって……。」
手紙の封を切ることすらせずに、サッとしまい込んでしまった少女に対し、僕は怒られるかもしれないと、ビクビクしながら声をかける。
そんな僕を尻目に、少女は片眉をあげていかにも「仕方ない」といった様子で、もう一度封筒を机の上に取り出した。
「手紙の内容なんて、いつも同じようなものよ。最初の3通だけ読んだけど、4通目からは読まずに、燃やして暖を取らせてもらったわ。」
そう言いながらも、果物ナイフで封を切る手はとても柔らかく丁寧だ。
机の上に手紙を広げ、机中央の灯りに寄せる。手紙は2枚から成り、一枚を読み終えて捲ると、少女は再び小さくため息をついた。
「どうしてこうも、同じ内容ばかり送ってくるのかしら。それも2枚目が受け取りの証文になってるわ。
ここに私の署名が必要なのね。私が封を切らない限り、”焔の巣”は依頼が達成できない。相変わらず意地の悪い事をなさる方だわ。」
独り言のように発せられた声は、呆れと少しの怒りが混じっている。
手紙は一体、誰からどんな内容の物なのだろう。
冒険者に依頼してまで読ませたいという事は、何か重要なことが書いてありそうなのに、少女は呆れるばかり。
「あの、て、手紙にはなんて……?」
好奇心が募って抑えられなくなってしまった僕は、何の気もなしに疑問を口にした。
「貴方には関係のないことよ。」
ところが少女は、ピシャリと言い退ける。
少女は羽ペンを取り出し手紙の2枚目にサインをすると、丁寧に乾かして丸め、それを無言で差し出してくる。
「あ、あの…」
「”焔の巣”に渡しなさい。あとは彼らのサインが有れば、証文として成立するはずよ。」
「えっと、その、あ、ありがとうございます。」
僕が恐る恐る受け取ると、「面倒な用は終わり」とばかりに、少女は暗い倉庫の奥へと消えていく。
テテさんに促され、僕たちも退室し、ドアを閉めるために振り返る。
瞬間、心臓が石になった様な恐怖を感じた。
暗闇の中で、僅かな明かりを反射して光る目は、2組。たった数秒前まで居たその空間には、少女以外の何者かがジッと潜んでいたのだ。
見えたのは一瞬。もしかしたら見間違いだったかもしれない。
もう閉じてしまったそのドアを、再度開けて確認する勇気は無く、頭を振って恐怖を振り払い、女将さんと”焔の巣”が待つ酒場へと帰っていくのだった。