第101話 はじめての魔族
「――っ!!私の魔力を込めた壁を!?」
師匠は大きく薙刀を振り抜き、女を遠く飛ばして距離を取る。
重力が少ないかのように、フワリとやわらかく降り立った女は、四肢を地面に付きまるで獣の様な構えで僕らを睨め付けた。
師匠が咄嗟に手放した杖を、僕は慌てて拾いあげて、震える手を誤魔化すように強く構える。
遅れてヒロも、剣を鞘から引き抜いた。
女のフードが風に煽られ、素顔が露わになる。
女はーー 人間ではなかった。
耳は獣のそれが頭頂部に生え、手足には異様に鋭い爪を携えていて、白磁の肌からは要所要所に毛が生えている。
「フーーーーーッッ!!!!
コレだから人間は!!!!!! 平気で嘘を吐いて貶める!
もういい……! いいわ、八つ裂きして喰ってやる!!アタシの養分になれこのゴミクズドモめが!!!!」
ガチンッ!!
ドドドド!
バキンッッ!!!
四方から音は聞こえて来る、だというのに女の姿が見えないーーいや、追えない。
僕の目では、その動きを捉えきれていないんだ。
それはヒロも同じの様で、師匠だけが唯一、獣の女の攻撃を防いでいる。
女は脚力が高いのか、四方の壁や床を蹴るたびに ゴッ! ドゴッ!! と鈍い音を響かせているが、その音が聞こえる頃には既に次の床に手足を付いている始末だ。
バリッ
「いっっつ……」
嫌な音と共に、師匠から血が噴き出る。
「師匠!!??」
「ちょっと引っ掻かれただけだ! それよりお前ら、私の道具袋からありったけの薬を出せ!
ニケは効能がわかるはずだ、バフを掛けろ! 早くしないと死ぬぞ!!」
「は、はい!」
師匠の声は焦りに満ちていた。
師匠が敵の強さを見誤った……? いや、違う。
例え100%負けると分かっていたとしても、賢者の石を他人に渡すわけにはいかないんだ。
『賢者の石は、世界の理に干渉する』
それがどれほどの大事かはわからないが、錬金術師としての誇りと執着心だけは人一倍に高い師匠に、「実在してほしくなかった」とまで言わしめた存在だ。
師匠としては自分もまけ、弟子二人を失う可能性と天秤にかけても、賢者の石を奪われないことの方が重要だということ。
そして一か八かを狙って奇襲をしかけた。
奇襲が失敗した今、この脅威を前にして僕らに出来ることは無いに等しい。
藁にもすがる思いで、師匠の道具袋をひっくり返し、あらゆる薬を僕とヒロに振りかけていく。
その間にも女の猛攻は続き、師匠も息を切らしてきた頃、ようやく僕らも自分の身を守る程度には反応できる様になった。
それを警戒してか、女は再び距離を取る。
「はぁ、はぁ……。
その見た目、この強さ、そして何よりより残忍な方法で殺してやりたいと思わせる嫌悪感。
テメェ、まさかとは思うが、――魔族、だな?」
魔族
その単語に僕とヒロは疑問符を浮かべる。
魔物とは違い、聞き慣れない単語だった。
「あら、よくご存知ね。 ほんっと、人間ドモのその知識への貪欲さだけは尊敬するわ。 嫌気がするほどに。」
女は愉快そうにクスリと笑い、外套を脱ぎ捨てる。
その下から現れたのは、人間よりも獣に違い体躯と、毛に覆われた腕と脚、そして腰からは人間にはない長い尾が生えていた。
「おいおい、もしかしてこの世界って獣人は全部、敵な感じ?」
「師匠、魔族ってなんですか? 魔物とは違うんですか??」
「ん、授業はあとで、なっ!!」
再び向かってくる猫女を薙刀で弾き飛ばし、師匠はそう答える。
けれども、僕らは防戦一方で、対して魔族の女は余裕があり、どこか痛めつけて弄んでいるような雰囲気さえある。
自分たちを薬漬けにドーピングしてこの力量差。
薬やアイテムの効力が切れた時のことは、あまり考えたくない。
その後も杖で防壁を貼り、短剣で攻撃を逸らし、ヒロもなんとか盾と剣で身を守る。
師匠もスキルを使いすぎたのか、動きが鈍くなっていく。
「くっ……『風雷刃』!!」
「んふっ、甘いわねぇー。 当たらないと意味無いわよ?」
間合いは師匠の方が広いはずなのに、女は悉く攻撃をかい潜り、逆にこちらは致命傷とまではいかずとも、傷が増えていく一方だ。
「師匠……! このままじゃ、どうしようも……。」
弱音を吐く僕に、師匠は怒鳴りつける様に答える。
「っせぇぞ馬鹿弟子!手を動かせ!
応援は呼んであるんだ、助けが来るまで耐えろ!!」
いつの間に呼んだのか、と思ったがそれを認識していなかったのは魔族の女も同じらしい。
耳を一瞬ヒクつかせると再び距離を取り、なにやら思案しはじめた。
それを好機と捉えたのか、ヒロが走り出してしまう。
「っ――! バカ!!!!」
キンッ、と短い金属音。
次いで聞こえたのは、液体の溢れ出る音。
「ゴフッ……。」
「――っっ??!!し、師匠ーーっ!!!!」
僕は『瞬発』のスキルで詰め寄り、呆けているヒロと師匠を、魔族の女から引き離す。
直後彼らのいた所に、女の蹴りが炸裂して彼女の足が地面にめり込んでいた。
「師匠、師匠!!」
「ゴフッ、ゴポポ」
師匠は肺を片方やられたらしい。
喋ろうとするたび、詰まった排水溝のような音と共に、口からも胸元からも血が溢れ出ていた。
女を見ると、師匠の体を突き刺したその右手から、大量の血が滴っていた。
「あっ、あ…… じ、ジェフ、師匠……」
ヒロはフラフラと揺れる瞳で、顔を真っ青にして立ち尽くしている。
その体は情けなく震え、嫌な汗をだらだらと流していた。
「ふぅん……?心臓を刺したと思ったのにねぇー。
薙刀の柄で軌道を逸らすなんて、中々やるじゃない。
でももうお遊びは終いよ。応援とやらが来る前に、殺してあげるわ。」
「――っ、ヒロ! ヒロしっかりして!!
僕が師匠の回復をする間、アイツを足止めして!」
「むり、ムリだニケ……!無理だ……!!」
ヒロはガタガタと震えだし、自身の体を抱いて蹲ってしまう。
「もう遊びは終わり」と宣言した通り、先ほどと打って変わって急所を執拗に狙って来る女を、なんとか短剣で弾いていく。ヒロが立ち直ってくれなければ、全滅まで時間の問題だろう。
「ヒロ!!! 師匠は今ならまだ助かるかも!ヒロってば!!」
「ムリだ、俺には出来ない……むr――」
ゴッッ
無理だ無理だと連呼していたヒロは、鈍い音を立てて地面に這いつくばった。
一瞬目をチカチカとさせていたが、その攻撃の出ところを知るなり、驚いて固まった表情のままソチラに目をやる。
「ジェフ……師匠……」