第1話 出会い
僕には夢がある。それは輝かしい記憶の中に存在する、ただ一幕の短く儚い物語。
吸えば吸うほど苦しくなる呼吸、痛くて熱い腕、悲鳴を上げる足腰。
僕は泣いていた。
(こここ、怖いっ!! い、嫌だよ、魔物に食べられるのは嫌だ!)
そう思って懸命に足を動かすも、自分の足に躓き、盛大に転んでしまう。
(ひ、ひぇ!! た、たた、たべられるっ……!!)
けれどその時、その人は僕の前に現れた。そしてそっと抱き寄せ、暖かく撫でる。
『もう大丈夫。ほら、泣かないで。俺の大事な女神様。』
覚えてるのは、優しい声と僕に触れる手の感触、温度、彼を包む漆黒のコート、僕を守った呂色の剣。
暖かい幸せのひととき。離別がニケに降りかかるまでの、束の間の休息——。
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「おーい、ニケ。遅いぞ! また寝坊か、このグズ!」
乱雑に叩かれるドアの音と、口汚い罵りの声。
はっとして目を開き、転がるようにして、未だ被虐の中にあるドアまで駆け寄る。
夢を見た。昔の夢を。
幼い僕は友達が少なかったために、興味本位で村から出て、3匹もの魔物に追われていた。
もうその魔物がどんな種族だったかなんて覚えていないけれども、助けに現れたその人の背中はよく覚えている。
僕を救ってくれたのは兄さんだった。といっても、血は繋がっていない。
あの日、魔物に襲われているところを救われたのが、初対面だった。
けれどもその日以来、僕のことを、それはもう大切に育ててくれた。とても仲が良く、お互いに大切な存在。それだけで血の繋がりなんてどうでもいいと思える、まさに理想の兄だった。
そんな兄さんは、僕が10歳になった日、この村から姿を消した。
その理由は誰も知らなかったし、当然僕にも知らされていなかった。
僕と出会う前の兄さんは、優秀な冒険者だったと聞いたことがある。
けれど、この村の前魔物に襲われている僕を見た後、僕が村でも虐げられていることを知って、そのまま見捨てることが出来ず、育てることにしたらしい。
10年も本業を疎かにしたんだ。元の職業に戻ってもおかしくはないし、僕をおいて村を出たのも「危なくて連れて行けない」と判断したからだと予想もつく。
だけど、だとしてもだ。
なぜ何も言わずに出ていったのかとか、手紙くらい出したらどうかとか、今どこで何をしていているのかとか、無事に暮らしているのかとか。
言いたいことや訊きたいことは山ほどあるのだ。
それに、兄さんは魔物との戦闘こそ得意だったが、家事は苦手だった。いつからだったか忘れたが、気づいた頃には僕が家事をすべて担っていた。。
「いつも悪いね。ありがとう。」なんて笑いながら僕を見つめる目はとても暖かかったのをよく覚えている。
食生活のバランスを崩して体調を崩していないだろうか。そんな心配もある。
兄さんにもう一度会いたい。でも会うだけじゃなくて「僕はこんなに立派になったよ」って、兄さんに自慢できるような、そして「こんなに立派な奴が弟なんだ」って兄さんが自慢できるような、そんな弟になって会いに行きたい。
だから僕は、冒険者になりたい。そして兄さんにその名が届くくらいに有名になるんだ。
そうしたらきっと会えるから。強くなって、兄さんと肩を並べられるように。そして、今度は僕が兄さんを守るために。
それが、今の僕の夢。
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荒々しく叩かれて悲鳴を上げ始めたドアを小さく開け、隙間からそっと覗くと、家の前には予想通りの人物がいた。
冷たい琥珀色の目でジロリと睨む目と視線が絡み、瞬間、短く喉を鳴らして思わずドアノブを引っ張った。
だが、一瞬遅かったらしく、ドアの隙間に爪先を挟み込まれた。
「おーはーよーうー、寝坊助ニキちゃん?」
「お、おお、おはっ、おはようございますっ!!!」
笑ってない。目が笑ってない。目を弓なりに細め、唇の両端を釣り上げている彼の瞳は、間違いなく冷え切っている。
「お前、なんでまだ寝巻きなんだ……!さっさと着替えてこい、このグズが!朝礼はお前待ちだぞ!!」
「ひぃぃっ!」
鼻先数センチで怒鳴られた僕は、情けない悲鳴を漏らしながら家の中に転がる様にして舞い戻り、わずか5秒という早着替え新記録を叩き出した。
僕らの村は、朝礼から一日が始まる。村中の人が集会場という名のボロ屋の前に集まり、村長から仕事の分担やお知らせを聞く。
村中の人、と言っても人数はそう多くはないが。別段変わったこともなかったため、いつも通りに朝礼が終わり、僕もいつも通りに畑に向かった。
この村での生活は、基本的に村の中だけで完結している。
村長が権力者として村を統率し、村民は特別な事情がない限り、畑仕事か村の外での狩猟・採集などをして毎日を過ごす。
道中には魔物がいて危険なため、他の街まで買い物に行く事は、年にほんの数回。
実を言うと僕は、戦闘に関しては全くと言っていいほど、才能がない。初めて村の外へ出る狩猟・採集の班に入れられた際、完全に班員のお荷物だった。
狩猟ができないだけでなく、周囲の魔物に怯えて、ただ薬草を採取するだけのことも、満足にこなせない。こんな調子じゃ村から出ることすらできなくて、冒険者なんて夢のまた夢だなぁ、なんて自分で思ってしまう。
魔物を倒すと、「経験値」や「ミスト」と呼ばれる霧が発生し、戦闘の貢献者の体内に取り込まれるので、レベルが低いうちは、攻撃と退避を繰り返して高いレベルの人がトドメを刺すのがセオリーらしい。
ところが、当然僕のように「一度もダメージを与えに行かなかった」者は分配対象ではない。せめて支援系スキルでも使えれば、攻撃をすることなく戦闘に貢献したとみなされて、経験値が吸収できるのに。
畑の仕事は楽ではないけど、外にでる仕事に比べればかなり楽しい。
自分で耕した畑に、自分が植えた種が芽を吹き、大きくなって。これがやがて実をつけると考えると、今から待ち遠しい。
それ以外にも牛類や馬類のモンスターから採集したフンを肥料にするため、薬草と一緒に混ぜ込んだり、他の街や村と商いを交わすのも村民の役目だ。
僕は、他の村民が水やりをしている間に、作物に害虫が付いていないか念入りにチェックしていく。
(っと、これもよし、これも。あ、こっちはちょっと喰われてるな……。食べ方を見てもわからないから後で村長に報告っと。)
作業を続け、太陽が頭の真上まで来た時、お昼休憩に入る。
一度家に帰ってお昼を食べ、日が傾き始めた頃にまた再開する予定だ。農具を片付けて、やっと一息ついたとき、後ろから肩をひどく叩かれた。突然のことに驚いて思わず後ろを振り返ると、朝と同じく鋭い目をした青年が立っていた。
「おいニケ、昼寝して寝坊したらただじゃおかねぇからな。」
「うぅ……わ、わかってますよ!」
そう返事をすると、彼はニヤリと意地悪く笑って「ならいいんだが?」と馬鹿にするように言った後、一度もこちらを振り返ることなく自身の家の方へ歩いて行った。
彼の名はグリズリー・ドール。村長であるヒグマ・ドールの息子で、かなりの高身長な上に、筋骨隆々な青年だ。
彼は僕が薬草採取をできないで、兄さんにしがみついている間に、周囲の魔物を一掃した。そのときに見た彼の戦闘は、豪快かつ爆発的で、全長が彼の身長ほどもある巨大な両刃斧を軽々と振り回していた。
一撃振り下ろせば地面が抉れ、砂埃が舞い上がり、そこにいたモンスターは確実に仕留める。それが彼の戦闘スタイルだ。元々、「女々しいのが嫌いだ」ってことで男の僕を「ニケちゃん」と皮肉交じりに呼んでいたが、その時から更に扱いはひどくなり、今ではまともに人間として扱われてるかさえ怪しい。
精々が出来の悪い犬だろう。
僕は、自他共に認める中性顔だ。
パッチリとした二重の目に、細く整った眉、白い肌に、丸みを帯びた顔立ち、そして濃く長い睫毛。ブロンドの柔らかな髪は、兄がそんな僕に合わせて「ほら、ニケが1番可愛く見えるのはこの髪型なんだよ。」なんて、作ってくれたポニーテールがお気に入り。
自分でも、「これは女の子に間違われるよなぁ」とは思うけれど、兄と再会したときに、僕だとすぐわかるようにと考えると、やめられないでいる。
なにより、髪がまとまってくれていた方が、農作業中は便利なのだ。
体型も華奢で、体を動かすのもあまり得意じゃない。それ故か、昔はよく同年代の子供たちからイタズラや嫌がらせを受けた。その度に兄が庇ってくれたのだけれど、それが余計に増長させていたとは最近になって気がついた。
僕のことは当然村の中では既知なので、村だけでは、もう本気で女に間違われることはないけれど、行商人など偶に外から男の人が来ると、声をかけられることも珍しくない。それ自体は不快に思ってはいないが、勝手に勘違いしたのに、男だと知った時に逆ギレするのは理不尽だと思う。
村の外れの畑から歩いて、やっと自宅にたどり着き、ドアに手をかけたところでザワザワと周りが騒がしくなった。僕は回し掛けていたドアノブから手を離し、人が集まり始めた門へと近づく。
既にできていた人集りを掻き分け、みんなが向いている方を見ると、そこにいたのは冒険者と思われる男女6人組だった。系統こそ異なれど、全員が相当な美形である。
魔物の首らしきものを持ち、腰に剣を提げる男が先頭に1人たち、その後ろに並ぶでもなく槍を持った男3人と魔道具、杖をそれぞれ持った女性が2人。
(……?なんだろう?冒険者がこの村に来るの、珍しいな。)
僕が物珍しさに先頭の青年の顔を凝視していると、一瞬目が合いニタリと笑った気がした。
瞬間、ザワリと背中を何かが駆けた。
その気持ち悪さに僕はつい人の垣根の中を戻り、彼らが見えないような位置に移動する。そしてホッと一息ついた時、おそらく先頭の青年であろう声が響いた。
「村長に取次ぎを願いたい。この首は先ほど村の前で刈り取った魔物の首だが、この辺りに生息しているという情報はない。よって、報告と相談に来た。」
来訪の内容は納得できるものだ。
魔物は、その危険性から生息分布を明確にすることを目的に、変更があれば冒険者たちへの情報提供が義務付けられている。
それと同時に冒険者側にも、情報と違うことがあれば周囲の"街"に報告することが求められるのだ。
冒険者側には義務はないが、情報提供や宿の恩恵に預かる身として報告するのが礼儀であると考えられているらしいとは、かつて同じように冒険者の訪問があった時に、兄さんから聞いた。
これまでにも何度かこんなことがあった。調査の結果はそのほとんどがダンジョンから出て来てしまったはぐれの魔物だった。中には新しく派生したモンスターや、他所からやってきて住み着いていた、なんて例もあるらしいが、この村の周辺では聞いたことがない。
「そうだな……、そこの君、お願いできないだろうか?」
その指の先を見ようと全員が振り向いたことで、彼らから僕まで一直線に視線の道が拓けた。
「……へ??」
「君に頼みたいんだ。お願いできるかな?」
爽やかな笑みを浮かべたその目の奥に、少しだけ、嫌なものを感じたような気がした。