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花弁

作者: 松宮 奏

忙しなく過ぎた高校生活も思い返してみれば、あっという間だった。県内屈指の強豪校であるこの高校の陸上部に所属していた僕は朝から晩まで文字通り走り回っていた日々だった。高校生活のトータルを総括すれば楽しい思い出より辛いことや苦しいと思うことのほうが圧倒的に多かったが、いつも走っていたグラウンドを通ってこの3年A組の教室へ来るのも最後かと思うと月並みだけどやはり寂しかった。それに天鵞絨のような髪を肩で切り揃えたこの後ろ姿が見納めとなると思うと尚更だ。そう。僕は、僕の前の席に座る涼子に恋をしていた。


僕は昔から何か物事を決めるとき、人に任せにしたり、時にはサイコロ、時には鉛筆などを利用して運に任せることが多い。何故なら自分で決めたことの責任を自分で負いたくないからだ。何かのせいにしておけば楽だからだ。よく、雑誌やテレビなどで実業家やロックスターが(やらずに後悔するよりやって後悔するほうがいい)と、人生をすべて歩み終えたように語っているのを見かけるが、僕の考えはその真逆だ。やって後悔するよりやらずに後悔するほうがいい。その方が(もしあの時こうしていれば)といつまでも思い続けていられるからだ。もし、やって失敗してしまっては、確固たる変えられない現実を突きつけられる。真実を知るのが怖いのだ。心が痛いのが怖いのだ。それよりは、いつまでもタラレバを言って、幻想の中で生きていく方が幸せだと思う。

そんなにも女々しい考えを持っている僕なのに、高校を卒業してしまう前に、涼子に好きだという思いを告げるかどうか悩み始めたのは、やはりどこかで今の自分ではいけないと思っているのか。それとも、涼子にそれほどの魅力があるのか。おそらくそのどちらもだと思う。とはいえ告白するかしないか、その単純な二択でさえも自分で決められない僕は、あるものにその運命を委ねた。

3年A組の教室は校舎の二階にある。僕が座っている窓際一番後ろの席からは、中庭に植えられた桃の木が僕と顔を並べるくらいの高さで咲いている。春の初めに満開を迎える桃の木だからもう殆どが散っていたが、一週間前、一番大きな桃の木に一枚の黄色味かかった白い花弁が残っている事に気が付いた。


(花弁一枚が散る時に)


卒業式まで1週間。その間にこの花弁が散ったら僕は涼子に告白する。僕はその花弁に運命を委ねた。



そう決めてはや1週間が立ち、今日が卒業式だ。担任の

先生が教室に入ってきて最後のホームルームを始める。僕は座席から窓の外に目を向けて例の桃の木に目をやると花弁が一枚。春の温かい日差しに照らせれて笑うように揺れている。

ホームルームが終わり僕らは教室を出て、卒業式の会場である体育館に向かった。式が始まり、来賓の挨拶、校長先生の祝辞、在校生の贈る言葉、卒業生代表の謝辞、校歌と蛍の光の斉唱。リハーサルしていた通り順調に式は進んでいった。校歌斉唱の時に涙を流している涼子の姿が視界に入った。泣き顔さえも綺麗だった。今日で本当にこの姿も見納めなんだな。泣いている涼子の姿を見ていると貰い泣きしそうになったので視線を外して天井を見上げた。



思えばいつからだろう。いつから僕はこんな、言いたいことも満足に言えない、自分のことも自分で決めれない、こんな弱い人間になってしまったのだろうか。変わりたいと願ったことはある。変わろうと自分なりに行動したこともある。だがそのたびににテコでも動かない自分に返り討ちにされてきた。何度も自分に返り討ちにされるうちに僕は僕から逃げるようになり、心に殻を被って破らないように破られないようにこそこそと生きてきた。その結果好きな人に好きだとすら言えない人間になってしまったのだ。変わりたい。変わりたい。変わりたい。今まで何度も思ってきたことが今も心が反芻している。なんだかさっきまでとは違った涙が出そうで僕はまた天井を見上げた。

そうこうしているうちに気が付けば式は終わっていた。


式が終わると真っ直ぐ教室には帰らず校庭に寄った。卒業生は大抵そうしているらしい。広い校庭に黒い粒々が散らばっていて、この風景を飛行機から見たらチョコチップクッキーみたいだろう。僕は部活動の仲間の所へ行った。一緒に卒業する3年間苦楽を共にした仲間と共に後輩達に卒業を祝われた。毎年恒例の在校生からの寄せ書きの色紙を渡された。一人一人が丁寧に書いていてくれて自分は先輩の事をこんなにも想って書いていたかなと少し反省した。

部活の仲間達。在校生達。さらにはクラスやその他の仲の良かった卒業生達と数えきれないくらい写真を撮った。また会おうって確証のない約束をいくつもした。その間、涼子の姿は一度も目に入らなかった。というより目に入れようとしていなかったのかもしれないけど。心の中には黒いモヤモヤがずっと浮いている気がした。


これでいい。僕はこれでいいんだ。結局いつもと同じ事の繰り返しだ。もう自分に挑んで痛い想いをするのは嫌だから。やって後悔するよりやらないで後悔しよう。今回もそれでいい。

僕はモヤモヤを振り払う為に自分に言い聞かせた。



一通り部活の仲間やクラスの仲間と写真撮り終えて、僕は部活の仲間でありクラスメイトでもあり親友でもある光輝と教室へ荷物を取りに戻る事にした。

「良かったのか?涼子に告白しなくて」

僕の涼子に対する想いを光輝だけは知っていて応援してくれていた。でももういいんだ。

「そっか。お前がそう決めたなら俺から言えることはないけど」

声には出さず首を横に振って答えた僕に光輝はそう言った。


校舎の階段を登って二階までくると廊下を歩き一番奥の3年A組と書かれた教室の扉をくぐる。窓際の自分の席へと向かう。この茶色い床も傷だらけの黒板もこの席も全てが最後かと思うと、もう一度に座って、そこから見ていた景色を見てみたくなった。頭の中に何気ないクラスの一コマが浮かぶ。いじめや仲間ハズレなどなくみんながわきあいあいとしていていいクラスだったなと思う。

ふと窓の外に目を向けてみた。空はいつも以上に晴れ渡り、どこまでも青く澄み渡っている。僕は視線を少し落としあの桃の木に目を向けてみたーー


!!!!!!!!!!


僕は瞬間、心臓が握り潰されたかの様に脈うち身体中に血液が一気流れるのを実感した。

春の温かい日差しに照らせれて笑うように揺れていた、あの花弁が散っていたのだ。

僕はガチャリと大きな音を立てて席を立った。自分の席で同じように感慨にふけっていた光輝を見つめる。

「行ってこいよ。待ってるから」

光輝は僕の表情を見て全て察したようだ。

僕は頷いて走り出した。教室のドアを勢いよく開けて来た道を走った。階段で転びそうになったが、体勢を整えてまた走った。涼子のいる場所のあてなんてなかったけど走りながら考えた。涼子と仲の良かった友達、先生。涼子が入っていた美術部の後輩。思い当たる全ての場所へいった。だがどこにもいなかった。

陸上で3年間鍛えてたとは言え、流石にこれだけ走ったら息があがって校庭の隅に置かれているベンチに腰掛けた。チョコチップクッキーの様にいっぱいだった校庭に生徒はもう一人もいなかった。

そりゃあそうだよな。恐らく涼子ももう帰ったのだろう。もしかしたら僕は何処かでそれに気が付いていながら走ったのかもしれない。自分への失望か、はたまたやれる事はやってみたという小さな達成感か、どちらにせよ良い意味ではなく吹っ切れた僕はなんだか無性に花弁が散った桃の木を見たくなった。椅子から立ち上がり中庭に向かって歩き始めた。


中庭には農業部が野菜を育てる畑があってその周りを覆う様に桃の木が植えられている。校庭から中庭へ行くには、校舎から体育館への渡り廊下をくぐって入らなければならない。渡り廊下を渡ってすぐ目の前にある桃の木から数えて10本目の桃の木が、僕が校舎から見ていた花弁が一枚付いていた桃の木だ。


僕はその桃の木までゆっくり歩き出す。

歩いている途中、桃の木にもたれかかる様にして立っている人影がある事に気が付いた。だんだんと人影が大きくなる。大きくなっていく内に、その、肩で切り揃えた天鵞絨の様な髪の後ろ姿で人影の主が分かった。僕は今すぐこの場から立ち去りたいり衝動に駆られて迷っていた。そんな僕を見兼ねたかの様に後ろに目でも付いているかの様に、その後ろ姿は振り返った。

その後ろ姿は他の誰でもない。涼子だった。


「好きだ。好きだったんです。ずっと前から」


自分でも思いもよらなかった。涼子が僕の姿を認め、口を開く前に僕の想いが勝手に声に変わって溢れた。

涼子は豆鉄砲を食らった鳩の顔になっている。

勝手に溢れ出た想いを繋ぐ言葉を僕は必死で探したが浮かんでこない。心地の悪い沈黙が続く。額から手から背中から汗が溢れ出る。ああ。何か話さなければ。続けなければ。必死に頭を回転ささればされるほど雪の上に降った暖かい雨のように溶けて真っ白になる。

そんな僕を助けるように、小鳥の囀りのような柔らかい涼子の声が沈黙を優しく壊した。

「私がここに居たのは、君がいつもこの桃の木を見てたのを知ってたから」

涼子は泣きながら笑っていた。

「私も。私もずっと前から好きだったよ」 

春の風に吹かれた桃の花弁が一枚、笑うように2人の間で舞った。





「ええ。僭越ながら、2人の門出を祝って乾杯の音頭をとらせて頂きます」

そう言ってスーツを着てマイクスタンドの前に立つ光輝が少し緊張した面持ちでグラスを右手に掲げた。

雲をモチーフにしたチャペル。白いクロスの敷かれた丸テーブルが会場の至るところに配置され、それを囲うように置かれた椅子に団体別に分けられて沢山の人が座っている。僕はその中央部、金屏風の前に置かれている、一段高い主賓の机の前に腰掛けている。

そう。今日は僕の結婚式だ。

僕は学生時代の頃を思い出していた。

あの時の一枚の桃の花弁のおかげで今の2人がある。

僕は自分が嫌いだった。あの時は一歩踏み出せた。けど、それで自分という人間が大きく変われた訳では無い。今でも自分を好きかと言われればそうとは言い切れない所が多々ある。しかしそう言った感情は人間なら誰しも持つものだ。人間は迷う生き物だ。

時には誰かのせいにして、何かに身を任せ、自分の行動を決めるのも、時には悪くは無いのかもしれない。

僕は主賓席の僕の隣に座る涼子に目をやった。

桃の花弁の様に真っ白なウェディングドレスを着た涼子は、いつにも増して綺麗だった。

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