魔王さん、もう一度人間を恐怖させてみる
足指の痛みがおさまってきたのか、アイリはいつの間にか寝息を立て始めていた。
俺はその様子を確認して、寝室の扉を閉めた。
「魔王様って、ホント甘いわ」
「うわっ! ビックリさせるな、フルゥ」
気配を感じ取ることを怠っていたので、苦手な不意打ちをくらい、心臓がバクバクと鼓動した。
寝室前の廊下にいたのは、召使い兼サキュバスのフルゥだ。フルゥは自慢のボンとでかい胸を見せつけつつ、甘い声と蠱惑な笑みで、俺に近寄ってきた。
フルゥの谷間を見たところで、俺の威厳が損なわれることはないが、何となく天井を見つめることにする。
「ねえ、あの子、どうするつもりなの?」
「そんなのは決まっている。恐怖を与えてやるのだ。今の優しいイメージは、俺のプライドが許さないからな」
「へえ。じゃあ、あの子、捨てちゃえばいいじゃない?」
「……捨てる?」
「ええ。いま介抱によってあの子は優しさに包まれてるんでしょ? その優しさをすべて裏切っちゃうってこと。魔王様のその行動はあの子にとって理解不能なものに見え、魔王様の真の恐怖を味わうことができると思うわ」
「い、いや、それはどうだろうか……」
俺はそんな場面をふと想像する。
笑みを浮かべるアイリの布団をはぎ取り、戸惑うアイリをかかえ、そのまま魔王城の外に捨てる。アイリは救いを求め、魔王城の門を叩くが、俺は無視して魔王としての日常を取り戻す……ダメだ、想像しただけで吐き気がこみ上げてきそうになる。
「それに勘違いをするな。俺は生きたまま、あいつに恐怖を与えたいのだ。魔王に恐怖しない人間の存在は、俺のプライドに関わる。確かに、無慈悲にあいつを捨てることは簡単だろう。しかし俺を見て恐怖することと、それは違う。あいつには俺の顔を見て、恐怖して欲しいのだ」
「ふーん、何だかひねくれた理屈だけど、私は部下として、魔王様の意向に従うわ。私は人間に対して優しくはないけど、人間に対して優しく涙まで流す魔王様のこと、私は大好きよ」
そう言ってサキュバスは俺の頬にキスをし、その場から去っていった。
優しいと言われるのは、やはり身内でも心外だ。優しい魔王なんて、魔族から舐められるだけだ。
それにしても、
「泣いてるところも、見てたのか……」
迂闊だった。
※
アイリの介抱と長話に時間を取られすぎていたので、やるべきことがたまっていた。
狭く、真ん中に水晶だけが置かれている部屋。そのなかに入り、水晶に触れた。
触れられた水晶はポワッと明るく光り、魔族が住む土地を次々と映していった。
別に四六時中戦っているわけではないので、まったりと食事を探している者が多い。寝ている者もいる。たるんでいる、と少し思うが睡眠は大切なので放置する。
人間の社会は睡眠時間を削って作業をすることを良しとするらしいが、魔族は違う。睡眠は取れるうちに取っておくべきだ。
そんなことより気にすべきなのは、今まさに、人間と戦っている魔族のことだった。善戦して人間を追いつめている者は良しとして、追いつめられている者は問題だ。
大概の人間は勇者の称号欲しさに魔族を討伐しようとする。それは魔王である俺も含まれている。
人間にとって魔族とは、承認欲求の道具に過ぎないということだ。それは命の愚弄でもある。
アイリの件も含め、やはり人間は駆逐しなければいけない……。
「ゾルディアックス、聞こえているか。魔王だ」
『ま、魔王様……ッ!?』
水晶越しに声をかけられたゾルディアックスは、人間たちから逃げながら言う。全身から毛の生えた亜人の中でも特に大きな魔族としてゾルディアックスは、人間から恐れられている。だが、今はそんなゾルディアックスが人間たちを恐れている。
「苦戦しているようだな?」
『申し訳ありません、魔王様。ですがこんな人間ども、我が古代魔法をもってすれば瞬殺です! ご心配には及びません』
しかしゾルディアックスの声は恐怖で震えていた。逃げて息切れしているだけではあるまい。魔王である俺に対して、優秀な部下というプライドが邪魔をして本音が言えないのかもしれない。
よくあることで、俺はついやれやれと声に出してしまう。
「俺は魔王だ。嘘はすぐに見破ることができる。本音で話せ、ゾルディアックス」
『……古代魔法を放つ力はもう残されていません。我々の部下も、半数が死に絶え、他も各々の判断で逃げ回っています。ここにいる勇者たちは獰猛で、暴力的です。生きて帰れない覚悟はみな、出来ています』
「分かった、増援を送ろう。近くで暇そうにしているワイバーンたちを寄越す」
『ワイバーンというと、ノーブルドン台地の奴らですか……彼らも戦いで忙しいと思いますが』
「たわけ! 縄張りのことを気にするのはやめろ! みすみす部下を死なせてなるものか! これは命令だ。合流し次第、共闘し、悪しき人間どもを恐怖させよ」
『……はっ。それまで、なんとか逃げ切ってみせます』
水晶は何も映さなくなり、部屋の暗さに溶け込んだ。
俺はやれやれと、また声に出しながらも、ノーブルドン台地のワイバーン部隊に、水晶経由で応援を頼む。
「苦戦しているゾルディアックスを助け、人間を恐怖のどん底に叩きこめ」
『了解。ゾルディアックスたち、空中戦できないですからね。余裕で人間ども殺戮してきますよ』
「頼んだぞ」
また部屋は暗くなる。
もうこれでいいだろう。
きっとゾルディアックスたちは助かる。人間たちはまさか増援部隊をこうして呼ばれるとは思ってもいないはずだ。
魔族たちは強いが総じてプライドが高く、縄張り意識が強い。堂々と拠点を築くと、いつの間にか周辺地域に魔族討伐方法が出回り、勇者たちはそれを頼りに魔族を討伐する。
共闘は俺から言わないと動いてくれない。そんなことだから、人間の土地が広がり続けてしまうのだ。
本能で動きすぎている。頭が痛い。
※
一仕事おえた俺は水晶の部屋から出た。
すると六本の腕をせかせかと動かす蜘蛛童女ルトンが俺にギュッとしがみついてきた。
「心配したよー」
「何がだ?」
「ゾルディさんを助けるために人間をみなごろしにすると聞いて、安心したよー。あの人間を助けて、泣いてたところを見て、もう魔族は人間にこーふくすると思っちゃった」
あの人間とはアイリのことだろう。
しんぱいだったよー、と言うわりにはルトンはいつも通りの笑顔を見せる。少しだけ裂けた大きな口の笑顔だ。
「俺が人間に降伏? するわけがない」
「どうして?」
「人間は悪だからだ。名誉や承認欲求のために魔族を……命をもてあそぶ。そんな悪を駆逐するのに理由はいらないだろう」
「なるほどー。でもあの人間は?」
「あいつは命をもてあそばない人間だ。悪ではない」
「だから殺さない?」
「そうだ。それに恐怖してもらわないと、俺のプライドに傷がついたままになる。そうだ、一つ提案があるんだが、頼みごろをしてもいいか?」
「いいよー暇だからね」
そして俺はルトンに頼みごとをする。
ルトンはその頼みごとに、「任せた!」とVサインを送ってくれた。
さて、これで俺のプライドが少しでも回復すれば良いのだが。
※
魔王城の地下室で俺は腕立て伏せをしていた。
魔王は特に用がなければ魔王城にいなければならない。それは初代魔王の頃からの伝統であり、魔王の未知なる恐怖を人間たちに知らしめるための術でもあった。
事実、人間の語る魔王の話は噂ばかりだ。それも、だいたいが大袈裟だ。人間を食うなんていう話もある。
俺は人間を食べたいなんて、一度も思ったことはない。食べる魔族は知っているが、見ていて不味そうとしか思わない。
しかし魔王城に引きこもっていると体力、筋力ともに衰えていくので、日々鍛錬は欠かさず行わなければならない。
ガハハと笑いながら、玉座に座っているだけで強さが保てるような生き物はこの世に存在しない。
二時間に及ぶ筋トレをおえると、俺は屈伸をして大広間に出てアイリの眠る寝室へと向かった。
ルトンの頼み事の成果が、そろそろ出ていると思ったからだ。
俺は筋トレのまえ、ルトンに簡単な頼み事をしていた。
内容は単純なものを一つ。
『寝室で眠る人間を怖がらせろ』
それだけだ。
アイリは人間のクセに、極悪非道な同族のおかげで、魔王城もこの俺のこともちっとも怖がろうとしない。おそらく、魔族も同じ扱いになってしまうだろう。
だが、それで引き下がる俺ではない。
まずは蜘蛛童女のルトンが、大きく裂けた口を見せ、アイリを怖がらせる。あの口の大きさは人間に生理的嫌悪や恐怖を思わせるはずだ。そこをアイリが恐怖する。そして魔族や俺の真の恐怖を実感してもらう。
さすがに恐怖してくれるだろう。
俺は階段をのぼって、寝室の扉のまえに立った。
寝室からはキャッキャと、楽しそうなルトンの声が聞こえてきた。
きっと、恐怖で引きつったアイリの顔を楽しんで見ているのだろう。
作戦は成功だ!
「よくやったぞ、ルトン!」
俺は喜び、勢いよく扉を開けた。
だが、飛び込んできた光景は、予想もしないものだった。
キャッキャと楽しんでいるのはルトンだけではなかった。
というより、ルトン以上に、人間のアイリが楽しんでいた。
アイリはベッドに座ったまま、ルトンの腰を手でつかみ、体を持ち上げ、まるで人形遊びをするかのように楽しみつつ言った。
「カ・ワ・イ・イ・~!」
ルトンは笑みで口が裂けている。それを見ながらアイリはテンション高く言ってのけた。
金曜ぐらいに更新します。