第八話 散布
いよいよ殲滅戦が始まります。
――1945年(昭和20年)3月 皆神山 基地
「散布物の生産は順調でス」
「特定阻害のため起動時間にバラつきを持たせていまス」
「隔離阻害のため起動から活動停止までの時間を短く設定していまス」
「残存個体集団の多様性確保のため判別基準に揺らぎを持たせていまス」
敵対勢力の完全排除に向けて用意された 人工細菌は、国内に居住する外国人(と日本人)を被検体として、極めて効率よく感染が拡大する様に調整されていた。
細菌に感染した直後には免疫反応により若干の発熱や倦怠感が出る場合もあるが、それもすぐに細菌から放出される免疫抑制物質により抑えられる。
そして潜伏期間に接触・飛沫・空気・水・体液・動物という、ありとあらゆる手段で周囲に感染を拡大する。
最長2ヵ月という極めて長い潜伏期間により、感染者は気付かぬ内に感染を拡げながら細菌を遠隔地まで運搬する役割を担わされる。
そして発症から死亡までわずか2時間程度という短さは感染者の隔離を困難にする。更に死亡後にも細菌のたっぷり詰まった体液を周囲へまき散らし感染を拡げる。
細菌サイズであるため顕微鏡で簡単に発見特定は可能だが、半ば機械の様な細菌であるため消毒や殺菌、抗生物質でも破壊できない。唯一効果があるのは焼却だけである。
万が一何らかの対抗策が講じられ運用に問題が生じても、遠隔でプログラムをアップデートする事により適応可能である。つまり同レベルの技術が無い限り対抗不可能な、まさに悪夢のような細菌兵器であった。
「散布手段が問題でス」
しかし恒星間航行を行い人類を圧倒する兵器を生産可能な彼らであっても、現状の様なリソースが制限される環境下では万能とはいかなかった。
「プラントで気相移動体の製造は可能でス」
「しかし重力制御の使用は控えるべきでス」
母船を失った事で彼らのエネルギーは備蓄に頼っていた。日本を操って資源を入手しエネルギー生産設備を構築するまでは脱出船と基地の在庫だけで凌ぐしかない。
幸い日本へ供給する兵器や基地修理のためのエネルギーならば基地に備蓄もあり若干の余裕があった。
問題は脱出船や飛行物体が用いる重力制御用のエネルギー源である。こちらは脱出船にある分しか無い。万が一の事態に備えて、こちらは安易に使用すべきではなかった。
飛行装置に重力制御を使用しなければ良いだけの話なのだが、環境に影響されやすい空力制御機械なぞ彼らはもう何億年も使っていない。当然ながらプラントのライブラリにもその様な機械は登録されていなかった。
「現地生命体の機械を利用して散布を行いまス」
従って彼らは散布手段として日本軍の原始的な機械に当面頼るしかなかった。
同化した個体の知識には偏西風を利用した珍妙な 散布機械もあったが、さすがに彼らもそこまで原始的な機械を使う気にはならなかった。
結局彼らは、多少は信頼性があると思われる機械を用いて散布作業を行う事とした。
――1945年(昭和20年)6月 フランス ブレスト軍港西方沖 伊400
空気式特有の甲高い音と共に艦前部から3機目の晴嵐が射出された。両翼に2個ずつの物体を抱えた晴嵐は慎重に高度を稼ぎながら上空で待つ僚機と合流する。
編隊を組んだ3機は帽振れで見送る水兵らに翼を振って挨拶を返すと、フランス西岸の軍港ブレストへ向けて東の空へと飛び去って行った。
「今日もなんとか無事に出せましたね。一応確認しますが艦長……潜航を命じますか?」
わずか3機の、攻撃隊とも呼ぶのも憚られる小さな編隊を見送った所で、先任の斉藤一好大尉がホッとした様子で問いかけてきた。
伊400は本来なら4分間隔で晴嵐を射出できる性能を持っている。しかし四式一号一〇型射出機は軌条の強度が不足しているのか毎回思わぬ手間と時間が掛かっていた。今日も3機すべてを射出するのに予定の倍ほどの時間が掛かっている。
「いや、今まで通り浮上して彼らの帰投を待とう。その方が間違いも無いだろう」
艦長の日下敏夫中佐が答えた。敵国の間近に浮上した潜水艦の振舞いとしては大胆に過ぎる判断である。
「それが良いですね。その方が本艦も攻撃隊も安全でしょう」
だが日下答えを聞いた先任も然もありなんといった様子だった。こちらも従来の常識からはかけ離れた認識である。
「まったく、お守りの力は本物だな。毎日お供えをして拝みたいくらいだよ」
そう言って日下は艦後部に鎮座する奇妙な両用砲を見た。そして晴嵐攻撃隊が飛び去って行った方角へ顔を向ける。彼の視線の先には幾筋もの煙が立ち昇っていた。それらは全て日下らの戦隊を攻撃しようとした敵機や艦艇の痕跡であった。
14cm単装砲の代わりに装備された両用砲は駆逐艦に搭載されたものに比べれば遥かに小さなものだった。高さは人の背丈ほどしかない。射程もそれに応じて短くはなっている。それでも驚異的な能力は十全に発揮されていた。
「まさか戦艦の砲弾まで撃ち落とすとはな」
「私ももう呆れて笑うしか出来ませんでしたよ」
日下と先任が笑いあう。
日下らの戦隊は敵に完全に補足されていた。日本を出航して以来ずっと浮上航行を続けていたのに加え、途中に各所で爆撃を行っているのだから当たり前である。
これに対して幾度も攻撃隊や艦艇を放っても一向に撃沈できない事に業を煮やした英仏は、米国の制止を無視してカサブランカ沖で大艦隊による迎撃を行った。
その結果は米海軍の 第34任務部隊と同じく一方的なものであった。航空攻撃は全て撃退され、水上艦艇による砲撃戦も失敗したのである。
今回はTF34が相手にしたものより光線の射程が短かった事から英仏艦艇も砲撃を行うチャンスはあった。その点についてはまだ戦闘を行ったと言える分、TF34より幸運だったかもしれない。
しかし結果はあまり変わらなかった。放った砲弾は航空機と同様に全て空中で撃ち落とされてしまったのである。
そして逆に攻撃を受けた。なまじ光線の射程が短かった分、深く踏み込み過ぎた事が被害をより大きくしていた。結局、英仏の水上砲戦部隊はTF34と同様に何ら戦果を挙げることなく全滅した。
「さて……攻撃隊が戻ればようやく任務は全て完了だ。後は本土へ帰るだけだな」
胸ポケットから取り出した煙草に火を点けながら日下が言った。彼の言う通り伊400は喜望峰回りで欧州まで英仏の各拠点を爆撃しながらここまで来ていた。今回が最後の爆撃作戦となる。
「二月前に横須賀を出た時には、これ程楽な任務になるとは思いもしませんでしたよ」
先任も自分の煙草に火をつけて答える。
「そもそもが本艦の脚の長さを買われただけの作戦だからな。あの新兵器さえ有れば潜水艦である必要は無い。極論すれば輸送船でも出来るお使いみたいな任務さ」
米国攻撃を目的に建造された潜特型は水上航行なら約7万kmもの航続距離を誇る。無補給で4ヵ月もの航海が可能だった。
米国東海岸すら攻撃可能なその航続性能を買われ、日下の伊400は伊401と戦隊を組み、アフリカと欧州の英仏拠点を爆撃する「嵐作戦」を遂行中だった。隣に浮ぶ伊401の方は英国プリマスに向けて同様に攻撃隊を放っている。
同じく晴嵐を搭載する伊13、伊14はインド、中東を爆撃する「光作戦」に従事している。今頃は任務を終え本土へ帰投する途中のはずである。
そして太平洋方面では一航戦の空母天城が六〇一空の僅かな生き残りを載せハワイと米西海岸に対する爆撃作戦を行っていた。
つまり日本はこれまでの守勢一辺倒から攻勢に出ていたのである。しかしその作戦は軍事的な面から見れば全く意味が無いと思われる物ばかりであった。
「しかし、この作戦にどんな意味が有るんでしょうね……」
攻撃隊の去った方向をぼんやりと見ながら先任がぽつりと言った。時折、背後で両用砲が光線を放ち飛来する敵機を叩き落としているが、もう皆が慣れっこになっている。主計担当士官だけが几帳面に戦闘記録を書き留めている。
「特殊爆弾とは言っても25番相当だ。飛行隊長の話じゃ爆発も小さいらしい。示威かビラ撒き以外の意味は無いだろうさ」
同じく煙草をふかしながら日下が答える。
今回の作戦では晴嵐各機は各2発の特殊爆弾を投下する事となっていた。
250㎏通常爆弾とほぼ同じ大きさのその爆弾について日下らはその詳細を知らされていなかった。出撃前に受けた簡単な説明では、仮に艦内で破損しても艦や乗員に害を成すようなものでは無いとの事だった。
ならば毒ガスや細菌の類ではないのだろう。ビラ爆弾の類なのかもしれないな。この時の日下はそう勝手に思いこんでいた。
――1945年(昭和20年)6月 ビスケー湾北部上空
「はいは~い、何言ってるか分かりませんよ~」
攻撃隊長の吉峰徹大尉がおどけた仕草で手を振った。
「大尉~あまり馬鹿にするのも悪いですよ~」
前席で晴嵐を操縦する高橋一雄少尉が窘める。そう言う彼も笑いを堪えるのに苦労していた。
二人の搭乗する晴嵐一番機の横には紅白の同心円を描いた戦闘機が飛んでいた。自由フランス軍GC I/4 Navarre所属のP-47Dである。その操縦席の風防を開けて敵のパイロットが吉峰に向かって何か喚いていた。
当然ながら風切り音とエンジン音で彼の声は聞こえない。もっとも聞こえた所でフランス語の分からない吉峰達には何を言っているか分かるはずもない。どうせ禄でもない内容である事だけは間違いなかった。
吉峰らの3機の晴嵐は数十機の戦闘機に囲まれてブレストへ向けて飛んでいた。そんな状況にも関わらず吉峰らの様子はまるで近所に買い物にでも行く様な気楽さである。
吉峰らの馬鹿にした様子に怒った敵パイロットが拳銃を取り出して吉峰に向けた。
「お、やんのかコラ。ほら撃ってみろよ」
吉峰は13mm機銃を向けることなくクイクイと手招きして相手を挑発する。
怒りで顔を真っ赤にした敵パイロットは何か喚きながら拳銃を発砲した。だが銃弾は吉峰の晴嵐に届く事は無かった。
発砲の瞬間、晴嵐の機体は青白い透明な球体に包まれた。そして銃弾が球体に触れた辺りに白い閃光が走る。
それだけだった。敵パイロットが放った銃弾は全てその謎の球体に防がれていた。
潜特型に搭載される六三一空の晴嵐は本作戦に先立ち横須賀の空技廠で新装備の追加改造を受けていた。
改造とは言っても左右の爆弾架に一つずつ増槽の様な装置をぶら下げるだけである。これにより晴嵐の爆装能力は250kg爆弾2発に減ってしまっていた。
改造を担当した技官の説明によれば、その装置は機体の周囲に「盾」を展開するとの事だった。
最初は眉唾物だと思ったが、効果を見る限り攻撃力を減らしただけの価値は十分に有ったな。妙な話し方をする技官の事を思い出しながら吉峰は満足げに笑った。
吉峰の晴嵐に拳銃を放った敵パイロットは風防を閉じると機体を急上昇させ離れて行った。
「大尉、また怒らせましたね~奴はきっとやりますよ」
高橋が呆れ声で言った。
「学習しない奴らの方が悪いんだよ……ほら敵機直上。体当たりが来るぞ。針路このまま。気にするな」
上を見上げた吉峰がやれやれといった風で指示を出す。
先程の敵機が上空から吉峰らの晴嵐に向けて逆落としに急降下をかけていた。吉峰の言う通り銃弾の効かない相手に体当たりを敢行するらしい。
良く見ると僅かに機軸がずれていた。どうやら翼端を接触させるつもりの様だった。敵パイロットは怒りで頭に血が上っていても最低限の判断力は残されているらしかった。
南アフリカで最初にこれをやられた時は吉峰も肝をつぶしたものだが、その後に何度もやられたお蔭で今ではすっかり彼も慣れてしまっていた。むしろ今では無駄な事をする敵に対する憐みの感情すらある。
敵機は左翼を晴嵐の左翼にぶつけようとした。だが接触する直前、再び晴嵐は青白い球体に包まれた。
次の瞬間、周囲に白い光が走る。光が消えると左翼をすっぱりと失った敵機が錐もみ状態で落下していく所だった。遠心力が邪魔をしたのかパイロットは脱出する事無く、機体はビスケー湾に水柱を立てた。
味方の無駄死に怒りがぶり返したのか周辺の敵機が再び攻撃隊に銃撃を浴びせてきた。しかし3機の晴嵐は青白い球体に包まれたまま、まるでそよ風の中を行く様に進んでいく。そしてしばらくすると前方に爆撃目標のブレスト軍港が見えてきた。
攻撃隊の周囲を囲っていた敵戦闘機が一斉に退いていく。それと同時に周囲に対空砲弾が炸裂し始めた。しかしそれも晴嵐に何の影響も与えない。砲弾の破片が近づくと青白い球体に閃光が走るだけである。
「攻撃隊各機、爆撃よーい。針路そのままヨーソロー」
吉峰は脚の間の九〇式一号爆撃照準器を覗きながら指示を出す。
「……チョイ左……チョイ右……よーしそのまま……投下!」
吉峰の命令と同時に操縦席の高橋は爆弾の投下索を引いた。同時に後続の2機も爆弾を投下する。3機あわせて6発の爆弾はブレスト軍港の工場群めがけて落下していった。
その爆発は、それが世界に齎す影響に比べると、思いの外に控えめだった。
――1945年(昭和20年)7月 オアフ島 ワイキキビーチ
常夏の島のビーチには戦時下にも関わらず多数の客が居た。皆が思い思いの場所にパラソルを拡げチェアやシートの上に寝そべっている。
その一つのパラソルの下で一人の中年女性が喘いでいた。水着から見えるその肌は日焼けとは思えないぐらいに赤く腫れあがり、激しく咳き込む口からは赤黒い血が飛び散っている。
だがビーチを楽しむ客たちは女性の変化に気付いていない。サーフィンに出た連れの男性もまだ海から戻ってこない。
しばらくして女性の喘ぎ声が途絶えた。
パァァン!
真っ白な砂浜に赤黒い花が咲いた。
――1945年(昭和20年)7月 サンフランシスコ
マーケット・ストリートを出たケーブルカーは夕方の買い物客で満員だった。前後のデッキにも乗客があふれている。
「ゴホッ!」
その車両の中央で一人の男が咳き込みながら蹲った。
「大丈夫ですか?」
周囲の乗客らが心配そうに気遣う。病人が出たと言って運転手に車両を止めさせる客も居る。米国人は自国民に対しては非常に親切で寛容だった。その間にも男の咳き込みは激しくなっていった。
ケーブルカーが停車すると同時に咳がパタリと止んだ。
パァァン!
車内に体液をべっとりと浴びた乗客たちの悲鳴が響き渡った。
――1945年(昭和20年)7月 フランス ナント
工場勤務を終えてナタリーはアパートに帰宅した。夫をドイツ戦で失った彼女は幼い娘をたった一人で育てている。素直で我がままを言わない彼女の自慢の娘だった。
しかし今日は家の様子がおかしかった。既に日も暮れているというのに、家には灯が点いていないのである。
そう言えば一月ほど前に少し風邪っぽかった事があった。もしかしたらまた熱を出して倒れているのかもしれない。不安に駆られた彼女は慌てて家の鍵を開けようとした。しかし焦りのせいか中々鍵穴に鍵が入らない。
ようやく鍵を開けた彼女は部屋に飛び込み、灯を点けた。そしてリビングの中央に赤黒い水溜まりを見つけた。
それが何か理解した彼女はショックで意識を失った。そして二度と目を覚ますことは無かった。
翌日、玄関が開いたままの部屋を不審に思った隣人が中を覗きこみ、二つの赤黒い水溜まりを発見した。
この頃から世界各地で謎の奇病が突然猛威をふるい始めた。そしてそれは急速に範囲を拡げていった。
賽は投げられました。
世界オワタ\(^o^)/