第三話 調査
ついに彼らが日本軍と接触します。
――1944年(昭和19年)2月 松代町
昭和19年に入ると日本の敗色は日に日にその色を濃くしていた。
既に連合国との戦力差は小手先の戦術や兵器では埋められない程となり、更にその差も拡がる一方だった。絶対国防圏と自らが定めた域内すらも満足に防衛できない。輸送船の損害もうなぎ上りとなり資源輸入も途絶えがちとなっていた。
つまりは本土に対する敵の本格的な爆撃や上陸作戦が真剣に危惧される情勢であった。
このため大本営は陸軍省の井田正孝少佐が発案した計画を基に東京からの政府機能移転を本格的に検討開始した。
そして今日、移転候補地の一つとして挙げられた皆神山を調査するため松代町に陸軍省と運輸通信省の調査団が訪れていた。
調査団の目の前には、特徴的な姿をもつ皆神山を背景に田舎町の家屋が点在していた。
皆神山は盆地の中央に立つ溶岩ドームである。古代の火山の成れの果てであるその山体は安山岩で出来ていると考えられており地下構造物の建設地としては最適であると見られていた。
その麓にある松代町は稲作と養蚕を主産業としている小さな町である。そんなありふれた山間の田舎町に調査員達は奇妙な違和感を覚えていた。
人手の少ない田舎は除雪が行き届かず深い雪に埋もれているのが普通である。だが不思議な事に目の前に広がる町は道も家も綺麗に除雪されていた。しかも露わになった道はすべてが舗装されている。
若い調査員の一人がしゃがみ込んで興味深げに舗装路面に触れた。コンクリートとも異なる薄茶色で継ぎ目のない路面は彼の知らない舗装技術で出来ている様な気がしたのだ。
「アスファルトでもコンクリートでもないですね。セメント土砂転圧とも違う様に見えます」
表面は滑らかで肌理も細かい。固く均質なくせに浸透性も確保されている。見える範囲では舗装に波うちも罅割れも無い。少なくとも東京銀座の道路よりもよほど上等だ。そう若い調査員は思った。
「赤土でも混ぜた三和土だろうさ。ほら立て。さっさと町役場へ行くぞ」
仮に三和土だとしても、この見事な平坦性を実現する舗装技術は何だろう?後ろ髪を引かれる思いで若い調査員は立ち上がると慌てて先輩を追いかけた。
道路が妙ならば周囲の建物もまた変だった。
町のあちこちには茅葺屋根の家が点在していた。田舎に良くある風景である。昔ながらの合掌造りの家々は一見すると不思議な所などどこにも無い。しかしその整い過ぎた外見が逆に違和感を醸し出していた。
全ての家がまるでごく最近建てられたかのように真新しかった。柱や梁は日本家屋とは思えぬほどに真っ直ぐである。しかも全ての家が規格品かと思うくらいに細部まで同一に見えた。煙もあがっておらず生活感も全くない。若い調査員にはそれが映画の書き割りの様に見えた。
「先輩、少し気味悪いですね……なんだか我々はずっと見られてますよ」
「他所者が珍しいだけだろ。田舎じゃよくある事だ。気にすんな」
調査員達はここに来てからずっと町民達に見つめられていた。彼らは農作業も会話もせず、ただ黙って立ったまま無表情で調査員達を見つめていた。
しかも一人二人ではない。真冬だというのに町のそこかしこに彼らは立っていた。近在の住民全てが居るのではないかというくらいの数である。それら全員が感情の無い目で調査員達を見つめていた。
「先輩、若い子供や青年が居ます」
気味悪げに住民達を見ながら若い調査員が言った。
「あぁ、壮丁名簿には居ないはずのな。4年前の国勢調査でも若者は居なかったはずだ。どうやら役場が率先して徴兵逃れをしているらしいな。帰ったら内務省に報告しておこう」
国賊共めが。先輩と呼ばれた調査員が小さな声で罵る。調査員らは視線に追われる様に急ぎ足で町役場に向かった。
着いた町役場は一見すると普通であった。
鉄筋コンクリート造りと思われる二階建ての四角い建物である。だがその建物すらも調査員達の違和感を助長した。
建物が町の規模に比べて少々立派過ぎる様に感じるが違和感の原因はそこではない。とにかく全ての部分がきっちりしすぎているのである。
きれいな直線を描く柱や梁は正確に直角に組み合わされ、壁の平面部はどこまでも滑らかで歪みが無い。窓に嵌る板ガラスも素通しかと思うくらいに透明で歪みが一切無い。その建物を見ていると、人の手によるものというよりは自然に出来た結晶構造でも見ている様な気分になった。
「随分とご立派な庁舎だな」
「真新しい建物ですね。田舎町の癖に今のご時世でよくこんなの建てられましたね」
「真新しい道路や建物に戸籍の改竄か。ここの役人は余程上等なコネを持っているらしいな」
漠然とした不安を打ち消そうとしてか調査員らは無意識に口数が増えていた。
庁舎で出迎えた町役場の職員らもやはり無表情だった。彼らは皆黙って立ったまま調査団を見つめている。居心地の悪さを感じながら調査員らは案内された会議室へ入った。
外の寒さと打って変わって会議室は春の様に暖かかった。しかし不思議な事に暖房器具らしきものは見当たらない。
「どうやって暖房してるんでしょうか?スチームも見えませんね」
「事前に気を利かせて火鉢でも持ち込んでおいたんじゃないか?」
道路の時と同じように若い調査員がしゃがんで床に触れる。
「床が温かい……温水かスチームを通しているみたいです。火山性の温泉だとしたら地質が不安ですね」
「ボイラーの煙が見えなかったから、たぶん地下水だろう。ボーリングでもしたのかね。いずれにしろ贅沢な事だ。小さい町の癖に随分と金は持ってる様だな」
席に着くと事務員の女性らが彼らの前にお茶を用意した。彼女らもまた無表情で一言も発しない。
「無表情もここまで徹底してると不気味を通り越して滑稽ですね」
「田舎特有の閉鎖性かここの土地柄だろうさ。まぁ俺たちの邪魔さえしなければ十分だ。もし少しでも反抗的なら集団で疎開させちまえばいいさ」
ずっと続く妙な雰囲気に緊張していた調査員らは出されたお茶を飲み干した。お茶は普通の味だった。
しばらくして町長が助役を伴って入室してきた。
「ようこそいらっしゃいました」
町長と助役が笑顔で挨拶をした。調査員らは町に来て初めて表情の有る顔を見てあからさまにホッとしていた。そして不幸な事に彼らの笑顔が実は口角を上げただけで目が笑っていない事に気付く者は居なかった。
「目的は軍機だが大変に重要な調査である。結果如何によっては御国にとって大変重要な場所になる。大変に光栄な事と思え」
調査団の団長が町長に来訪目的を告げた。その態度はこれまでの不安を振り払うかの様に必要以上に横柄であった。
「はい。とても光栄に思いまス」
「ス?」
「ス」
答えた町長の言葉はイントネーションが妙だった。声に何か軋る様な音も混じっている。団長がこの町の妙な所を問い質そうと思った矢先に助役が口を開いた。
「寒い中をはるばる遠方から大変だったでスね。温かい物を用意しておりまス。まずは腹ごしらえをして頂き、それから詳しいお話をお聞きしまス」
助役のイントネーションと声もやはり町長と同様に妙だった。軋る様な耳障りなその声に何人かの調査員が顔を顰める。
助役が合図する事もなくドアが開けられ事務員らが手に丸い物を持って入ってきた。てっきり料理か弁当の様なものが出されると思っていた調査員らは少し驚く。
彼らは何か大きな豆の鞘の様な物体を一個ずつ調査員らの前に置いた。そして調査員ら一人一人の後ろに立つ。
「では、どうぞお召し上がり下さい」
助役の言葉に調査員らは困惑した表情を浮かべた。
この物体を一体どう食べろと言うのだ?一抱えもあるその薄茶色の物体は表面に葉脈の様な線が無数に走っている。良く見ると生き物の様にわずかに脈打っている。控えめに言っても非常に気味の悪い物体だった。
次の瞬間、背後の事務員らが調査員達の体を羽交い絞めにした。
「なんだ?!貴様ら何をする!」
「おい!放せっ!放さんかっ!」
調査員らは口々に声を荒げた。しかし相手が女性の事務員であっても、その力はまるで万力の様であった。振りほどくどころか身動ぎすら出来ない。
その様子を町長と助役は作り物の笑顔のまま眺めている。そして町長が告げた。
「皆さんのお話は食事の後で直接お聞きしまス」
言葉と同時に目の前の物体にすぅっと切れ目が入り左右に開き始めた。調査員らはそれを限界まで見開いた目で見つめるしか出来なかった。
――皆神山 調査船基地
「これまでより上位の個体を多数確保できましたでス」
「これで情報と資源の収集が捗りまス」
「しかし問題が有りまス」
「この島の生命体集団は戦争に負けかけていまス」
彼らが留と入れ替わってから36年の月日が経っていた。その間、彼らは徐々に松代町の人間と入れ替わり、現在では松代町の住民全員が彼らと同化している。
その脳内情報により彼らはこの島の生命体が度々戦争をしている事も知っていた。
シグマ因子が無く満足な意思疎通を図れないから仕方が無い、そう彼らは思っていたが戦争には勝っている様子なので余り問題視していなかった。彼らがこの星を離れるまでこの場が安寧であれば良いのである。
しかし、上位個体の情報により状況が大きく変わった。現在行われている戦争で、この島を支配する日本と自称する集団は負けかけているらしいのである。
敵は別の大陸を支配する同族の生命体集団だが、この島より遥かに強大な戦力を保有している。このため日本は最上級個体と政治中枢をここへ移転しようと画策している様子だった。
これまで同化したほとんどの個体の共通認識によれば敵の性質は「鬼畜」と呼ばれる程に非常に残虐らしい。この島に上陸されれば皆殺しにあう可能性が有った。この点についてはSIMUと長年戦争を続けている彼らにも非常に理解できた。
日本が負ける事も島の生命体が皆殺しにされる事も彼らには関係ない。せっかく手に入れた基地周辺の支配権を失う事は惜しいが、新たな支配者を同化して再構築すれば良い。なにしろ彼らには時間が十分にある。
だがもし基地を敵勢力に発見された場合は不味い可能性があった。
基地の修復はまだ完全ではなく彼らの脱出手段も出来ていない。敵の技術レベルはこの島と大差なく原始的であり簡単に排除可能ではあるが、なにしろ敵はSIMUの様に数でもって当たってくるらしかった。
「この島の生命体が負けた場合、このサイトも危険でス」
「現地生命体の活動には基本的に介入しない方針でス」
「現在、我々は孤立していまス。任務より生存と帰還を優先すべきでス」
「現地生命体の活動へ積極的に介入するべきでス」
「敵対勢力の排除を積極的に行うべきでス」
自らの生存を優先した結果、彼らは大きく方針を転換した。この島の勢力を積極的に支援し、敵対勢力を完全に排除する事を決断したのである。
ここに日本と地球の歴史は彼らによって大きく歪められる事が決定した。
日本を救う?ために、ついに彼らが立ち上がりました。