裏あるいは表の四十八話 完全縁結びの謎あるいは対アーク特級機密中編
すみません。また長くなってしまったので、後編を中編と後編に分けました。
今回は残酷な描写があります。
苦手な方はご注意を。
また、前話に用語解説を追加しました。
「あ、あの、重ねてありがとうございます。何とお礼を申し上げれば良いのか。数刻前まではこの国一番の大貴族、アネストリーネ辺境伯家の長女にしてカイネス王太子殿下の婚約者だったのですが、今の私には貴方方に報いる事が……」
「気にしないで下さいまし。人を陥れて婚約破棄をするどころか、謀殺しようとする勢力を殲滅するのは、淑女として当然の事ですわ」
「もしかて、貴女様も?」
「ええ、私にも経験がありますわ。勿論、串刺しにして差し上げましたけれども」
何やらエレメルナ嬢が物騒な事を漏らしているが、助けたご令嬢とは無事に打ち解けたらしい。
「それにしても、追手が怪物とは、尋常ではありませんわ? 何がありましたの?」
そして事情を聞き出してくれる。
「始まりは、偶然でしたわ。婚約者である第ニ王子殿下、現王太子殿下とのお茶会の帰り、忘れ物に気が付いた私はこの侍女のメラニーと引き返しましたの。そこで宰相の娘と殿下が浮気している現場を目撃してしまいました。それから私達は殿下の浮気の証拠を集める事にしましたわ。しかし、その過程で見付かったのは殿下達の邪神崇拝の証拠の数々でしたの。ですが、証拠を提出する準備がもう少しで整うところで、国王陛下が突然の崩御、私は急遽行われた国王陛下の葬儀の場で邪神崇拝の罪をなすりつけられ婚約破棄、国外追放を言い渡され、今に至りますわ。
実家の領地にも兵が差向けられる前に、急いで領地に戻ろうとしていたところでしたの」
「邪神崇拝の具体的な内容は?」
「あの者達の言葉を借りるなら不死の儀式。他人から命を奪い取る儀式ですわ。邪神の加護を受けた者が自らの心臓の一部を取り出し、それを他者に植え付けますの。定着したら今度は植え付けられた者の心臓の一部をまた別の他者に植え付け、これを繰り返しますわ。こうする事で、より後に心臓の欠片を植え付けられた者に、命の供給を肩代わりさせますの。これが悍しい儀式の概要ですわ。
調べていた時は、ただの効果の無い儀式だと思っていましたが、近衛騎士団長の様子を見ますと、本当に邪神と契約を結んだようですわ。加えておそらく欠片を植え付けられた被害者の力も使えるのでしょう。あの血を操る力は、捕らえられた吸血鬼のものですわ」
「っ! 吸血鬼の!」
ここで最も大きな反応を示したのはディラオンだった。
同じ種族が被害に遭っている事が見逃せないのだろう。
「すまん。俺は同族を助けに行く」
「待て、俺も行く。ここまで関わったんだ。聞いて放置なんて、薄情な事はしない」
「水臭いじゃないですか? 僕達、クラスメイトなんですから」
「そうです! それに困っている方を見捨てるなんて出来ません!」
「元より、私は行くつもりでしたわ」
ここでも皆の意見は一致した。
こんな奴らを大して知りもせずに使命感の無いぬるま湯に浸る遊び人だと思っていた自分を改めて恥じる。
こいつ等は、俺よりも数段凄い奴らだ。
「じゃあ、移動の準備を始めますね」
と言うのは鎧どころかローブすら装備していない一見普通の少女ヒルダ。
彼女は地面を触れると、一言命令した。
「――羽ばたけ――“昇竜”」
地響きと激しい揺れを生じさせながら、目の前の地面が隆起してゆく。
そしてそれは起き上がった。
土で造られたドラゴンが。
ばさりと羽ばたくと、低く浮き上がり、そこでヒルダの命令を待つように頭を下げる。
「皆さん、乗ってください」
「おっ、おう。……にしてもまずどっちに行く。そこのお嬢さんの領地か、それとも直接王太子とやらにかち込むか?」
「まず報告した方がいいんじゃないのか? 俺達、戦力としては申し分ないが、人数はこの通り少ない。勝てはするだろうが、人を大人数から守るのには不安が残る」
「でも、今犠牲になっている人もいるのよ?」
そう議論を交わしていると、山の上の方からこれまた騎士の一団がやって来た。
「カチェア! 無事か!?」
「お父様!」
「お館様!」
どうやらご令嬢の父親の軍勢らしい。
「密偵から緊急連絡があってな。お前が国外追放を言い渡されたと。しかも国王陛下が突然崩御、我ら領地貴族の到着を待たずして葬儀を執り行われ、王太子殿下が正式な王位継承の儀式を執り行う前に国王代理に就任すると宣言したと。只事では無いと兵を挙げてお前を迎えに来た」
「お父様!」
父に抱きつくご令嬢。
世のお父様方が酒を呑んで無いとやってられないくらい感動的な光景だ。
「貴殿らが娘を助けてくれたのか? 心より感謝する」
と父親は俺達に頭を下げる。
相当高位の貴族らしいが、頭を下げられるタイプの人らしい。
続けて軍勢の人達も一斉に頭を下げた。
随分と慕われているようだ。
「当然の事をしたまでですわ。気にしなくても良くてよ。では、私達には急用が出来たので失礼しますわ」
「待ってください! 助けてもらったばかりかそんな事まで、貴女方は他国の方なのに! せめて、せめてこれを受け取ってくださいまし!」
急用が被害者の救出と邪教徒討伐だと知っているご令嬢は、エレメルナ嬢に首から下げていたブローチを渡した。
「これは、我がアネストリーネ家の至宝“メデューサの瞳”、魂を物質化すると言う宝玉ですわ。人は肉体を破壊されれば、その魂は世界へと還ってしまう。そうなればもう、肉体を修復したところで復活は叶いません。ですが、この宝玉は抜け出した魂を物質化してこの世に留めて置くことが出来ます。つまりこれは、死者の復活を可能とする至宝なのですわ。壊れた器を治せるかはまた別の問題ですが、無いよりはましでしょう。どうか、受け取ってくださいまし」
「そんな貴重なもの、貴女の家の至宝なのでしょう? 受け取れませんわ。元より、対価を求めて助けたのではありませんわ。本当に気にしなくて良くてよ」
「ならば、必ずこれを返しに帰ってきてください」
「……分かりましてよ。約束致しましょう。必ず、返しに行くと」
そう言うと、エレメルナ嬢はドラゴンに乗り込んだ。
続けて俺達も飛び乗る。
「さあ、行きますわよ!」
「はい!」
ヒルダが一方向を指し示すと、ドラゴンは一気に羽ばたき上昇。
頭を斜め下に向けもう一度羽ばたくと、急加速して発進した。
さあ、人助けの開始だ。
「あの?」
皆が気合を入れているところ、申し訳なさそうに声をかけてくるヒルダ。
「どうしたんだ?」
「その、王太子のいる方向って、こっちで合っているのでしょうか?」
「「「…………」」」
ここで初めて、俺達は目的地を知らない事に気が付いたのだった。
と言うかここがどこだかも知らん……。
「どうします?」
「流石にここで戻るのは格好悪過ぎる」
「適当に高く飛んで、大きな街を目指すと言うのはどうだ? 王太子なんだから王都にいるだろう? 王都なら高度が高くても見える可能性が高い」
「でも、王都からさっきの方達は逃げてきたんですよね? 追っ手よりも早く。普通、ここが王都の比較的近くならば、軍勢の方が先に彼女達の領地に到着しているのでは無いでしょうか? 少人数を追うのとは違い、領地を攻めるのに奇襲と知られてからでは大きな違いが出ますから。特に、守備の方が有利と昔から言われていますしその差は大きい筈です。でもあの方のお父様の様子からすると、まだ軍勢は来ていない。となると、ここが王都から離れた土地であるのでは無いでしょうか? 近場なら守備隊だとしても非常時に備え普段訓練していれば即座に駆けつけられる筈。ですが、一日で済まない距離では、兵糧等補給の問題が出てきます。勿論王都には十分な備蓄もあるでしょうが、その備蓄を含めてまだまだ大して動いていないとなると、2日3日では辿り着かない距離なのでは無いでしょうか?」
「「う、うん」」
サァフィーの推察に俺達は一瞬飲み込まれた。
正論とかそんな理由からでは無い。
サァフィーのイメージがガラリと変わったからだ。
彼女はなんと言えばいいか、甘え上手で明るい、最近良く聞く婚約破棄の原因にもなりそうな感じの少女だ。
それが淡々とした考察、思わず驚いてしまっていた。
しかし驚いている場合では無い。
彼女の言う通り、ここが王都からかなり離れた土地である可能性が高い。
王太子とも婚約する高位貴族の内、離れた土地に領地を構えるとなると、辺境伯と言う地位がまず思い浮かぶ。
と言うか辺境伯令嬢だと言っていた。
辺境伯と言えば政治形態によっては選帝侯、王選出の選挙権を有しそれによる王位獲得もあり得る大貴族位だ。
辺境伯が実際に辺境に領地を持っているとも限らないが、今回の場合本当に辺境に領地を有している可能性が高い。
辺境にも色々とあるが、その辺境の意味が国の果て、国境沿いに領地を持つと言う意味だった場合、他国の王都の方が近い位置にある事も考えられる。
「因みに、今はどこを目指しているんだ?」
「えっと、取り敢えずあの方達が来た方向に」
「それならまあ、何とか?」
「まずはこのまま一番大きな街を目指しましょう。あそこまでの力を与える邪神が巣食っているなら、近付けば分かるかも知れません。幸い、ここには勇者も聖女も揃っています」
「まあ、やるだけはやってみよう」
「私も頑張ります!」
明るく元気な返事をする聖女サァフィー。
さっきのを見た後だと、イメージギャップが凄い。
果たして、どちらが本来の彼女なのだろうか? それともどちらも彼女の素なのだろうか?
そう思っている間にもドラゴンは進む。
あっという間に急上昇すると、そこで停止。
かなりの広範囲が見渡せるようになる。
そして一番大きな街も即座に見つかった。
高い城壁に囲まれ、中央には城、街から伸びる道は蜘蛛の巣のように国中の街と繋がっている。
ほぼ首都と見て間違い無いだろう。
国一番の発展した都市では無く、伝統の残る由緒ある土地が首都の事もあるが、城まであるのだから首都である可能性が高い。
「もう邪気を感じたりするか?」
「流石にこの距離だと無理だ」
「分かりました。近付いてみます」
ドラゴンは都市に向かい急降下。
近付くと、都市の異様さが手に取るように分かった。
「これは……」
「街に流れ込む霊脈が汚染されていますね」
「ああ、霊脈は魔力を与える存在の筈が、逆に街中から魔力を奪っている。そしてその魔力は一点に集中している。これはマズい」
そう思っている時だった。
突如王宮と思われる場所が倒壊した。
巨大な地下空間に向かい、落ちたのだ。
その地下からはゾッとする程の瘴気が溢れ出している。
「急ごう!」
「はい!」
作り物とは言え、流石にドラゴンで近付き過ぎると大騒ぎになってしまうが、急遽直接王宮へと向かう。
王宮には平時では維持コスト的にあり得ない強度の結界が張られていたが、それを強引に突破する。
中は驚く程の静けさだった。
王宮が崩壊したのに騒ぎが無い。
それに血の匂いをしなかった。
だが、まずは救命しようと王宮内に目を向けると、内部は驚くべきものだった。
まず、瓦礫の殆どが浮いていた。
その下には広間や廊下にまで飛び出る魔法陣。
そして魔法陣の画かれた箇所は、完全に地上との繋がりが途切れているのにも関わらず浮いていた。
崩壊したのは建物の外枠だけだったらしい。
そして、貴族と思われる人々が、静かに平伏していた。
そして地下から黒い血管のようなものが這い上がってくると、貴族達に入り込んだ。
静けさから一転、貴族達は歓声を上げる。
「遂に、遂に永遠の命を我が物に!」
「全身を迸る全能感! 儂は生まれ変わったのだ!」
「王太子殿下万歳!! ノルディマンドゥ様万歳!!」
「これで世界をも、我らのものだ!!」
どうやら騎士団長だけでなく、多くの貴族が邪教徒だったらしい。
恐らく婚約破棄され国外追放されたご令嬢のように、まともな貴族は既に放逐済みだったのだろう。
だが、好機だ。
遠慮なくやれる。
「“ドラゴンブレス”!」
初手はある種、既に技を発動済みだったヒルダ。
炎の濁流が貴族達を呑み込む。
しかし炎を突っ切って幾本もの血槍が伸びてきた。
騎士団長のもの程では無いが、それぞれ鋭く重い。
「何奴!?」
「アネストリーネの手勢か!?」
「何にしろもう手遅れよ! 我等が邪神の復活は成された! もう忌まわしきアネストリーネを隠れ蓑にする必要も、隠れ潜む必要も無い!」
血槍は重く鋭いが、それでも十分に対処出来るレベル。
そして血槍以外の動きは素人そのもの。
大した脅威では無い。
血槍を避ける事なく正面から打ち砕いて、そのまま貴族も討ち滅ぼす。
呆気ない程簡単に、王宮の制圧は完了した。
しかし、地下から漏れ出る瘴気は依然として可視化される程の濃度。
邪神が復活したと言うのは戯言では無さそうだ。
突如、貴族達に入り込んでいた黒い血管のようなものが、俺達に襲い掛かって来た。
硬化した細い血管はそれだけで刃となり、武器に当たれば火花を散らす。
硬い分、折れやすいようだがその貫通力は侮れない。
そして貴族達の中に入り込んだのを考えると、少しでも傷をつけられれば内部に侵入されそうで普段なら致命傷を負いそうにない攻撃にも注意力を割かなければならず、一瞬でも気を抜く事が出来ない。
しかし暫くすると血管は全て砕け散り、何とか身を守る事に成功した。
魔法陣の画かれた床を突き破って攻撃してきたようで、浮遊していた床もポロポロと崩れ始める。
そして砕けた隙間から、濃縮された瘴気が漏れ出てきた。
本来触れない筈の瘴気にドロリとした感触すら覚える程の濃度だ。
そして強烈な魔力の高まりと殺気を感じた。
とほぼ同時にヒルダのドラゴンが暴れ出す。
迫りくる岩の尻尾。
だが避けはしない。
他の皆も、ヒルダも含めて吹き飛ばされる。
その刹那、ドラゴンが黒い炎に呑み込まれた。
全身岩のドラゴンが飴玉の様に端から消えてゆく。
黒炎は王宮の天井も簡単に焼失、いや消失させ、それでも止まらず雲まで届きそこで大爆発を起こした。
雲が消え蒼天を覗かせる。
そして天井と言う支えまでも喪った王宮が、遂に完全に崩れ落ちる。
地下空間に土台ごと崩落した。
もはや有るのは瘴気が溢れる穴のみ。もはや穴には瘴気が溜まり切り、黒い泉のようになっている。
「ヒルダ、助かった」
「手荒な方法ですみません」
「いや気にするな」
「本当に助かったわ」
ドラゴンに跳ばされていなければ本当に危ないところであった。
恐らく全力を注げば一撃くらいなら何とか防げただろうが、それをすれば何も出来ないレベルまで消耗するしかない。そうなれば待っているのは敗北だけだ。
「ふむ、生き残ったか」
瘴気から浮上して来たのは王冠を冠った男。
コイツが王太子なのだろう。
その横には一見聖女のような清純さを持つ令嬢。
しかしその雰囲気は外見とは違い刺々しい。悪意に満ちているのを感じる。外見が作り物だと思った方が理解出来るほど、内と外が異なっている。
「まあ良い。既に悲願は達した。今更如何なる妨害も無意味。どうだ? 生き残った事に免じて配下に加えてやっても良いぞ?」
俺達は言葉の代わりに攻撃を返す。
「ふんっ! ならば我が糧となるがいい!」
王太子は攻撃を弾くと同時に、黒炎弾を放つ。
これは防げない程では無いが油断出来ない威力があった。防げ切るも結界に亀裂が入る。
そして連撃が収まらない。あっという間に防御の形を解けぬまま抑え込まれてしまった。
嵐のような猛攻の前に動く事が出来ない。
そんな所に令嬢が追撃ちをかけてくる。
黒い風塊や黒い雷が横から襲う。
そして何人かが防御を突破られ、吹き飛ぶ。
致命傷は的確に転移して盾で防ぐアルスのおかげで何とか食い止められたが、アルス一人では限界がある。
そしてアルス以上の防御力を持つ逸材はここにはいなかった。
防御を捨て、ガルフが駆け出す。
防御を鎧のみに託し、避ける事もせずに突き進む。
何発も正面から黒炎弾を受けるも止まらない。
全ての意識を大剣にのみ集中させ、大剣に力を集中させる。
「なっ、止めっ―――」
そして遂に王太子まで辿り着き、激しく輝く大剣を斜め上から一気に振り下ろした。
「“聖刃分界”!」
一瞬の斬撃。
まるで世界がそこで二つに別れたこのように視界の上下端まで斬られ、少し遅れて莫大なエネルギーがそこから迸る。
切り口から拡がるように消滅してゆく。
あっという間に王太子は地下空間ごと光に呑み込まれた。
光が晴れると王太子の姿は無く、地下空間は見事に抉れ地下空間ではなくなっていた。
後は令嬢、おそらく王太子の浮気相手を倒すだけ。
「ぐふっ……」
そう思っていると、ガルフが血反吐を吐いて倒れた。
ガルフの背からは、黒い手が生えて、いや、貫通している。
「ガルフっ!」
見ると、ガルフの正面には一人の壮年の男が居た。
「王太子と言い、貴方方と言い愚かですね。我が主が真に降臨なされたのは私だと言うのに」
「まあ御父様、この方達が可哀想ですわよ。ノルディマンドゥ様と完全に一体化して王太子を隠れ蓑にしていた御父様を、人間如きに見付けられる訳がありませんもの」
どうやら、この男が宰相、そして令嬢が宰相の娘だったらしい。
全て裏で操っていたらしい。
「それもそうですね。何であれ、愚かな貴方方のおかげで我らが主の完全復活は成りました。我が主の加護を受けた王族の犠牲、これ程良き養分は他にはありません。私達でもこれを捧げるには骨が折れるところでした。力の一端を使えているに過ぎなくとも、我が主の使徒ですからね。貴方方が倒してくれたおかげで、もう我が主を縛るものは何もありません。
我らノストラオス千年の悲願はここに叶った」
そう言いながら宰相は凄まじい瘴気を解放する。
その量も凄まじいが、その質は更に凄まじい。今まで王太子の気配に隠れ感知すら出来なかったが、邪神としか言いようが無い濃密な瘴気だ。もはや形ある害意や悪意と言える程に濃い。
動きから宰相自身の武は高くない事が窺える。
目線も構えも隙だらけと言っていい。良くて習い事レペルだ。
しかしその気配には隙が一欠片も存在していない。
宰相が弱くとも、その内に潜む邪神が補って余る力を有している。
早くガルフのもとへ駆け寄りたいが、動く事ができない。
少しでも動けばそこから止まらぬ死闘が始まる。そんな死の気配が漂っている。
俺達自身は応戦すれば直ちに敗れる事は無いだろう。しかし、致命傷を負ったガルフはどうなるか分からない。一刻も早い治療が必要だ。死闘になれば手を回す事が出来なくなる。
こうなれば、初めから全力で行くしかない。
後先を考えている場合では無い。
「“神威武転”!」
儀式杖に神属性の付与を纏わせ、俺は宰相に突撃する。
宰相の影からは黒い手が伸び、縦横無尽に俺に襲い掛かってくる。
それを儀式杖で弾きながら、詠唱を開始した。
「――暗黒期より光あり 如何なる闇に呑まれようとも光は照らす 黎明期にも共にあり 道は絶えず照らされる 黄金期も同じ 黄金の光で見えずとも共にある 終末を越えたとしても 我は共にある――」
相手が邪神なら、俺は守護神。
人の形に納まっている今、解き放てばこの肉体がどうなるかは分からない。
そもそも俺が本当に守護神なのかも俺は知らない。
しかし、目覚めた時から知っていた俺の全てを解放する祝詞を、俺は唱えた。
「“神威権限”!」
俺と言う範囲が肉体を越えて漏れ出す。
力と共に全身に発現する神を器に留めて置く為の補強術式。
我ながら凄まじい力だ。今にも破裂しそうな程、内側からエネルギーが解放されてゆく。
杖を振るう。
それだけで俺の求めるものは顕現した。
迫っていた黒い手は光に弾き返され浄化されてゆく。
望むだけで魔法が、世界を塗り替える神の力が実行出来た。
ただ動くにしろ、身体能力が最適な形にまで強化されていた。
俺は黒い手を弾き消し去り、宰相に接近する。
溢れるエネルギーと連続的に行使する神の力に、肉体までも呑み込まれ魔法の一部として消耗されてしまいそうになるが、出し惜しみはしない。
宰相も余裕を無くし無闇矢鱈に黒い手を出し続けるが、避けることなく正面から神の光で打ち消す。
そして杖の間合いに宰相を入れた。
「“ディバインブレイク”」
神すらも滅ぼす光を杖に収束させ一閃。
神々しい光は刃となり宰相を切り裂き、消滅させてゆく。
悲鳴をあげる間もなく宰相は光に呑まれた。
しかし何時までも手応えを感じる。
宰相はまだ消滅していない。
光の中から粘着質な闇が拡がる。
よく見れば闇は糸のように一繋がりになっており、その中に心臓や肺といった臓器のような形状のものが浮かんでいた。
人と言う形を捨てて避けたのか!?
闇は令嬢に向かって流れ込む。
「えっ、やめっ、御父様!? 主様あぁぁあぁあああぁーーーーーっっ!!?!」
令嬢は悲鳴を、断末魔に近い悲鳴をあげる。
仲間じゃ、娘じゃ無かったのか!?
闇に呑み込まれた令嬢にズルズルと吸い込まれる様に闇は消え、闇が収まった時に令嬢の姿は無かった。
立っていたのは宰相、いや、宰相の形をした黒いナニカ。
気配がはっきりと邪神のものになっている。
もはや降りている乗っ取っていると言うレベルでは無い。
完全に降臨した邪神だ。
『“捧げよ”』
邪神が一言そう命じると、地下や都市の各地から可視化される密度の生命力が邪神に向かい流れて来た。
「不味い! これが不死の儀式だ! このままだと囚われた人々の命が奪われる!」
ディラオンがそう叫ぶ。
「ここは俺に任せて助けに行け! 今更生命力を徴収したと言う事は、俺の一撃が効いている証拠だ! 奴は弱ってる! 俺一人で十分だ!」
証拠を見せる様に俺は邪神を光の刃で斬りつける。
硬い。
やはり先程よりも強くなっている。
おそらく、邪神は宰相の消滅した部分、つまり殆どを自らで置換したのだ。
神というのは基本的に地上に長時間顕現できない。神の象徴たる雷が強大だが、一瞬で消える現象に似ている。強大なエネルギーを持つが故に、地上では自らを留める事が出来ないのだ。
しかし俺のように受肉出来る器が有れば話は変わる。
あの邪神の場合は宰相の存在があって地上に長時間干渉出来ている。
だが、器が有れば万事良いと言う事でも無い。器が有れば神は器に制限される。当たり前だ。そもそも器の許容範囲以上の力を出せば器は壊れ、地上に留まれなくなる。
つまり受肉した神は自らよりも強大な器を見つけると言う有り得ない事を達成しない限り、本来の力よりも数段力が抑えられている。
邪神の状態は矛盾している様にも思えるが、本質的には同じだ。
器の制限が限りなく低くなったから力が増した。
では何故地上に留まれているかと言うと、それは奴の権能の所為だ。不死を他者の生命力を奪う事で成し、アンデット化も齎す悍しい権能。奴は対象を強引に生かす事に長けているのだ。
自身で補完する事によってそれが成せる。自らが滅びない限り加護を与えたものも滅びない。おそらくはそのような権能。
令嬢を乗っ取った事から不十分であったようだが、乗っ取った今は全盛期の力を取り戻していても不思議では無い。
正直、足止めも成功するか分からない強敵だ。
俺自身も、力の連続行使で器が今にも壊れそうだ。
力を引き出すだけの筈が、肉体の霊体化、神の力との同一化まで始まっている。
いつ天に還ってもおかしく無い。ヤムーの民がいない今、信者の力で復活出来ない俺にとって、これは実質的な死だ。
しかし、やらねばなるまい。
神として、人の子を散らす訳にはいかない。
例え記憶が無くとも俺は守護神だ。
犠牲が必要なら俺で十分。
全力で削り、生命力の流入を抑える事が出来れば、こいつ等なら邪神に勝利できる筈だ。
ヤムーの民を救う事も、大神官ウルムシュルペを倒す事も叶わなくなるが、それもきっとこいつ等が成し遂げてくれる。
何も言わなくとも、彼等は人類の嘆きと脅威を見逃さない。
「さあ、行け!」
俺は全力で優勢を演じる。
「でも!」
「俺も手伝うから、安心して行け……」
「ガルフ!」
「勇者を舐めるなよ……あのくらいの傷、もうとっくに回復している」
そう言うガルフには確かに傷跡が無い。
しかし神の力を引き出した俺には分かる。
かなり高度だが、あれは幻術だ。
回復は、邪神の力によって阻害され最低限しかされていない。
包帯を巻くどころか、消毒した程度の回復しか出来ていない。
幻術を纏う余裕すらも無い筈だ。
しかし俺には止める事が出来なかった。
いつの間にかかけていたサングラスの奥の眼光は有無を言わせない真っ直ぐなものだった。
ガルフは、覚悟を決めていた。
「……分かった」
「救出したらすぐに戻るわ……」
仲間達はそれぞれ生命力の発生している方向へと駆けて行った。
どうやら、俺を含めて誤魔化しきれていなかったようだが、俺達の思いを汲んでくれたようだ。
「さあ逝くぞ!」
「ああ!」
「――使い潰せ クルセイユ――“破星”」
祝詞を唱えるとガルフの無骨な大剣は凄まじい光に包まれた。
自然界の魔力を激流になる密度で掻き集めている。
激しいが実に神々しい。
無骨な大剣であったが、この出力と変換される優しさのある光、間違いなく聖剣だ。
それも人の手によって造られたものでは無く、世界によって与えられた勇者と同等、もしくはそれ以上の力を持つ聖剣だ。
光がガルフまで届き全身が光で包まれた。
同時に傷口に残っていた邪神の力も消える。
しかし回復はしない。
正確には回復するが、暫くするとまた傷が開いてしまっていた。
しかもそうさせるのは光だ。
回復と破壊を併せ持つ性質があるらしく、全体的には徐々に消耗してしまっていた。
捨て身の技であったらしい。
しかしガルフは止まらない。
勿論俺も。
斬って斬って斬って、光の刃を飛ばす。
黒い手をすり抜けて、本体を斬りつける。
だが邪神は倒れない。
大した防御姿勢すら取ることなく、受けた傷は吸い取った生命力で即座に回復していた。
まるで硬い海でも斬っているようだ。何度斬っても終わりが見えない。
動き自体は戦神の神格を持っていないのか、そこまで脅威ではないがポテンシャルが違い過ぎる。
特にこの再生力は厄介過ぎる。おそらく、欠片も残さず消滅させなければならない。
「ガルフ! こいつを街の外へ! ここじゃ大技が使えない!」
「分かった!」
ガルフは即座に聖剣を側面にして振るう。
邪神は跳ばされ、そこに俺は瓦礫を操作し当て、そのまま押し出す。
自らに絶対的な自身があるのか、殆ど邪神は抵抗もせず、都市外に追い出す事に成功した。
そうしている内に、邪神に流れる生命力は徐々に少なくなってきた。
皆、救出に成功しているようだ。
それにやっと慌てたのか、邪神は形態を変えた。
黒い手が狼の頭部になったり、人の上半身になったりと形が変わる。
そして宰相達が行使していた魔術を発動させる。
威力は勿論、宰相達が行使していた時の数段上だ。
俺達も数段上以上の力を引き出している状態だが、一々相手にしていたら先に力尽きるのは俺達だ。
「一気に決めるぞ!」
「ああ!」
今ここで、全てを使う。
「――初めに咲く一輪の花 五枚の花弁は肥やしとなりて種を育む――」
「――今は望めぬ旧き空 偉大な星は五つあり――」
俺達は止まることなく詠唱を開始する。
「――一の花弁は草木を 二の花弁は動物を 三の花弁は魚を――」
「――一つは人の暮らした命の星 二つは神なる太陽 三つは女神たる月――」
それは起源、根源までも引き出す記憶。
「――四の花弁は精霊を 五の花弁は人間を――」
「――四つも女神たる月 五つも女神たる月――」
記憶を忘れてもなお、決して消える事の無い存在意義。
「――守り育み繁栄させる 世界は彼等で満ち 彼等は一人で歩く 肥やしは役目を終えた されど忘れるなかれ 我らは汝らが親 求める限り幾度でも守ろう 育もう 我は五の花弁――」
「――されど一つの星は枯れ果てた 神なき星は星屑 三柱の女神は嘆き悲しむ 三の女神は父を覆い隠し 四の女神は星屑を取り込む されど四の月に命なし 故に五の女神は四の月にて散る 四の月に命は還り女神の加護が与えられた 我は五の女神の欠片――」
全てを引き出す祝詞。
「“人の守護神”」
「“破壊と再生”」
凄まじい光が吹き荒れる。
俺は光雷の満ちた光柱の円陣に邪神を閉じ込めた。
邪神は黒い手や魔物の頭部を伸ばすが、円陣の外に出る事は叶わず消滅。
そこにガルフが星々の様に輝く光の剣を振り下ろす。
邪神は光柱の外に出られず、星の聖剣に斬られ、流星の光に殴られる。
聖剣は後方の山を刳り取っても力を解放し続け、俺は光柱で締め上げる様に邪神を潰す。
そして遂に、柱は一つになり天を貫いた。
邪神は、消滅した。
それを証明するようにステータスが上がる。
だが、それを聞き届ける余裕は既に俺達に存在していなかった。
静かに俺達は崩れ落ちた。
もう限界だ。
この肉体からは、神霊が漏れ始めていた。全身から光の粒子が空へと昇って逝く。
神の器としての性能を発揮しきれなくなったのだ。
もう時期、俺は世界に還り、永遠の眠りに着くだろう。
そしてガルフも横に倒れていた。
黒い服で隠れているが、相当な量の血が流れている。
「……もう、逝ったか?」
「……人を勝手に、殺すな」
お互い、もう限界を過ぎていてたが、軽口を叩き合う。
そこへ他のクラスメイト達もやって来た。
「二人とも、無事!?」
「今すぐに治療します! “エクストラヒール”! 何で、私の魔法が効かない!?」
サァフィーが懸命に治癒魔法を使ってくれるが、俺達に回復の兆しは現れない。
「……無駄だ、俺の場合、これは傷であって傷でない……。神が天へと還る、それが自然の摂理だ……。今までの方が、無理をしていたんだ……。その補強術式機構が壊れた、回復ではどうにもならない……」
「そんな!」
「ガルフ、あなたは何で治らないの!?」
「俺のはな、代償を支払ったからだ……。この聖剣は破壊と再生を司る……その本質は、破壊と言う名の代償を捧げる事で、次へと繋げる……。肉体以外も再生の為に、捧げられたんだよ……」
せめてガルフだけでも回復して欲しかったが、それは叶わないらしい。
「私が、太陽石を取りに行くなんて言わなければ……」
「いえ、私がこの国の厄介事に介入しなければ……」
「お前らの、せいじゃ無い。そんな顔を、するな……。俺達は、そしてお前らは、この国を、多くの人を救ったんだ……顔を、上げろ…………」
「そうだ、何も、悔やむ事など無い……胸を張れ…………」
ああ、目が霞む、どうやら、お別れのようだ。
未来の英雄、いや英雄達よ、どうかこれからも多くを救ってくれ。
突然輝き出したブローチの光を最後に、俺の意識は途絶えた。
しかし再び意識が戻る。
まるで微睡んでいるようだが、意識はある。
だが、俺の視界では無い。
正確には、今までの視界とはまるで違う。
俺は今、自分の亡骸を俯瞰していた。
魂となって見ているらしい。
徐々に俺は天へと上昇し、希薄になって逝く。
そこに天使達がやって来た。
俺のお迎いでは無い。
大聖堂にいた試練の天使だ。
まだ、試練は継続していたのか。
すっかり忘れていた。
『仁を示せ』
そう言うと、再び天使は空へと消える。
天使の言葉からすると、『義を示せ』はクリアしたらしい。
全く覚えは無いが、もしや、人助けをしたのが良かったのか? いや、それなら令嬢を助けた時点でクリアしていた筈。
まあもう死んだのだ。
考えても仕方が無い。
そして俺の意識は、完全に途絶えるのだった。
《用語解説》
・メデューサの瞳
魂を結晶化する宝玉。魂が輪廻の輪に還る前に物質化し、還る事を防ぐ力を持つ。
無差別に魂を結晶化できるのでは無く、持ち主か側に長時間居続けた者にしか適用されない。
機械的に機能するのでは無く、魂を常に侵食することで結晶化している。つまり、どんなに宝玉から離れていても力が完全に浸透していれば死した時に魂は結晶化される。
また、瞬間的に結晶化する訳では無く、徐々に結晶化してゆく。その為、魂は完全に実体を持つことなく、だからと言って輪廻に還る事なく不純物として輪を巡り、結晶化が済んだ時に輪廻から外れ物質として地上に落ちる事になる。
その為、結晶化された魂は広範囲に散らばる事になる。
尚、この宝玉には魂を結晶化する力しか無い為に、死者を蘇生させる秘宝として用いる場合、肉体を回復させる手段や魂を再び定着させる手段が別途必要となる。
その為、魂を結晶化させ輪廻の輪に還さないと言う破格の力を持つが、活かせる者は非常に少ない宝玉である。
鉱物では無くある種の人工物で、魂ごと石化する能力を持つ高位存在の遺骸を用いて作成される。
作成には大儀式が必要。
実は起源は、対価を必要としない強大な石化能力を再現しようとした結果、魂しか石化させられるものを作成出来なかった失敗作。
多くの石化能力は肉体に由来する訳では無い為、本質に最も近い魂に限定してのみ石化能力が再現された遺物である。
結晶化した魂は広範囲に散らばると言う特性を持つ為に、宝玉を手にしてもその価値に気付かない者も居るほどで、そもそも所持している
間に死人が出る事も珍しいので、その価値を知る者は非常に少ない。
石化は兵器として価値が有る為に、作成まで至った例は数多くあるが、それでも多くの場合、失敗作としてただの宝玉として開発費の補填に回されてしまう事が殆ど。
それ以前に存在が知られていない。
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次話は後編を投稿します。




