第十一話 御風呂あるいは変態
「さあ皆、御風呂が完成したから入ろう」
早速僕は眷属達に御風呂を薦めた。皆の為に造ったから僕達よりも先に入って欲しい。一番風呂は温泉爺さんに取られたけど……。
「眷属たる我等が主を差し置いて先に入る訳にはいきません」
「いえ、そのようなこと全く気にする必要はありません。……彼方を見てください」
ここまできても遠慮する眷属達に、コアさんは御風呂の一つを指差して言う。
「「「「「「…………」」」」」」
コアさんの指すところには温泉爺さん…いや温泉ジジイがまたも湯に浸かっていた……。しかも入っているのはジジイただ一人。同じ魔術で生まれた眷属は一人も入っていない。
君は少し遠慮しよう……。
「……そうですね。では、有り難く御先に入らせて頂きます」
無遠慮な温泉ジジイが先に入っているのを見て、僕達が先に入ったところで意味がないと思ったのだろう。今回はすぐに僕達の感謝の気持ちを受け取ってくれた。
この事を考えると温泉ジジイも役にたったと思っていいのだろうか? 納得がいかない。
眷属達は服を煙状に変え、それを自分の身体に溶かし込むように消して裸になると、次々に御風呂に入っていく。
服、そうやって脱ぐんだね…。
「あの、少し遅いかもしれませんが、男湯と女湯を分けなくて良かったのですか?」
「ん? 花には雄しべと雌しべが一緒に在るから良いんじゃない」
そう言えば確かに英雄譚では御風呂が分かれていたような気がする。でも恐らくそれは文化か何かで偶々そういう御風呂が多いいだけだろう。わざわざ男と女を分けなくても良い筈だ。
「そういう判断基準なのですか…………」
何故かコアさんが遠い眼をする。
「実際、誰も困っていないようだし、多分大丈夫だよ。そう言えば前を隠そうとしている人が多いいけど、眷属達の間で流行っているのかな?」
「…………もう何でもいいです」
コアさんが酷く遠い眼をする。仙茶を飲み過ぎても成らなそうな表情だがどうしたのだろうか?
そんなコアさんは暫く放っておいて、眷属達の様子を見る。
どうやらしっかりと温泉を満喫しているようだ。顔が緩んでいる。皆喜んでくれて何より何より。
一部、いや結構な数の眷属達が、異性をチラチラ見ながら頬を紅く染めてモジモジとしているが、満喫はしてくれているようだ。これは一体何なのだろう? この温泉の効能か何かかな?
「さて、僕達もそろそろ入ろうか」
「そうですね」
元の状態に戻ったコアさんがそう答える。何だかコアさんの復活が段々早くなってきた気がする。
「「「「「「「ゴクリッ」」」」」」」
僕とコアさんがやり取りをした直後、生唾を飲み込むような音と大量の視線を感じた。
すぐに音と視線を感じた方向を見るが、そこに異変は何もなかった。演技するかのように大袈裟に御風呂を満喫する眷属達しかいなかった。
コアさんも同じ方向を見て、不思議そうにしているから気のせいではないと思うが、一体何だったのだろう?
待ちわびていたかのように温泉ジジイがきた。
「ささ、主様専用の御風呂に案内しますのじゃ」
どうやら僕達用の御風呂は別に造ってあったようだ。
温泉ジジイに連れられてやって来たのは、僕が温泉を掘り当てたところだった。
そこに浴場のどの御風呂よりも高い、空中庭園のようなデザインの御風呂があった。天辺に浴場が有り、そこから全てのお湯が各々の浴槽に流れている。
本当の一番風呂と呼べる場所かもしれない。どうやら眷属達の忠誠心に僕達は敵わないようだ。ありがとう。
「ではワシはこれで失礼致しますじゃ」
温泉ジジイは僕達を案内し終わると去っていった。
案内はありがたいが、頭にタオルを置いただけの全裸での案内は止めて欲しかった。
僕は服を脱ぐ。
何だか視線を強く感じるが、幾ら探しても正体が解らなかったので諦めることにした。
まずは蔦の帯を解いて……。
───プファアアーーーーン───
僕が帯を解くととんでもない事態になった。
一瞬で再生途中の森が、元の森よりも木々の生い茂る植物の楽園へと化したのだ。
すっかり忘れていた。僕の帯は普段から漏れる豊穣の力を吸い取り、外に豊穣の力が漏れないよう受け止める役目を持っていたのだ。
瞬時に草花に力が行くよう調整して、木々に力がいかないようにしたが、それでも森が完全復活してしまった。完全に木々への力を止めることが出来ない。
幸いまだ御風呂に大きな被害は無いが、このままだと森に呑み込まれてしまうだろう。
しょうがないので植物を再び採取することにする。
今度は眷属達を巻き込まないように、浴場の外の植物を意識して豊穣世界へと降ろす。
浴場に既に入ってしまった植物は残ってしまうが、このくらいならば大丈夫だろう。
この試みはすぐに成功して、新たに生えた草花が急激に広がり生え変わる光景へと落ち着いた。
「いやー、御風呂入るのにも一苦労だね」
「……どう考えても一苦労どころではありませんよ」
「「……ふぅー」」
「「くはぁー」」
何だかんだあったが、無事服を脱ぎ終わり御風呂に入った。
とても気持ちいい。思わず息を吐いてしまった。極楽極楽。
「良い御風呂だね~」
「そうですね~」
思わず語尾を伸ばしてしまう程、本当に素晴らしい御風呂だ。何よりも気色が良い。
大理石で造られた直線的な浴場、昔ながらのコンクリートで造られたアーチが特徴的な浴場、大きめの石を敷き詰めただけの自然を感じられる浴場、そして木材で造られた優しい浴場等、数えるのが面倒な程多種多様に存在し、浴場と言う一つの共通点以外に揃った特徴がないのにもかかわらず、全てが調和し一つの浴場として存在としてそこに在った。
僕達がいる御風呂から流れるお湯は、湯気を振り撒きながら時になだらかな流れとして、時に急な滝としてこの広大な浴場の隅々まで運ばれていく。
流れるお湯は冷めることなく眷属達を暖める。それが温泉の力なのか浴場の力なのかは判らない。
耳を澄ませば流れの音もここまで届き、まるでこの浴場が生きていると錯覚させられる。
所々に装飾として植えられた植物、僕の力で予期せぬ所から現れた植物。偶然合わさったにもかかわらず、必然的にそこに在るかのように浴場の一部と化している。
既にこれらの植物無しでは、この浴場が成り立たないだろう。浴場によっては抜いただけで、神秘的な浴場から廃墟に様変わりしそうだ。
そして浴場の外の風景も美しい。
まだ雪の残る両側の山脈は僕の前方、この領域の入り口まで続き一本の道と化している。この領域は大体一千万ドームという広大な広さを誇るそうだが、理解出来ない高さの山脈のおかげで太めの一本道にしか見えない。
それでもここが、村を囲むように円状に連なる山脈の唯一の途切れ、本当に山脈の極一部でしかないことを思うと、大自然の偉大さを感じずにはいられない。
僕の力で草原になった領域には絶えることなく、草や花が咲き続けている。
まるで春を早送りで迎え続けているようだ。
そこに再び再生の始まった木々の、光りで作られた薄い朧気なシルエットも合わさり、とても幻想的で神秘的な光景がそこに在った。
この領域で眠りから覚めたら確実に自分は死んだと思い込むだろう。もしそうなったらこの光景に見とれ、気付かぬうちに本当に死を迎えてしまいそうだ。
「いや~、極楽、極楽~」
「そうですね~、眷属達の為に造った筈なのにすっかり気に入ってしまいましたよ~」
「そう言えば眷属達の方向が静かになったね~。眷属達も景色に目を奪われているのかな~」
「きっとそうですよ~。そう言えば視線も感じなくなりましたね~」
「あと気のせいか鉄の匂いがしな~い?」
「気のせいか鉄の匂いがしますね~」
「「……」」
眷属達が居る方向、視線を感じていた方向、そして今血の匂…鉄の匂いがする方向は全て同じだ。
何だかとても嫌な予感がする。
「……見る?」
「……見ましょう」
僕達は眷属を見た。
そして後悔した。
まず温泉は血で真っ赤に染まっていた。
……鼻血で……。
また眷属達も紅くなっている。
……興奮で……。
眷属達は気絶していた。
豊穣世界へと降りたサカキとナギをもっと酷くした表情で……。
変態達は…眷属達は見ていた。
僕達の姿を……。
気絶した今も目を開き続けている。
彼等は頬を考えたくもない興奮で紅く染め、口からは涎を垂らしながら、気絶しながらも蕩けさせた目を閉じずに僕達二人を見ているが、とても幸せそうだ。
幼子には決して見せてはいけない存在として完成してしまっている。
「……何も見ていないよね?」
「……はい何も見ていません」
僕は、僕達は全て忘れることにした。
「…………何も見ていないよね?」
「…………はい何も見ていません」
しかし色々な衝撃のあまり身体が思うように動かなかった。
変態…眷属達から目線をそらせられない。そして眷属…変態達も目線をそらしてくれない。
「「ふんっ!」」
暫しの硬直の後、僕達は変態達から気合いで強引に視線をそらした。
その勢いのあまり僕達は後ろに倒れ、バシャーンと大きな水飛沫が跳ぶ。
あぁ、大空は青く澄んでいる……。
「……綺麗な大空だね」
「……綺麗な大空ですね」
空を仰向けに倒れ見つめたまま、僕達は現実逃避した。
決して顔を見合わせない。独り言に近い会話だ。
しかしどんなに変態達を忘れようとしても、全然脳裏から離れていかない。
向き合うしか無いようだ。変態と向き合うとは一体…………。
「……仙茶でも飲もうか?」
「……頂きます」
冷静になるためにまた仙茶を飲むことにした。
急須から淹れる程の元気は残っていないので、仙茶を直接僕達の上に出現させる。仰向けだから丁度良い。
「「ガボガバババッ!! ゲホッ! ゲホッ!」」
顔全体に掛かる量の熱々の仙茶が、僕達の顔面に直接掛かった。
「「ガボガバババッ!! ゲホッ! ゲホッ!」」
御茶はなかなか止まらない。
一口毎に自動で流れてくるように設定したのが間違いだったようだ。ぼーとしてたせいで御茶の量を間違い、もはや拷問状態である。
「「ガボガバババッ!! ゲホッ! ゲホッ!」」
…………
……
…
「「ブハーー、殺す気か!!」」
御茶が全て流れ終わり、僕達は飛び起きた。
「って、マスターのせいですよね!? 何で一緒になって被害者側の発言をしているのですか!?」
「ふ、不可抗力だからだよ。そ、それよりもこれからどうする?」
何はともあれ冷静(?)になれた。これでこれからの事を考えられる。
「そうですね……」
「「「「「ハァハァハァ、主と同じ御湯。ハァハァハァ、主の裸体、フフフ」」」」」
コアさんが僕の相談に応えようとすると、変態達が気絶から復活してしまった。
起きたことで変態度合いが増している。
「……雷霆でも落としましょうか?」
「……神撃の方が良いんじゃない?」
しぶとそうだし撃ち込んでも滅びはしないだろう。既に僕達の中に攻撃しないという選択肢は無い。これは殺るかヤられるかの戦いなのだ。
「「“我が身を創りし土よ 命の源たる水よ 意志である火よ 魂と成りし風よ 今再び我に力を与え給え”」」
僕達は略式の“根源詠唱”を唱える。根源詠唱はどんな魔術でも大幅強化される素敵な詠唱だ。失敗するとかなりヤバイ事になるらしいが、村の皆曰く、僕は失敗しても大した事が無いらしいので使う。
コアさんも僕と同じく根源詠唱をしている。コアさんも失敗しても大丈夫なのだろう。
「「“汝等は我の怒りを知らない 天に轟く雷霆 空を覆う大嵐 地上に響く振動 大地を燃やす大噴火 全ては試練である”」」
根源詠唱に続けて“神撃”の詠唱を行う。
詠唱を始めると同時に複雑な複数の魔法陣が現れる。前後左右上下とあちらこちらに在り、大きさもバラバラな魔法陣だ。
詠唱が進む毎にまた一つまた一つと魔法陣は増えていく。
「「“汝等は知るであろう 我怒りを 神の鉄鎚を 汝等は知るであろう 我慈悲を 神の神意を さあ願え 来世で待つ”」」
略式だが詠唱は完成した。神性魔法“神撃”だ。
本物の神が放つ神撃を魔術で再現したものに過ぎないと言われているが、それでもかなりの威力がある筈だ。変態達の制裁に丁度良い。
「「“神撃”」」
魔術の仕上げに魔術名を唱える。
するとバラバラの位置に在った魔法陣が、全て僕達の頭上に移動し、矛先を僕達に向けた槍のような形となる。
そして僕達に一番近い魔法陣から金色の一撃が飛び出し、魔法陣を通り過ぎる毎により巨大により強力になり、最後の魔法陣を越えた後天高く上り一度分かれ、再び集まり槍のような形となり変態達の方へと降りてくる。
降りてくる神撃は強烈な光りと衝撃波を放ちながら、浴場の中心へと進む。
そして着水した。
ポチャンと………………。
「「………………へっ!?」」
あまりの事に理解が及ばない。いや、理解出来るがしたくない。
そう、魔術は眷属へと変化してしまったのだ。
「ハァハァハァ、御柱の浸かった御湯、御柱の裸体、ハァハァハァ」
そして即行で変態にも変化してしまった。
「…………不毛だったね」
「…………不毛でしたね」
「……大人しく温泉に浸かっていようか」
「……そうですね。絶対に魔術を使わないように大人しくしています」
「…そうして、もし変態がここまで来たら僕が植物で何とかするよ」
「…お願いします」
「「ふうー、……ハァー」」
僕達は温泉に肩までしっかり浸かった。
とても気持ちいい。身に染みる。思わず二つのため息を吐いてしまった。
これで僕達の裸は見えないだろう。その内変態達の興奮も収まる筈だ。
結局僕達は変態達が全員浴場から出るまで待つこととなった。
幸い変態達の襲撃もなく、仙茶がお湯に溶け込んでいたおかげで、そこまで長い時間待たずに済んだが、少しのぼせてしまった。
今度変態が現れたら、まず仙茶を掛けてみよう。
眷属達の労いとしては成功した……のかな?
《用語解説》
・ドーム
面積の単位。
異世界人がもたらしたもので、一ドームは約216メートル四方の面積であり、所謂東京ドーム一つ分の広さが一ドームである。
・根源詠唱
魔術の根源へと繋がる詠唱。
魔術を発動する前に唱えることで、魔術を非常に大幅に強化することができる。その強化度合いは“ファイアボール”で大都市を焼却できる程と計り知れない。
また魔術の発動条件を緩和することも出来、人の身で使用できないものまでも使用可能になる。
このように凄まじい効果を誇る為、当然この詠唱の難易度は非常に高い。正確には完全な詠唱さえ唱えられれば誰にでも使用できるのだが、ほんの一部の存在を除き魔術を発動する前に力尽きてしまう。
失敗すれば肉体は土に、命は水に、意志は火に、魂は風に還ってしまい、成功しても後遺症が残る可能性が非常に高い。
アーク達のように略して詠唱することも出来、その場合難易度と強化度合いが下がるが、それでも成功する者は非常に少ない。一句だけでも成功した者は伝承に残るだろう。
本来の詠唱文は詠むのに数時間掛かる程の長さを誇る。
魔術の詠唱の元となったものでもある。
・雷霆
凄まじい雷。
変態に当てる為のものではない。
・神撃
凄まじい威力の神性魔法。
絶対に変態に当てるものではない。
例え相手が町でも都市でも、国でも世界でも使うべきではない。
尚、【最果て】以中では何回使ってもよい。
・神性魔法
神の力を再現した魔法。
あくまで再現であって神の力ではない。
しかし神に傷を与えることの出来る魔法である。
お読み頂き、ありがとうございます。




