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ホルンの木がなぎ倒され、大きな渦状の空間ができてしまい、火事にはなっていないものの地面も木も真っ黒に焦げ付いていた。一瞬でおこった地形の変化、空からみれば見事なミステリーサークルだろう。
チャールズは茶色の竜が煤けて黒くなっているのをみて、駆け寄り、すまない・・・と零した。
横たわる巨体に恐る恐る触れる、本来ならば鱗は指先にひんやりと冷たさを与えるのだろうが、今は熱を持ちすぎていて反射的に指を離れそうになったが、火傷を覚悟で手のひらを竜に押し付けた。怪我が治るように願いながら、何度も撫でる。残念だが治癒の魔法を知らない。ただ有り余る魔力を送り、命をつないでほしいと思った。
ブスブスと黒い狼煙が幾つも空へあがり、誰かが様子を見に来るのは間違いないだろう。その時に一体なんというべきか、茶畑まで被害が及んでいなければいいが、頭の片隅に現実的な事柄が浮かぶ。
ゴツ、と竜に額を押し付けて祈った。
「どうか、私のために生きてくれ」
それは美しい感情からの切望ではなく、利己的で欺瞞に満ちた願いだった。こんな呪いのような力を使ったことをなかったことにしたい、自分のせいで誰かが命を落としてその責任を背負いたくない、そんなどうしようもない本音だ。ぼたり、そう形容するしかない大粒の涙がいつの間にか頬を伝い地面を汚す。
舞い上がる砂埃に星屑のような輝きが混ざった。
竜を中心に旋風が起こり、それに促されたかのように竜は頭をもたげた。へばりつくチャールズに顔をよせ唸り声を一つ。
「・・・なん、だ?」
先ほどのような食われるかもしれない、という恐怖は起きなかった。どちらかというと仕方ないやつだな、と慰めてくれている気がして乾きかけた涙が再びぼろり、とこぼれ落ちた。ただひたすらになにか暖かいものが指先から痺れるように循環している気がする。
「お前、許して・・・くれるの」
土竜特有の小さな翼をパタパタ、と動かしてさらに顔を突き出してきた。鼻先をこすりつけるような動作に体勢を崩されそうになったが、その顔を咄嗟に掴み耐える。触れた鱗はまだ火傷しそうなほどに熱かった。だが額をこすりつけて抱きしめることを躊躇しなかった。
「いたぞ!」
声が聞こえてきたのは上空からだった。ハッとなり顔をあげればビリーのフリュスと、もう一匹の竜が旋回してこちらを伺っているようだった。警戒している様子に、チャールズは混乱する。考えてみれば当然だ。これだけの爆発と地形変化、天変地異として国から調査隊が来てもおかしくはない。
サークル状の焼け跡の真ん中にいる竜と子供、あからさまに怪しすぎる。竜が本来は大人しいとはいえ攻撃性や危険性がないわけではないのだ、なにかあった際には討伐もされる。ビリーは魔法が使える人間だ。短慮は起こさないと思うが万が一攻撃をされては困る。チャールズはもちろん弱っている竜も死ぬ可能性が高い。
だからといってここで街へ戻られても厄介だった。自分たちがまともに動けない以上、助けが欲しい。なんとか呼び止めなければならなかった。
「は・・・待って、ビリー」
一定距離以上近づかない二匹の竜に、大きく手を振った。この状態では土竜に埋もれて見えないかもしれない、と思い抱きついていた土竜から距離を取りつつ、だったのだがそれが逆に土竜に襲われている状態に見えたらしい。
竜とチャールズとの間に距離ができ、そこを狙って水の弾が打たれた。おそらくは竜をひるませる威嚇だったのだろうが、竜は過敏に反応し首を勢いよくビリー達を仰いだ。空気が震える咆哮、滅多に聴くことのない土竜のしゃがれたそれはフリュスを攻撃したようだった。がくん、と高度を落としふらつくフリュス、もう一匹の竜は逆に距離をとってフリュスとは逆の位置をホバリングしていた。
土竜の目がフリュスを追い、大きく口を開ける。なにか攻撃をするだろうことはわかった、そしてそれに当たればフリュスは墜落する。なんとか止めないと、とチャールズは思ったが自分に何ができるというのだろう。近づけばいいのか、逃げればいいのか足は前にも後ろにも動かせず、ただかかしのように突っ立つばかり、唇は戦慄いた。
「・・・オパルス!まって!」
口に出た言葉は脳を通さずに発せられたものだった。しかしそんな言葉でも効果があったのか、土竜の動作は止まった。ぐるりと首を回してチャールズを視界に入れる。その状態でなにか迷うような仕草を取り、地面に懐いた。倒れたのかと思ったがそういうわけでもないらしく目はしっかりとチャールズを捉えている。一歩、チャールズも近づいた。
「チャック!」
フリュスがいつの間にか着陸していて、すこし遠くからビリーが声をかけてきた。ハッと顔を向けて問題ないことを主張するため腕を大きく振った。慎重に近づいてくるビリーの手には剣が構えられ、一定の距離以上は近づかずハンドサインでチャックを呼び寄せた。
ちらりと伏せている土竜を見て、迷ったが動かなければどうしようもないと思い、土竜にどうか警戒されるような動きをしないでくれと願いながら小走りにビリーの元へ寄った。ビリーとは別の人が土竜に向けて剣を構えて警戒し、ビリーはすぐにチャールズを抱え上げた。
「チャック・・・!無事、やな?」
「ビリー、平気、平気だよ!大丈夫」
煤けて汚れている服、露出した肌は赤くなり、軽い火傷を負っているが致命的な外傷などはない。手足を動かし大丈夫であることをアピールすれば一時的に安堵したらしく、緊張していたビリーの体が深呼吸とともに緩んだ。しかしすぐに目の前の土竜を見据え警戒する体勢を整えた。地面に下ろされたチャールズはビリーに庇われながら、なんとか言葉を探した。具体的なものは何もないが、この竜は安全なのだと言いたくて。
「あの・・・大丈夫だよ。この子は、そうこの子はオパルス」
「・・・チャック、ほんまにやな。お前の契約竜やな」
「う、うん」
たぶん、と言いたかったがここで曖昧なことは言えなかった。竜と契約するということがわからなかったからだ。以前にビリーが言っていた運命であるとか相性などまるで感じなかった。いつ契約されたかもわからない、ただ生きて欲しいと祈っただけだ。
「チャック、爪を」
「・・・お、オパルス爪を見せて欲しい」
ビリーの背後にいるフリュスがいつでも攻撃できる体勢ですこし前傾に体重が乗ったのがわかった。そのフリュスより幾分小さな体格のオパルスはこちらを伺うように首をすこしあげて、よくみえるように前肢を二つ揃えて出してくれた。その爪は赤く発色しており、契約竜となっていることがわかった。
「マニキュア・・・契約竜や。チャックの言うことも聞いとるし、ほんまに・・・ほんまにチャックと契約したんやな」
どこか呆然とした様子でビリーは構えていた剣をおろし、同時に頭を抱えた。それからチラリとチャールズを厳しい目でみつめ、いつもより低い声で事情を説明してもらうぞ、と言われた。
裏腹に、緊張で固くなるチャールズを宥めるように抱きしめて背中をゆっくりと撫でてくれる手は優しいもので、心配をかけてしまったであろうことは間違いなかった。
フリュスの背中に乗せられ家へ着いたとき、予想以上の騒ぎとなっていたらしくフリュス達が空に見えた時点で地響きかと思う声があがった。その大半が無事かー!というようなビリー達の安否を心配するもので、どうやらチャールズの姿は見えないようだった。ようやく地面に降り立てば、ヒルダが真っ青な顔をして飛びついてきた。
「チャック!あなたどうして!」
チャールズがしっかりと立っているもののボロボロになっている様子から触れていいのか一瞬迷うにして、それでもヒルダは優しく肩を抱いた。土まみれになった手でチャールズも抱き返してくれたことで、少し安堵したようだったが厳しい顔をしているビリーに、言い知れない不安が湧く。
「・・・チャックから少し話を聞きたいんや」
■
「あの、オパルスは本当においてきてよかったの」
「安心せい、契約竜やからな離れとっても繋がっとる。たぶん近くまできてるやろ。土竜は空が飛ばれへんから、たぶん歩いて・・・やと思うんやけど」
「たぶんなの?」
「土竜は土ん中でこもってる竜やからな・・・契約なんて滅多にあらへん。悪いけど俺もようわからん」
部屋に入ったものの、視線を左右に迷わせるばかりになる。それはビリーもどうやら同じようで居所を見つけるように無意味に部屋を一周して、手持ち無沙汰に剣を弄りつつソファへ腰を下ろした。視線一つでチャールズにも座るよう促す。
「聞かせてくれ、何があったんか」
「・・・なに、何って言っても。僕はただホルンの並木道を歩いてて」
頭の中でぐるぐると今朝からの回想をする。なんと説明すればいいか、どう誤魔化せばいいか。自身が開放してしまった能力について話さないとすればあの爆発的現象はなんだというべきなのか。チャールズは何度か口を開いて、同じだけ閉じた。
「・・・穴、穴に落ちたんだ。そこに竜がいた。怒らせたとおもって急いで逃げたけど、穴の中だったし。転んだし、怪我はほとんどそれ。気付かなかったけど」
「そうなんか、あの山に竜が・・・」
「・・・あの、爆発は」
俯くチャールズの頭を、ビリーはぎこちなく撫でた。温度の高い手のひらは、優しくて、チャールズは無性に泣きたくなる。髪に絡んだいくつかの枯葉クズをつまみとりながら、続きを促されて、チャールズは爪に土がはいっているのを隠すようにして拳をつくった。
「食べられるっておもって目をつぶった瞬間、爆発してて・・・オパルスも倒れてた。オパルスの影に隠れて、僕助かったのかも」
自分がどう呼吸をしているのか、よくわからなくなっていた。できる限り平静を装うとしていたつもりだが、ビリーにはお見通しだったのだろう。大きな手で顔を持ち上げられて、視線を合わさせられた。鮮やかな青色に射抜かれて、きゅっと内蔵を締め付けられた気がした。
「・・・チャック、無事でよかった」
何かを押し殺すようにして絞り出されたそのセリフに、誤魔化されてくれたのだと感じる。そのことに罪悪感が募ったが、抱きしめてくれる腕の強さと、震える声に決して上っ面だけの言葉ではなく、心配をかけてしまったことに、卑しくも歓喜した。涙の箍は外れてしまい、頬が濡れる。子供のようだ、と少しの羞恥から唇を噛み締めて我慢をしようとしたが、ビリーがそれを面白がるように小さく笑うから、やけくそでボロボロと泣いた。
「なぁ、チャック・・・契約おめでとう、お前も今日から竜騎士やなぁ」
「・・・でも、なんで契約したのかわかんない」
「竜にも性格があるからな、強いやつ、優しいやつ、それぞれ望むものはちゃうけど、ただいえるのはお互いになにかを見出した。見初めたっちゅうことや・・・。そうやないと契約なんぞ発動せぇへん。運命や、いうたやろ。命預けたろってお互いに思うたんや」
垂れてくる鼻水を必死にすすりながら、とりあえず頷いたものの、内心でしっくりきていなかった。運命を感じてなどいなかった。神聖な竜騎士の契約に煤けた灰を被せてしまった気分だ。
窓の外はすっかり日が落ちて、代わりに月が部屋を照らしてくれていた。ビリーもそれに気づいたのか、今日は疲れただろうと言ってチャールズの部屋まで連れて行ってくれた。大人しく寝室のベッドに腰掛けていれば、湯を持ってきてくれて砂をきちんと落としてから眠るように言い渡された。
「全身が軽い火傷になっとる。薬はまた明日用意しといたるから、しばらく安静にしとき」
ほな、おやすみと言って部屋を出て行くビリーは、おそらく母親に状況を説明してくれるのだろう。一人暗闇に残されると、チャールズはホッと安堵のため息をついた。ふかふかの大きな枕に頭を預け、全身の力を抜けば、すぐに眠気はやってくる。何も考えたくなくて、そのまま意識を手放した。
いきなり目が覚めた。頭は唐突な覚醒に混乱していて、自分がなにものであったかを思い出そうとする。夢も見ていなかった。名前はチャールズだったことからはじまって家族構成をぼんやり思い出したあたりで、身体を起こす。
小さい地響きのようなものを耳にした。月明かりの差し込む窓を除けば、なんの変哲もない庭がある。母が手入れをしている木立が美しく並んでいる。カーテンを引いてしまおうと視線をそらした時、大きく影ができた。見上げれば、そこには黒い影があった。思わず目を見張ったが、恐怖はなかった。闇に溶け込む体躯ではあるものの、よく見れば理知的な瞳が、オパルスであることが理解できた。
「・・・追って、きてくれたの」
言葉が通じているかはわからないが、チャールズのその言葉に反応はしたようだった。高かった頭が視線を合わせるように下げられた。土竜独特の爪の長い大きな前足を地面について、鼻を寄せてくるが、窓ガラスにぶつかった。
割れてしまっては困る、と慌てて開ければ少し冷たい風がカーテンを揺らした。土まみれのゴツゴツとした鱗、生暖かい鼻息、どこか夢現だった頭が、手のひらから溶かされるように実感を伴って覚醒する。
「僕の竜・・・僕はチャールズ・ウィルキー、君はオパルス」
返事をするように額を押し付けてきた。しかし力加減がわからないのか、窓枠にぶつかり、その圧力でチャールズもたたらを踏んだ。思わず笑いが漏れた。ナイトガウンを羽織、窓枠に足をかけて裸足のままオパルスの隣へ降りた。一階とはいえ少しの高さがあるので、足はしびれたが、芝生であったのが功を奏した。
見上げれば、月明かりで虹色に輝く瞳がこちらへ向けられていた。意志を感じる知的な瞳だ。美しさに思わず見惚れてしまう。ああ、本当に契約はなされているのだとその時確信する。ビリーの前で全て出し尽くしたと思った涙が再びこみ上げてくる。
「本当に、契約してしまったんだね。お前が運命なんだね。ごめんね、ごめん」
その大きな体躯の首元に抱きつくようにしてそう謝れば、ぐるる、と威嚇するように喉を鳴らされる。怒っているのだろう。それは謝るな、と言っているように思え、涙を拭った。寄り添えば、その冷たい鱗の奥に暖かな温度があることが分かる。
「・・・これからよろしくね」
囁くような言葉は、オパルスの耳にはいったのかどうかわからないが、チャールズがもたれ掛かりやすいように伏せて眠るような体勢をとってくれる。秋の夜長にナイトガウンだけというのは肌寒さがあるが、思うほどではなかった。オパルスが小さな翼を広げて風よけになってくれているからかもしれない。
翌朝、ヒルダの悲鳴からはじまった。
自慢の庭に大穴があいていて近くに大きな竜の姿があったのだ。その上竜の足元には昨日怪我をして帰ってきた息子がいる。その息子は悲鳴で驚いたのか、丸めていた身体を起こして目をキョロキョロとさせて現状を把握しようと試みていた。
「はぁ・・・土竜だもんな、そりゃ穴掘ってくるか」
呆れたようにして庭の大穴を覗き込むビリー、この大穴を埋める作業はおそらく自分の作業となるだろうと憂鬱そうだ。ヒルダは何が何だかわからないけれど、と前置きしてチャールズをみた。
「とりあえずお風呂に入ってきなさい!」
よく考えれば寝巻きは土まみれ、裸足はすっかり冷えてしまっていることにチャールズは気づいてい大人しくイエスの返事をするしかなかった。
庭に空いた大穴は一時的にフリュスとビリー、従業員の手も借りて埋められた。妙な地盤沈下にならないようかなり遠いところまで調べて穴を潰してくれたようだった。朝から無駄な力仕事をさせてしまい申し訳ないと思いながらも風呂に入りさっぱりとしたチャールズは土竜が一体何を食べるのか聞きたくてビリーのところへ足を向けた。
部屋へ入るとビリーだけでなく、ヒルダもソファにいた。机には便箋と封筒、万年筆などが広げられていて、都市にいる父オータムナルへの手紙を書いていたらしい。ビリーは目が合うと丁度良かった、と手招いた。
「チャック、お前の騎士学校入学の話や」