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にー


その日私ははじめて自由だと感じた。


立って歩くようになりはじめての外、といっても中庭ではあったが白いガーデンテーブルとチェア、青いドレスを着た母親と手をつなぎゆっくりと地面を踏みしめ、その高く広い青空を仰ぎ見たのだ。澄み渡った空とは言い難い、だが私にとってはどの世界でみた空より美しい空だった。


「マンマ、お空」


「ええ、青いわねぇチャック」


私を膝の上にのせて使用人に紅茶を用意させる母は、まるで貴族のようだが実際のところウィルキー家は紅茶を専門にティーカップなどの食器も時折扱う商家である。しかし客のほとんどが貴族であることを考えると貴族かぶれにもなるし、そのへんの貴族よりも金だけはあり、金があるということはそれに比例した権力もあるようだ。


少し空気が冷たいからか、スカーフを私の肩へかけてくれた母はケーキスタンドのサンドイッチを手に取り私に一つ渡してくれた。一口サイズのそれが三歳の私のために工夫した材料で作られていることも知っているし、手間が掛かっていることも知っている。家にいないことのほうが多い両親ではあるが、実はとても愛されていることを私は知っていて、そしてそれに対して感謝をしつつも何か感じることはなかった。


だが今、私は私の足で立ち私が私であることに気づき私は自由であると実感した今、急激に感謝とともに喜びが溢れ、両親とはなんと素晴らしいのだろう、世界とはなんと優しいのだろう、そう感じいっている。


「ほら、チャックお空にドラゴンが飛んでいるわ」


「ふわぁ・・・」


笑みがこぼれる。母の指差す大空のなかにある小さな影、実際はとても大きいであろうその影は翼を優雅に広げたこの世界でも珍しい青い竜であった。その背中に人が乗っている様子はないので、竜騎士によるドラゴンでないことがわかる。ドラゴンは西洋では邪悪な存在の象徴であった記憶があるが、この世界ではどうやらそうでなく人間が手を出さなければとてもおとなしい存在で、討伐などもしていないし食物連鎖的にそれでも問題ないらしい。そのため案外空を仰げば野良の竜が見られる。


果たして世界共通かはわからないが少なくとも両親が信仰している宗教的に、空こそが神の座す神聖なる場所、ということで空を翔ける竜という存在は雄大な神の使いという扱いを受けているようだった。それら神の使いを使役することができる栄誉ある竜騎士は子供の憧れの職業トップである。


「あら、チャックも竜騎士になりたいのかしら。ふふふ、いい子にしていたらいつか蒼竜を買ってあげますからね」


普段あまり表情の動かない息子の私が嬉しそうにしているのに機嫌をよくしたのか母はそんなことをいう。蒼竜は竜のなかでももっとも人気で価値のある竜だと言われていて、その所以は先ほどの空を信仰し、空色青色を最高色とする傾向のためである。空の青色と雲の白色、この二色がもっとも位の高い色で、最下位は茶色・・・土の色である。これは農民を表す色でもあると言われているが、地獄があり朽ちた罪人たちが埋まっているという空からもっとも遠い大地の色ということらしい。絵本やおとぎ話も大半がこれらに則った話が大半で、事実この世界では死人が土から蘇り人を引きずり込むゾンビのような存在があるようだから余計であろう。


「マンマ、紅茶」


「チャックも飲む?まだ早いのではないかしら」


私用に用意されたミルクを無視して母がもつティーカップを見つめれば、仕方なさそうに苦笑してこぼさないよう慎重に私の口元へ持ってきてくれた。火傷しない程度には冷めてきているようだが、わずかに湯気がまだ見え、紅茶の優しい香りを届けてくれる。透き通った赤みのある紅茶をできるだけ音を鳴らさないよう啜れば、苦味が口に広がる。やはりまだ早かったようだった。飲めなくもないが、美味しいとは思えない。母もそれを察したのか机にあったミルクカップを私に手渡してくれた。落とさないようしっかり両手でもって温かいミルクで口直しをする。


空が嫌いだった。いつも見られているような、何かに縛られているような違和感があった。自らには過分な能力や知らぬはずのことを知っている苦しみが付き纏うなど、とにかく自分を含めた自分を取り巻く環境のすべてが自分以外の意志によって動かされているような気がして、それは目の前の他人の意志ではなくさらにもっと、そう天の力を感じた。それはいっそ恐怖で、自分はいつも屋根のある場所に引きこもり少し弱まる視線ともいえる気配に安堵していた。空の下は怖い。望んでもいない賞賛や悪意が目まぐるしく動いて何故か自分に近づいてくる。それは長く続いた。目がくらむほどの遠い過去をもち、吐き気がする運命に翻弄されそうになり、震えるほどの巨大な力を隠し続けた。そう、頭のおかしな話かもしれないが今尚「幾度も死んだ過去」を覚えている。


開放された、そんな風に感じることができる日が来たことが信じられない。


だが青空の下、まとわりつくものは感じない。目に見えない存在を恐れ続けていていた自分はまだいるが、澱んだ目で影から空を睨みつけていた自分はいない。



(あの男は私を欲もなく意志もない欠陥人間のように言っていたがそうではない。むしろ私は強固たる意志をもっていた。誰にも流されてたまるかという意志をもってすべてを拒否していたのだ)



チャールズ・ウィルキーは母の膝の上から頑是無い面持ちで空を仰ぎ見た。毎日、毎日、彼は空に神が今日もいないことを確認するために空を仰ぎ、目を眇め嬉しそうに微笑み、齢が十を超えたあたりで周囲の人たちは、なんと敬虔なる信徒だろうと眩しそうに彼を見つめていた。チャールズは知らなかったが、両親の信仰する空の神、ゲシュテルン教は国教でもあり世界共通宗教ともいえるものだった。それを知ったチャールズは自らが信心深い人間だと思われていることも含めて思わず鼻で笑ってしまった。


もうすぐ十二歳となるチャールズは紅茶畑が並ぶ山を駆け下りていた。今は葉の収穫時期ではないが、ウィルキー家に雇われた人たちが多く紅茶畑の周りにはいてチャールズの姿を見かけると坊ちゃん、そんなに急いでいると転びますよ、なんて声をかけてくれる。その度に手を振り返したり、大丈夫!と声を張ったりしたが飛び降りるように家へ向かう足は止めなかった。坂は急斜面だし、山もあれば谷もある、子供の遊び場には少々危ないところだが、この広大な敷地まるごと私有地であるため誰にも咎められることはない。青々とした棚田のような紅茶園がチャールズのお気に入りだった。


「父さん!」


目立つ赤い屋根の我が家の上空に着地に迷って旋回している竜の影をみた。できた紅茶を売りにいく父親は、めったに家には帰ってこないが帰ってくるときには必ず竜騎士を護衛にして派手に登場するのだ。それは大事な荷物の運搬や速さ以上にいつもは冷静な息子が興奮気味に満面の笑みを浮かべ出迎えてくれるからのようだった。


「チャック!!お父さんやでぇええ!ただいまぁ!」


真っ赤で派手なコートを着た褐色肌の男性が大きく腕を広げて膝をついている。その後ろには大きな荷物を竜の背から丁寧に下ろしている男がいて、チャールズは是非その男に抱きついて竜の背にのせてとねだりたかったが、嬉しそうに自分を待つ父親の期待は裏切れずそのまま広げられた腕の中に飛び込んであげた。十二となった今でもまだ成長期が来ていないチャールズは幼く、その勢いのまま父親に抱き上げられてしまう始末だ。


「おかえり父さん、高く売れた?」


「もちろんやでぇ、チャックの考えてくれたアップルティーがお茶会で大人気でなぁもう皆我先にて買って今までの紅茶と全然違う!て絶賛してくれんねん、息子が考えたんですぅて言うたらとても豊かな発想をされる子ですねぇって言われてもうお父さん鼻高々で、商品売れ切れたからまた王都から林檎いっぱい買ってきてん、次に街にいったら大流行してそうやわぁ」


陽気な調子でべらべらしゃべり続ける父親に、そろそろ下ろせというアピールで腕をぺしぺし軽く叩いてみるがまるで伝わらず、そのまま抱っこで家へ入っていく。もう十二歳だというのに赤ん坊のような扱いだ、チャールズは遠ざかっていく苦笑いで手を振る男と翠色の美しい竜に名残惜しげに手を振り、後でまた時間を取ろうと思った。


何やらまだ父親は喋っているが、なんとなく聞いているとどうやらアップルティーは好評だったことはわかり少し胸をなでおろした。どうにもここでの紅茶というのは混じりけのない茶葉、というものがいいものという考えがあるのかフレーバーティーの類がまるでないのだ。そこで勝手に一人で乾燥させた林檎の角切りを茶葉に混ぜてお茶を入れていると、香りに興味をもって父親が嬉しそうに商品にしてみようか、なんて言って実現したものだった。どの茶葉に合うか、とかどの林檎がいいかなどという研究は確かな舌をもった他の職員がだいたい研究したようなので大丈夫だろうとは思っていたが言ってしまえば自分の軽い行動で伝統ある高級思考でストレートな茶葉に混ぜものをするというこの世界的には挑戦的な商品だ、失敗したなどとなれば少し責任を感じる。


「あら、あなたお帰りなさい」


「ヒルダ!聞いてくれや、チャックのアップルティーがな」


母に会ってようやく自分を床に下ろす気になったようですぐに同じ話を繰り返そうと大げさな身振りで母に向き合う、その隙をついて叔父さんとこ行ってくる、と声をかけて外へ走る。来た道を戻るだけだ。出入り口の門が大きく開けられていて傍には木の箱を重そうに運んでいる職員が何人かと一際ガタイのいい父さんの弟で、お金はもらっているようだが毎回足にされてしまっている竜騎士のウィリアム。父さんそっくりの褐色肌で黒々とした髪はいつもだらしなくあちこちにはねていて、面倒だからと中々切りにいかないため肩につく長さになっている。瞳の色が美しい青色で、この瞳だけで女性を虜にしまくっていると耳にするが、未だに独身、竜をこよなく愛する男でありチャールズとしてはその竜にたまに背中に乗せてくれる人という認識である。


彼は竜騎士としての免許を持ち、竜との契約はしているが宮仕えにはなっておらず、王都を中心に運び屋のようなことをしている。竜騎士とは本来宮仕えしている竜騎士隊に所属する人間のことをいうのだが、騎士学校の竜騎士学科を卒業したものは竜騎士の免許をもっているのでひとまとめに竜騎士と呼ばれている。それらの区別はだいたい色で分けられていて、免許が青色であれば国の軍に所属する正式な竜騎士だし白色なら竜と契約しているけれど軍に所属していない民間の竜騎士、翠色なら竜に騎乗する免許はもっているけれど特定の竜と契約していない人のことを指す。つまり彼の免許の色は白色である。それは以前一度ねだって見せてもらったことがあるのだが、運転免許証のようなものを想像していたチャールズの予想に反し、クレジットカードのようなものだった。


「ビリー、お久しぶりです」


「よぉ、チャック大きぃ・・・なってへんな!」


「なってます、なってますよ!ほらっ」


ウィリアム、愛称ビリーは父のオータムナルよりも穏やかに微笑みながらもチャールズの体躯の小ささをぐしゃぐしゃっと頭を撫でてからかい、チャールズは必死に身長が伸びたことを主張するために背伸びをしてビリーの肩を触れようとした。どうみてもその姿は万歳している子供で、背の高い両親に比べてずいぶん成長期の遅い子だ、とビリーは思いながらも可愛い甥っ子を軽々抱き上げてそのまま後ろに控えていた相棒の竜の背中に乗せてやった。


普段はすまし顔で子供とは思えないほど動じない甥っ子だが、竜と空がとても好きなことは皆が知っていて、ビリーにしてみれば竜の背中にのった彼が照れたような静かな笑顔でワクワクした落ち着かない様子になることを一番近くで見ているのだから可愛くて仕方が無かった。普段なら兄といえども商売相手、とビジネスライクになるのにこの竜での帰宅に関しては甥っ子に会えることもあってつい譲歩してしまうぐらいには、溺愛していた。


「今日は何をしとったんや?」


「紅茶畑の奥にホルンの木がたくさんあるから、そこに」


「ほぉー、でもまだ赤くもなっとらんやろうに」


ホルンの木、と呼ばれているのはいわゆるカエデのことで、ここでも寒くなってくると美しい赤色に染まる。ビリーはチャールズを相棒の竜の背中に乗せ、ベルトできちんと固定するとその後ろに自分も慣れた様子で跨った。チャールズは有鱗目特有のざらり、としていながらも艶やかさのある独特の触り心地に思わず笑みがこぼれた。触れたときは冷たいが、翼を大きく一度動かし、力強い後ろ足で大地を踏みしめ飛び立つ瞬間、鱗の皮膚の奥が沸き立ち熱を持つのがわかる。


空がぐっと近くなり自身が溶け込みそうになる感覚がチャールズは好きだった。塀も木々も何も見えなくなり、空いっぱいの青さが包み込む瞬間、興奮で頬が熱くなる。はじめて竜の背に乗ったときはあまりの感動に涙がこぼれ、怖がらせたと思い慌てたビリーにすぐ竜から降ろされてしまったぐらいだ。


「お前さんほんまに空が好きやなぁ」


心外だ、とチャールズは思う。この世界での空が好きとはほとんどの場合神様が好きという意味となる。自分ほど神を嫌っている人間もいないと思うが、空が好きであることは確かで、余計なことはいえない。あくまで神様とやらがいないことを実感できる空は好きだという意味で、素直に頷いた。


「ま、気持ちはわかるで。こんなけ自由に空を飛べるんは竜だけやからな」


「ねぇ、ビリーはどうしてフリュスと契約したの?」


フリュスの美しい翠の鱗を撫でながら尋ねる。チャールズでは鐙には足が届かないので今もブラブラと遊ばせてしまっていたのだが、気づくとなんだかとても子供っぽい仕草のようで恥ずかしくなったのでしっかりと馬に乗るように内股になり足は固定させた。腰のベルトを命綱のようにしてビリーとつなげているため前傾姿勢を取ると腹が圧迫されて苦しい。居心地の良い場所を探し何回か座り直し、ビリーを背もたれにして落ち着いた。


その間にもフリュスは上昇を続けていたようで、少し肌寒くなり視界に雲がよぎるようになった。それにすぐビリーは右腕を振り上げて翠の石で作られたブレスレットを掲げた。その瞬間暖かい風のベールに包まれ、肌寒さも空気の薄さも感じなくなったので、ビリーが魔法をかけてくれたのだろうとチャールズはビリーにお礼を言った。こんな高いところまでくるのははじめてだった。


「竜の契約は、運命なんやで」


「運命?竜を選ぶんじゃないんだ」


「ただ乗るだけならどの竜でも割と乗れるんやけどな、契約竜は自分の生涯の相棒や。俺しか乗れへん、俺と相性ぴったりの、命を分け合うパートナーや。俺の竜はフリュスしかおれへん」


フリュスが同意するようにグルル、と低く喉を鳴らした。


「なんとなくタイミングがな、わかるんや。契約できる!こいつや!って。俺も青い竜へのあこがれはあったんやけどな、せやけど俺が人生の全てを乗り越えるのにはフリュスが必要やって思っとる」


チャールズでは、見上げてもビリーの顎しか見えない。だけれど声色からしてすごく優しく微笑んでいるのだろうな、と思った。


「生涯の相棒と自由に空を飛ぶって、最高やでチャック」


「・・・うん、欲しいな相棒」


照れくささを隠しきれない呟きだった。ビリーは軽い力で胸元にある頭を撫で、フリュスの手綱を引っ張りゆるやかに下降するように指示を出す。未来への希望と、憧れという感情はチャールズにとって慣れなくて、どこか持て余すものだった。





ホルンの木が美しい紅色に色づきはじめ、上を見れば集まった葉は豊かで隙間からポツポツ柔らかい光をもらし、下を見ればサクサクと軽い音が鳴る赤い絨毯となっている。このあたりはほとんどが腐葉土で少し湿った土は色が濃く柔らかい。


(カエデの木だとしたらメープルシロップでないのかなぁ・・・)


葉と土と踏みしめて、時折スキップをするチャールズの様子は少々どころではなく浮かれているようだった。この世界に明確な春夏秋冬という名称はないものの言うならば今は秋、こちらでも同じく馬肥ゆる時期で、いつもは物足りないと思う食卓も豪華で美味しいものが並ぶ。じゃがいもばかりでない最近のご飯にチャールズは大変満足していた。


「メープルシロップってカナダではカエデの木に蛇口をブスっと突き刺して・・・えっ」


蛇口をひねるとメープルシロップがでてくるって聞いたことがある、という言葉の続きは掻き消え、機嫌よくスキップした右足の下にはどうやら土はなかったようで、落ち葉をズボッと踏み抜いて転がり落ちた。


ごろごろごろ、なんて幼稚園のおむすび役でもこんな転がった覚えがない。

人が作った落とし穴にしては広くトンネルのように長い、幸いだったのは直線ではなく緩やかな傾斜となっていて頭をかばったときにうまく勢いに乗って転がり落ちていったことだ。呻くように何度も声をもらし、そろそろ三半規管の限界に達しかけたタイミングで岩かなにかにゴツン、と背中に強打して無理やり止められた。痛みに悶えうずくまるようにしつつ、くらくらとする頭を左右に振る。


「いっ・・・・てぇ、かなり落ちてきたな」


穴の先は広かった。大人であれば狭いかもしれないが、子供の体ならば、特にチャールズぐらいの小ささであれば中腰程度になれば身動きがある程度取れる。壁面に手を添えて湿ったその土が柔らかいことに危機感を覚えた。この土のおかげでせいぜい小石で傷をつくった程度で済んだのだが、このトンネルもどきがいつ崩れるともしれない。生き埋めなんて冗談じゃない、と暗闇で光を求めたが、斜めにかなり深く落ちてきたからか出口は遠く光もわずかばかり、目の前はほとんど何も見えなかった。


重く低い、地響きが聞こえた。


パラパラと土が幾ばくか降ってきたのがわかり、反射的に腕で払い除け前に飛び出し振り返ればそこには先ほどぶつかった岩が動いているようだった。トンネルの天井の位置が変わる。バラバラと土が塊で落ちてきて、しかしそれはこのトンネルが崩れるからではなく、何かが顔を出したからであった。


わずかな光源、暗闇の中で岩だと思っていたものが動き、天井からのぞいたキラリと反射するふたつの瞳、何かを考える前に穴からでるためにチャールズは走った。


勢いよく踏みつければ柔らかい土は形を変え、十分に登ることができた。これでこの傾斜を登ることもできなければ確実にチャールズは生き埋めとなっていただろう。さらにいえば穴の中の住人がチャールズに興味を見せなければよかったのだが、背後から地響きと土くれが飛んでくるあたり、そうではなかったようだ。冷や汗が頬を伝う。胸のざわつきを押し殺し必死に体を動かした。


空の青をはっきりと確認できるあたりまで登ってこられたが、上になればなるほど穴は細く直角となり、足場は崩れ空回りし、焦って腕を使うも土を掴むばかり、何度目か土を踏みのがし、だが今回は何故か足場があった。足裏にぐにっとした感触の、だけれど固くしっかりしていて、脹脛に生暖かい空気が当たる。ぐるるるという低く腹の底から響くような生き物の唸り声とともに足場は持ち上がる。ハッと下を見れば、自分が踏みつけているのは鼻面で、鋭い歯がズラッと並んだ大口が落ちればまるごと自分をパクリと食べるように開いている。


穴から放り出された体は紅葉の絨毯をシャカシャカいわせて転がった。思ったよりも小さな穴はもこもこと土を盛り上がらせて、踏みつけてエレベーター代わりにしてしまった鼻面から順に大きな体躯を見せる。フンッと鼻息をひとつしてまとわりつく土を払い落としたのは、どうみても竜であった。


「土、竜・・・」


心臓の音がやけにうるさい上に耳鳴りまでした。普段は温厚である竜も、下手に刺激を与えるとこちらに牙を向けるのは動物として当然のことだった。そして大抵の場合竜を怒らせてしまった人間というのは、食われて死ぬ運命であることもこの世界では常識といえば常識である。


頭の中が真っ白になり、どうすればここを切り抜けるかという思考が停止してしまったチャールズの運命も例に漏れず、不運にもここで朽ち果てるはずだった。


目を限界まで開き、唇が震え、どちらもかなり乾燥していると、チャールズはどこかでおもった。



「・・・M101[回転花火]」



何故だ。勇者の剣を受け取ろうともしない、使おうともしない、肥大な魔力に気づこうともしない、使おうともしない、無限の体力を知ろうともしない、使おうともしない。

おかしい、どうしてこやつは平凡な人生を歩んでいる。


使い方がわからないのか?魂に魔法を刻もう。

動き方がわからないのか?魂に技術も刻もう。


これで消えはしないだろう。



その日、チャールズは運命を変えた。


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