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ラヴ・アンダーグラウンド(LOVE UИDERGЯOUND)  作者: 囘囘靑
第2章:洗礼の街・ヤンヴォイ(Жанвой)
9/50

09_誰も悪くはない(Никто за это не отвечает.)

 はじめクニカは、それを見間違いだと思った。いや、正確には、見間違いなのだと、思い込もうとした。


 タミンは、みずからの頭を撃ち抜いて死んでいる。だから、指が動くわけはない。末端の神経が、不必要に(けい)(れん)しただけだ。あるいは、死の現場に居合わせ、みずからがめまいを覚えただけなのだ――クニカは、そう自分自身に言い聞かせた。


 しかし、クニカの見つめる先で、タミンの指先のふるえは、全身へ波及していく。まるで、タミンの身体の中には生き物が潜んでいて、それがタミンの死をきっかけに、暴れ出しているかのようだった。


 頭部からあふれていた血が、いつの間にか真っ黒になっている。“黒い雨(ドーシチ)”のようだった。タミンの頭部全体が、黒さに覆いつくされる。するとタミンは、まるで夢遊病者のようになって、立ち上がった。


 その場にうずくまったまま、クニカはタミンを見る。タミンの頭部が、花弁のように開く。目の前にいるのは、タミンであって、タミンではない。花弁の中央には、青紫の、ビスマスの結晶のような形をした何かが、膨らんだり、縮んだりしていた。


 かつてタミンだったものが――コイクォイが、かん高い叫び声を上げる。クニカの全身が総毛だつ。しかしクニカは、立ち上がる気力さえなくなっていた。


 コイクォイの肥大化した爪が、クニカに迫る。しかしその瞬間、コイクォイの頭部が弾けた。


「あっ」


 クニカは叫ぶ。コイクォイはよろめき、クニカから後ずさる。身体には、次々と穴が開き、黒い液体がほとばしって、床を濡らした。銃声は、ずっと後になって、クニカの耳に響いてきた。


 最後の一撃で、コイクォイの頭部がつぶれた。コイクォイは、両足をそろえた体勢で後ろに倒れ、動かなくなった。


 硝煙の臭いを嗅いで、クニカは後ろを振り向く。タージェの構える銃が、紫煙を噴き上げていた。


「あ……」


 タージェは、われに返ったようだった。唇が細かく震えていた。


「タミン……!」


 弟の亡骸まで駆け寄ると、タージェはその場で膝をつく。タージェの()(えつ)を聞きながら、クニカは声を掛けることも、逃げることもできなかった。


 目を血走らせ、タージェが振り向いた。“心の色”は、黒い光を放っていた。初めて見る色だった。クニカはそれに射すくめられ、息をすることさえままならなかった。


 タージェは立ち上がると、右腕を振りかぶる。握り締められた拳が、クニカの額にさく裂する。


「うっ――!」


 喉の奥から、クニカは声を漏らした。なすすべもなく、クニカは床に横倒しになる。


「お前のせいだ」


 押し殺したような声で、タージェは言う。痛みで視界がかすむ中、銃口が自分を捉えているのを、クニカは見出した。


 銃口の、ぽっかりと空いた黒い穴。


――死にたくない。


 その空虚さを前にして、クニカは強く、そう思った。


 撃鉄を起こし、タージェは引き金を引く。弾は出なかった。


 弾倉を手で回すと、もう一度撃鉄を起こし、タージェは引き金を引く。やはり弾は出なかった。


「何でだよ……」


 死と生のはざまにいて、クニカは目をつぶっていた。引き金が空振る音が、聞こえ続ける。


「何でだよ……!」


 タージェの声は、怒りに震えていた。死にたくない、しかし、この宙づりのような状態は、いつまで続くのだろう。もはや続いてくれるな――二つの相反する感情の間で、クニカの心は無限に引き裂かれる。


 そのときだった。聖堂の玄関から、大きな音がした。タージェもクニカもぎょっとなって、そちらを振り向く。


 黒い雨の向こう。雷が光り、音が鳴るまでの、その一瞬。人びとの影が光に切り取られるのを、クニカは目撃する。


 再度、大きな音がする。蝶番(ちょうつがい)が軋み、扉が曲がった。三度目の突進で、扉が弾けとんだ。


 現れたのは、人の群れ――いや、コイクォイの群れだった。頭は黒い雨に浸食され、奇妙な形にねじ曲がっている。黄鉄鉱(パイライト)のように、立方体が無数に張り付いた形の頭もあれば、海綿(スポンジ)のように膨れ上がった形の頭もある。


 クニカたちを”見据える”と、コイクォイたちは、一斉に叫んだ。


「ちくしょう!」


 銃を投げ捨てると、タージェは一目散に、脇の通路へと逃げ出していく。何かを考える余裕はなかった。後を追うようにして、クニカも脇の通路へ逃げ出す。そのとき、銃声が上がった。不発だったはずの銃が紫煙を噴き上げ、ねずみ花火のようになって床を踊り狂っている。その隣では、銃声に錯乱した一匹のコイクォイが、祭壇に爪を立て、粉々にしていた。残りのコイクォイたちは、みな足音に反応し、クニカを追いかけに来ている。


 聖堂を抜け、クニカは走り続ける。相変わらず、クニカの心に、足は着いて行かなかった。恐怖心は高まり、クニカは、自分が狂ってしまったのではないかとさえ思うようになる。はじめは、前を逃げるタージェの足音が分かったが、とうとうその音も聞こえなくなる。


 脇の階段を駆け下りると、クニカは無我夢中で扉をくぐった。そこは下水道だった。悪臭にも構わず、クニカは下水道の脇を走り抜ける。背後からは、コイクォイ悲鳴が聞こえ、下水道全体に反響していた。


 突然やってきたクニカの姿に、下水道の虫たちは驚き、一斉に飛び交い始めた。あぶら虫が口の中に入りそうになり、クニカは咳き込む。細い通路のすぐ側を、”黒い雨”が流れているようだった。しかし暗いせいで、クニカの視界は完全に奪われていた。気配と音とで、通路か水路かを確かめながら、クニカは歩みを進めるしかなかった。


 途中何度も、コイクォイたちの叫びが聞こえてきた。クニカの背後からだけではなく、下水道のあちこちから、叫びは聞こえてきた。街をうろついていたコイクォイたちが、何かの拍子で下水道に落ち、そのままさまよっているのだろう。暗さと、臭さと、死の恐怖。この下水道にいるだけで、世界中が霧のように揺らめきながら、自分から遠ざかっていくように、クニカには感じられた。


 生きたい。リンに会いたい。ただその思いだけが、クニカを生かしていた。リンに会ったからといって、今の状況が良くなるとは思えない。それでも、ひとりは嫌だった。


 とうとう、クニカの眼前に、一枚の扉が現れた。扉を開けると、その隙間からは光が漏れてくるのが分かった。


 目がくらむのも構わず、クニカは光の中へ飛び込む。クニカの背中にくっついていたあぶら虫たちは、光に驚いて、そそくさと退散する。


 光に目を細めつつ、クニカは天井を見上げる。プロペラの(うな)る音が、部屋に満ちていた。奥のほうには計器が取り付けられている。脇には階段があり、もう一階下へ行けそうだった。


 背中に隠していたナイフを手に取ると、クニカは二、三歩前へと進み出る。そのとき、背後から近づいてきた人影が、棍棒(こんぼう)の一撃をクニカに喰らわせてきた。


「あっ――?!」


 目の回るような一撃だった。クニカはその一撃を、高圧電気に触れたように感じた。なす術もなく倒れ、クニカは額を床につける。ほんの少し頭を浮かすと、石の床には血が滴っていた。


 荒い息を聞きつけ、クニカはそちらを見る。タージェが立っていた。角材を投げ捨てると、タージェはしゃがみ、クニカの首を絞めはじめる。


「離して……!」

「おまえのせいだ……!」


 襟首を掴んだまま、タージェはクニカを引きずる。とうとう、クニカの身体はフェンスに押し付けられた。身体は宙に浮き、タージェがその気になれば、クニカは階下にまで落ちてしまうだろう。


「死ね……!」

「やめて……!」


 タージェの力が強くなる。無我夢中で、クニカはタージェの腕を掴む。タージェが顔をしかめ、指の力が緩む。身体を滑らせ、クニカはタージェから離れようとする。


 腕を伸ばすと、タージェは再度、クニカを捕らえようとする。階段の手前で、二人はもみ合う。タージェはクニカを殴りつけようとするが、クニカはタージェのベルトにしがみついて、攻撃から身を守る。


 タージェは、クニカの足を掛けようとする。足を取られ、クニカは転びそうになる。それでも、ベルトからは手を離さなかった。


 とつぜん、二人の体が宙に浮く。階段めがけて、二人は倒れこんでいた。墜落と同じだった。途中で止まる力も無い。段差にぶつかりながら、クニカは自分が転げ落ちていくのが分かった。とがった先に頭をぶつけ、クニカは気を失った。



   ◇◇◇



 気がつくと、クニカは蛍光灯を見据えていた。頭が締め付けられるように痛かったが、クニカは何とか立ち上がった。手は血まみれだったが、すでに血は固まり、黒くなっていた。


 クニカは傷口に、おそるおそる手を触れる。しびれるように痛いかと思ったが、そこまでの痛みはなかった。ひどい目に遭った割には、驚くほど健やかだった。


 床に下ろしたクニカの手が、何かに触れる。振り向いたクニカの視界に、横たわった人間の姿が映りこんだ。タージェだった。サルフの鼻は青白くなっており、目は白く濁っていた。


 幽霊を見たか、悪魔を見たか、それ以上のもっと悪いものを――もし、そんなものがあるとすればだが――見たかのような形相で、タージェは死んでいた。


 横たわるタージェの姿に、タミンの姿が重なる。クニカは思い出す。床に転がったタミンの頭部は、熟れすぎたザクロのように、ぐちゃぐちゃになっていた。


 だれかの足音が近づいてくる。そのことに気付いた矢先、後ろから、だれかがクニカに手を伸ばしてきた。


 クニカは悲鳴を上げ、腕を振りほどこうとする。しかし、相手の白い腕は、クニカをそっと包み込んだ。


「ばか、オレだよ!」

「落ち着けよ。もう大丈夫だ。終わったんだ」

「人を……殺しちゃった……」

「違うよ」


 リンは言う。


「殺しちゃった……」

「違うよ」


……

……


「わたしのせいだ」

「違うって」


……

……


「殺しちゃったんだ」

「違う」


 リンの手が、クニカの視界に覆いかぶさる。目元から伝わってくる、リンのぬくもりに触れ、クニカはいつの間にか泣いていた。


「お前は悪くないんだ。だれも悪くはないんだ。だから忘れろ。何もかも」


 リンが言う間、クニカは泣き続けていた。リンも、クニカの肩を抱きしめているだけだった。どうしてこんなことになったのか、クニカには分からなかった。ただ広い部屋の中を、プロペラの低い(うな)り声だけが埋め尽くしていた。

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