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ラヴ・アンダーグラウンド(LOVE UИDERGЯOUND)  作者: 囘囘靑
第2章:洗礼の街・ヤンヴォイ(Жанвой)
6/50

06_鷹(Сокол)

――そこから生え出た樹について言えば、それが持っているのは無知の果実であり、またその葉について言えば、その中にあるのは死であり、その枝の蔭にあるものは闇である。(『三体のプローテンノイア』、第18節)

 リンに起こされたときには、遠くの空が明るくなっていた。


 身支度を整えると、クニカとリンは、換気窓を伝って、外に出た。


 ショッピングモールから遠ざかりつつ、林の間に横たわる道路へと、二人は分け入っていく。道路のアスファルトは、赤茶けた泥にまみれ、くすんでいた。“黒い雨”のせいで、あちこちに水溜りができていた。


「水溜りは黒くないんだね」


 水溜りに目を細め、クニカは呟く。


「“雨”じゃないからな。ずっと黒いままのほうが、いいかもしれないけど」

「どうして?」

「それは――」


 リンは何かを言いかけるが、そのまま口をつぐむ。リンの胸の辺りには、赤い小さなもやもやが生じた。


「いや、何でもないよ」

「そう……」

(その方が、楽に死ねるかもしれないだろ)

「え?」


 唐突なリンの声に、クニカはまじろぐ。今の声は、まるでクニカの脳内に、直接流れ込んできたかのようだった。


「どうした?」

「なんでもない」

「なんだよ。うじうじするなよ」

「ごめん」


 鼻を鳴らすと、水溜りを踏みつけながら、リンは先へ進む。水しぶきを避け、クニカは後を追った。


 今の声について、クニカは考える。


――その方が、楽に死ねるかもしれないだろ。


 これは、リンが言おうとして、呑み込んだはずの言葉だろう。にもかかわらず、クニカはその声を聞いた。


 “テレパシー”、という単語を思いつき、クニカは生唾を呑み込む。しかし、ここが魔法の世界である以上、可能性はある。


 クニカの背筋に、冷たいものが走る。今のは、リンの心の声が、クニカに聞こえてきた形だ。であれば、クニカの心の声が、リンに聞こえていても、おかしくはない。


 自分の心の中も、リンには筒抜けになっている。――だからこそ、クニカのはっきりしない態度に、リンはいら立っているのかもしれない。


 あるいは、あえて言いにくいことを、リンはテレパシーでクニカに伝えたのだろうか? だとすれば「どうした?」などと、リンはわざわざ尋ねなくともよかったはずだ。


 と、そのときだった。前を歩いていたリンが、ふと立ち止まる。


「どうしたの?」

「見ろ」


 リンの視界の先には、錆ついた屑かごがある。その脇には、何かがしなだれかかっていた。


 正体に気付いたクニカは、思わず一歩後ずさる。それは、足を投げ出したまま朽ち果てている、男の死体だった。


 空気の流れが変わり、クニカのいるところまで、腐敗臭が漂ってくる。


「本当に死んでるかな?」

「『本当に』?」

「そうだよ」


 リンは周囲を見渡す。


「音を立てずに、回り込もう。もしかしたら、化け物になって動き出すかもしれない。そうじゃなくても、病気が怖い」


 「病気(パリエーズィニ)」という単語が、なまなましい印象を伴って、クニカの感情を吸い取った。この世界の医療水準が、ニホンより良いとは、クニカには思えない。


 死体を遠目に見やりながら、リンに付き従い、クニカはゆっくりと、背後を回り込む。周囲には蠅がたかり、臭いがひどかった。口で呼吸しても、目にしみるのだけは、どうしようもない。


 しかしクニカは、同時に、死体に釘付けにもなっていた。背格好からして、男性はまだ若いようだった。もしかしたら、転生する前のクニカと、同じくらいの年齢だったのかもしれない。


 この世界で、自分もいつかは、こうなってしまうかもしれない。少なくとも、地球で死んだ自分の肉体は、この死体よりも、もっとひどい死に様をさらしているかもしれない。そう考えるうちに、クニカは、この死体の死と、みずからの生とが、そう遠くない位置にあるような気がしてならなかった。


 死体を迂回し、二人は林の奥へと進む。



◇◇◇



 林を抜けると、一本の道路とぶつかった。国道二三七号と標示された道路を、二人は歩く。


 道路を横切るように、太いソテツの木が倒れていた。その幹には、青いバンが頭から突っ込んでいる。たいがいの車は路上に放置されており、窓ガラスはことごとく割れていた。


「クルマが動けばなぁ」


 クニカはぼやく。亜熱帯の熱気の前に、クニカは汗だくだった。


「運転できるのか?」


 リンが尋ねる。二人の足元で、ガラスの破片が踏み潰され、音を立てる。


 出来ないことはないよ――と言いかけて、クニカは口をつぐむ。家族でドライブへ行く際に、クニカはいつも、助手席に乗せてもらっていた。だから、なんとなくの運転方法は分かる。


「でも、マニュアルだろうし」

「マ……何だって?」

「“マニュアル”。クルマを運転する方法、みたいな」

「へぇ。詳しいんだな」

「そうかな?」


 というより、リンはそうしたことを知らないのだろうか? クニカは疑問だった。


「待て、クニカ。――さては戻ってきたんじゃないか?」

「え? 何が?」

「ばか。記憶だよ」

「ええっと、これは、その――」


 クニカは言いよどむ。


「なんだよ、違うのか?」

「うん。ごめん」

「ちぇっ、紛らわしいなぁ」


 ごめん、と、クニカは再度口ごもる。この調子だと、リンはいずれ、クニカの嘘に気付くだろう。


「はやく戻ると良いな」

「え?」

「記憶だよ。クルマに関心あるんだろ? 乗り込んでみれば、何か思い出すかもしれないな」

「うん、どう……だろう?」


 ここまで口走って、クニカは考え直す。


「チャンスがあったら、やってみる」

「そうだよ。その調子だ。もしかしたら、クニカの親父は、バスの運転手だったりするかもな」


 心なしか、リンの口調も弾んでいるようだった。リンの胸のあたりに、緑のもやもやができている。


 木々の向こう側に、切れ目が見えた。新しい街に、二人は近づきつつあった。



◇◇◇



 フェンスの向こう側に、その街はあった。国道は道幅が狭くなり、市街の道路と直結している。


 国道と街路との結節点は、何かに塞がれていた。


「バリケード?」

「みたいだな」


 近づくにつれて、バリケードの様子がはっきりとしてくる。屋台やら、フェンスやら、立て看板やらが、うずたかく積まれていた。


「そこで待ってろ」


 そう言うと、クニカをしり目に、バリケードの間際まで、リンが近づいた。それからリンは、ロッククライミングの要領で、あれよあれよという間に、バリケードをよじ登ってしまう。


「手ェ貸せ」

「うん」


 差し伸べられた手を取り、クニカもバリケードをよじ登る。リンのように身軽には動けなかったが、それでも何とか、クニカもてっぺんまでたどり着いた。


 街路に連なる建物の群れを見て、クニカは息をもらした。街路を横切るかたちで、提灯(ファンナーリ)と電線が張りめぐらされている。表通りに面している建物は極彩色で、派手な看板が中空を飾っていた。国道ではクルマが目立ったが、街ではバイクの多さが目につく。


 地理の授業を、クニカは思い出す。なにげなく開いた資料集の一ページに、そっくりの写真が載っていた。熱帯モンスーン気候モソーネィ・ケリモットについて、説明されていたページだった。


「ひどいな」


 クニカの思わくとは別に、リンは苦虫を噛み潰したような表情をしていた。提灯の何張りかは地面に落ち、潰れている。遠くの建物は黒ずんで見えた。火事があったにちがいない。


 建物の一階は、もともと店舗として機能していたのだろう。下ろされたシャッターにはあちこちに落書きがあり、簡易テーブルや椅子が、店の外で粉々になっている。


 並べられていたはずのバイクも、ほとんどが錆付いており、あちこちに散乱していた。


 クニカもリンも、しばらく立ちすくんだままだった。人のいない町が、これほどまでに不気味だとは、クニカは考えてもみなかった。


「ここ、何ていう街?」

「ヤンヴォイ、っていうらしい」


 地図をにらみながら、リンが答える。


「ここに来たのは、オレも初めてだよ」

「ウルトラまで、あとどのくらいあるの?」

「全然だ。まだまだ歩かないと」

「うわぁ」


 リンの眉間にしわが寄る。


「ばか。『うわぁ』なんて言っている場合じゃないだろ。このぐらいでへこたれるなよ。だいたい――」


 突然、リンが口をつぐんだ。


「どうしたの?」

「だまれ」


 リンの語気には、押し殺したような響きがあった。ただならぬ気配を感じ、クニカも息を殺す。


 金色の瞳で、街の一角を、リンは注意深く見つめている。クニカも目を凝らしたが、変わったところは、何もないように見えた。


「おい!」


 唐突に、リンが声を上げる。リンの鋭い声に、クニカは身震いする。


 リンは明らかに、街の一角に向かって叫んでいた。しかし、だれからの返事もない。


「いるのは分かってんだ」


 それでも、リンは続ける。そちらの方角を見続けたまま、リンは銃を手に取った。


「返事をしろ、さもないと撃つぞ」

「待ってくれ」


 そのとき、リンの見つめる方向から、声が上がった。突然の第三者の声に、クニカは飛び上がりそうになった。


 崩れた屋台の後ろから、ひとりの男性が、這い出してくる。男性は、両手を頭上の高さにまで掲げていた。


 男性の肌の色は浅黒く、背はリンよりも高い。ただ、年齢は、クニカやリンと大して変わらないだろう。青年と言った方がいいのかもしれない。青年は、着の身着のままといった格好で、服のあちこちは破け、煤けていた。


 リンと青年とを、クニカは交互に見つめる。青年が隠れていたことなど、クニカは全く気付かなかった。リンがいなければ、きっと見逃していただろう。どうしてリンは気付けたのだろうか?


 腰をかがめた姿勢のまま、青年は少しずつ近づいてくる。


「撃つな、撃つなよ」

「止まれ」


 銃口を青年に向けたまま、リンが言う。青年は立ち止まった。


「もうひとりいるだろ?」


 くずれた屋台の後ろ側に、クニカはもう一度目を向ける。


 青年の目つきが変わる。


「オレだけだ」

「ばか。隠れてるだろ」

「見逃してくれよ」

「何でだよ」

「やましいことがなかったら――」


 二人のやり取りに、クニカが割って入る。怖れと、緊張で、クニカの鼓動は激しくなる。


「隠れたりなんかしない」

「そう。オレはそう言いたかった」


 リンが言う。


「分かったよ。――タミン!」


 後ろを振り向くと、青年は声を上げる。屋台の後ろから、人影が現れた。リンよりも背が低く、クニカよりは高い。


 “タミン”と呼ばれた少年は、右足を引きずりながら、青年の下まで近づいていく。青年のすぐそばまでたどり着くと、タミンは崩れるようにして、その場に座り込んだ。


「弟だ。脚を怪我してんだ」


 リンは銃を下ろす。


「列車のせいだよ」


 青年の言葉に、リンはあァ、とうなずく。


「生き残りだろ? あんたらも」

「そうだ……オレはリン。こっちは、クニカ。事故の後、逃げたんだ。な?」


 そう言うと、リンはクニカを見る。話を合わせろ、という、リンからの無言の圧を感じ、クニカはうなずく。


 クニカは思い出す。出会ってすぐのとき、リンは「疎開先へ向かう列車が、事故に巻き込まれた」という話をしていた。リンも、青年も、タミンも、列車事故の生き残りなのだろう。


「生き残りがいて良かったよ」

「そうだな」

「姉妹か?」

「ちがう」


 リンの答えは素早かった。まるで「姉妹か」と尋ねられるのを、待ち受けていたかのようだった。


「そうか、俺の名前はタージェ」


 青年は、タージェ、と名乗る。


「あんたらも、ウルトラを目指してるんだろ?」


 タージェの言葉に、クニカはうなずいた。


「だったら、話が早い。俺たちが逃げた先に、食品工場があった。ランチョンミートのさ。缶詰が大量にある。弟の傷が治るまで、俺たちはそこで暮らすことにしたんだ」

「それで?」


 リンが尋ねる。


「一緒に暮らさないか、ってことさ。人手は多い方がいい。夜の見張りも、ひとりじゃキツい。“(ソーカル)”だろ、あんた」


 タージェが尋ねる。クニカには意味が分からなかったが、その単語にリンは小さく舌打ちした。


「あの位置じゃ、絶対バレないと思ってたんだ」


 タージェが笑う。


「でも、アンタは見抜いた。“鷹”の視力でなけりゃ、そんなことはできない」


 そういうことか、と、クニカは合点がいく。ここは魔法の世界で、どうやら、魔法は動物の属性として発現するようだった。リンは“鷹”の魔法使いで、その効果から、遠くにある、わずかな動きであっても、見逃さないのだ。


「なあ、頼むよ。弟は置いていくなんて、俺にはできない。脚が治るまでの間でいいんだ。そしたら、あとは自由でいい。助けてくれたんならば、缶詰の三分の一、いや、半分! 半分持ってっていい」

「どうしてそこまで――」

「死にたくないんだ」


 クニカの問いに、タージェが答える。隣では、タミンもうんうんとうなずいていた。


 死にたくない――その気持ちは、クニカにも痛いほどよく分かった。


 タージェとタミン、それからリンを、クニカは代わる代わる見つめる。提案を受けるかで、リンは迷っている様子だった。リンの胸の辺りには、黄色いもやもやが見える。


「分かった」


 とうとうリンが口を開いた。


「本当か?!」

「ただ、条件がある」


 そう言うと、クニカのズボンに、リンは無造作に手を突っ込んだ。


「うえっ?!」


 クニカはまぬけな声を発したが、リンは平然としていた。クニカの背中側に、リンはさりげなく、ナイフを渡し込んでいた。


「クニカはオレの連れだ。この辺りに不慣れで、できれば、今すぐ安全な場所にかくまってやりたい。当てがあるんなら、タミンと一緒に、そこに連れて行ってほしいんだ」


 話すかたわら、「用心しろ」と言わんばかりに、リンは何度も、クニカの背中を叩いた。


「少し行った先に、聖堂がある」


 タージェが答える。


「広いし、隠れ場所もあるし、見通しもいい。食料も、そっちに移そうと考えてる。うちの弟と、クニカとが、先にそっちへ行く。どうだ?」

「決まりだ」


 リンは言った。


「変な真似したら、承知しないからな」

「分かってるよ」

「だよな、クニカ?」

「うん……」


 心細げに、クニカはリンの瞳を覗く。リンはまだ、タージェたちに心を開いていないようだった。

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