表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ラヴ・アンダーグラウンド(LOVE UИDERGЯOUND)  作者: 囘囘靑
第1章:ようこそアンダーグラウンドへ(Добро Пожаловать UИDERGЯOUND)
5/50

05_僕って何?(Что я?)

――(すべ)てを知り己れに欠けたる者、(すべ)てに欠けたる者なり(全てを知っておきながら自分を知らない者は、全てを知らない者同然である)。【『トマスによる福音書』、第67章】


【注意!】文中にムシが出てきます。苦手な人はご遠慮ください。

 部屋の内装は、コンクリートの打ちっぱなしだった。寝心地は最悪で、クニカはなかなか寝つけなかった。


 ベランダを飛び降りてから、リンの説明を受けるまでの全ての記憶が、クニカの頭の中で渦を巻いていた。どうして自分は死なず、少女になったのか。“黒い巨人“は何者なのか。どうして巨人は、クニカを針で刺したのか――。


 この“キリクスタン”という世界には、魔法が存在するらしい。この世界には、“巫皇(ジリッツァ)”と呼ばれる存在がいるらしい。この世界は、“黒い雨(ドーシチ)”のせいで、何もかもがめちゃくちゃになっている。この世界の住民は、なぜかロシア語を話している。そして、ここの世界は、熱帯に位置しているようだ――。


 建物を見るかぎり、それなりの文明はあるのだろう。ただ、ニホンほどではない。キリクスタンは、開発途上の国なのかもしれない。この異世界の、ほかの国には、更に発展した国があるのかもしれない。


 クニカは、(まぶた)をうっすらと開ける。膝の辺りに、コンクリートとは違う感触があった。


 それを拾うと、暗闇の中で、クニカは目をこらす。外から差し込んできた稲光で、クニカの手元が照らされる。それは、ハガキ大のカードだった。黄ばんではいるものの、何を書き込むことはできそうだった。


(そうだ)


 木箱に手を伸ばすと、クニカは鉛筆を探り当てる。クニカが書こうとしているのは、自分についての情報だった。


 名前:()()(ハラ) (クニ)()

 性別:男

 年齢:16歳(20XX年10月22日生まれ)

 住所:〒x3x-x05x、S県K…市○-○-○

 所属:私立O…高等学校普通科特進コース


 指先の感覚だけをたよりに、クニカは何とか、そこまで書いた。


 しかし、更に情報を書き足そうとして、クニカの手が止まる。次に何を書くべきか――クニカには分からなかった。


 書こうと思えば、いくらでも書けそうだった。好きな食べ物、所属していた部活動、得意科目、趣味、かわいいと思う女の子のしぐさ――。


 しかし、そういったことを書き連ねたとして、それが見失ってはならない自分自身なのだろうかと、クニカは思ってしまった。そういったことは、大切な紙の余白を埋めてまでして、書くべきことなのだろうか。


 そもそも、今書いてみたことでさえ、書くに値するほどのことだったのだろうか? 今書いた内容は、名前を取り換え、数字を入れ換えてしまえば、どこの、だれにでも当てはまる内容ではないのだろうか。


 そう考えると、クニカはもう、少しもカードを書き足すことができなくなってしまった。自分のこれまでの人生に、はたして意義はあったのだろうか? そんな、冷たい問いを前にして、クニカの心はひるんだ。


 ベランダから自由落下する最中、クニカは「生きたい」と願った。しかし、クニカが世界から消え去ったとしても、それは、時間が描く大きな弧のうちの、わずか線のブレのようなものに過ぎないのではないか? あるいは、稲妻を受けて震える、空気中の水分のような存在に過ぎないのではないか?


 それらの事象は、確かに存在しているかもしれない。しかし、だれからも顧みられることがなければ、それは存在していないのと同じである。


 稲妻の音が、遠くから聞こえてくる。傍らにいたリンが、寝返りを打った。


 それでもクニカは、カードを折りたたむと、尻ポケットの中にしまいこんだ。


 鉛筆を木箱の上に戻すと、クニカは再び横になる。今は、余計なことを考えるべきではないように、クニカには感じられた。リンの言うとおり、生き延びるために、ウルトラを目指すのだと、クニカは自分自身に、そう言い聞かせる。


 程なくして、クニカは眠りに落ちた。



◇◇◇



 眠っている間、クニカは夢を見た。


 この世界に転生する前の、自宅のリビングで、クニカはテレビを見ている。ニュースが流れていて、気象予報士が、フィリピンで発生した暴風雨について解説していた。


――このような異常気象も、地球温暖化が原因なのでしょうか?


 女性キャスターが、気象予報士に質問する。


――それも原因のひとつですが、最大の原因は、赤道から北上する季節風です。


 そう答えると、気象予報士は続けて、


――実はですね、もし、地球の地軸が傾いていなかったとすれば、赤道は、ちょうど日本列島の真下に来るんですよ。


 と付け加えた。


 ちがう、とクニカは思う。地学の授業中に、同じ話を、クニカは先生から聞いた。地軸が傾いていなければ、赤道はむしろ、日本から遠ざかる。春分や、秋分のときと変わらない季節が、永遠に繰り返されていたはずだ。


――へぇ、そうなんですか。

――そうなんですよ。意外でしょう?


 クニカの思いとは裏腹に、誰も間違いを指摘することのないまま、ニュースは続く。「意外でしょう?」と口にしたときの、気象予報士の得意げな顔が、クニカには鼻についた。


「違うってば――」


 クニカが声を荒げた矢先、テレビの画面が、ふいに切り替わる。


 映し出されたのは、桑の葉だった。葉の中腹には(かいこ)がいて、一心不乱に葉を(むさぼ)っている。


 クニカは虫が嫌いだった。しかし、このときばかりは、テレビに釘付けになる。


 風の音を除き、スピーカーから、ほかの音は聞こえてこない。不安になったクニカは、テレビに顔を近づける。風の音に混じり、別の音が聞こえてくる。クニカが聞き入っているうちに、その音は大きくなっていく。


 一定のリズムを刻んでいる、湿った音。それは、(かいこ)が桑の葉を(かじ)る音だった。


 音が最も大きくなった瞬間、(かいこ)(こう)(ふん)を動かすのをやめる。鎌首をもたげると、(かいこ)はクニカの方を見た。(かいこ)に目など無いのに、クニカは(かいこ)と視線が交わったような気がした。


 言い知れぬ不安を感じ、クニカは(かいこ)から視線をそらす。それでも(かいこ)は、頭をずっと、クニカへ向けている。クニカは、足元がざわつく感じがした。ふくらはぎの辺りに、ざわつきを感じる。とてつもなく(かゆ)い――。



◇◇◇



「起きろ!」


 リンの声に、クニカは跳ね起きる。眠たい目をこすり、クニカはリンを見やる。木箱の上にはランタンがあり、(こう)(こう)と灯っていた。リンの胸の辺りには、赤いもやもやが立ち込めている。


「リン?」

「虫、虫!」

「え?」


 “虫”と言われた瞬間、クニカの脚を、むず(かゆ)さが襲ってきた。


「――ふわぁっ?!」


 ふくらはぎに視線を落とし、クニカは悲鳴を上げる。両脚のふくらはぎを、小さな白い虫たちが這いあがっていた。


 立ち上がると、クニカは足にたかる虫をはたいた。虫たちはクニカから転げ落ち、そそくさと退散する。傍らではもう一方の群れが、リンの持っていた地図に群がっている。地図の表面を払うと、落っこちた虫を、リンはかかとで踏み潰す。


 ほのめくランタンの明かりを受けて、虫の正体が明らかになる。クニカの全身が総毛だった。


「シロアリだ……」


 クニカはうめく。小学生の夏休みのとき、祖父母の家で、偶然シロアリの群れを見かけたことがある。それ以来、クニカにとってはトラウマだった。



「どっから来てるんだよ、この虫」


 リンが言った。


「虫の出どころを探すぞ。そこを塞ぐんだ」

「無駄だよ。シロアリって、何でも食べちゃうから」

「なんだよ、クソッ! せっかく気持ちよく寝てたのに……」


 拳を握りしめると、リンは地団駄を踏む。リンの足元で、シロアリたちが踏み潰されてゆく。


 シロアリたちの溢れる部屋で、クニカは立ち尽くす。部屋はめちゃくちゃだった。一刻も早く抜け出したかったが、外に飛び出すのはもっと危険だ。


(シロアリなんて、いなくなっちゃえばいいのに)


 心の中で、クニカは吐き捨てた。


 そのとき、


「――うわっ?!」


 隣で、リンが声を上げた。続けざまに、ランタンが強い光を発する。まぶしさに、クニカも目をつぶった。光は収まり、消えてしまう。辺りが真っ暗になった。


「ううっ……まったく」


 鼻をすすりながら、リンがランタンに火をつけなおす。強い光を見ると、リンはくしゃみが出る体質のようだ。


「あれっ?」


 不思議そうに、リンが部屋を見渡している。


「どうしたの?」

「虫がいないぞ」

「え?」


 クニカも周囲を見回してみた。リンの言うとおり、あれだけ部屋を埋め尽くしていたはずのシロアリたちが、影も形もない。


「なんだよ、クニカ。何かしたのか?」

「えっ……わたし?」

「そうだよ。おかしいだろ? ……魔法でも使ったのか?」

「魔法って……。わたし、そんなの使えないよ」


 クニカは真面目に答えたつもりだったが、リンは鼻を鳴らした。


「バカ言え……って、お前記憶が無いんだよな、そういえば」

「あ、うん」

「ハァ、参ったな」


 リンがうなじの辺りを()いた。リンの長いポニーテールが揺れて、ランタンに映し出される影が震える。


「まぁいいさ。いなくなったんだし」


 二人は再び眠りについた。シロアリが消えたのは不思議だったが、深く考える暇もなく、クニカはすぐに睡魔に襲われた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ