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ラヴ・アンダーグラウンド(LOVE UИDERGЯOUND)  作者: 囘囘靑
第5章:おわりの街・サンクトヨアシェ(Санкт-Иоас)
48/50

48_彼女を怪物と呼べるか(Вы называете ее монстром)

お前たちが私を求めても、私が見出されなくなる日が来るであろう。(『トマスによる福音書』、第38-2節)

「リン!」


 リンの姿が、そこにあった。リンの身体(からだ)は、“竜”の心臓に(まい)(ぼつ)し、()(どう)に合わせて、頼りなくゆらめいている。


 声を張り上げようとしたクニカの口に、大量の水が押し寄せてくる。しがみついていた鉄パイプが折れ、クニカは、(だく)(りゅう)の中へ投げ出された。


 岸へたどり着こうと、クニカは懸命にもがく。しかし、もがけばもがくほど、クニカの身体(からだ)は木切れのようになって、渦の中へと呑まれてしまう。どちらが水面で、どちらが川底なのかさえ、いつしかクニカは分からなくなってくる。身体は上下左右に絶え間なくひっくり返され、全身は水に()され、鼓膜は痛くなる。


 息ができない、苦しい、助けて――。無我夢中で、クニカは手を伸ばした。


 その手を、誰かがつかむ。


 気付いたときにはもう、クニカは猛烈な勢いで、一定の方向へと導かれていた。三半規管のもつれがほどけてくるにつれ、クニカはようやく、自分が水面へ導かれつつあることを知った。


 水圧が減るにつれ、クニカの視界もはっきりしてくる。


(カイ……!)


 声にならない声を、クニカは心の中でふりしぼった。クニカを導いていたのは、カイだった。クニカと手をつないだまま、カイは悠然と水の中を泳ぎ、クニカを水面まで引っ張ろうとしている。


 がれきや土砂が降ってくるせいで、水の流れは刻一刻と変化していた。しかしカイの泳ぎは止まらず、それどころかますます速くなっていった。まるで「水は自分の味方だ」と言わんばかりの泳ぎ方だった。そんなカイの姿を見て、クニカは自然と


 (カサートカ)


 を連想する。


「――ぷはあっ?!」


 水面から顔を出すと、クニカは目の前の足場にしがみついた。足場は幅が広く、すでに先客がいた。


「クニカ、しっかりしろよ」

「大丈夫ですか、クニカ?!」


 チャイハネとシュムである。シュムがすかさずクニカの身体を筏まで引っ張り、チャイハネがクニカを楽な姿勢で横にさせる。


「チャイ……シュム……来てくれたんだ……」

「えぇ? 『来てくれたんだ』って、あたしもシュムも、キミに寝かされてたんだぜ?」

「もう、チャイ、クニカをいじめないであげてください」


 涙ぐんでいるクニカに対し、チャイハネもシュムもいつも通りの反応だった。


「おーい、クニカー、ダイジョウブかー?」


 何の予備動作もなしに、カイは水中から飛び出し、筏へと着地する。


「カイ、クニカなら平気だよ」


 クニカに代わって、チャイハネが答える。


「ちょっとした酸欠さ。だよな、クニカ?」

「チャイ、見てください、あそこ!」

「え――?」


 一同は、シュムの指さす方角を見つめる。“竜”の身体は、基地全体を覆いつくしてしまうくらいに大きい。破壊しつくされた基地から、サリシュ=キントゥスの兵士たちが、散り散りになって逃げ出している。


 クニカたちの見ている前で、白い戦車が砲塔を回転させる。射出された砲弾が、がらんどうになった“竜”の腹部に着弾し、うごめいていた触手をなぎ払った。


 しかし、“竜”はびくともしない。戦車へ向けて長い首をのばすと、“竜”はくぐもった雄たけびをあげた。ふさがっていたはずの(くちばし)が、腐った卵のようにはじけ飛ぶ。


「うわっ?!」


 次の瞬間、まばゆい光線が発射され、戦車を横に薙いだ。クニカが目を開けたときにはもう、周囲は焼き尽くされ、戦車は跡形もなくなっていた。


「まずいな……ウルトラまで向かってる」


 双眼鏡を覗きながら、チャイハネが舌打ちした。クニカは息がつまる思いだった。あのような姿になりながら、すべてを失いながら、それでもなお、リンはウルトラを目指している。


「シュム、“リン”の動きは見きれそう?」

「もちろんです」


 チャイハネの言葉に、シュムはこぶしをかざしてみせた。


「チャイが手伝ってくれれば、の話ですけど」

「当たり前じゃん。でなけりゃあたし、何のためにいるんだよ」


 チャイハネは肩をすくめてみせる。


「カイ、隙を見つけて、クニカを“リン”まで運んでほしい」

「おーっ! カイ、いつでも平気だゾ!」


 いつもと変わらない調子で、カイは両手を振った。


「ま、そんなところだ、クニカ」


 チャイハネはクニカに向き直った。


「あとは任せていいよな、クニカ?」


 銀製のロケットを握りしめたまま、クニカはうなずいた。



   ◇◇◇



 筏が岸へたどり着くやいなや、シュムは一目散に駆け出した。訓練された者でなければ、誰もシュムの動きを追うことなどできないだろう。“(パンテーラ)”の魔法使いは速さが命。シュムはそれをもっともよく体現している。


 木の幹を駆け上ると、シュムは跳躍し、“竜”の膝まで肉薄する。クニカから借りたナイフを逆手に構えると、シュムは“竜”の膝を一直線に切り裂いた。狙い澄まされた、鋭くて重い一閃は、“竜”のゼリーのように柔らかい肉を裂き、腱を断ち切った。


 体勢をくずした“竜”が、視界の中央にシュムをとらえる。“竜”が牙を打ち鳴らした刹那、極太の熱線がシュムに殺到した。


 しかし、熱線がシュムの身体を舐めることはなかった。“竜”がいつシュムを見つけ、いつ襲いかかってくるのか――チャイハネは、その答えをすべて知っていた。“(サヴァー)”の魔法使いは何でも知っていて、何でも理解できる。


〈カイ、今だ!〉

「おっしゃー!」


 チャイハネの共感覚(テレパシー)に呼応し、カイが大声で叫んだ。クニカを背負ったまま川に飛び込むと、カイは川の流れに逆らって、“竜”の側までばく進する。沈んだがれきも、水面で燃える油も、カイの泳ぎを止めることはできなかった。“(カサートカ)”の魔法使いは、水をゆりかごにし、海に君臨する。たとえ泳ぐ場所が川であっても、そこに違いはない。


〈クニカ、振り落とされるなよ〉

〈わかってる〉


 カイにしがみついたまま、クニカもやはり共感覚(テレパシー)で、チャイハネに呼応する。激流に圧され、クニカは息つく暇もなかった。


 しかしクニカは、目をしっかりと見開いて、“竜”から視線を外さなかった。水の中にいようとも、白日の下にいようとも、クニカは視線を、リンに注ぎつづけた。


 リンを怪物と呼べるか? ――あるいはほかの人ならば、リンを怪物だと言うかもしれない。


「クニカ! 行くぞ!」


 いつになく真剣な声で、カイがクニカに叫んだ。


「わかった!」


 クニカが返事をしたときにはもう、カイは水上へと飛び出し、中空で身を躍らせていた。シュムの攻撃で体勢を崩した“竜”。その懐が、クニカとカイの眼前で、ぽっかりと口を開けていた。


 あるいは他の人ならば、リンを怪物だと言うかもしれない。そしてその中の何人かは、リンの心の弱さを責めるかもしれない。


 しかし、その人たちは忘れている。弱さゆえに怪物になってしまう人が、この世界には存在するということを忘れている。そして誰しもが、心の内側に、目に見えないような小さな怪物を巣食わせているという、本当に大切なことを忘れているのだ。


〈クニカ、飛ぶんだ!〉

「え……?!」


 チャイハネの共感覚(テレパシー)が、クニカの脳内にこだました。次の瞬間、“竜”のはらわたにうごめいていた触手が、一本の太い触手により合わさって、クニカのもとへ殺到した。


「アハハ――!」

「カイ?!」


 しかし、丸太のように太い触手が、クニカを薙ぐことはなかった。クニカの腕をつかむと、カイがすかさず、クニカを投げ飛ばしたからだ。


「カイ――!」

「クニカ!」


 “竜”のはらわたの中へ転がりこんだクニカは、後ろを振り向いた。推進力をうしなったカイは、そのまま川へと落下していく。


「ニンゲンを捕る漁師!」


 着水する間際、カイはそう叫んだ。クニカもはっとする。今は行かなくてはならない。人間を捕る漁師にならなくてはならない。“黒い雨(ドーシチ)”の降る世界で、自分の運命に溺れ続けているひとりの少女を、クニカは救ってあげなくてはならない。


 それは、クニカにしかできないことなのだ。


「リン、待ってて」


 銀製のロケットを握りしめると、クニカはひとりで、“竜”のはらわたの中をよじ登っていった。

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