45_人間をとる漁師(Ловцами человеков)
私の口から飲む者は、みな私のようになりなさい。そして私もまた、その者になるであろう。(『トマスによる福音書』、第108節)
「チャイ!」
眩しい――。親友に揺り動かされていることを感じ、チャイハネは目を覚ました。開け放たれた扉から差し込んでくる光が、チャイハネの網膜を刺激する。
その意味するところに気付き、チャイハネははっとした。”梟”の魔法が開花して以来、チャイハネの生活は昼夜が逆転していた。この光は、チャイハネが久しく浴びることのなかった、目覚めの陽射しだった。
「シュム……? いったい何が……?」
「こっちのセリフです」
身を起こそうとするチャイハネに、シュムは腕を貸す。
「クニカがいないんです」
「“いない”?」
起き抜けのはっきりしない頭で、チャイハネはそれでも、考えを巡らせる。クニカはやはり、リンを諦めることができなかったようだ。チャイハネとシュムを眠らせ、クニカはひとりで、サリシュ=キントゥス人のアジトへと向かったのだろう。
「まったく――」
「チャイ、行きましょう」
悪態をついているチャイハネの手を、シュムが握り締めた。
「行く? どこへ?」
「クニカのところに決まってます!」
シュムの眼差しを受け止められず、チャイハネは顔を背けた。
「もう間に合わない」
「行ってみなければ分かりません」
「シュム、冷静にならないと」
「チャイは冷静過ぎます!」
シュムの言葉の最後は、ほとんど叫びに近かった。
「二人が心配じゃないんですか?!」
「心配じゃないわけないだろ」
シュムの手を振りほどくと、チャイハネはため息をついた。
「あたしだって嫌さ」
うなだれるシュムに対し、チャイハネは言った。
「だけど、二人じゃどうしようも――」
「三人だゾ。」
予期せぬ声に、チャイハネとシュムは、同時に振り返る。
窓枠に腰かけ、足でせわしなく白木の床を叩いているのは、カイだった。カイは、傷んだ黒のオーバーオールを身にまとい、軍手をはめ、釣竿と魚籠とを担いでいた。まるでこれから、釣りに行くとでもいったような恰好だった。
「カイ?」
串焼きにされた魚を頬張っているカイを見て、チャイハネは目を丸くする。
「いったいどうして……?」
「カイ、クニカと友だちだゾ。」
魚を口に含んだまま、カイは言った。
「クニカの友だちは、カイの友だちだゾ。だからカイ、二人を呼びに来たゾ。みんなでクニカのところに行くゾ」
とつぜん立ち上がると、カイは魚を握ったまま、
「ニンゲンを捕る漁師!」
と、声を張り上げた。
「カイ、言葉の意味、分かってる?」
腕を振り上げたままのカイのもとへ、チャイハネはにじり寄る。
「死ぬかもしれないんだぞ?」
「死ぬかもしれないけど、クニカはリンのところへいったゾ」
魚の骨を噛みつぶしながら、カイは答える。
「だからカイも、死ぬかもしれないけど、クニカのところへ行くゾ」
チャイハネは、すぐに言い返すことができなかった。カイの言っていることは素直だった。そして素直であるがゆえに、自分が越えられない枠を、カイが軽々と飛び越えているように、チャイハネの目には映った。カイは、チャイハネに枠を越えるよう、手を差し伸べているのだ。
「さぁ、みんなで、クニカのところへ行こう!」
「チャイ、」
立ち尽くしていたチャイハネの右手に、シュムが自らの手を滑り込ませた。
「行きましょうよ、チャイ。二人じゃダメでも、三人ならきっと大丈夫です。だってそうでしょう? だから私たち、ウルノワで助かったんですよ? チャイ、勇気を出してください!」
「おおーっ?!」
シュムの言葉を聞き、カイの目がきらめく。
「カイ、友だちが増えるの嬉しいゾ!」
「私もです、カイ!」
「アハハ!」
かん高い声で笑うと、カイは焼き魚の串を振り回した。
「ニンゲンを捕る漁師――!」
「分かった、分かったよ!」
焼き魚を振りかざすカイのこぶしに、チャイハネは手を添えた。
「行こう。だけど死にに行くんじゃない。リンを助けに行くんだ。絶対にうまくいく。そうだろ、シュム?」
「当たり前です、チャイ!」
「おーし!」
カイが声を張り上げた。
雲一つない青空だった。今日ばかりは、“黒い雨”も降りそうになかった。




