44_やさしい嘘(Маленькая белая ложь)
空は青くさえ、そよ風が、街に溜まる湿気を吹き飛ばしていた。早朝から容赦なく照りつける太陽の光が、昨晩の雨で濡れた石畳を、少しずつ乾かしていく。クニカの駆ける足音と、息を弾ませるかすかな音とだけが、静かな街に響いていた。
「おーっ!」
そのとき、なじみのある声が、クニカの耳に届いた。川べりにあるガードレールに、カイが腰かけている。
「どうしたの、カイ?」
「クニカー、魚とりに来たのかー?」
クニカは思い出した。そういえばカイの捕まえた魚を、クニカはまだ取りに行っていない。
「ごめん、ちょっと違うんだ」
「むーん。じゃ、どこ行くんだー?」
「散歩……かな?」
「むーん。」
クニカの言葉に対し、カイはうなった。
「カイ、クニカに嘘つかれるの、イヤだぞ?」
「ご、ゴメン……」
謝りかけ、目線を下げたクニカの視界に、カイの胸元が映りこむ。クニカは息をのんだ。リヨウの形見であるはずの銀製のロケットが、カイの首にぶら下がっていた。
「カイ、そのロケット……」
「おーっ、忘れるところだったゾ。」
カイは首から、銀製のロケットを外す。
「『クニカに届けてほしい』って、リンに頼まれたゾ」
「リンに会ったの?!」
「ん。リンも『散歩だ』って言ってたゾ。でもカイが『嘘だ』って言ったら、『汚い川のところに行く』って言い直したゾ」
「汚い川?」
「ん。白い服の奴らのいるところだゾ。あそこの川、汚いゾ」
カイの言葉を聞いて、クニカは確信した。クニカの見立てどおり、リンはサリシュ=キントゥス人のアジトへ向かったらしい。
「むーん。」
「カイ?」
足を投げ出したカイの振舞いが、クニカには気になった。カイの“心の色”は、次第に褪せつつあった。
「カイ、どうしたの?」
「カイ、嘘つかれるのは、嫌だゾ。」
「うん。あのさ、カイ」
ためらっていたクニカだったが、意を決し、口を開いた。
「わたしもさ、嘘つかれるのは嫌なんだ。もちろん、自分だって正直になれないときがあるんだけど。
「最近さ、ある人とケンカしちゃったんだよね? その人はさ、わたしの友だちで、ちょっと怒りっぽくて、何かあるとすぐに『ばか』とか言ってくるんだけど。
「その友だちにね、わたし、ずっと嘘をつかれてたんだ。だから、わたしも頭にきて、怒っちゃったんだ、『そんなのは嘘だ』って。カイ、わたしの気持ち、分かる?」
「ん。分かるゾ!」
「それでね、カイ、その後ずっと考えたんだ。『どうして友だちは、嘘なんかついたんだろう』って。それで、気付いたんだ」
クニカは一旦、言葉を切った。
「その友だちはさ……わたしのことを、ずっと大切に思ってくれていたんじゃないかな、って、今なら思えるんだ。
「もちろん、自分を守るために嘘をつくことだって、世の中にはたくさんあると思うよ?
「でもね、その友だちは、わたしのために嘘をつき続けていたんだと思う。わたしに嘘をつくことで、自分の過去を隠していたんだと思う。わたしを嫌な気持ちにさせないように、って。その友だち、不器用なんだ。わたしだってそうなんだけど。なんだろう、『やさしい嘘』って言えばいいのかな? カイ、わたし、世の中にはそういう嘘もあると思うんだ。そういう嘘が、あってもいいと思うんだ。
「だからさ……わたし、その友だちを助けに行くんだ。その……どうやって助ければいいのかは、まだ分からないんだけど。ねぇカイ、わたしの言ってること、分かる? わたしの言ってること、おかしいかな?」
「ウーン……」
しばらくの間、カイはうなったり、首を傾げたりしていたが、やがておもむろに
「ワカンネ!」
と口にした。しかしカイは笑顔だったし、“心の色”は白い光を帯びていた。
クニカには、それで充分だった。
「そっか。そうだよね。カイ、ありがとう」
「もう行くのか、クニカー?」
「うん。カイ、ロケットありがとうね」
「ン!」
カイから手渡された銀製のロケットを、クニカは首にかける。今までのようにロケットを握りしめた瞬間、留金が外れ、蓋が開いた。
「あっ――」
前にクニカが投げ捨てた弾みで、留め金が緩くなっていたのだろう。
ロケットの内側には、姉妹の写真が収められていた。白いアオザイを着て朗らかに笑っている妹の隣で、同じく白いアオザイを着ている姉が、陽射しに顔をしかめていた。
妹の方は、クニカによく似ている。姉の方は、クニカのよく知る人物だった。
「じゃ、行ってくる!」
「ン!」
カイに別れを告げると、クニカは川沿いの道を、ひとりで駆け出していった。
クニカの背中が見えなくなるまで、カイはクニカに手を振り続ける。そしてクニカの背中が見えなくなったとたん、カイは立ち上がると、クニカとは別の方角へ走り去っていった。




