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ラヴ・アンダーグラウンド(LOVE UИDERGЯOUND)  作者: 囘囘靑
第5章:おわりの街・サンクトヨアシェ(Санкт-Иоас)
43/50

43_さよならおやすみ(Спокойной ночи до свидания)

(なんじ)、栄光の(うち)に栄光となるべし。(『三体のプローテンノイア』、第20章)

「クニカ!」


 橋の下を飛び出し、最初の路地を曲がった途端、クニカは呼び止められた。


「シュム?!」

「心配しましたよ」


 近づくと、シュムはクニカの手を握り締めた。


「どうしたの?」

「こっちのセリフです」


 シュムは上目づかいで、クニカにまなざしを送る。


「チャイから話は聞きましたよ?」

「う……」


 シュムの口調は、いつも通りの丁寧さだったが、語気は強かった。ばつが悪くなり、クニカはシュムから顔を背ける。それでも、シュムに手を握り締められているから、クニカはシュムから離れることができなかった。


「そんな顔しないでください」

「ご、ゴメン……」

「自分だけで何でも解決しようとしてはいけません」

「うわっ?!」


 クニカの両手首を、シュムは引っ張る。よろめいたクニカの両肩に手を乗せると、シュムは(さと)すようにして言った。


「クニカ、ひとりじゃどうしようもないことだって、みんなで力を合わせれば、乗り越えられるんです。ウルノワにクニカたちが来てくれなかったら、私もチャイも死んでいたんですよ? 今度は私たちが、二人を助ける番です」

「シュム、ありがとう」


 シュムの二の腕に、クニカも手を添えた。


「わたしさ……リンと、もう一度話をしようと思うんだ」

「いい考えです、クニカ」

「あとさ、あのカイって子のことだけど……」

「クニカ、それは私にも協力させてください」


 シュムはいたずらっぽく、クニカにウインクしてみせる。


「いいの?」

「もちろんです、クニカ。カイを放ってなんかおけません。チャイなら私がなんとか説得します」

「ホント?!」

「もちろんです、クニカ。チャイをその気にさせるのは、私の得意分野です」


 猫のように目を光らせているシュムに対し、クニカはたじたじになった。シュムが「その気にさせる」と言うと、ちょっとエロかった。


「どうしました?」

「いえ、何でもないです」

「それじゃ、行きましょう。夜にぶらつくのは危険です」


 クニカとシュムの二人は、足早に“隠れ家”へと戻る。


 夜のとばりが、サンクトヨアシェの街に下りつつあった。空に雲はなく、星も見えなかった。



   ◇◇◇



「ただいまです、チャイ」


 “隠れ家”の扉を開け放ち、シュムは言った。


「お帰り。クニカもお帰り。気は済んだ?」


 背もたれに背を預けたまま、チャイハネはクニカに言った。頷きかけたクニカの鼻孔を、スパイスの香りがくすぐる。香草をまぶしたウサギの肉を、チャイハネは(チャオー)に混ぜたらしい。


「そのことですが、チャイ。話したいことがあるんです」

「あたしと?」

「そうです。クニカはクニカで、リンに話したいことがあるんです」


 クニカとシュムの顔を代わる代わる見つめてから、チャイハネは(サヴァー)のように首をかしげてみせた。


「なるほどね? まぁ、言いたいことは予想がつくけどね」

「本当ですか?」

「何となく、だけど」

「チャイ、リンは……?」

「二階だよ」


 腕組みをしたまま、チャイハネは顎で二階を示した。


「戻ったっきり、部屋から出てこない。ふさぎこんでるんじゃないかな?」

「行ってくる」


 肩をすくめているチャイハネを尻目に、クニカは二階へと駆け上がる。二階の廊下は静まり返っており、埃に覆われてうっそうとしていた。


「リン?」


 暗がりの中で、クニカはあちこちを見回してみる。リンは二階のどこかにいるはず。だから壁越しに“心の色”が見えるはず――そんなクニカの期待は、裏切られた。


 手近にあるドアを開いて、クニカはかたっぱしからリンの姿を探す。書斎、物置、クロゼット――。開けられるところをしらみつぶしに開け放ったクニカだったが、リンの姿は、影も形もなかった。


 服の襟を、クニカはいつしか握りしめていた。と、そのとき。部屋の窓から、湿った風がかすかに吹き込んでくるのを、クニカは感じとった。クニカはそちらに目を向ける。中途半端に閉じられた窓の格子には、一枚の紙片がはさみ込まれていた。


 すかさず窓辺に近づくと、クニカはその紙片を抜き取った。紙片に書かれた字を見て、クニカの全身が総毛だった。


《クニカへ》


 手紙(ビシモ)の冒頭は、そのような書き出しから始まっていた。


《あの後、クニカに言われたことを、オレは考えた。お前の言うとおりだと思う。悪いことをしたと、本気でそう思う。オレはここを離れる。けじめはつけるつもり。探さないでほしい》


 字は震えていたが、ちゃんと読むことができた。クニカのよく知っている、リンの文字だからだ。



   ◇◇◇



 自然は残酷だった。“隠れ家”へ戻るときに、雲はなかったにもかかわらず、さきほどから黒い雨“が降り始めその強さは増していき、今ではサンクトヨアシェの街を押し流さんばかりの勢いだった。虫の声も風の音も、今では雨音に塗りつぶされ、かき消えてしまっている。


 リンの手紙を読み終えたあとも、チャイハネはしばらくの間黙ったままだった。そんなチャイハネに、クニカは視線を注ぐ。シュムはと言えば、そんな二人を不安そうに、交互に見つめるばかりだった。


「クニカ、」


 一人言を呟くようにして、チャイハネがクニカに尋ねる。


「何を考えているのか、あたしとシュムに、分かるように説明して、ね?」

「リンを……助けに行く」

「どこに?」

「たぶん、基地へ行ったんだと思う。サリシュ=キントゥス人の」

「ダメだ」

「そんなこと……!」


 そんなこと、チャイハネに決められたくはない――そう言いかけたクニカだったが、ただ黙って首を振るチャイハネを見ているうちに、言い返す勇気はしぼんでしまった。


「クニカ、リンの気持ちを汲んでやらないと。……いや!」


 唐突に言葉を切ると、チャイハネは椅子から立ち上がり、クニカに背を向けた。


「いや、違う。今のは嘘だ。はっきり言うけど、リンの考えなんてどうでもいい。ただあたしはクニカに危険な目に遭ってほしくないし、シュムにだってそうだし、あたし自身だってそうだ、って、ただそう言いたいだけなんだ」

「チャイ、いまの言葉は訂正してください」


 チャイハネににじり寄ると、シュムはチャイハネの腕をつかんで、チャイハネを強引に正面へ向けさせた。そんなシュムの“心の色”は、真っ赤になっていた。シュムが怒っているのは、それも、チャイハネに怒っているのを見るのは、クニカにとって初めてだった。


「チャイがそんなことを言うのは嫌です」

「シュム……あたしがもうちょっと強ければ『リンを助けよう』って言えたんだよ」


 詰問口調のシュムに対し、チャイハネは何かを切望しているかのように答えた。


「もしどうしてもって言うんなら……シュム、キミが残るんだ」

「そんなのは、チャイのワガママです」

「どっちのワガママかな?」


 チャイハネの問いに対し、シュムはうつむいただけだった。


「わたしだけ……」


 服の胸元を、クニカは握りしめる。


「わたしだけでも……」

「話しただろ、クニカ? キミは“竜”の魔法使いだ」

「だったら、なおさら――!」

「ちがう。だからなおさら、キミはウルトラへ行くべきなんだ。ウルトラには巫皇(ジリッツァ)がいる。彼女と力を合わせれば、“黒い雨(ドーシチ)”だって止められるかもしれない。それでも……それでもどうしてもリンを救うんだって言うんなら、クニカ、選ぶんだ。リンを救うのか、世界を救うのか、って」


 チャイハネの言葉に、クニカはすぐに答えることができなかった。


「ちょうど、四枚だよ」


 机に置きっぱなしにされていた「ウルトラ市民証」を、チャイハネは指で叩く。


「カイが連れていける」


 ポケットから煙草を取り出すしぐさをして――しかし、煙草はなく、チャイハネはそのまま席を立って、二階へと上がっていってしまった。


 鎧戸を叩く雨の音が、一層激しく、クニカの耳にこだました。



   ◇◇◇



 サリシュ=キントゥス人は“竜”を探していた。リンはそのことを知っている。リンはサリシュ=キントゥス人のアジトへ向かった。「けじめをつける」と言い残して。


 しかし、何の「けじめ」を? ――リンはきっと、みずからを“竜”と偽って、サリシュ=キントゥス人たちの前に出頭したのだろう。そうすれば、連中の注意はリンだけに向けられる。サンクトヨアシェからウルトラまでの道のりは、警備がゆるくなる。その合間を縫えば、クニカたちはやすやすとウルトラまでたどり着けるだろう。


 この世界に蘇生してから、クニカはずっと、ウルトラまでたどり着くことを切望していた。“黒い雨”の降りしきる世界の中で、ウルトラだけは安全だった。ウルトラに行けば、クニカは生きることができる。「生きたい」ということ、それがクニカにとっての、何よりの希望だった。


「嫌だ――」


 無意識のうちに発したみずからのつぶやきに、クニカは目を覚ました。締め付けるような胸の苦しさから解き放たれると、クニカは額の汗をぬぐう。


 三人の話し合いはまとまらないまま、翌日に持ち越しになった。打ちひしがれて横になっているうちに、朝を迎えつつあるようだっった。


 こうしている間にも、リンはクニカから遠ざかっていく――。


 そしてクニカは、唐突に気付いた、


「嫌」


 なのだ、と。考えれば考えるほど、さまざまな感情がわだかまってくる。それでもやはり、リンがいないのは嫌なのだ。


 チャイハネは言っていた。リンを選ぶか、世界を選ぶか、と。クニカはすぐに答えることができず、究極の選択の前で立ちすくんでいた。


 けれども、それは当たり前のことなのだ。世界だけを選ぶことはできない――と同時に、リンだけを選ぶこともできない。リンのいる世界こそが、クニカにとってのすべてなのだから。


 生きて、ウルトラまでたどり着く。


 それも絶対に、リンと一緒に。


 雨どいを伝う水滴の音が途絶えた。


 鎧戸のすき間から陽射しが差し込み、クニカの身体を照らし始める。


 クニカは、立ち上がった。覚悟はできていた。


 クニカの傍らでは、シュムが身体を丸めて眠りこんでいた。シュムはクニカのことを心配して、添い寝してくれていたのだろう。


「ありがとう」


 小声でそう呟くと、クニカはシュムに対して、眠れ、と祈った。


 しばらくの間、シュムは眠ったままだろう。クニカはそのまま、静かに部屋を抜け出した。


 階段を降りた先で立ち止まると、クニカは居間をのぞき込んだ。居間ではチャイハネが、自分で作ったウサギ肉の(チャオー)を食べていた。


 チャイハネは頭がいい。自分たちには何ができて、何ができないのかを、誰よりも分かっている。だからこそ、クニカを危険な目に遭わせたくないのだ。


 そんなチャイハネの気持ちは、クニカにだって分かる。でも、できることの内側だけで、クニカは諦めたくなかった。できないと思っていたことが、本当にできないかどうか確かめるためには、やってみるしかない。


 クニカにとって、今がそのときだった。


 チャイ、ごめん! 心の中でそう言うと、クニカはチャイハネに対し、眠れ、と祈る。


 クニカの魔法を察知したのだろう。チャイハネは立ち上がると、辺りを見回そうと首を振った。しかし、クニカの姿を捉えるより前に、チャイハネは腰砕けのようになって、床に崩れ落ちた。クニカが近づいてみれば、チャイハネは静かに寝息を立てていた。


「ごめんね、チャイ。すぐ戻るから――」


 そう言うと、クニカは正面玄関から、外へ飛び出した。

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