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ラヴ・アンダーグラウンド(LOVE UИDERGЯOUND)  作者: 囘囘靑
第5章:おわりの街・サンクトヨアシェ(Санкт-Иоас)
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36_逡巡(Златки)

ほかの者から離れなさい。お前に王国の秘密を授けよう。お前はそこへ至るだろうが、同時に嘆くこととなるだろう。(『ユダの福音書』、第35頁)

「え……?」


 チャイハネの言葉の意味を、クニカはすぐに理解できなかった。


 カイを諦めるか――、

 あるいは、リンを諦めるか。

 リンを?

 どうして?


「なぁ、聞いてくれよ」


 チャイハネは(うやうや)しく、クニカの両肩に手を乗せる。


「『リンが嘘をついている』って、考えたことはないか?」

「それは……」


 チャイハネの真剣な目線が、クニカには痛かった。だからクニカは、思わず視線を反らしてしまう。クニカの視界には、アスファルトに打ち捨てられている、錆び付いたジョウロが映りこんだ。


 リンは何かを隠している。クニカもまた、そのことは勘付いていた。そして、そう感じたことは、一度だけではない。


 しかしクニカは、いったい何を隠しているのか、リンに尋ねる勇気はなかった。尋ねてしまったら最後、二人の間に共通している“なにか”が、あっという間にくずれ去ってしまう予感が、クニカにはしたからだ。


 その予感の最先端で、クニカはずっと立ちすくんでいた。


 チャイハネの問いに、クニカは無言のままうなずく。チャイハネの“心の色”が、灰色に濁った。


「チャイ?」

「悪いね」


 眼鏡を外すと、チャイハネは左目をこする。


「あたしもうまくは言えない。でも、リンは隠し事をしているし、何を隠しているのか分かる」

「チャイはどうして……?」

「それさ、」


 手を伸ばすと、チャイハネは、クニカの首にぶら下がっている、銀製のロケットに触れた。銀製のロケットは、リンがクニカにくれた“お守り(アムニエ)”である。


「リンからもらったんだろ? それに触れた瞬間、頭の中に影像(イメージ)が流れてきた」


 チャイハネの心に渦巻いている灰色が、次第に黒く、濃くなっていった。


 チャイハネとクニカが話し込んでいた、あの夜。ロケットを渡した際に、チャイハネは、クニカが知らないことを知ってしまったのだろう。それはリンの“(ローシ)”。クニカとリンの間にいつも横たわっていて、しかしそうであるがゆえに、二人のことをつなぎとめている、そんなリンの秘密。


「それをさ、クニカにも見てほしいんだ」


 チャイハネの言葉を聞きながら、クニカはいつしか川面を凝視していた。水に映り込んだクニカは、(けわ)しい表情をしていた。それが自分の顔には思えず、クニカは思いきり、眉間にしわを寄せた。水面に映るクニカの顔も、くしゃくしゃになった。


「その上で、クニカ。キミが決めるんだ。市民証は四枚しかない。ウルトラにふさわしい人はだれかを、クニカが決めるんだ」

「……できない」

「『できない』とかじゃない。クニカがやらないと」


 かぶりを振るクニカに対し、チャイハネが言った。


「いいかい? キミは、“竜”の魔法使いだ。救世主(メシア)になれるだけの能力を持ってる。何が何でも、だれにも優先して、クニカはウルトラへ行かなくちゃいけないんだ。あと……あとは、シュムを連れていってあげてほしい。あたしとしてはね? あたしは――別にどっちだっていい。ホントだよ? あたしと、リンと、カイと……その中から、二人選べば良いんだよ。カンタンだろ、クニカ? ほら、泣かなくたって良いんだよ」

「できないよ」


 そんなこと、クニカにはできなかった。四人してウルトラまで行きたい。カイだって一緒だ。誰かを選ぶことは、誰かを捨てることと同じだ。そんな決断、クニカにはできなかった。


 それでも、まずクニカにはやらなくてはならないことがある。


「リンと……」


 クニカは手のひらで、流れる涙をこすった。


「リンと……話をしたい……」


 リンの隠し事を、クニカはまず見出さなくてはならない。リンの隠し事は、おそらくクニカを傷つけるだろう。――クニカはすでに、傷つく予感がしていた。傷つくことにしり込みして、あえて見なかったふりをして、そのままウルトラにたどり着くことだってできるだろう。


 しかし、ウルトラは“希望の土地”に過ぎない。たどり着いたところで、クニカたちを救ってくれるわけではない。ウルトラにたどり着いた後も、クニカは生き、リンもまた生きるだろう。やがて嘘は膨れ上がり、クニカを押し潰し、リンも押し潰すだろう。


「そうだよな。まずは……そこから始めないと」

「でも……どうやって話せば……」

「話すことなんて、自然に見つかるさ。だけどその前に、クニカも見なきゃいけない。リンが見ていたものと、同じものを」

「それって――?」

「記憶さ。リンの記憶。それに、クニカが干渉する」


 チャイハネは溜息をついた。しかしその溜息は、まるで肩の荷が下りたとでも言わんばかりの、(あん)()のため息のように、クニカには聞こえた。


「準備はあたしがする。だからクニカは、待ってればいい。いいね?」


 チャイハネの言葉を受け、クニカは握りこぶしをほどく。


 握りしめられていた銀製のロケットが、クニカの指を離れた。



   ◇◇◇



「そんなわけで、二、三日は様子を見たい」


 “隠れ家”に戻るなり、チャイハネはそう提案した。


「本気かよ?」


 所在なさそうな様子で机に肘をついていたリンが、チャイハネの言葉を受けて立ち上がった。


「本気だよ、リン?」

「冗談じゃない。そんなに待ってられるかよ。目と鼻の先なんだぞ、ウルトラは」

「目と鼻の先『だからこそ』だろ?」


 背もたれを引っぱると、チャイハネは椅子に座った。


「慎重に行動しないとダメだ。分かるだろ? 間近まで来て『やっぱりダメでした』なんて、シャレにならない」

「私も下手に動くのは賢明ではないと思います、リン」


 扉の(はり)に手をかけて(けん)(すい)をしていたシュムが、リンのそばに降り立った。


「だけど……」

「思い出してください、リン。基地の異邦人たちが何を企んでいるのか、私たちには分からないんです。下手に動いて向こうの大軍と鉢合わせたり、目をつけられたりでもしたら、それこそ一大事です」


 椅子に座り直すと、リンは腕を組んだ。


「クニカは?」

「え?」

「クニカは、どう思う?」

「えっ、と」


 言いよどんだクニカは、何となくカイの方を見た。カイは、部屋の中に入ってきた玉虫(ズラトゥキ)を、指でつまみ上げようとしている。


「わたしもさ、わたしも、様子を見た方がいいと思うんだ」


 あっ、と、カイが小さな溜息を漏らす。カイの指の間をすり抜け、玉虫は外へと逃げ出してしまっていた。


「そうか? フーン」


 リンは鼻を鳴らしていたものの、とりあえずクニカの言葉に納得したらしい。


「分かったよ。みんながそう言うんなら、オレもそうするよ。だけどあれだぞ、もしチャンスがあったら、すぐにでも行けるようにしておくんだ。だからそのための準備は――」

「分かってるさ。心配するなって」


 リンの言葉を、チャイハネは遮る。


「――さ、そうと決まったことだし、夕飯の支度をしよう。せっかく台所があるんだから、マシなものを食おうぜ」

「それがいいです、チャイ」


 シュムの目が、猫のように爛々としてくる。


「私も手伝います」

「だーめ。魚のつまみ食いしたいだけでしょ? キミは皿洗い」

「にゃーん……」

「んー、カイ、帰る。」


 何か言いたげなシュムをさしおき、カイが言った。


「え? 帰っちゃうの?」


 クニカが問い尋ねたときにはもう、カイは玄関を抜けていた。


「カイ、ちょっと」

「おい、クニカ――」


 後ろからリンの声がしたが、クニカは構わず、外へと飛び出した。いつの間にか、空は夕焼けで赤く染まっている。吹きつける風は、クニカに夜を予感させた。


「ねぇ、カイってば」


 背中を向けたままのカイの手を、クニカが引っ張った。


「カイも一緒に食べようよ」

「ンーン」

「……あのさ、カイ、もしかして遠慮してる?」

「ウーン……。ワカンネ!」


 カイにそう言われてしまうと、クニカにはもう、とりつくしまがなかった。


「そっか。じゃあさ、気が変わったらまた来てよ。あとさ、わたしもカイのところに行くから――」

「クニカとリンは、トモダチかー?」

「え?」


 クニカの顔を穴が空くくらいに見つめながら、カイが唐突に尋ねてきた。


「友だちだけど、カイ?」

「カイ、本当に大事なことは、ちゃんと友達に言うぞ?」


 カイの言葉を聞いた瞬間、クニカは足がすくんでしまった。口を開こうにも、言葉がつっかえてうまく話せない。まるで、クニカのリンに対する気持ちを、カイは見透かしているかのようだった。


「カイ、どういう意味……?」

「ウーン……。ワカンネ!」

「『ワカンネ!』って、カイ――」

「おおーっ!」


 クニカの着るタオル地のパーカーに、カイは腕をのばす。クニカの服にくっついていた玉虫を、カイが捕まえたのだ。


「カイ?」

「アハハ!」


 何が嬉しいのか、玉虫の甲を夕日にあてながら、カイはさっさと歩きだしてしまう。そして、カイを引き止める手だても余裕も、今のクニカは持ちあわせていなかった。



   ◇◇◇



 夕食を食べ終えた頃にはもう、日が暮れていた。部屋を飛び交う虫の羽音に紛れ、鎧戸の向こう側からは、雨の音も聞こえてくる。


「クニカ、」


 真夜中、居間のソファでうずくまっていたクニカに、チャイハネが声をかけた。昼間に二人で話し合っていたことを、実行するときが来たのだ。


「緊張してる?」


 ランプの明かりを絞りながら、チャイハネがクニカに尋ねた。生唾を呑みこむと、クニカは無言のまま頷き返す。うかつに口を開いたら、心臓が飛び出してしまうような気がしていた。


「そっか? そうだよな」


 ランプを握り締めると、チャイハネは着いてくるよう、クニカに促した。音を立てないようにして、二人は二階へと上がる。


 廊下の突き当たりに、一つの部屋がある。中は書斎で、リンはそこで寝ているはずだった。


「手を出してくれ」


 クニカが差し出した左手に、チャイハネは何かを書きつける。


「――くすぐったい」

「辛抱してくれ。……さぁ、できた」


 ランプの明かりを頼りにして、クニカは自分の手のひらを凝視する。手のひらには、四角形を幾重にも重ねたような、黒い魔法陣が描かれている。


「これは?」

「リンを起こさないようにして、そっと手をつなげ」


 クニカの質問には答えないまま、チャイハネは書斎の扉を押し開ける。


「手をつないだら、すぐに目を閉じて。あとは、あたしに任せて」

「分かった」

「じきに分かるさ。じきにね」


 チャイハネの最後の言葉は、チャイハネ自身に言い聞かせているかのような響きを含んでいた。


 窓から差し込んだ雷の光によって、書斎の中が一瞬だけ明るくなる。手近にあった本を枕にして、リンは床の上に、じかに寝転がっていた。


 姿勢を低くして、クニカはリンに近づく。リンの立てるかすかな寝息が、クニカの耳にも届いてくる。


 背中側に回りこむと、クニカは身を乗りだして、投げ出されていたリンの手を取った。リンは一度身体をふるわせたものの、目覚めることはなかった。


 親指、人さし指、中指をからめるようにして、クニカはリンの手のひらに、自分の手のひらを重ね合わせる。それから、ゆっくりと目を閉じた。


 そして――。まぶたの裏に広がる闇の内側から、強烈な光がほとばしって、クニカの身体を刺し貫いた。

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