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ラヴ・アンダーグラウンド(LOVE UИDERGЯOUND)  作者: 囘囘靑
第5章:おわりの街・サンクトヨアシェ(Санкт-Иоас)
35/50

35_リンを置いていけ(Оставь ее в покое)

あなたがたが生きている間に、生きた者を注視しなさい。(『トマスによる福音書』、第59節)

「カイ、寒くないの?」


 むき出しになった、カイの白い二の腕を見つつ、クニカは尋ねる。


「ン!」

「へー、すごいね。食べ物とかどうしてるの?」

「カイ、(リヴァ)捕まえるの得意だぞ。」

「魚かぁ」


 クニカの口の中に、唾液が自然と溢れてくる。思い返してみれば、こちらの世界に転生してからというもの、クニカは魚を食べた記憶がない。


 先ほどからずっと、クニカはカイと、お喋りをして過ごしていた。“黒い雨(ドーシチ)”が降り続いているせいで、ほかにすることがなかったのだ。


「あれ使ってるんでしょ?」


 ランタンを手に取ると、クニカは肘を伸ばし、対岸に光を投げかける。そこには、がらくたが山のように積まれていて、山の一番手前には、釣り竿が逆さまにつき立ててあった。


 ところが、カイは首を横に振った。


「え、違うの?」

「ン。カイ、魚は潜って捕るぞ。」

「潜るの? ホント?」

「ン!」

「すごいんだね」

「んー。カイ、褒められると、ウレシイぞ。」


 カイは、照れ臭そうに身体(からだ)をよじる。


 思えばカイは、出会ったときに水浸しだった。あれも、直前まで、カイは水の中にいたからだろう。


「クニカも、魚捕るのか?」

「え? ……う、うん」


 勢いでうなずいてしまったものの、クニカには、ちゃんとした魚釣りの経験がなかった。転生する前、まだクニカが、“國香”だった頃、父親に連れられて、川で釣りをしたことはある。後はせいぜい、スルメをエサにして、近所の側溝でザリガニを釣ったくらいである。


「まぁ……少しはね? ほんのちょっと、くらいだけど」

「カイ、クニカが魚捕ってるところ、見たいぞ。」

「えーっ」


 クニカは頭をかいた。うまくごまかす――こともできそうになかった。カイがクニカの顔を覗きこんで、今か今かと返事を待っているからだ。


 外で降る雨も、次第に落ち着いてきている。雷は遠くの空へ去ってしまったらしく、いつの間にか、川の轟音も聞こえなくなっていた。幸か不幸か、釣りをするにはちょうど良い環境だった。


「分かった、やってみるよ」

「おーっ、クニカー!」


 カイの“心の色”が、まぶしく輝く。


「それでこそ、オトコだーっ!」

「オトコ……」


 たぶんカイは、言葉の意味をよく分かっていない。クニカの方も、「オトコじゃないんだけど」とは言えず、かといって「わたしオンナなんだよ」と言うのも変な気がしたので、酸っぱいものを食べたような表情をするしかなかった。


 クニカは黙ったまま、対岸の釣竿に念を送る。木箱につき立ててあった釣竿が揺れ動き、周りのがらくたを振りほどいて宙に浮くと、そのまま川を横切って、クニカの手に収まる。


「おーっ!」


 カイが歓声を上げる。


「すごいぞー!」

「えへへ。よし! ……あ、」


 竿に絡みついていた糸をほどくうちに、クニカは大切なことに気付いた。エサがないのだ。


「ねぇカイ、エサ……ってあるかな?」

「ウーン……。――ワカンネ!」

「だよねぇ……」


 クニカは肩を落としたが、それでも水面に、糸を垂らしてみる。ダメでもともとである。ただし、もちろんクニカは、


(魚が引っかかりますように)


 と祈ることを忘れなかった。



   ◇◇◇



 しばらくの間、クニカは雨の音に耳を傾けていた。クニカの隣であぐらをかいたまま、カイは一定のリズムに合わせ、身体を左右に揺らしていた。


 と、そのときだった。竿の先端が大きくしなり、確かな手ごたえが、クニカの腕に伝わってきた。


「来た!」

「おおーっ!」


 エサのない釣り針に引っかかってくれる、おっちょこちょいな魚もいるようだ――などと、感心している場合ではなかった。魚の暴れっぷりは、クニカの予想以上だった。立ち上がると、クニカはかかとでふんばって、身体を後ろに倒す。そうでもしなければ、水の中へと引きずりこまれてしまいそうだった。



「クニカー! 手伝うぞーっ!」

「カイ、ありが――うげぇっ?!」


 クニカの背後に回り込むと、カイはクニカの身体を抱きかかえ、そのまま奥へ持っていこうとする。お腹を圧迫されたせいで、クニカの喉から変な声が漏れた。


 クニカを抱えこんだまま、カイは後ろへ一歩ずつさがる。クニカの重心は前よりで、クニカの身体を運ぶのには相当骨が折れるはずなのだが、カイはびくともしなかった。信じられないほどの怪力だった。


 とうとう、魚の姿が水面に映りこむ。そして、次の瞬間、


「うわっ?!」

「おおーっ、――アハハ!」


 クニカもカイも、反動で後ろへ転がり込んだ。釣り上げられた魚が、クニカのそばで跳ね回っている。


 クニカの太ももくらいはありそうな、大きな魚だった。ランタンの光を浴びて、魚の鱗は、(ろく)(しょう)色の輝きを帯びている。


「やった……」

「アハハ、すごいぞ!」


 オーバーオールのポケットから、カイは折りたたみ式のナイフを取りだした。魚をたぐり寄せると、カイは器用に魚をさばいてゆく。鱗、はらわた、頭が川の中へと投げ捨てられ、残った身の部分が、あっという間に骨からはぎ取られた。


「できたぞー!」

「わぁ、すごい! ちょっと待ってね」


 打ち捨てられていた木切れを引き寄せると、クニカはそれに、火が着くよう念じる。


「おおーっ!」


 目の前で燃え上がった木切れを見て、カイが声を上げた。


「すごいぞー!」

「でしょ? さぁ、焼いて食べよう……」


 言った途端、クニカの脳裏にリンたちの姿がよぎった。リンたちは、どうしているのだろうか。自分のことを心配しているに違いない。そう考えると、クニカは魚が喉を通らない気がしてくる。


 できることなら、リンたちにも魚を食べさせてあげたい。


「クニカー?」

「いや、ちょっと、友だちがさ……」

「むーん。クニカには友だちがいるのか?」

「うん」

「いいなー。」


 言ったそばから、クニカは自分の言葉に後悔する。カイは透き通った瞳で、炎が天井に描く(すす)を見ている。


 カイの仕草が何気ないだけに、クニカは一層、後ろめたい気持ちになった。


「あのさ、カイ、」


 だからクニカは、こう提案した、


「カイも一緒に来ない?」


 と。



   ◇◇◇



「それで、連れてきた、ってワケか」


 冷ややかな目つきで、リンがクニカを見つめる。


 一夜明けると、クニカはカイと一緒になって、リンたちが待つだろう“隠れ家”まで戻ってきた。魚のおまけつきである。


 そして、一晩中クニカが心配で眠れなかったリンから、クニカはお返しに、げんこつをプレゼントされた。


「だって、置いていけないし……」


 椅子に身をうずめ、クニカはできる限り、リンから視線を逸らす。


「まったく! 人がせっかく心配してやったっていうのに――」

「まぁまぁ、リン、そんなに怒るなよ」


 笑いながら、チャイハネがリンの肩を叩く。チャイハネは厨房の見張りを、シュムに任せているようだった。


 眉間にしわを寄せつつ、リンは四本の指を、クニカとチャイハネに示した。リンの言わんとするところは、クニカにも分かる。人数は五人。それに対し、ウルトラの市民証は四枚しかない。


 それだけではない。


「おおーっ?! クニカー?! 魚焼けてるぞーっ!」


 カイは、先程からずっとこんな調子で、はしゃいでいるのだ。


「――シッ!」


 人さし指を口もとにかざし、リンはカイを注意する。そんなリンの目は、血走っていた。リンがカイから距離を置きたがっているのは、明らかだった。


「カイ、ちょっとこっちに来てごらん」

「ン。」


 手招きすると、チャイハネはカイを椅子へ座らせる。


「ちょっとごめんよ」


 カイの正面に腰を据えると、チャイハネは、カイの頬に手を添えた。


「あたしの目を見て」

「ン……。」

「オッケー。じゃあ、目を上下左右に動かしてみて」

「ウーン。」


 喉の奥でうなりながらも、カイは素直に、チャイハネから言われたことをやってのける。様子を見守っていたクニカは、チャイハネの視線がカイの額に注がれていることに気付いた。


「はい、ありがとさん」


 そう言うと、チャイハネはそのまま、外へと出ていってしまった。しかし、玄関を通り抜ける間際、チャイハネが


 着いてこい


 と合図するのを、クニカは見逃さなかった。



   ◇◇◇



 玄関を抜けると、クニカは階段を駆け降りる。降りた先には道路があり、ガードレールの下を覗けば、青く染まった川面が、目と鼻の先にあった。


 ガードレールに腰かけ、チャイハネはクニカのことを待っていた。


「どうしたの?」

「あの子だけどさ」


 左手の人さし指を立てると、チャイハネはそれを、こめかみの前で回す。チャイハネの仕草を見て、クニカもまた、銀製のロケットを握りしめた。


「やっぱり」

「何だ、気付いてたのか」


 靴裏でマッチを灯すと、チャイハネは煙草をくわえる。


「おでこが広い。前頭葉が、頭蓋に圧迫されてる。先天的なもの……ってワケでもなさそうだけれど」

「そうなんだ……」


 どう反応してよいのか分からず、クニカはまごついた。チャイハネも、煙草を指にはさんだまま、しばらく黙っている。


「それでさ、クニカ」


 長い沈黙の後、チャイハネが口を開いた。


「いつかは言わなきゃいけなくなるだろうことだから、先回りして言っておくけど、あたしは、カイを連れていくのは反対だよ」


 クニカは、唇を引き結んだ。クニカの考えていることなど、チャイハネにはお見通しのようだった。


「そんなことだろうと思ったよ」


 煙草の灰を、チャイハネは川面に落とす。


「優しいからなァ、クニカは。カイをうっちゃっておくのはかわいそうだよ。でも分かるだろ、クニカ? あと少しでウルトラなんだ。リスクは取れない」

「もしわたしが……」


 クニカはチャイハネに言い寄る。


「もしわたしが……カイを治せたら?」

「もしあたしがカイで、クニカに治してもらったら、たぶん次にこう言うよ、『どうしてクニカと、リンと、チャイハネと、シュムがウルトラに行って、自分はダメなんだ?』って」

「それは……」

「あたしは答えられないね。たぶんあたしだけじゃなくて、世界中のだれだって。参っちゃうよ、ホント。あっはっは」


 なおも言い寄ろうとしたクニカだったが、そのときになってようやく、チャイハネの“心の色”が赤と青を行ったり来たりしていることに気付いた。口では冷たいが、チャイハネだって割り切れていないのだ。


「でも……」


 消え入りそうな声で、呟くようにクニカは言った。ガードレールから身を乗り出すと、チャイハネは火のついたままの煙草を、川の向こうへ投げ捨てた。


「――方法がさ」

「え?」

「無くはない」


 投げ捨てられた煙草は、川面に落ち、すぐに沈んでいった。


「教えて、チャイ!」

「カイを諦めるか――」


 せがんだクニカに対し、チャイハネは答えた、


「そうでなければ、リンを置いていくか」


 と。

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