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ラヴ・アンダーグラウンド(LOVE UИDERGЯOUND)  作者: 囘囘靑
第5章:おわりの街・サンクトヨアシェ(Санкт-Иоас)
33/50

33_煙が目にしみる(Дым попадает в глаза)

お前たちは、偽りのしわざに満ちあふれた者たちである。(『アダムの黙示録』、第45節)

 サンクトヨアシェの閑散とした街路を、クニカとリンは歩く。


 こま切れになった路地を縫うようにして進み、街外れの城壁にたどり着いた矢先、前を歩いていたリンが、いきなり立ち止まった。


 クニカが口を開く前に、リンはまっすぐ、前を指さした。


 チャイハネから借りた双眼鏡を、クニカは覗く。双眼鏡の円の中に、城壁が映り込んだ。城壁の赤黒いレンガは、(つた)に覆われている。(つた)の中に埋もれていた城門は、フェンスと鎖とで、厳重に封じこめられていた。


「なに、あれ」

「この道が――」


 地図を開いていたリンが、露骨に舌打ちした。


「ウルトラまでの一番の近道だ。煙もあっちの方角だったよな?」

「うん」

「やっぱりウルトラの奴らが……」

「待って、リン」

「え?」

「あれ見て」


 リンが見逃しているものを、クニカは指で示す。門を塞ぐフェンスには、白い塗装があった。塗装の表面には、


I.Χ.Θ.Υ.Σ.

A.T.Σ.Κ.


 と、青い文字で印字されている。


 リンが眉をひそめる。


「何だよ、あれ?」

「分かんない」

「ばか。分かんないんじゃ――」


 そこまで言って、リンは口をつぐむ。


 クニカには分からない、リンにも分からない――つまり、そういうことだ。フェンスの文字は、異邦人(アロゲネス)の言葉である。ウルトラの人間が設置したものではない。


「どうする?」


 双眼鏡を降ろすと、クニカはリンの表情をうかがう。


 城壁をくまなく見わたしていたリンだったが、やがてある一点で、目を細める。


「あそこ、わかるか?」


 歳月の重みは、城壁にも確実にのしかかっている。地面の隆起によって、城壁のある部分はひずみが入り、ある部分はレンガがこぼれている。


 そんな城壁の裂け目のひとつに、リンは目をつけているようだった。その部分は土砂崩れで壊れたまま、放置されつづけていたのだろう。裂け目には土砂が入り込み、背後の山とつながっている。


「あそこを登ってみよう。山に入れば、いざというとき隠れられる」

「わかった」

「ぐずぐずするなよ」


 リンとともに、クニカは先を急ぐ。



   ◇◇◇



 斜面に手をつきながら、クニカとリンは山の中を進む。斜面は、木の根に覆われて滑りやすく、(つる)があちこちを巡っており、視界は悪かった。


 しかし、木の幹に手を伸ばし、バランスを保つこともままならなかった。周囲に自生するゴムの木が、二人の行く手を遮っていたからだ。


 ゴムの木の樹液に触ろうものなら、手がかぶれてしまう。雨が降った後、水分を含んだゴムの樹液は、さらさらとして透明になる。どのゴムの木が安全で、どのゴムの木が危険かは、ひと目では分からない。クニカとリンは互いに手をつなぎ、安全を確かめあいながら、先へ進むしかなかった。


 黙々と歩いていた二人の耳に、虫の音とははっきりと異なる、きしんだ音が聞こえてきた。耳を澄ませているうちに、クニカはそれが、キャタピラの音だと気付いた。


 反射的にクニカは、リンの手首を握る。


「リン……!」

「分かってる。見ろ」


 リンに促され、クニカも目線を上げる。ゴムの木の葉や、ソテツの木の葉に切り取られた空のすき間から、黒い煙が立ち上っている。


「気をつけろよ」


 顎にまで流れてきた汗を、リンはぬぐう。


 銀製のロケットを握りしめ、クニカも頷いた。



   ◇◇◇



 近づくにつれ、煙の濃さは増していく。視界が暗いだけではない。息は苦しくなり、目は汗がしみたようになり、鼻の奥は痛くなった。


「大丈夫か?」

「うん」


 とはいうものの、クニカは先ほどから、タオルで口元を覆っていた。先ほどから頭が痛い。リンも、ことあるごとに目をこすっていた。


 山の斜面が、なだらかになっていく。クニカとリンは、切り立った崖のそばまでたどり着いた。


 段差の下にあったくぼ地に、リンが飛び降りる。その瞬間、


「あっ」


 と、リンは声を発した。


「どうしたの?」

「来い」


 段差へ降りる、リンに言われるがまま、クニカも崖の下を覗きこむ。


 崖のすぐ下には、一本の川が流れている。オミ川の支流だろう。川をまたいだ反対側には、ものものしい建造物が控えていた。敷地全体はコンクリート製の塀に覆われ、塀のてっぺんには、有刺鉄線が張りめぐらされている。建物からまっすぐ伸びている煙突が、黒い煙を吐き出していた。


「見ろ」


 リンが言う。建物の裏手にある広い空地に、白いかたまりがずらりと並んでいる。戦車だった。べスピンの街でクニカたちが対峙したものと同じである。


 しかしどうして、こんなところに? ――砲塔を回転させている戦車の様子を、食い入るように見つめていたクニカだったが、突然リンに引っぱられ、後ろへと転がりこんだ。


「ちょっと……」

「シッ!」

「〈――お偉方は、何を考えてんだ?〉」


 リンに抗議しかけたクニカも、背後から聞こえてきた男の声に、慌てて口を閉じる。


 今、二人はくぼ地の中に身を潜めている。声はそんな二人の、すぐ上から聞こえてきた。それは異邦の言葉で、クニカの記憶に間違いがなければ、サリシュ=キントゥス帝国の言葉だった。


 男たちの会話を、リンは理解できていない。クニカが言葉を理解できるのは、“竜”の魔法のおかげだ。


「〈参っちまうぜ。こんなところで立ち往生なんて〉」


 ちぇっ、という舌打ちとともに、男が足をふり上げる気配がした。蹴り飛ばされた小石はクニカの真上を通り過ぎ、崖下へと吸いこまれていく。クニカとリンの頭上には、土ぼこりが降り注いできた。


 身体を折り曲げると、リンが口元を覆って、肩を震わせる。くしゃみを(こら)えているようだった。


「〈立ち往生してるだけましだろ?〉」


 別の男の声がする。背後には二人いるようだった。


「〈シャンタイアクティだと、バタバタ死んでるって話だぜ?〉」


 シャンタイアクティ。懐かしい名前を、クニカは聞く。南大陸で、最も大きな東の都市が、シャンタイアクティである。クニカたちが目指している西の都市・ウルトラとは、ちょうど反対方向にあるはずだ。


「〈マジかよ。どうしてそんなに手こずってんだ?〉」

「〈巫皇(ジリッツァ)のしわざに決まってるだろ? おまけに、連れの聖騎士(パラディーン)たちが強過ぎる〉」

「〈なるほど。そんで俺たちも様子見ってわけか〉」


 クニカの脳内に渦巻いていた数々の疑問が、一本の線で繋がりはじめる。


 かれらは、サリシュ=キントゥス人で間違いないだろう。海峡を隔てた北の帝国から、はるばるこの南大陸までやってきたのである。


 なぜやってきたのか? それはまだ、クニカにも分からない。いずれにしてもかれらは、南大陸を侵略するためにやって来ている。地理的に近いチカラアリを手始めに、西のウルトラ、東のシャンタイアクティへと手を伸ばしている。


 ところが、サリシュ=キントゥス人たちは侵攻にてこずっている。べスピンの街でギャングたちがのさばっていたのも、サリシュ=キントゥスの兵隊たちが、ギャングたちに負けたからだろう。だからべスピンのギャングたちは、戦車や小銃といった、高性能な武器を持っていたのだ。


 手こずっている原因は何か? 最大の原因は、“黒い雨(ドーシチ)”だろう。では“黒い雨”は、何が原因で降るようになったのか? サリシュ=キントゥス人たちが原因であるはずがない。自分たちが降らせている雨が原因で、自分たちを困らせるなどということを、かれらはしないだろうから。


 リンの吐いた息が、クニカのうなじに当たる。ようやくリンは、くしゃみの呪縛から解き放たれたらしい。


 一気に現実へと引き戻されたクニカは、あまりのくすぐったさに肩をすくめた。その拍子に、視線が下へ向く。そしてばっちり、ヘビと目が合ってしまった。


「い――?!」


 口を開きかけたクニカの腕を、リンが指でつねる。とぐろを巻いているヘビが、鬼火のように舌をちらつかせながら、クニカのおしりのあたりにまで近づいてくる。


「〈ところが、だ。そろそろ事情が変わるらしい〉」


 頭上では相変わらず、サリシュ=キントゥスの兵隊たちが話し込んでいる。


「〈なんでまた急に……?〉」

「〈“竜”が復活したらしい〉」


 “竜”の言葉に、クニカの足が、意に反してピクリと動く。蹴り上げられた土ぼこりが、ヘビに降りかかった。ヘビはクニカをにらみつけると、口を大きく開き、牙をむき出しにする。


「〈よせよ〉」


 押し殺した笑い声が、クニカの頭上から響く。


「〈そんな話、信じらんねぇな〉」

「〈オレだって、初めから信じてたわけじゃない。でも、そう考えるとつじつまが合う。研究所の連中は、最近やけに騒がしい。出動は多くなっている。なぜだ? “竜”を探すためさ〉」

「〈研究所の連中? 何であいつらが騒ぐ?〉」

「〈“最終兵器”を使うためさ〉」


 訊き手の男がすぐに返事をしなかったせいで、奇妙な沈黙が、辺りを支配した。


 沈黙が続く間、クニカの心は、二重の問題に引き裂かれていた。視界の真ん中に居座るヘビも問題だったが、それ以上に、男たちの話が気になった。


 “竜”これはきっと、自分のことを指している。しかしどうして、サリシュ=キントゥスの兵隊たちが、自分のことを探す必要があるのだろうか?


「〈“最終兵器(アドゥワ)”?〉」

「〈そうさ〉」

「〈うさんくせぇな〉」


 沈黙の重苦しさに対し、男の返事は軽かった。


「〈だいたいな、『最終ナントカ』って名前のヤツにはな、ロクなものがねぇんだよ〉」

「〈知らねえよ、そんなこと。とにかく“最終兵器”ってもんがあって、それを使うには“竜”が必要になる。”竜”の能力がな〉」

「〈なぁ、そろそろ戻ろうぜ、時間だ〉」


 なおも話したがる同僚を制し、聞き役だった方の兵士が咳払いする。


「〈まったく。ここにいると喉がやられちまう〉」

「〈なに、じきにどうでもよくなるさ〉」


 鼻歌まじりに、もうひとりが答える。


「〈“最終兵器”が動けば、ウルトラなんて一発でおしゃかさ。オレたちも待ちぼうけから解放、ってところだな〉」

「〈だといいけどな〉」


 男たちの声が、次第に遠ざかっていく。これ見よがしとばかりに、リンが持っていたナイフを逆手に構える。ヘビを始末するつもりなのだ。


 しかし、そんなにうまくはいかなかった。クニカのうなじの後ろあたりから、地面を強く踏みつける振動が響いてきた。と同時に、立ち去るまぎわだった兵士が、何かをこちらへ吐き捨てる、汚い音が聞こえてくる。兵士が(たん)を吐いたのだ。痰は、そのまま草むらのなかへ消えていったが、ヘビを驚かせるのには十分だった。


 牙をむき出しにして、ヘビはクニカのすねに(かじ)りつこうとする。すぐさま立ち上がろうとしたクニカだったが、思うように足がついてこない。そして


「あっ――」


 と、悲鳴になりきらない悲鳴をあげる。


 そのときには、もう遅かった。クニカの身体は中空を(おど)り、背後に横たわっている川へと向かって、真っ逆さまに墜落していた。

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