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ラヴ・アンダーグラウンド(LOVE UИDERGЯOUND)  作者: 囘囘靑
第5章:おわりの街・サンクトヨアシェ(Санкт-Иоас)
32/50

32_門番(Привратник)

 一夜明けると、クニカたちは、再び国道二十二号に沿って歩き出した。国道二十二号は、相変わらず山の中を蛇のようにうねっていたが、次第に上り坂は減り、下り坂が多くなってきた。


「リン、いいことを教えてあげましょうか?」


 クニカの隣でリアカーを引っ張っていたシュムが、先頭を歩くリンに言った。


 ちなみにリアカーは、モーテルの脇に打ち捨てられていたのを、リンが偶然発見したものだった。ひしゃげていた車輪は、クニカが“祈る”と、たちまち元どおりになった。


「何だよ?」

「地図を逆さまに見ています」


 真顔になると、リンは、目にも止まらぬ速さで地図の上下を持ち直した。


「分かってるよ。あれだよ、わざとだよ!」

「この道、合ってるよね?」

「何だよ」


 蚊を払いのけながら、リンがクニカをにらみつける。


「お前、信用してないだろ?」

「い、いや、別にそんなことは……」


 助けを求めようと、クニカはシュムに視線を送る。しかし、シュムは猫のように(らん)(らん)とした目で、クニカとリンを眺めているだけだった。要するにシュムは、慌てふためいているクニカを見て、楽しんでいるようだった。


 しかし、リンからげんこつが飛んでくる前に、リアカーの中から声が上がった。


「この道でいいよ」


 チャイハネの声である。夜行性のチャイハネは、丸めたブルーシートを枕にして、リアカーの中に寝そべっている。


「リン、地図を貸して」


 無言のまま、リンはチャイハネに地図をつき出す。それを受けとると、チャイハネは、地図上の国道二十二号線を指でなぞる。


 地図上のある一点で、チャイハネは指を止めた。


「ここ、カーブになってるだろ? ここから、下の様子が見える。上手くいけば、ウルトラも見える」

「ウルトラ?!」


 リンが真っ先に反応する。


「ホントだな?!」

「嘘ついてどうすんだよ、な、クニカ?」


 うん、と言おうとしたクニカだったが、頷くだけで精一杯だった。


 生き延びるために、ずっとウルトラを目的地にして、クニカはこれまで旅をしてきた。街の名前を聞いただけだというのに、クニカの胸は期待で高鳴った。


「おい、グズグズすんな。行くぞ!」

「あっ、待って――」


 チャイハネの手から地図をひったくると、リンは早足で前へと進んでいく。残された三人も、リンの背中を追った。



   ◇◇◇



 チャイハネの言っていた“カーブ”は、四人の前に唐突に現れた。


「あそこだ!」


 飛び上がらんばかりの勢いで、リンが一目散に駆け出していく。


「ちょっと、リン――」

「クニカ、待って」


 身を起こすと、チャイハネはクニカに包みを渡す。


「双眼鏡だよ。リンに見えても、クニカには遠いだろ?」

「ありがとう」

「先に行ってな。あたしは空でも眺めながら、のんびり運ばれてくよ」

「ダメです、チャイ。今度は私がそこに寝る番です」

「えぇ……」


 シュムの言葉に、チャイハネはけげんな顔をする。そんな二人をよそに、クニカは双眼鏡を小脇に抱えたまま駆け出していた。蒸し暑い大気がクニカの周りで渦を巻き、クニカの身体(からだ)からも、汗が噴き出してくる。


 とうとう、クニカもカーブの手前までたどり着いた。先に到着していたリンは、眼下に広がる光景に立ちすくんでいる。


 錆び付いたガードレールの側で立ち止まると、クニカは双眼鏡を取り出し、眼下の様子に目を細める。


 クニカのいる地点から、正面には、幾重もの山並みが確認できる。(やま)あいの平原はスプーンでくり抜かれたようになっており、クニカのいる地点からは、四本の川が見えた。


「あれが」


 と、リンが川の一本を指さす。


「イル川だ。一番奥のヤツな。その隣がアッシート川。両方とも、サリストク川から分かれた川だな」


 リンがサリストク川の方角を示す。南の山脈から流れ出ている川が、そのサリストク川である。


 そしてもう一本川がある。クニカたちが今いる山の、ちょうど真下を流れている川だ。


「これは――」

「――オミ川だよ」


 リンに代わり、チャイハネが答える。結局チャイハネは、シュムに押し負けたらしい。リアカーを脇に据えると、チャイハネは青息吐息といった様子だった。


「こんなところから……」

「南大陸を、東西に分けてる。で、オミ川も南北に分かれてる。……いや、サリストク川が南北に分かれてる、って言った方がいいのかな? オミもサリストクも同じ川だよ。呼び方が違う」

「どうして違うんですか、チャイ?」


 リアカーで寝転がっていたシュムが、肩で息をしているチャイハネに問いかける。


「ウルトラから北がオミ川で、ウルトラより南がサリストク川なんだ。何でかって? 知るかい、そんなこと」


 イル、アッシート、サリストク、オミ――。この四つの川の結節点に、一つの島がある。双眼鏡では豆粒ほどの大きさだが、周囲の川幅から類推しても、その島がひときわ大きいことは分かる。


 その島こそが、ウルトラ――クニカたちの目的地である。


「あと少し……」


 クニカの目の前で、リンが拳を握り締める。


「あと少し……そうすれば……」

「水を差すようで悪いけど、今日は天気がいいから、実際よりも近くに見える」


 チャイハネの言葉に、リンは返事をしなかった。


「リン、聞いてるかい?」

「聞いてるよ」


 リンの“心の色”が赤く光ったのを、クニカは見逃さなかった。どうしてリンはいら立っているのだろう? チャイハネの言葉がしつこかったようには、クニカには思えない。


「どのくらいかかりますか、チャイ?」

「二、三日かな? 歩いていくのならね。山の下にサンクトヨアシェっていう町があるから、今日は――」

「おい、」


 チャイハネの話を、リンが遮る。


「あれ何だよ?」


 リンが指さす先に、クニカも双眼鏡を向ける。大地を塗り潰している木々の緑のすき間に、黒い塊が見えた。黒い塊は、クニカの目の前で膨らみ、上空へ発散される。


「煙だよね?」

「クニカ、私にも見せてください」


 クニカから双眼鏡を受け取ると、シュムはガードレールに手をつき、煙の立ち込めているところに双眼鏡を向けた。


「山火事かな?」

「いいえ、チャイ。下に何かあります」

「建物だな」


 “鷹”の魔法のお蔭で、誰よりも遠目の効くリンが、ジャングルの合間に埋もれているものを見破った。


工場(ザヴォト)か何かじゃないのか?」

「かもしれませんが――」


 双眼鏡を降ろすと、シュムはチャイハネに視線を送る。


「工場が動いてるとは思えない」

「同感です、チャイ」

「この辺りなら、まだ工場が動いてるんじゃないのか?」


 リンが言った。


「ウルトラは無事なんだろ?」

「『比較的マシ』ってだけだぞ、リン。工場を動かす余裕なんてないよ」


 ブルーシートを枕にして、チャイハネは空を見ている。


「だいたいさ、工場が動いたとして、いったいだれがモノを買うんだよ」

「そうか――ああ、クソッ、何でもいいさ。じきに分かるだろ?」

「う、うん」

「さっさと行こうぜ。時間がもったいない」


 そのままカーブを曲がり、リンは山道を下っていく。リアカーの後ろにつきながら、クニカはできる限り、今しがた見た光景を、記憶に焼きつけようとした。



   ◇◇◇



 サンクトヨアシェの街は、クニカに(チャシャ)を連想させた。道路を横断するようにして石壁が張りめぐらされており、そんな石壁でできた鉢の内側には、植物の代わりに建物が並んでいる。


「『サンクトヨアシェの成立は、降天暦(プリシェスティエ)754年にまでさかのぼります』――」


 観光案内所から拾ってきた資料を、クニカは読み上げる。


「『741年に発生した即位灌頂(バプテスマ)戦争に際し、当時のウルトラ巫皇(ジリッツァ)・ヨアシェの聖令の下に、ウルトラ市の外郭に打ち捨てられていた砦を修復したことが、この町の起源です』――」


 路地裏の階段を回避し、四人は町の中心部へと進んでいく。


「『以来、サンクトヨアシェ市はオミ川をまたいで、西へ西へと発展していきました。全ての都市は、みな西へ西へと発展するものだからです。旧市街と新市街を結ぶ橋は、今では市の名所のひとつとして数えられています。キリクスタン国の建国と同時に、サンクトヨアシェ市もまた、新たな百年を踏み出そうとしています』――アイテッ?!」


 子ども向け観光教材『良い子のためのサンクトヨアシェ』を読み終えたと同時に、クニカの頭に、リンのげんこつが降りそそいだ。


「ムダ口叩くな、このばか」

「り、リンだって読んでたじゃん……」

「う、うるさいな、このばか!」

「まぁまぁ」


 もめているクニカとリンを、チャイハネがたしなめる。


「そんなにカッカとするなよ。もうすぐ橋に出るから」

「しかし妙ですね。人の姿がありません」


 リアカーを引いていたシュムが、並ぶ建物を見回している。


 ヤンヴォイよりもべスピンよりも、そしてウルノワよりも、このサンクトヨアシェの街は快適そうだった。人気こそないものの、焼け焦げている家もなければ、崩れ落ちている家もない。コイクォイの姿もなかった。「ウルトラへ近づけばマシ」というのは、そういうことなのだろう。


 それゆえに、四人には妙だった。ウルトラにこれほど近い街であれば、難民でひしめいていてもおかしくはない。


「隠れてる……とか?」

「暗がりに潜んでるようには見えないけどね」


 あごの辺りを、チャイハネはなでる。


「だいたい、心の色だって見えないわけだろ?」

「……あ、そうか」


 チャイハネに言われて、クニカもそのことに気付いた。人が壁の向こう側に隠れていたとしても、クニカならば、心の色が見分けられるはずなのだ。


 それが見えないということは、そもそも人がいないということである。


「むしろ、あたしたちを見て逃げ出した……ってのが筋じゃないかな?」

「どうしてです?」


 と尋ねてきたシュムだったが、クニカも含めたほかの三人は、ただシュムに視線を送り返すしかなかった。


 シュムは、わざとらしくまばたきする。


「私が何かしましたか? クニカはどう思います?」

「いえ……特に言いたいことは……」

「シッ!」


 リンが声を上げた。


「人がいる」

「どこに?」


 クニカの問いに、リンは返事をしなかった。リンの視線の先を、クニカも目を細めて追ってみる。シャッターの降りた商店、打ち捨てられた屋台、ひしゃげた自転車の束――そんなものが見えるだけで、遠くの光景はクニカには分からない。


 湿り気を帯びた風が、クニカたちの間を通り抜ける。


「迂回しよう」


 ややあってから、リンが口を開いた。


「面倒に巻き込まれるのはゴメンだ」



   ◇◇◇



 市街の南を抜け、四人は川のたもとまでやってきた。ヤンヴォイを抜ける際に、その川幅でクニカを圧倒したオミ川も、サンクトヨアシェの街中では分岐し、細い川となっていた。


 そんな川の全てに、橋がかかっている。橋は全て石製で、深々と刻まれた(わだち)には、水が溜まっていた。


 川沿いにある一軒の家に、四人は目をつけた。ここならば見晴らしがよく、周囲の様子がよく分かる。建物は密集していたが、かえって好都合だった。いざとなれば窓を飛び越え、隣の家へと避難できる。


「ようやく一息つけるな」


 塩化ビニル製の安っぽいテーブルクロスからほこりを払うと、リンがダイニングにある椅子の一つに腰かけた。


「クタクタだよ。ところでチャイ、お前、ちゃんとアレ持ってるんだよな?」


 ふところから封筒を取りだすと、チャイハネはそれを机に投げる。投げた弾みで、封筒の中身が外へはみ出る。


 薄い紙には、


【市民証】


 と印字されている。ウルノワの街でチャイハネが言っていた報酬とは、これのことだった。


「心配すんなよ。ひぃ(アディン)ふぅ(ドゥヴァ)みぃ(トリ)……ちょうど四枚だ」

「あれ、シュムは?」

「ここです、クニカ」

「――うわっ?!」


 耳元で聞こえてきたシュムの声に、クニカはのけ反る。その際、シュムが踏みつけているものを垣間見てしまい、クニカはほとんど飛び上がらんばかりになる。


「だれだお前?!」


 椅子を蹴飛ばすようにして、リンも立ち上がる。


 見知らぬ男を、シュムは(あし)()にしている。


「この人、私たちの後ろから、こっそり着いてきていました」

「頼む、離してくれ」


 男の声に、シュムはまったく耳を貸していないようだった。男の背中の上であぐらをかいたまま、シュムは男の左腕を抱きかかえ、反対側へと体重をかけている。男の関節のあたりから、湿った音が聞こえてきた。


「痛いっ」

「痛くしてるんです」


 平然と答えるシュムだったが、クニカはこれ以上見ていられなかった。


「あ……あ、怪しいヤツじゃねえよ、オレは――あっ?!」

「怪しくない奴は、ウロウロしたりしないんだな」


 椅子に腰かけていたチャイハネが、しみじみと言う。


「た、頼みがあんだよ」

「人に頼ってばかりでは、道は開けませんよ?」

「そう、道! 道のことだっ!」


 “(ダロガ)”という単語に反応して、男は口から泡を飛ばした。


 うさんくさそうなまなざしを、リンは男に向ける。


「道がどうしたんだよ?」

「き……北から来たんだろ、あんたら? だったら見たろ? 基地があるのぐらい!」

「基地って……煙を吐いていたアレですか?」

「そうそう、それだ! そこの奴らが道を塞いでるせいで、ウルトラまで近づけねぇ!」

「で、その話が本当だという証拠は?」

「行ってみりゃ分か――」


 抱きかかえていた男の腕を、シュムが体をよじって急旋回させる。男が悲鳴を上げる。梱包用の「ぷちぷち」を一気にぷちぷちさせたような音が、男の肩から響く。男の目は血走り、全身に汗を掻き、声にならない声で息を吐いていた。


「そんなに痛くないでしょう。明日には元通りになっているはずです」

「シュム、それはね、右にひねったとき」


 眼鏡を外すと、チャイハネは自分の目のあたりをこする。


「え。そうだったんですか?」

「ひぃーっ、ひーっ?!」


 シュムが重心をどかした一瞬の隙をついて、男は這いつくばりながら、玄関から転がり出ていく。男は、本当にやましいことなどなかったのだろう。クニカは気の毒に感じたが、シュムが腕をひねったときの


 ぷちっ


 という音が生々しすぎて、男を気遣っている場合ではなかった。


「でも、だれがそんなことを……」

「考えられるとするなら、ウルトラの奴らかな?」

「ウルトラの? 何でだよ?」

「難民が収容できなくなったから――とかじゃないかな?」


 チャイハネの言葉に、シュムも神妙な表情で頷いた。


「そんなわけあるかよ。オレもクニカも聞いたんだぞ、『ウルトラへ避難するように』っていうラジオの放送を――」

「事情が変わってしまった可能性は大いにあり得ます」

「ここまで来たんだぞ」


 腕を組むと、リンはいら立たしげに周囲を歩き回る。


「基地に行けば、何かが分かるかもしれないんだよね?」


 リンの気持ちを代弁するように、クニカがチャイハネに質問する。


「何もしないよりかはマシだな」

「なら、行くよ」


 間髪入れずに、リンが言った。


「危険ですよ、リン?」

「そんなの当たり前だろ? どこだって危険なんだ。だろ、クニカ?」

「え? う、うん――」

「よし、じゃあ決まりだ。オレとクニカとで基地を見てくる」

「クニカと?」


 テーブルに肘を突いたまま、チャイハネがリンに訊き返す。


「いいだろ?」

「悪いなんて言っちゃいないさ」


 チャイハネは意外そうだったが、リンの言葉は、クニカにも意外だった。いつもなら、リンは「クニカはここに残ってろ」とでも言うだろう。


 そう考えていたため、クニカはちょっと嬉しかった。それだけリンに認められているような気がしたからだ。


「ほら、さっさと行くぞ、クニカ!」

「うん!」


 リンにけしかけられ、クニカも外へと飛び出す。


「雨が降る前に帰れよ!」


 チャイハネの言葉が、後ろから飛んだ。

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