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ラヴ・アンダーグラウンド(LOVE UИDERGЯOUND)  作者: 囘囘靑
第1章:ようこそアンダーグラウンドへ(Добро Пожаловать UИDERGЯOUND)
3/50

03_ここから出ないように(Не уходи отсюда.)

 心臓をわしづかみにされた気がして、クニカははね起きる。起きたはずみでバランスを崩し、クニカは床に転がった。


「痛いッ!」


 痛くはないのだが、声を発せずにはいられなかった。先ほどまでは裸だったのに、今のクニカは、オレンジ色のTシャツに、青いハーフパンツをはいていた。


 クニカは胸に手を当て、それから、背中に腕を回した。いずれも、黒い巨人に刺されたところだった。血が流れているわけでも、穴が空いているわけでもない。


 では、さっきのは夢だったのだろうか?


(ちがう)


 立ち上がると、クニカは自分の身体(からだ)をなで回す。まず、喪われていたはずの右脚が、元どおりになっている。だが、もっと恐ろしい変化があった。脚の付け根には、あるべきはずのものがなく、胸には、ないはずのものがあった。


「うわぁ」


 声を上げることだけが、クニカができた、ただひとつの抵抗だった。気の済むまで、クニカは何度も「うわぁ」と繰り返す。収まりかけた動悸(どうき)が、激しくなってくる。


 死んだ、と思ったが、そうではないようだった。では、生きているのかと問われれば、確かに生きてはいるが、何かがおかしい。


 何より、クニカは目覚めた場所に見覚えがなかった。


 ここはどこなのか? クニカは辺りを見渡してみる。小さな部屋には、ロッカーと段ボール箱が並んでおり、埃っぽかった。控室か何かなのだろうと、クニカは考える。


 部屋の一角には、洗面台があった。立ち上がると、クニカは洗面台まで近づく。右足、左足――一歩ずつ踏み出しながら前へと進むのは、クニカにとって久しぶりの感覚だった。この感覚だけは唯一、今のクニカにはうれしいことだった。


 洗面台に手を掛け、クニカは鏡をのぞき込む。くぐもった鏡の表面に、顔が映りこんだ。


 大きくつぶらな瞳に、丸い輪郭(りんかく)


 髪はピンク色で、瞳は青い。


 最後に、クニカはほっぺたを引っ張ってみる。鏡に映っている少女も、同じ仕草をしていた。


 クニカは少女のままだった。


(生きている……ってこと?)


 クニカは自問する。いずれにしても、このままでは(らち)が明かないと、クニカは思った。


 部屋を見渡し、クニカは扉を見つける。扉には、


 Не уходи отсюда.


 と、張り紙がされていた。


 クニカの背筋を、冷たいものが走る。この張り紙は、ただごとではない。キリル文字だということは、クニカにも分かる。


 それだけではない。


“ここから出ないように。”


 一ミリも知らないはずのキリル文字を、ニホン語を読むのと同じくらい自然と、クニカは読むことができた。


 クニカは考える。張り紙は、明らかにクニカに向けて書かれたものだ。ということは、だれかがクニカを見知っていることになる。しかしその人物が、クニカに対して好意を持っているのか、敵意を持っているのかは、今のクニカには判断できないことだった。


 なにより、クニカは、完全に別人のようになってしまっている上、ここがどこかも分からない状態である。どうして少女になってしまったのか。それはすぐには分からないことだが、扉の向こうに何があるのかは、扉を開けさえすれば、すぐに分かることである。


 扉の外へ出てみよう、危険そうだったら、すぐに引っ込めばいい。――そう決めると、クニカは腕を伸ばし、ドアノブに手を掛ける。


 扉はあっけなく開いた。



◇◇◇



 扉の隙間から、クニカは外をのぞく。向こう側は、開けた場所のようだった。


 クニカは扉を抜ける。通路のあちこちに、ブースが設けてある。真ん中は吹き抜けになっており、上の様子も、下の様子も見渡せた。


 広い、がらんどうの施設の二階に、クニカはいる。構造からして、ショッピングモールだろうと、クニカは思う。奥にはエスカレーターもあったが、動いていなかった。それどころか、モールの中は、クニカのほかに、人の気配がなかった。


 人のいないモールの異様さに、クニカは呑まれそうになる。一歩踏み出したはずみで、クニカは足元の缶くずを蹴っ飛ばしてしまった。乾いた音がこだまし、静寂を深める。


 辺りを見回しながら、クニカは歩きはじめる。背骨に沿うように、背中を汗がつたいはじめる。


 と、そのときだった。曲がり角の向こうから、音が聞こえてくる。鉄扉(てっぴ)を蹴り開く乱暴な音に、クニカは小さく悲鳴を上げる。


 クニカは通路をのぞいてみる。開け放たれたドアの前、手すりに人影がうずくまっている。格好からして、男のようだった。クニカに背を向け、男性は息を切らしている。


ごめんください(イズヴィニーチェ)……」


 後の言葉が、クニカは続かなかった。


 第一に、ニホン語で話しかけたつもりだったのに、喉から出てきたのは、クニカの知らない言葉だったから。


 第二に、うずくまる男の足元から、何かが漏れていたから。


 生臭い臭いが、クニカの鼻をつく。


 血だった。


 クニカの全身が総毛だったのと、男が振り向いたのは、同時だった。


 情けない悲鳴を上げ、クニカは転びそうになる。


 男性には頭が無かった。正確には、頭のある場所が、別の物になっていた。中央の芯は、吸盤上の突起に覆いつくされており、芯の外側には、花弁のようなものがついている。フキノトウに似ているが、色は赤と青のまだら模様で、毒々しく脈打っていた。


 男性――いや、異形は起き上がると、クニカの正面に立ちはだかる。


「ちょっと……嫌だ!」


 クニカは逃げ出した。叫び声を上げながら、異形がクニカを追いかけてくる。


助けて(パマギーチェ)!」


 モールに、クニカの声が響きわたる。


 通路を走る二人の距離は、狭まりつつあった。走る感覚を、クニカはほとんど忘れかけていた。加えて、少女になってしまったことにより、身長が縮んでいた。イメージしたとおりに歩幅が稼げない。


 怪物が腕を伸ばし、クニカに掴みかかろうとする。怪物の指が、クニカのシャツに触れた。


「ふわぁっ?!」


 間一髪のところで、クニカは身をひるがえす。怪物は前につんのめり、ベンチに激突して体勢を崩した。


 逃げるには絶好のチャンスだったが、尻餅をついたまま、クニカは立ち上がれなくなっていた。心臓は早鐘のように高鳴り、足は震えて力が入らない。


「おい!」


 そのとき、クニカの後方から、だれかの声がする。振り向こうとした矢先、


「伏せろッ!」


 と叫び声が上がった。頭をかかえ、クニカは床に伏せる。


 声の主が、クニカの視界に少しだけ映る。相手も少女のようだった。


 少女が握っているものから、火花がこぼれる。続けて、ばねの弾ける音がした。稲妻がほとばしり、異形の身体に殺到する。


 次の瞬間、異形の全身が、炎に包まれる。熱風はクニカにまで届き、額と背中から汗が噴き出してくる。


 異形の頭部が、炎の中で弾ける。周囲には、黒い汁が飛び散る。煙を発しながら、異形は倒れ、動かなくなった。


 クニカの側に、少女が近づいてくる。少女は緑のハーフパンツに、白いTシャツを着ている。首にぶら下げたロケットが、残り火を受けて銀色に輝いていた。背はクニカよりも高く、長い黒髪をポニーテールにしている分、より一層背が高く見えた。金色の瞳に、ナイフのような鋭い目つき。尖った(あご)に、引き結ばれた唇。


「あの……」


 言いかけたクニカに対し、少女はむすっとしたまま手を差し伸べる。おっかない雰囲気だったが、色白の腕はほっそりとしている。クニカはその手を取って、立ち上がる。


「その、ありがと……うげっ?!」


 まぶたの裏に、火花が飛び散る。少女が、いきなりげんこつをかましたのだ。なすすべもなく、クニカは再び尻餅をついた。


「ちょっと! いきなり……」

ばかやろう(ドゥラーク)!」


 少女の怒号が響き渡る。稲妻のような少女の声に、クニカの抗議の声はかき消える。


「お前……」


 うなだれたまま、少女が続ける。


「どういうつもりなんだ?」

「『どういうつもり』って、こっちだって――」

「正気なのか、お前?!」


 少女はクニカの胸ぐらをつかむ。


「死ぬところだったんだぞ?!」

「だって……仕方ないじゃん!」

「あんなにでかでかと書いといたのに! オレが戻って来なかったら、どうしてたんだよ!」

「それは――」


 言いよどみつつも、クニカは少女の瞳を見つめた。


「というか、アレ、あなたの……」

「そうだよ」


 少女が手をゆるめ、クニカを放した。


 怒りが収まらないのか、少女は鼻息を荒くしたまま、手に持っている装置をいじっていた。


 クニカは目を細める。少女がいじる装置は、銃のようだった。銃身のところに円盤が付いている。少女はその部分を、別の円盤に換えている。


「無駄遣いした」

「え?」

「おまえがふらふらしなきゃ、一回分使わなくて済んだんだ」


 円盤をクニカにかざすと、少女はそれを、異形の亡骸に投げつける。状況が呑み込めずにいたクニカも、円盤に文様が刻まれていることに気づく。どうやら、クニカを助けるために、少女は貴重な資源を浪費したらしい。


「それ、ごめんなさ――」

「シッ!」


 謝ろうとするクニカを、少女は制す。クニカの耳にも、異様な音が届いてきた。人間の金切り声だ。複数の声が合わさり、モールの中をどよめいている。


 クニカに近づくと、少女は手を握りしめる。どぎまぎしたクニカも、指に力を込めた。


「今のは……?」

「怪物の仲間だよ。分かるだろ?」

「う……ん」


 はっきりしないクニカの態度に、少女は鼻を鳴らす。


(あれ?)


 クニカは新しいことに気付いた。少女の胸の辺りに、赤いもやもやしたものが見える。


(なんだろう?)

「ここにいたら危険だ。逃げるぞ」


 もやもやに、少女は気づかない様子だった。

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