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ラヴ・アンダーグラウンド(LOVE UИDERGЯOUND)  作者: 囘囘靑
第4章:巡礼の街・ウルノワ(Урнова)
26/50

26_親友(Близкий Друг)

――果実(まこと)(かなら)(それ)を産み出だしたる者の裡に存せり。【『ペトロの黙示録』、第14節】

 鍵を差し込むと、クニカはそれを左に回した。手ごたえとともに、クニカの脳内で白い魔法陣が点滅し、見えなくなる。


「やったか?」

「うん」


 三階での騒動を終え、クニカとリンは一階へと舞い戻っていた。


 あの白い服を着た異邦人については、二人とも何も言わなかった。今しなければならないことが、二人にはある。


 二人は今、北階段の前にいた。とうとう地下へ降りる準備が整ったのだ。リンが待ちかねたように手を伸ばし、ノブをひねる。扉が開き、蝶番(ちょうつがい)(きし)む。


「入るぞ」

「分かった」

「気をつけろよ、クニカ。何かいるかもしれない」

「リンもね――」


 地下に広がる闇の深さに呼応するかのように、クニカも声を小さくする。リンと手を繋ぎながら、クニカも階段を下っていく。



   ◇◇◇



 階段を下ってすぐのところに、また扉があった。鉄扉には表札が掛けてあるが、暗いせいで文字は読めない。


「鍵を貸せ、クニカ」


 クニカから鍵を受け取ると、リンは鉄扉を横へスライドさせる。湿っぽく、すえた臭いのするクニカたちの居場所に、猛烈な冷気が流れ込んできた。


「寒い!」


 クニカは叫んだ。血液製剤の鮮度を保つ目的から、地下では冷却装置が働いているようだった。“黒い雨”が降り、電気の供給が止まった後も、予備の電源が機能しているようだった。


「もたもたすんな、入るぞ――」


 内部の様子に目を細めながら、リンが地下室へ入る。自分の吐く白い息のせいで、クニカの視界が(さえぎ)られる。地下室を照らす青い蛍光灯は、霜に埋め尽くされている。


 腕を突き出し、リンは壁についた霜をこそげ取る。霜の下から、地下棟の案内図が出てきた。


「さっさと取って、さっさと出るぞ」


 シャツの裾で、リンは手についた水滴を拭き取る。冷たさのせいで、リンの右手は既に赤くなっていた。


「血小板は――」

(けっ)漿(しょう)だって」

「うるさいな、もう。分かってるよ。無駄口叩くな。舌が張り付きそうだ。ここだろ?!」


 リンが地図の一画を指差した。そこには【血漿製剤保管所】と、赤字で書かれている。


「あの扉だな」


 血漿を保管している部屋は、二人のいる地点からさほど離れてはいない。その代わり、鉄扉は堅く閉ざされていた。ハンドルを回して開閉するタイプの扉である。


 ハンドルに手を伸ばしたリンが、


「痛えっ!」


 と叫び、慌てて手を引っ込める。


「触ってらんない」

「任せて」


 息を吐くと、クニカはハンドルを両手で(つか)む。扉は冷たくなく、ハンドルは造作なくひねることができる――そのように念じて。祈りの効果は抜群だった。ハンドルはすぐに緩み、二人の前に保管所の口が開く。


「よし」


 リンが言いかけ、激しく()き込む。無駄口を叩くどころか、息をしているだけで、肺が凍り付いてしまいそうだった。


 お互いに(うなず)き合うと、クニカとリンは、覚悟を決めて中に入った。


 地下室の中でも、この保管所が最も寒いように、クニカには感じられた。「寒い」と言うよりも、「痛い」と言ったほうがいいかもしれない。体中を細かな針で刺されているかのような気分だった。


 たちの悪いことは、寒さだけに留まらない。クニカの隣で、リンがうなる。


 探し求めていた血漿(けっしょう)は、保管室にあった。ただし、山のように。間近にあった二つの血漿製剤を取ると、クニカは両者のラベルを代わる代わる見てみる。ラベルに印字されているキリル文字の羅列は、両方とも異なっていた。


 どれだよ、と、声が出せないので、リンが目配せしてくる。そんなリンに対し、クニカは首を振るしかなかった。


 思えば、「血漿を持って来い」と言っただけで、どんな種類のものを持ってくればいいのか、相手の少女は何も指示しなかった。忘れていたのだろうか? だとすれば、クニカたちのこれまでの苦労は、水の泡ということになる。


 そして、これまでの努力が水の泡ならば、クニカ自身もまた犬死にすることになる。


〈――青いラベル〉


 壁に吊り下げられている血漿製剤が、クニカの視界にぼんやりと映る。耳に流れ込んできた言葉の意味を理解するのに、クニカは時間が掛かった。


 とっさに周りを見渡したクニカだったが、リンのほかに人影はいない。


〈もしもし? 青いラベル! 青!〉


 またしても、クニカに声が届く。脳内に直接流れ込んでくるような、そんな声だった。まごついているクニカに対し、やや苛立っているらしい。声は、クニカたちを病院に行くよう仕向けた、当の少女のものだった。


「あっ、はい――」


 ひとりごちるクニカに、リンが怪訝な表情をする。リンには構わず、クニカは壁際に寄る。少女のテレパシーどおり、青い線で区分されたラベルが、壁の一面を占めている。


〈それの110НЙС。あーそれ! いま、今振り向く前の棚――〉


 環境が過酷すぎると、人間は思考を手放してしまうらしい。テレパシーが流れ込んでくる間、クニカはほとんど何も考えていなかった。ただ少女の言葉に従い、クニカは青いラベルの【110НЙС】を探し出し、それを掴んだ。


〈いいね、早く出ようか。でないと冷凍標本になる)


 リンのシャツを引っ張ると、クニカは飛ぶようにして、地下室を後にした。



   ◇◇◇



 段差を登った先に、門が見える。相手の少女は花壇の縁に座ったまま、戻ってくるクニカとリンを見据えていた。


 クニカたちが病院で右往左往していた合間に、少女は着替えを済ませたらしい。といっても、ただ白衣を重ねて着ているだけだったが。傾きかけた太陽の日を受け、少女の白衣はまぶしく輝いていた。


「お疲れさん」


 そう言うと、少女は左手に持っていたものを投げ捨てた。地面に落ちた瞬間、投げ捨てられたものは四方八方に火花を飛び散らせた。煙草だった。


 近づいてきた少女に対し、クニカは立ち止まる。が、リンはそうではなかった。クニカの脇を素通りすると、少女の真正面までリンは肉薄する。


「リン!」


 リンの拳が握りしめられているのに気付いたときには、すべてが遅かった。リンの拳が、少女の左頬に(さく)(れつ)する。少女の眼鏡は吹き飛び、少女自身は真後ろに倒れこむ。リンはほとんど飛び掛るようにして、少女に馬乗りになった。


「リンってば!」

「お前……」


 クニカが止めに入ろうとするのにもかかわらず、リンは再び拳を握る。


()けなかったな」

「そりゃそうさ。その方がフェアだろ?」

「コイツ――!」


 クニカは、リンのお腹に腕を回し、少女からリンを引き剥がす。リンの剣幕がこのまま続けば、少女は八裂きにされてしまうだろう。


「落ち着けって」


 立ち上がると、少女は眼鏡を拾う。


「良かったじゃないか、死なないで済んだ」

「ああそうか?! そうかもな?!」

「なぁ、ちょっと想像してみろ。同じ状況で、立場が逆だったら、どうしてた? リン、お前だって同じことしてただろ?」

「それは――」

「それより、(けっ)漿(しょう)だ。そうそう、それ」


 クニカの持っている血漿に、少女は腕を伸ばす。


「待て。まだだ」


 少女の腕を払いのけると、リンはクニカの手から血漿をひったくる。


「約束は守ったろ? 先に解毒剤だ。それをクニカに打ってやれ」

「解毒剤?」

「とぼけんな。お前言っただろ? あのとき――」

「そんなものないよ。――ああ、まった待った。そういう意味じゃない」


 またしても飛び掛ろうとするリンを、少女はなだめる。クニカも懸命になって、リンの身体を引き留めた。


「ねぇリン、話し聞いてあげようよ」

「離せ、コイツぶちのめしてやる――」

「はじめから毒なんてないんだよ」


 口から泡を飛ばしてもがいているリンに対し、少女は肩をすくめる。言葉を受け、リンの動きがぴたりと止まった。リンは言葉の意味を探りかねているらしい。


「“ない”?」

「そうだよ」


 背中に着いた土ぼこりを、少女は手で払う。


「あれは生理食塩水さ。毒にも薬にもならない。だから解毒剤なんてものはない。分かった?」

(だま)したな?!」


 安堵(あんど)するかと思いきや、リンはなおも、クニカの制止を振りほどこうともがき始めた。とにかくリンは、少女をぶん殴りたくて仕方ないらしい。


「リン、落ち着いてってば」

「落ち着いてられるかよ! お前――おまえ、死にかけてんだぞ?!」

「じゃあ、こうしよう」


 少女が言った。


「今すぐクニカの身体に毒を入れてやる。そのあとで、あたしがすかさず解毒剤を注入する。な? これで満足だろ?」

「ふざけてんのか?!」

「ふざけてない」


 少女が一歩、クニカたちへ近づく。リンが腕を伸ばし、少女に(つか)みかかろうとした。少女はリンの手を取ると、その手を握り締める。


「何だよ」

「頼むよ。時間が惜しい。報酬は払うよ。約束する。だけど今は親友を助けたい。あたしの言ってること、分かるだろ?」


 リンの瞳を見据えたまま、少女は微笑む。話をする間、少女は決して、リンから目をそらさなかった。


 リンはしばらく押し黙ったままだったが、やがて、少女の手を振りほどいた。


「必ずだぞ」


 少女に向かって、リンは人差し指をつきたてた。


「これも嘘だったら、親友もろともぶち殺すからな。分かったな」

「分かったよ。ありがとう」


 リンの手から、少女は血漿を受け取る。


「じゃあ、着いてきて。二人にも現場を見てほしい。そうだ、自己紹介をしていない」


 図書館の方角へ歩み始めていた少女は、クニカとリンに向き直る。


「あたしの名前はチャイハネ。チャイでいい」


 少女は――チャイハネはそう名乗ると、図書館の中へと入り込んでいった。

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